修行する人が大勢になると、それぞれの方がそれぞれの癖をお持ちですから
小さな修行道場でもこれだけは守っていきましょうという 「規則」 をやむを得ず作ります。
けれども、そういうものに当てはめられるとどうしても自由の部分が失われるので、
そんなものは無いほうがいいと、各自思い思いのことをすると、集団生活の意味が
なくなります。
「別に集団生活をしなくてもいいじゃないか」 と言う人もありますが
不自由の中から生まれたものでないと本当ではないということです。
「何をしても構わないんだという人」 は、それだけ 「自分の考えが出ている」 ことに
気が付かなければなりません。
道元禅師も独りの修行を戒められて居ります。
ですから、「規則」 があっても邪魔にならないような修行でなければなりません。
自分が無くならないと、不自由を自由に取り扱うことは出来ないということです。