鮒には鮒の餌でなければ喰いつきません。
鯉には鯉の餌でなければ喰いつかないのです。
「仏法」 というものは、高尚なことを言っているかと思うと、皆が眉をひそめることまでの
末端まであるのです。
そういう必要があるのです。
そういうようなものでないと頼りにしない人もいるのです。
そういう範囲の人たちからは、「道(法)」 の話は、逆につまらないものになることがあります。
ですから、「仏法」 というものは、一番最上なところから末端まで
「何処までも救われる道」 が施されているのです。