古人が書物を著わした精神は、「本心」 を見つけさせたいばかりなのです。
書物の文字には必要がないのです。
私たち衆生は 「本心 」を見つけなければならないのです。
「本心」 を見つければ、あとの文字の関係は必要ないのです。
例えば、「般若心経」 というものは、私たち衆生の心を写した写真なのです。
今日の私たち衆生は長いとか短いとか、広いとか狭いとか 「時間・空間の間」 に
住んでいるので、それは限られるのです。
「生死の間」 を往来しているのです。
ですから、「生死」 を没却することが出来ないのです。
生き死にが気にかからない様にならないといけません。
そして、「超然たる実生活」 をしなければなりません。
それには 「本心を明らめること」 が一番大切なのです。