CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

//////////校正11回目//////////

2014年06月01日 11時17分08秒 | Bruxellesが守れなかったBarbara

原文P.135&P.136
Je m'y rends lentement, seule, eperdue.(私は一人ぽっちで、取り乱したまま、家に足を進める。) Je vais me retrouver devant ma mere.(私は家で母と対面することになる。) Je voudrais l'epargner, dire les choses le plus doucement possible.(出来たら母をいたわりたいと思う、そしてナントの出来事を出来うる限り心に優しさを持って伝えたいと思った) J'entre, ma mere est allongee sur le petit divan, les yraits tires, inquiete.(家に入っていく。母は小さな長椅子に横たわっていた。やつれ果て、不安げな表情が見て取れた。) 
- L'enterrement...C'etait l'enterrement...-(「埋葬、土の中に埋葬...」) Je tombe.(私はその場に崩れ落ちた。) Je raconte sans tout dire, sachant que l'apparente indifference de ma mere masques un vrai chagrin.(母の一見淡々とした無関心な表情の裏に真の深い悲しみが隠れているのが私にはわかったので、内容を選択しながら、話した。)
Mais je ne peux reprimer par moments mon agressivite, malheureuse de ne pas etre aidee, comprise, et tout a coup, je vouvoie ma mere: (しかし私は、時折飛び出しそうな私自身の心の辛さを抑えることができなかった、何故ならこの時の私には誰ひとり助けてくれる人はいなくて、理解してくれる人もいなくて、私自身が不幸そのものだったから。そして突然思いもかけず、私は母にヴヴワイエ(他人行儀な話し方)で話していた。) je lui parle comme a une etrangere, peut-etre pour pouvoir raconter avec plus de distance.つまり見知らぬ女性に話すように話していた。そうすれば実際よりも心理的な距離を遠くに置いて(なるべく客観的に)話すことができると思ったからだ。

・・・・・・・・・

訳本の訳(P.115)はこうなっている。アンダーライン部分のみ書き出す。
できれば、いたわってやりたかった。できるだけ穏やかに話してやりたかった。...
しかし母に対して、時として表れる自分のアグレッシブな態度は抑えようもなかった。昔からわたしを理解することも、手を差し伸べることもしなかった母が、急に未知の女性のように感じられ、距離をおき、他人に対するようにヴヴォワイエ(よそよそしい話し方)で話している自分に気づく
そして例の如く、ここを強調するために「訳者解題」にもこの訳を書き出している。
P.200.「また母に対しては、「昔からわたしを理解することも、手を差し伸べることもしなかったと、本書に書かれているが(原本には書いていない、父親が幼いバルバラを数年にわたって犯していたことに、母親は目をつぶっていたのか。母に父のことを告げても、信じてはもらえないだろう、という絶望感から、バルバラは沈黙の塔に閉じこもった。」と帯のテーマにそうように、捏造訳を根拠に、強引に自説を創作している。

上のBruxellesの訳と比較すればどこが捏造かすぐにわかると思うが、この際きっちり説明しておこう。
1。malheureuse de ne pas etre aidee, comprise
2.この時の私には誰ひとり助けてくれる人はいなくて、理解してくれる人もいなくて、私自身が不幸そのものだったから。
3.昔からわたしを理解することも、手を差し伸べることもしなかった母が
(解説):de ne pas etre aidee, comprise,を見れば分かるが、昔から云々などという時制ではない。完了不定詞ではない。(この時)のことなのだ。家に来るまで母をできるだけいたわろう、母に優しくしようと思っていたが、母を前にした(この時)、自分自身が一人ぽっちで、取り乱して、誰にも理解されず、助けてもらえず、不幸で、母を前にして崩れ落ちているのである。Mais (最初の思いに反して)je ne peux reprimer par moments mon agressivite(←だからこうなってしまうのだ)。
また、助けてくれる人も理解してくれる人もいなくて、であって
「昔から母はわたしを理解することも、私に手をさし伸べることもなかった」などという訳を1。malheureuse de ne pas etre aidee, comprise、から引き出すのは、これはもう捏造と断じて良い。「昔から」も「母」も、原文には書かれていない。
また
1。
je lui parle comme a une etrangere, peut-etre pour pouvoir raconter avec plus de distance
2.見知らぬ女性に話すように話していた。そうすれば実際よりも心理的な距離を遠くに置いて(なるべく客観的に)話すことができると思ったからだ。
3.急に未知の女性のように感じられ、距離をおき
この箇所はヴヴワイエで話したということはどういうことかということの、説明である。赤の仏文からは緑の訳しか出てこない。「急に未知の女性のように感じられ、距離をおき」は、「未知の女性のように感じた」とか「距離を置いた」とか全く書いていないのだから、誤訳というよりもやはり捏造と断じてよい。
またこれは些細なことだが、母が「私の愛しい子ども」(「娘の子」も誤訳)、になるのは、帰ってきて母と対面したあとである。母に対面する前から、「いたわってやりたかった。できるだけ穏やかに話してやりたかった。」というこの上から目線の訳者独自の表現「やりたかった」は、Lucien Morisseの時と同様、感性の鋭い読者にはかなりの不快感を与える。こころの視点が狂っているからである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前々回「校正10回目」は「訳者解題」の誘導性と訳者のBarbaraに関する把握の杜撰さについて書いたが、今回は翻訳そのものの、根幹に関わる誤訳について書いた。誤訳であれ捏造であれ、ひどさから言えば、これは3番目と言える。2番目は何かというと既に指摘したが、訳本P.64「でも歌と舞台と衣装の他に、私に誇示できるものがあるとすれば、それは自分への執着であり、生きるあつかましさでしかない」のとてつもない誤訳・捏造である。バルバラが生きていたら裁判を起こすであろう。
参照:Correspondances過去記事
1番目はなにかというと、
J'oublie tout le mal qu'il m'a fait, et mon plus grand desespoir sera de ne pas avoir pu dire a ce pere que j'ai tant deteste: 〈 Je te pardonne, tu peux dormir tranquille. Je m'en suis sortie, puisque je chante! 〉P.132
詳しい説明は
校正9回目に書いている。これが何故一番目かというと、「訳者解題」も訳本自体もこの誤訳・捏造を基盤に呼吸し得ているからである。接続詞のqueと関係代名詞のqueの単なる取り違えから発している間違いだが、最初から思い込みがなければ〈 〉で、気づく筈である。読者を馬鹿にして、最後まで企画を放棄せず何が何でも、捏造してでも出版にこぎつけようと、がむしゃらに自分自身意味不明のままに、混沌としたまま誤訳や誤記述を乱発し続けたとは、いくらなんでも思いたくない。知識不足に視野狭窄が重なり、錯覚・勘違い・思い込みの落とし穴にズボズボと足を取られ、また運命の悪意に目を覆われ続けた不幸・不運の連続の結果だと思いたい。この辺も後日分析せねばなるまい。

・・・・・追記:2013年7月7日・・・・・
上に(「娘の子」も誤訳)と書いているが、その片を少しだけ追記する。原本P.136.
Elle deviendra elle-meme mon enfant cherie que j'assumerai, protegerai toujours et du mieux que je pourrai. 訳本P.115
今は自分が保護され、面倒を見てもらう「娘の子」になったようだった。
Bruxelles訳↓
母自身が、娘の私が存在を引き受けなければならない、私の愛しい子供になった。私は出来うる限りの力で、この母をずっと守っていくだろう。
もう説明の必要はないだろう。Barbaraが打ちひしがれた母と対面して、これからは「私の母を私は私の愛しい子供として、背負い、あらん限りのちからで、守っていこう」と決意しているのである。ナントを最初に歌った、11月最初の火曜日、キャピュシーヌ劇場にバルバラは兄、弟、母、妹の家族全員を招待し、全員が「ナント」を聞きに来る。
1.Je suis tellemment emue de savoir ma famille dans la salle(原文P.157; 私は会場に家族全員がいることを知ってとても感動した) Je chante Nantes; ma mere trouve la chanson tres belle.(原文P.157; わたしは「ナント」を歌った。母はとても素晴らしい歌だと言ってくれた)
2.また前に書いたが、レミュザの同じ建物の一室を母のために用意し、母を引き取るのだ。Barbaraは母が死ぬまで母の面倒を見る。
1、2の流れを見ただけでもわかると思うが、赤色の仏文を青色に訳しては、「Barbaraの母に対する想い」は、意図的にかどうかはわからないが、完全にかき消される。赤、青、緑を比べていただきたい。青色の訳の杜撰さがはっきりとわかると思う。訳者解題P.201.には「昔からわたしを理解することも、手を差し伸べることもしなかった母」という誤訳を基に、「父の死だけでは解消できなかった、バルバラの心の中に刻まれた傷痕の一部が、年老いた母の姿と重なったのではないか。」等と、解説をつけている。Barbara力完全欠損と言えるほどBarbaraに無知で、誤訳と捏造を乱発する人間が、
「解説を書こう」などと、どうして思ったのだろうか。

・・・・・・・・・追記:2013年7月11日・・・・・・・・・・
BARBARA : Pour une absente :
BARBARA :
Chanson pour une absente.
Chanson pour une Absente: Music Cross Talk:
小さな証言1,2,3: Music Cross Talk より一部引用↓

50年代の終わり頃です。とマダムMarie-Georgette Boyerは語る。夫はVitruve50番地のマダムSerfの家に石炭を配達していました。いつも奥さんは夫にこう言っていました。「娘の唄を聴きにいってくださいな。あのねえ、娘には才能があるんです。立派な歌手なんですよ」夫はいつも忙しくしていましたが、もともとミュージックホールが好きでバイオリンを弾きたがっていました。そしてついに我慢できなくて行ったんです。・・大きくて美人の娘さんでした。グラマーなね。私もよく彼女を見かけましたよ。Saint-Blaise30番地のうちの隣の靴屋さんの所に来てよく話し込んでましたよ。おしゃべりな靴屋さんでした。彼女はカウンターに肘をついて楽しそうに冗談を言い合ってましたよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。