CORRESPONDANCES

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Il etait un piano noir...memoire interrompus : Barbara

2014年06月01日 11時18分22秒 | Bruxellesが守れなかったBarbara

過去記事Bruxelles (2)- 人物紹介-6-3で以下のように書いている部分がある。
ー「あんた、はよせんからこんなことになったんやんか」と何故か大阪弁の言い回しで、返事が来た。先に誰かが訳せばよかったというような問題ではない。原本を読んでいない人の誤解だ。この本は、ただ翻訳しても意味がないと私は考えていたし、ずっとそう思っている。翻訳して本にする気持ちは私には一貫してない。ここでも書いている(その前にこの原書がなぜ15年近く翻訳されなかったかについても分析するつもりだ)ように、この本が15年近く翻訳されなかったことには、理由がいくつもあるのだ。それは説明しなければわからないだろう。BARABARA氏の返事を見て、分析を急がなければ、と今は思っている。ー

原本を読んでいない人の誤解だ。翻訳して本にする気持ちは私には一貫してない。と書いている。この辺は早く書かねば、何を言わんとしているか、誤解される可能性がある。例えば、「BruxellesがBarbaraファンに知らせたくないことが、書いてあるからではないか」とか「原本でなければ、わからない秘密があるのではないか」とか、不安を喚起してしまったかもしれない。まずBruxellesには何故翻訳して本にする気は一貫してないのかから説明したい。
(1)2004年まだBlogがなく、Siteのみだった頃、最初に「ナントの成立過程」を書き込んでから、次々と記事にしていった。ゲッチンゲンの成立過程、「私自身のシャンソン」というアルバムの成立過程, Monsieur H.やLuc Simonのこと、何より今まで全く明かされなかったBarbaraのBruxelles時代のこと、(注:Bruxellesのhandle nameがBruxellesであるのは、3つの理由があって、歌手Barbara誕生の基礎となったBruxelles時代を忘れないため、というのがその理由の一つである)L'Ecluseのこと、Gribouilleのこと、などなど書き続けた。つまり、情報価値のある書くべきことは、全部すでに書いたのである。Barbaraファンに伝えたのである。だから、わざわざ本にする必要はない、と考えている。BARABARA氏が「翻訳出版」を望まれたのは、これだけの尊い記述があるなら、「もっと読みたい」「部分的にではなく全部読みたい」と思われたのだと思う。これで全部ですよ、と仮に言っても納得されなかったと思う。何故なら、来日したBarbaraや1970年代前半に出た数々のヒットアルバムについて、つまり私たちが知っているBarbaraのその内側、その心情をぜひ知りたいと願われたのだと思う。それにBarbara自身が書いたものなら、電話帳でも読みたいというのがBarbaraファンの心理である。それが私にはよくわかるので、大野先生にお願いしたら、とアドバイスした。まとまった一冊の本を読むのと、Net上の記事を読むのとでは、気持ち的に違う。ただ出版となると採算も問題になる。掲示板に書き込むだけで叶えられる話ではない。2004年当時はフランスでもまだようやく、Marie-Paule BelleとMathieu Rosazの二人くらいが、Barbaraを取り上げ始めたばかりだった。日本でも「そう言えば、岸洋子さんや加藤登紀子さんが歌う黒い鷲とかを歌ったというBarbaraという歌手がいたようね」程度の一般的認識だった。フランスではそれでもLes Amis de Barbaraや Perlimpinpinという組織は存在しすでに活発な活動を展開していた。日本はというと、Barbara人気はほとんど消えていて大金持ちの500部程度の自費出版、くらいしか可能性はなかった。かつてのBarbaraファンがどれくらい蘇るかということは完全未知数だった。この過去記事で「(BARABARA氏に)私も多少責任を感じていた」とあるのは、そのへんの過去を覚えているからである。
次に「原本を読んでいない人の誤解だ」について追加説明すると、
(2)本文はゲッチンゲンの成立過程、で終わっているのである。私自身「エェ!これで終わり!まさか!」「いよいよこれから佳境に入る筈なのに!」と驚いた。確かに突然中断された未完の回想録なのである。
(3)そのあとに断片という小見出しがあって、そこに短い断片的記述が数篇集められている。これは完全に未編集、重要な内容もあれば、さほどイミのない内容もある。断片たちの相互関連はない。断片の順序は思い出すままにであり、優秀な編集者なら、内容を考えて本文のふさわしい場所に入れ込むかもしれない。
(4)前の記事に翻訳者の小沢氏には時系列の把握・整理ができていない、と書いたが、本文を順番に訳していくだけでは、誰でもそこまでの理解は不可能なのだ。年月日時が7割がた無記入で、途中で頻繁に、現在執筆中の時点での心境が挿入される。私は最初のPLANETE BARBARA執筆時にBiographie,Dicographieをかなり詳しく制作しているので、それを参照にしながら読みながら細部の脈絡を把握できたが、Barbaraの素人には所詮この本の翻訳は不可能だと思う。私が大野先生にお願いしたら、と提案したのは、大野先生なら、当然日本語版にはBiographie,Dicographieを付加されると思ったからである。今回のような文字に置き換えただけの意味不明の翻訳では、一般読者は読んでも内容が理解できなかっただろう。
(5)P.217~P.223まではコンサートパンフレットなどからの転記が、断片集のなかに紛れ込んでいる。突然の中断をリアルに表現するために、断片は敢えて断片のまま未編集で付け足されたのではないかと思うが、プログラムなどからの文章転載は、不要だったような気がする。紙面を埋めるための苦肉の策?なのだろうか。少なくともこれはBarbaraがこの本のために書き下ろしたものではない。従って私が日本語版の編集者なら、取り除くかもしれない。
(6)過去記事に「この本が翻訳されることを初めて知ったとき、熱烈なバルバラファンと出版社が、採算を度外視して大きな賭けに出た、と勝手に思い込んだ」と書いているが、以上のような理由からこういう条件が揃わなければまともな翻訳本の出現は無理だと前から思っていたからだ。熱心なBarbaraファンならば、徹底的に調べいい加減なことは書かない。それとBarbaraファンに伝えたいという気持ちから、(地名がやたら出てくるので)地図を付けるだろうと考えた。住んだ建物の写真も付記する。転居するたびに地名が出てくるが、そのままカタカナにしても読者にはイメージは湧かない。L'Ecluseも当然写真が必要だ。私があらまほしき、と考えていた編集である。
(7)L'Ecluseの経営者4人の顔写真はこれはもう必須。最後のペイジには登場人物の人名辞典をつける。訳本を手にされた方はわかると思うが、やたら歌手名、人物名が多い。8割がたは無名である。(薮内久氏の「シャンソンのアーティストたち」に影も形も現れない、という意味である)。名前をカタカナ表記しただけでは何の意味もない。Lucian Morisseをカタカナにしただけでは、翻訳者さえ何者か把握できなくて、無茶苦茶な訳になっていたではないか。人名辞典も必須である。それが私があらまほしきと考えていた、編集である。さらに劇場である。出てくる劇場は、場所の説明のための地図、正面及び内部の写真、日本のBarbaraファンに正しく伝えたい熱意があれば、そこまで考えて当然であると思う。
(8)この原本を読んで、この翻訳本の出版を試みるならそれが必要だ。出版なのだから写真は自分で撮る。ParisやBruxellesを自ら往復する現地調査も必要だ。本に出てくる人物を探し当てて、interviewすることも必要だろう。人名辞典のためには。Barbaraに対する情熱及びBarbaraに関する徹底的な探究心、知識、そして伝えたい心、最後に極めて高度な校正・構成・編集能力が必要だ。フランス語版を上回る素晴らしい翻訳本ができるだろう。
翻訳して本にする気持ちは私には一貫してない。その2番目の理由は、私にはそれを達成できる時間的余裕と金銭的余裕がないということだ。いつか誰かそれを達成できる状況と能力を所有する人がファンの中からきっと現れるだろう。

過去記事に以下のように書いている。
先に誰かが訳せばよかったというような問題ではない原本を読んでいない人の誤解だ。この本は、ただ翻訳しても意味がないと私は考えていたし、ずっとそう思っている翻訳して本にする気持ちは私には一貫してないここでも書いている(その前にこの原書がなぜ15年近く翻訳されなかったかについても分析するつもりだ)ように、この本が15年近く翻訳されなかったことには、理由がいくつもあるのだ。ー

今日この本の素晴らしい日本語版出現の必要条件を上に列挙してみた。以前に書いた不十分だった事柄を(誤解のないように)少しは明快にできたのではないかと思っている。


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Jacques Attali à propos Barbara: INA.FR
Jacques Attali à propos Barbara: Correspondances

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参照:固有名詞 (言語エネルギー論)
ただToulouse-Lautrecと正しく書けて発音できても固有名詞はそれだけでは語彙としては機能しない。人名の場合ならば人物理解や作品理解が要求されるのだ。(略)会話を弾ませるのはむしろそちらの力なのだ。固有名詞力は、語学カルチャー力に平行するといっても、あながち間違いではないと思う。
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・・・・・追記:2013年7月3日・・・・・
とても長い記事になってしまった。バルバラの未完の回想録、
なるべくそのままだということや、断片は未整理のまま並べられている
ことなどを書いた。ただ誤解のないように追記したいのだが
Barbaraが思いつくままに気の向くままに書いたというわけではない。
年月日や場所、その場にいた人など、正確を期するために
執筆中は昔の友人たちに全部確認の電話をしている。
「こういうことがあったのは何年だったと思うのだけれど
確認したい。その時あなたの他に、○○も近くにいたわよね」
というふうに記憶確認のための検証作業をしている。
その際実は、長い間音信不通だった元夫のClaude宅にも
電話を入れている。弁護士の卵だったClaudeは結局
弁護士にはならずに骨董品屋になっていた。この元夫の
Claude確か、以前Barbaraの特番に出演していたように思う。
その後亡くなったようだ。そう言えば誰それが亡くなった
という記事をたくさん書いた。ふと思い出すだけでも
Maurice Béjart, Frédéric Botton , Sophie Makhno, Georges Moustaki,Jean-Claude Brialy,Serge Reggiani,Luc Simon,等など。
Hubert Ballayは元気でBarbaraの特番にも出ていたように記憶しているが、
今調べてみると今年の2月24日、85歳で亡くなっていた。
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