CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

Barbara論の誕生 ゲッチンゲン(1)

2016年01月20日 22時21分28秒 | Barbara関連情報

バルバラの『ゲッチンゲン』
歌の成立に関わったゲッチンゲンの人々
by 中祢勝美

「シャンソン・フランセ-ズ研究」 第7号 P.21~P.45
より 筆者の許可を得て転載
2015年12月 シャンソン研究会発行 
信州大学人文学科内 代表者 吉田正明 

PLANETE BARBARA誕生丸12年を迎えるにあたり
Bruxelles以外の手になるBarbara論を掲載できる
喜びの日を、思いもかけずに迎えることができました。
数回に分けて掲載していく予定です。
ゲッチンゲン誕生に関わった、ドイツ側の人たちへの
取材を含む、独自の視点を切り開いた
ドイツ語の専門家の手になる本格的なBarbara論の登場です。
今回はまずその第1回目です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・

1.はじめに

 シャンソン・フランセーズとは無縁だった筆者が,バルバラ(Barbara, 本名:モニック・セルフ1) Monique Serf, 1930~1997)とその代表作のひとつである『ゲッティンゲン』Göttingen 2) に出会ったのは,2013年,仏独協力条約(以下,通称の「エリゼ条約」とする)締結50周年を記念するサイト3) を読んでいたときだった。そこには,ド=ゴール大統領とアデナウアー西独首相が過去の宿敵関係を断ち切って友好関係を築いていくことを誓ったランスの大聖堂での「和解のミサ」(1962年7月)以降に積み重ねられてきた成果が,40件ほど時系列に紹介されていた。主なものとしては,青少年の交流促進を統括する「仏独青少年友好事務局」の設立(1963年),旅客機「エアバス」の共同生産(1969年),どちらの国でも認定される大学入学資格制度(Abi-Bac制)の導入(1972年),両大戦の戦没兵を追悼するヴェルダンでの記念式典(1984年),仏独合同旅団の編成(1989年),共同テレビ局ARTEの設立(1990年),仏独社会科学研究センター(マルク・ブロック研究所)の設立(1992年),両国の180以上の大学を結ぶハブ大学としての「仏独大学」の設立(2000年),仏独共通歴史教科書の刊行開始(2006年)などがある。政治,経済,教育,安全保障,メディア,学術研究など多岐の分野にわたるが,どれも政府や企業の強いリーダーシップで開始された事業や制度ないし創設された機関である。

 それだけに,「1964年,ひとりのフランス人女性歌手の作った歌が仏独の和解に大いに寄与した」4) という項目がこれらに混じって掲載されていることにまず驚いた。政府や企業が関与していない一個人の,しかも歌手の(!)貢献として取り上げられていたのはこれだけだったからだ。エリゼ条約締結の翌年という時期の早さも目を引いた。リンクされた本人の弾き語りを視聴してみると,三拍子に乗った翳りのある曲調,エレガントで瑞々しい声が耳に残った。妖艶な笑みを時折カメラに向けながら歌うその目力も印象的だった。

 フランス語の独学を再開して日の浅い筆者が,無謀を承知でバルバラと『ゲッティンゲン』について調べ始めた理由は二つある。一つは歌のタイトルになった町への愛着からだ。ドイツのほぼ中央,ニーダーザクセン州南部に位置する人口12万人弱(2013年現在)のこの地方都市は,ドイツ屈指の「大学の町」として知られる。ゲッティンゲン大学(1732年創設,学生数約3万人)をはじめとする教育研究機関は,これまでに40名以上ものノーベル賞受賞者を輩出してきた。これは,ノーベル賞受賞者が多いドイツの大学でも堂々トップの数字だ。市が "Stadt(シュタット), die(ディー) Wissen(ヴィッセン) schafft(シャフト)"(「知を創造する町」)-これは Wissen(ヴィッセン)(知)と schaffen(シャッフェン)(~を創造する)を Wissenschaft(ヴィッセンシャフト)(学問,サイエンス)に掛けた言葉遊び-を標榜しているのも,ゆえあってのことなのだ。戦災を免れた旧市街には美しい木組みの家も残り,緑も多い。そんな町に筆者は2000年の夏,ゲーテ・インスティテュート(ドイツ文化センター)が主催するドイツ語教員向けの研修で約10日間滞在した。ホームステイ先のドイツ人に親切にしていただいたこともあり,この町がすっかり気に入った。だが,当時はバルバラの歌のことなど知らなかった。無知だった己に対する罪滅ぼしではないが,詳しく知りたい気持ちがむくむくと湧いてきた。そう思って,市の観光局が編集したパンフレットを手に取って見ると,表紙をめくった最初のページがいきなりGöttingen の歌詞の一節で始まっている。それは,この歌が市の誇りになっていることを物語っていた。

 Mais Dieu que les roses sont belles à Göttingen, à Göttingen ...「ああ,なんて素敵なの。ゲッティゲンのバラは…」フランスのシャンソン歌手バーバラはこうゲッティンゲンの魅力をたたえています5)。

 このテーマに挑戦したもう一つの理由は,ドイツ語版の存在だ6)。そもそもなぜドイツ語版があるのか。誰が翻訳したのか。フランス語版の歌詞とどこがどう違うのか。素朴な問いが次々に浮かんだ。

 この歌がフランス人バルバラとドイツ人の交流のなかから生まれた作品であり,ドイツ語版もある以上,ドイツ語の資料は少なからず存在するはずだ。フランス語の資料に加えてドイツ語の資料にもあたっていけば,この歌の成立事情について何か面白いことがわかるかもしれない。そんなふうに考えた。

 結果的に期待を上回る収穫が得られたのは有難いことだった。エリゼ条約締結50周年の2013年およびGöttingen成立50周年の2014年にドイツ語圏の新聞,テレビ,ラジオなどが取り上げてくれた歌の由来に関する情報を足掛かりにして,半世紀前にバルバラと関わった人たちから貴重な話を聞くことができたからだ。ゲッティンゲン市の公文書局が保管する資料を入手できたのも大きい。こうして,最初はごく断片的だった情報がジグソーパズルのピースのようにつながり始めた。

 ただ,調べていくうちに,二つの版は,歌詞内容はよく似ているが,成立の事情が大きく異なるため,一度に論じるのは難しいと感じるようになった。したがって本稿では,フランス語版のGöttingen が成立した経緯を明らかにすることに主眼を置きたい。それは,バルバラとゲッティンゲンの人々との交流を,主にドイツ語圏の側から捉え直そうとする試みといえる。ドイツ語版の成立事情ならびにドイツ語版とフランス語版の比較については,本稿の続編として機会を改めて取り上げたいと考えている。

・・・・・(つづく)・・・・・

 1) Serfの日本語表記について,籔内久の『シャンソンのアーティストたち』(松本工房,1993年)は「セール」としているが(79頁),Cinétévé と Inaが共同制作したドキュメンタリー映像 Rappelle-toi Barbara(2007年)やRadio France のL'enfance de Barbara(2012年7月7日放送)ではfの音がはっきり聴き取れることから,「セルフ」とした。

2) 最晩年のバルバラは,回想録の執筆と並行して,歌手人生の集大成としてベストアルバムを編んだ。自ら「ゴールドディスク」と呼んだ(Lehoux, Valérie: Barbara. Portrait en claire-obscur, Fayard, 2007. p.435)この2枚組アルバム Femme Piano に彼女は,Ma plus belle histoire d'amour,L'aigle noir,Nantes,Dis quand reviendras-tu?  など,文句なしの代表作とともにGöttingen を-しかも仏語版のすぐあとに独語版が続く配列にして-収めた。Bruxelles氏は,たいして評判も売れ行きもよくなかった独語版を入れた点,および仏語と独語の両方の版を初めて同じアルバムに収めた点から,この曲に対するバルバラなりのこだわりがあったのだろう,と分析しているhttp://musiccrosstalk.blog7.fc2.com/blog-entry-211.html)。実際,ボビノ(1965年),オランピア(1968年),パンタン(1981年),シャトレ(1987年)など主なリサイタルでこの歌を欠かすことはなかった。

3) 50周年終了後,同サイト(http://www.elysee50.fr)は削除されたが,ここに挙げた成果はARTEのサイト上に残されている(ただしドイツ語版のみ)。(http://arte.tv/de/7233176.html)。

4) (http://arte.tv/de/7233176.html)。

5) ゲッティンゲン観光局(Göttingen Tourismus e.V.)が編集したパンフレットの日本語版から引用。なお,「バーバラ」という表記は筆者のうっかりではない。独語版,英語版,仏語版も同じ内容になっている。

6) フランス語版をB面1曲目に収めたLPアルバム Barbara no 2 は1965年9月,Philips社から発表された。また,ドイツ語版をA面1曲目に収めたLPアルバムBarbara singt Barbara zum ersten Mal in deutscher Sprache (『バルバラ初めてドイツ語で自作を歌う』)は,2年後の1967年7月,同じPhilips社から発表された。ドイツ語への訳詞は,ヴァルター・ブランディン(Walter Brandin)が全曲担当している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
Barbara Gottingen
・・・・・・・・・・・・・・・・・



最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。