CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

一台の黒いピアノ...Bruxelles (1) 参考&参照

2014年06月01日 10時52分34秒 | Bruxellesが守れなかったBarbara

タイトル「一台の黒いピアノ...小沢君江(訳者)」の方にはサブタイトルが「訳者から『一台の黒いピアノ』に寄せて」となっている。これは「訳者からのメッセージ」であって「バルバラファンへの特別メッセージ」ではないということだ。もっとわかりやすく言うと「この本はバルバラファンのために特別に訳されたものではない」ということだ。そう言えば最後の1行「...読んでいただければ、彼女の生涯を理解していただけるかと思います。」はバルバラファン(Correspondances読者)に向けたものだとすれば、冗談でしか有り得ない訳者は端的に言えばバルバラという人が人生で父親に犯された、その思いがこの本には語られていますよ、ということを正面から伝えたかった、のだろう。訳者の言葉の中にも、この本を翻訳するきっかけが詳しく語られている。

今年の1月だったか、この本が翻訳されることを初めて知ったとき、熱烈なバルバラファンと出版社が、採算を度外視して大きな賭けに出た、と勝手に思い込んだ。この本の翻訳を待ち望まれていたBARABARA氏のことをまず思い出した。出版には可能な限り協力したいと思った(それは今も思っている)。なにしろバルバラが書いた唯一のあの本なのだから。出版社を調べてみると、シャンソン関係の本は一冊も手がけていない。そのことを小沢氏に問うたのはすでに5月に入っていたように思う。お返事をいただいて「近親相姦」をきっかけとして、この本に出会われたということを初めて知った。社会問題を扱う出版社だから、合点がいった。その時はすでに第2校に入っていた。Les Amis de BarbaraもPLANETE BARBARAもファン心理を慮ってそのことを正面からはあまり取り上げないできたので、これはかなりのショックだった。うろたえた。よく考えるとあの本には「そんなことは書かれていない」と否定できるくらいにしか、そのことは曖昧にしか書かれていない。近親相姦をテーマにする本にはなりえないと考えて、自分なりのショックを乗り越えた。正直に書かれているように小沢氏がシャンソン通ではないことも、その頃にはわかってきた。そこで今後出版に協力するためには何ができるか考えた。バルバラの事実関連の校正ができるのではないかと考えて、申し出ようとも思った。が、外部の者の介入は煩わしいに違いないと判断した。また依頼もされていない。蛇足ではあるが追記しておく。「あとがき」でBruxellesは謝辞を頂いているが、企画、編集、校正、監修、等に一切関わっていない、のは言うまでもない。

シャンソンを全く知らない私の友人が昨日梅田の紀伊国屋に行ったら、すでに在庫は一冊しかないということだった。彼女は吹田の図書館に行ってリクエストもしたらしいが「既に誰かがリクエストしていた」と言って驚いていた。彼女にざっと読んだ感想を聞いてみた。「Bruxellesから話に聞く以外には全然知らなかったけど、父親からレイプされてたのね。母親との関係もだからうまくいかなかったみたいね。お金がなくて、街角の女になろうとしたこともあったって、暗い本ねー!」やっぱりそう読むか。なるほど。一般読者に関して出版社の着眼は当たったようだ。読者層はバルバラギャラクシーの外にある、ことが推察できる。うるさい熱心なバルバラファンをターゲットにシャンソン本、バルバラ本として出していたら、企画の段階で間違いなく倒れていただろう。考えてみれば、バルバラのステイジを実際に見て感動したバルバラファンはもはや少なくなっている。それに原書が出版された頃、バルバラは既に過去のひとだった。今は、世界各国の熱心なバルバラファンが没後15年以上をかけてバルバラを神格化しよいしょよいしょと押し上げたので、シャンソン界の3Bの中でベコーを押しのけて燦然と輝く国民的歌手となっている。話題性だけで一気に品切れになる可能性もあるかもしれないが日本の読者層に関する市場調査はどうやら一切なされてはいない。それでいて既に翻訳者の手さへ離れて市場に登場しているのだ。出版意図は帯に書かれている。PLANETE BARBARAでは当然近親相姦にも数回言及してはいるが、かなり押さえ込んでいる。今回バルバラ・ギャラクシーの外側からの侵入があって、初めてシャンソンに興味のない一般人の知るところとなったことは、逆説的に言ってよかったかもしれない。生きていれば明日83歳を迎える。これをきっかけにPLANETE BARBARAが敢えて緩慢にしか書かなかったその他のことも(4項目くらい)、これから少しBruxelles自らの手で時間のあるときに詳しく正しく責任をもって開示していこうと思う。外側からの侵入の後では、どうあがいても歪曲が完了した後になり手遅れになってしまうからだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記:2013年6月14日
参考
PLANETE BARBARA 旧コンセプト
主観に走った賞賛のみのペイジではなく、
客観的な視点も忘れないようにしたい。
と同時に亡くなった人の名誉を守るのは
生者の義務だと思うのでその点には充分配慮したい。

参考:PLANETE BARBARA 新コンセプト
2005年の時点でBruxellesが手にした日本における
Barbaraファン・Barbara認識に関するリサーチ&フィードバックである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これからはこの本を読んだだけではわかりにくいことをわかりやすくするような記事を補足的に書いていこうと思っている。その前にこの原書がなぜ15年近く翻訳されなかったかについても分析するつもりだ。それと、その他の諸々のことの開示と。それにまだ没後15年の際の記事も出さなければならないものが残っている。
まだこの本をざっとしか目を通していないが、上に書いた、校正を偶然目にとまったものに限定して、近々書いてみようと思う。いずれにせよBruxellesか熱心なBarbaraファンにしかわからないことなので、増刷の際改訂版にするかどうかの判断は出版社に委ねるしかない。今日は手にしてすぐに気になった2箇所だけ。
〇バルバラの秘書Marie Chaixのことを繰り返しマリー・シェと表記されていたことだ。これは私自身そのように自分でも勝手に長い間そう呼んでいた。ただ、没後10年のバルバラ特番のTV番組にたしか彼女がロラン・ロマネりー等とゲストとして出演した際、ほかの人たちが彼女をどう呼ぶか、注意して聞いて初めてわかったことだ。マリー・シェックスが正しい。
〇P.205訳者解題の部分に「いつ帰ってくるの」の訳が一行出てくる。「漁師の妻のように夫を待ち続ける女ではないの」の部分。これは漁師ではなく、船乗りの方がいいだろう。夫が漁師なら晩に家に帰ってくる確率の方が高いからだ。昔々私の家のとなりの当主は船乗りで、確かにほとんど家にはいなかった。特にこの部分は実際に痴話喧嘩してバルバラが口にし、ユベールが「ちょっと待った。そのセリフ、歌詞に使うといいよ」と諭した重要な個所だ。これはシャンソンの歌詞の世界から見ても画期的なエポック・メイキングな歌詞である。そのことに関しては「時代における歌詞比較」として前から書こうと思っていた。ついでに言うとユベールはこの曲は自分が書いたとも言っている。ユベールは作曲家でもありとても多彩な人なので充分あり得る。それにしても名曲である。
これから、あれも書く、これも書く、と随分予告してしまったが、次はいつ書くかはわからない。少なくとも最優先事項にはしておくつもりだ。

//////2013年6月9日追記:参照SITE&参照BLOG//////
参照:
PLANETE BARBARA (2)MUSIC CROSS TALK
(BARBARA学 学究ノート by Bruxelles) 
参照:
PLANETE BARBARA (3)NANTES の資料
PLANETE BARBARA (3)
Gottingenの資料
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
This mini-documentary (You Tube)compiles early performance footage of some of Barbara's best-loved songs, and includes a rare look inside L'Ecluse, the club where she made her name. The songs include J'ai troqué, Dis, quand reviendras-tu?, Ma plus belle histoire d'amour, Une petite cantate, Nantes, and Göttingen:元ペイジ
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

これは2013年6月14日の記事です。
上に移動します。(4)



最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
墓参り (BARABARA)
2013-06-10 01:26:43
Bagneuxにあるバルバラの墓へようやく辿りつきやっとお参りして来ました。今日は彼女のお誕生日なので他のファンの方ともお会いできるかと密かに期待していましたが、どなたもいらっしゃいませんでした。しかし綺麗なバラの花束を始め、バルバラは一杯の花に囲まれ、昨夜からの雨に濡れて、清々しい風も吹いていました。生きているうちに一度は来たいところでした。帰り昼食をLaCoupoleで食べながら、日本へ帰ったらこの本を読んでみようと思いました。パリは何かを考えるのにはいい街ですが住みにくいところです。
返信する
バルバラのお墓参り (Bruxelles)
2013-06-10 05:30:34
BARABARAさま
お墓参りの目的達成されてよかったですね。綺麗なバラの花束があったということは、Les Amis de Barbaraの人たちは、BARABARAさま到着の前にすでにお参りを終えていたのでしょう。いっぱいの花に囲まれ、ということは個人ファンも一足早かったのでしょう。所謂パリ時間。
初めて行った海外で、2ヶ月滞在して、そこが住みやすいとは、それはありえないと思います。パスポートを持たずに暮らせる国が祖国で、自分が生きて育った歴史を背負える国が祖国なのですから。ただParisは人の感性を鋭くし年齢に関係なく人をArtistにしてくれる街だと思います。体力があり体調がよかったら、アフリカ(たとえばエジプト)行きをお薦めするんですけどね。何しろ近いですから。Parisはフランス文化という意味からだけでなく、地政学的にも、非常に興味深い重要な都市だと思います。バルバラもParisの病院で死ぬ、ことにこだわりがあったような気がします。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。