CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

Boxing Fanの方々に

2007年10月30日 18時36分48秒 | Bruxelles Talks

Music Cross Talkで「愛の賛歌」について書いている途中で(Marguerite Monnot-1)Marcel CerdanがPiafが見ている前で、世界チャンピオンになった試合を見つけた。11ラウンドKO勝ち。(追記: 11ラウンド、ゼイルダウン中にタイムアウト。コーナーに戻る。12ラウンド、ゴングが鳴ってもゼイルは席を立てない。正確に言うと、11ラウンドのKOパンチで12ラウンドKO、と言うことになる)Marcel Cerdan, Edith Piaf,パリのアメリカ人ならず、New Jerseyのフランス人だった二人。1948年 Marcel Cerdan- Tony Zale
翌年1949年、Jake LaMotta -vs- Marcel Cerdan 、ラモッタと初防衛戦を行ったMarcelは1ラウンドの事故もあり、敗北する。(追記: 10ラウンド、ドクターストップでMarcelのTKO負け。残念なことにこれがMarcel Cerdan最後の試合となった)その映像がこちら。
Jake LaMotta -vs- Marcel Cerdan
このラモッタとのリターンマッチのために再びアメリカに向かうMarcelを乗せた飛行機が墜落した。Edithはアメリカの劇場で出演中だった。
Piafが珍しく英語で歌う「
愛の賛歌」;
Piafが珍しく英語で歌う「
バラ色の人生」;
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内藤対亀田戦について : (Bruxelles記)

投げ飛ばされた内藤選手はびっくりしたと思うが、投げ飛ばした亀田大毅選手はもっとびっくりしたのではないだろうか。
「俺はボクサーなのに、一体何をしてるんだろうか!」
メンタルな面で未熟すぎたことは否めない。
ガードを固めて極端に背中を丸めた前傾姿勢で前に出るこのスタイルに非はないのだが、まるで催眠術にでもかけられたかのように、そのまま固まってしまっていた。腕をほとんど振れないのだ。ガードがあまりに完璧すぎて攻撃の手が出しにくい。
「俺は、何故相手を倒せないのだろうか?」

今の、朝青龍状態の亀田大毅選手には心のケアーが必要だ。心の回復がなければ、即引退にもなりかねない。

身も蓋も無く言ってしまえばプロボクサーとは「殴られていくら」の職業なのだ。「殴られたくない」と言う気持ちに喰いつかれたら、リングには上がれない。
一か八かの勝負に出てKOされたほうが、明日に繋がる敗北になっただろうに。
次の一戦は亀田大毅選手にとってのプロボクサー生命を賭けた正念場になるだろう。
その前に、その一戦に辿り着くまでに、自分はどんなボクシングをするボクサーになりたいのか、世界チャンピオンになるために、どんなボクシングを完成させたいのか、真摯に考える必要がある。
若い君にはボクシングを止めるという選択肢もある。そしてそれは決して人生の敗北でも何でもない。
「どんなボクシングをしたいのか、したくないのか」そのことに考えを集中することこそ、一番の心のケアーになるのではないだろうか。


Marguerite Monnot

2007年10月26日 19時17分45秒 | Cockpitから
Chansonが大好きで、その上Marguerite Monnotについて興味をお持ちの方は、Music Cross Talkをクリックしてください。まだ途中ですが、かなりの時間をかけて書いているので、多分読むほうも真剣に読むと、土日がつぶれるかも知れません。と言うわけでMarguerite Monnotにさしたる興味のない方はクリックを控えてください。
Music Cross Talk - Marguerite Monnot;

San Francisco by Scott McKenzie

2007年10月25日 17時04分15秒 | Cockpitから

ヒッピーの優しい曲に惹かれるのはノスタルジー?
絶望してしかも疲れているから?

San Francisco Scott McKenzie 1

San Francisco Scott McKenzie  2

San Francisco Scott McKenzie  3

San Francisco Scott McKenzie  4

San Francisco Scott McKenzie  5

追加:
Monterey in summer 1967
この人が映っていましたね。
健康そうに見える。

追記:10月23日
San Francisco by Scott McKenzie
を聞いていると
いつの間にかこの曲も耳に聞こえてきた。
The Bee Gees - Massachusetts 1967
サンフランシスコに行けば・・・
マサチューセッツに行けば・・・

追加:10月25日
N 氏にいただいた「40 ans de Tubes」
で1967年を見ると、上の2曲のほかに
この曲があった。
A whiter shade of pale 」 by Procol Harum;

67' 私は打ちひしがれていたけれど
世界はエネルギーに満ち溢れ
光り輝いていた。
世界中の若者が動き出し始めていた。
輝ける68'、69'の前兆の年。
昭和で言えば、42年。
「40 ans de Tubes」をみると
ほかにこんな曲があった。
The Beatles - Hello Goodbye
Claude François: "Comme d'habitude" ;
あなたの67'はどんな一年でしたか?


日本でも放送された Sanremo 1964

2007年10月15日 17時44分20秒 | Bruxelles Talks

 Bobby solo; 多分一緒に歌えるでしょう?

Gigliola Cinquetti ; この放送見ました?

Gigliola Cinquetti - Non ho l'età
なんだか前世のような気がしてしまう!
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Gigliola Cinquetti - Ho bisogno di vederti (1965)
大好きだった「あこがれはいつも心に

Sanremo 69 Gigliola Cinquetti ;「雨」
France Gall - La Pioggia ;「雨」
Gallと言えば
France Gall - "Poupée de Cire, Poupée de Son";
邦題は「夢見るシャンソン人形」;

Wilma Goich "Le colline sono in fiore" LIVE 1989
邦題は「花咲く丘に涙して」


Journalismの研究

2007年10月15日 11時27分14秒 | Bruxelles Talks

PLANETE BARBARAはあのLe Mondeの記事に突っ込みを入れるほど、正確な情報の選択と観察に日々腐心している。
今年2007年の目標は一貫して「Journalismの研究」。
資料の選択、比較検証、分析を厳格にして、正しい姿勢と正しい情報処理能力を身につけるよう、日々研鑽を積み重ねつつ、記事化しなければならないと心得ている。
Web上のひとつのSiteに過ぎないとは言え、それがBARBARA及びPLANETE BARBARAに対する愛であり礼儀であると思う。(Bruxelles記)

・・・・・・追記 (10月16日)・・・・・
産経新聞夕刊の記事に関しては、最初から個人的に歌手や記者を攻撃するつもりもなく、ただジャーナリズムのあり方の問題として、そして何よりBarbaraの「Nantes」に関する解説として、「今時信じられない」酷いもので、看過するわけにはいかなかった。
ここに書くだけでなくショックのあまり「Les Amis de Barbara」や「Perlimpinpin」に報告する義務さえ感じた。
記事を切り抜いて送ってもらったシャンソンをほとんど知らない友人には「歌手とはいえ素人なんだから(?)、そんなの知ってるわけないわよ。間違っても当たり前だって」と言われた。
シャンソン歌手あるいはシャンソンジャーナリズムに関して、日本の一般人の期待や認識がこのようなものだとしたら、まるで土俵が違う、と言わざるを得ない。
とは言え、Barbaraまたはその作品に関する、目にあまる不快な虚言報道には、たとえそれが無知故のものであれ、これからもペンという刀を抜いていくつもりだ。
しかし、個人名を出して、当人にそれを振り下ろすつもりも、また人として対峙するつもりも、関わりあうつもりも、勿論全くない。


Oh la la ! (言葉もない)

2007年10月10日 18時43分07秒 | Bruxelles Talks

10月10日、水曜日、今日の産経新聞の夕刊の2面で、ある日本人のシャンソン歌手とやらが、インタビューを受けている。
ー好きな曲は?ー
日本人シャンソン歌手 : いま好きなのは「ナント(に雨が降る)」。バルバラというシンガー・ソングライターの曲。ユダヤ人なんですね彼女。すごい迫害を受けて。自分の愛する人が政治犯で、ナント(フランス)の刑務所に収監されていて。連絡を受けて会いにいくとすでに処刑されていた。歌詞にドラマがあるのが好きですね。・・・(中略)・・・
ステージに上がり始めて12-13年、いまやっと気持ちよく歌えるようになりました。・・・」

プロの歌手が誰にこんなでっち上げを教わったのだろうか。日本人の歌うシャンソンしか聴かない、日本のシャンソンファン達は、どれだけの年月、この程度のシャンソン歌手達に一体どれだけのペテンにあってきているのだろうか。
バルバラという同名の別の人が「ナント」という同名の別の曲を歌っていて、完全に次元の違う馬鹿馬鹿しいシャンソンの世界がもうひとつ、きっとあるんでしょうね。


Farhad Darya from Afghanistan

2007年10月05日 17時54分50秒 | 歌手の紹介に関して

Farhad Darya from Afghanistan
今朝のBBC Newsで知ったが、世界的に活躍するアフガニスタン人の歌手が母国の子供たちが学校教育を受けられるように、献金のProjectを立ち上げた。
国の半数の子が貧しくて学校に行けない、そんな事態をなんとか改善しようと福祉活動を始めた。
Farhad Daryaの歌声を聴いてみよう。
Farhad Darya 1 ; Farhad Darya 2 ; Farhad Darya 3 ;
 
Farhad Darya 4 ; Farhad Darya 5 ;
気前良くMusic Fileをおいてくれている彼のサイト。
Farhad Darya;