CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

Legendary Sin Cities 未完

2015年05月17日 13時06分22秒 | Bruxelles Talks

Artを論じるにも、音楽を論じるにも、そして政治・思想を論じるにも
この時代を抜きにしては何もわからない気がする。
とりあえず並べておく。時間がないので、今はまだ見ていない。

Legendary Sin Cities - Episode One - Paris

Legendary Sin Cities - Episode Two - Berlin
Claire Waldoff : Anita Berber: George Grosz:

Legendary Sin Cities - Episode Three - Shanghai
Du Yue-sheng:


現在83歳のカルメン・デロリフィチェ

2015年04月06日 12時35分58秒 | Bruxelles Talks

1946年、15歳のときにヴォーグと契約。
以後、トップモデルに君臨する現在83歳のカルメン・デロリフィチェ。
撮影風景を収めた映像を見ても、びっくりするほど若く美しい。
という記事がYahooにあったので、クリックしてみた。
白髪がこんなに美しいのが不思議でならない。バックの曲も美しい。
Dalidaの声だ。ちょっとディクテイションをしてみてこの曲だとわかった。
Dalida - Mourir sur scène
Mourir sans la moindre peineのところにやけに共感する。
-出来るだけ苦しまずに死ぬー
歌手でも役者でもステイジの上で死にたいと思うのは当然だろうが
そんな贅沢を許された人気者は誰もいない。

この曲の歌詞: 
Barbaraと同じでDalidaも常に死を歌い、死と接触していた人だ。


ーMoi qui est tout choisi dans ma vie
Je veux choisir ma mort aussiー
人生意思を持って生きてきたのだから
死もまた、自分で選びたい

ここもまた非常に共感するが、
それは特殊な人(たとえば、DalidaやBarbaraのような)
にしか許されない、ある種の特権的行為ではないだろうか?


Ma Plus Belle Histoire D'Amour :Deneuve

2014年12月19日 00時00分14秒 | Bruxelles Talks

Ma Plus Belle Histoire D'Amour - Hebrew Version - Ora Zitner
ヘブライ語のバルバラ、という以外に面白味はない。
以前にCorrespondancesで既に紹介済みだったことを思い出した。

Katia Guerreiro chante Barbara
ポルトガル人のファド歌手のようだ。歌うときの表情から見ても納得。
歌ってみたらすぐわかることだが、この曲単純そうに見えて、非常に歌いにくい、難しい曲だ。この曲に関して言えば、Barbaraを除けば、ひょっとしたら、今までではこの人が一番いけているかもしれない。
よく解釈しているし、よく声も出ている。


・・・・・・・・

Catherine Deneuve sings- Ma plus belle histoire d'amour
Catherine Deneuve sings- Ma plus belle histoire d'amour
前から探していたものがようやく見つかった。
勘違いの無いように断っておくが、これは「お別れ会」のものではなくYves Saint Laurentの引退記念のもの。したがって降るような涙は無い。
第一本人が主役で登場している。


L'adieu à Yves Saint Laurent 
こちらはズバリ葬儀のFILM


Catherine DeneuveのMa plus belle histoire d'amourに関するCorrespondancesの過去記事。↓
Yves Saint Laurent 死去
Deneuveが歌ったと言う情報は
直後にすでに入手していたが
歌う現場を動画で見るまでに12年もかかってしまった。

.......
追記:2014年12月21日
ちょうど今年の秋の初め頃
日本でもYves Saint Laurent の映画が
公開されていたようだ。
入院中だったために全く知らなかった。
映画:Yves Saint Laurent
The Turbulent Love Story:

 


Jacquesのこと

2014年04月25日 18時52分00秒 | Bruxelles Talks

薄情ではないつもりだが、人間とは薄情なものかもしれない。Jacquesのことを思い出そうとして、Jacquesが何年に亡くなったのかを思い出せない。4月だったことだけは覚えている。
2008年03月05日
Jacquesが今朝また入院した。治療してもDamageを受けるのはJacquesのからだばかり。肺がん細胞は死滅しない。ただその速度を少し弱めるだけだ。ーと書いている。この時入院している。そして治療がうまく進んでいないようだ。
「放射線治療ばかりでなく、手術とか、抗がん剤とか、他の方法はないの?」と聞いたら「ここの医者はベルギーでも一番優秀な医者だから、信頼するほかはない」と言う返事だった。Jacquesのほかに私の身近で二人肺がんで亡くなっている。二人とも手術の話は聞いていない。肺は手術に適しない場所なのだろうか?聞いての想像だが、放射線治療のあとはかなり体力が衰退する。何故体をいじめるようなことをするのだろう、と強く思った。
Jacques et Micheline
空気がまだ肺に充分確保できないので、息継ぎと初めと終わりの挨拶はMichelineがアシストした。ーと書いている。はっきり覚えている。この時すでにjacquesは空気がどこかに漏れて会話ができない、言葉が聞きとりにくい状態だった。最後の力を振り絞って電話をかけてきてくれたのだ。苦しいのはよく伝わってきた。これが2008年2月。もうメイルも打てなくなって「どうして?」と聞くと、PCの前までひとりではたどり着けない状態だ、ということだった。しばらくして万能チェアーを購入した、と言った。リモコンがたくさん付いた椅子で、その椅子のまま動けて、何でもとれて、まるでロボットになったような能力を持つことができる高級チェアーだということだった。歯磨きや洗面もできるのだろう。排尿・排便もできるのかもしれない。飲み物も好きなものを好きなだけ飲めるシステムになっているようだった。たいへん喜んではいたが、それだけ自分の機能を消失していたということだろう。「あともう長くはないからね」と言った。それが2月か。癌になったら治療などしても苦しいだけなのだと思った。Jacquesは一年前の2007年Barbara没後10周年にはたくさんの放送をファイル化してくれたではなかったか。すでに癌に侵されていたとしても、自由に動けたのだ。いつから放射線治療を始めたのか、思い出せないが「放射線治療に行くたびにどんどん死に近づくようだ」というようなことも言っていた。
Il pleut sur Planete Barbara
そしてJacquesは4月に死んだ。2008年4月13日。6年も前なのか。
Jacquesは何も言わなかったので、私は2008年の1月くらいまで、実際Jacquesの病気のことは知らなかったような気がする。なにか「生き急いでいるようだ」と感じたのも、よく思い出せないが2007年の夏くらいだったような気がする。そのときでも別にすでに病名が付いていたわけではない。
癌が発覚し、入院したり治療をうけたりしはじめてから、どれくらい生きたのだろう。短かったような気がする。癌センターでの治療はさらにその命を短くした。こんなものが治療と呼べるのだろうかと、強く思った。
これだけ医学・科学が発達しているのに、何故ひとは癌などで今も亡くなるのだろうか?Jacquesの苦しい呼吸を思い出すにつけ、「癌の治療とは一体何なのだろう?」と思う。
人口調整のためにわざと特効薬を作らないのではなかと、勘繰りたくなる。
私の父は39歳で胃がんで死んだ。医者のカルテをそっとみて胃がんであることを知った父は「まるで死刑宣告だ」と呟いたそうだ。癌が発覚したら、55年後の今でも、ひとは同じようなショックを受けるだろう。


新年明けましておめでとうございます

2014年01月19日 20時22分04秒 | Bruxelles Talks

今頃何を言っているのか、という出遅れになってしまった。
今年2014年PLANETE BARBARA は満10周年を迎え、11年目に突入する。棺桶に入って南無阿弥陀仏寸前になったこともあるが、あっという間だった。まだ振り返って総括するような時期ではない。気持ちとしては棺桶から起き上がった当時とあまり変わらない。太平洋のような情報の海を泳いで選択を重ね、常に心の洗濯も続けながら新鮮な気持ちでさらに専門性を高めていきたいと思っている。
Barbara及びChansonに特化するつもりでいるが、今日は特別肩の力を抜いてJazzの懐メロでスタートしたい。BarbaraのBruxelles時代を思うたびに自分の青春を思い出す。単なる偶然に過ぎないかもしれないが、その一枚を選ぼうとするとまずこのアルバムが思い浮かんだ。
Barbaraの「黒い鷲」の同様、このレコードも何枚も聞き潰した。

Return to Forever -
特に好きな
"What Game Shall We Play Today"
Chick Corea - Sometime Ago

2014年1月19日 追記
Bruxellesが新年早々、何故Chic Coreaなのかと、どうしたんだろうと思っておられるかもしれない。実はこれもBarbaraに関係がある。時間があるときにCDやDVDを聞くことにしている。本年最初に聞いたCDは、Roland Romanelliがゲストとして単独出演している番組。勿論Barbaraのこともたくさん話すのだが、才能あるミュージシャンとの出会いとして、最初に選ぶのが日本人ピアニスト、テクニックや才能が素晴らしいといっている。彼女とChic Coreaの共演盤が選ばれた。
Chick Corea & Hiromi
Romanelliは「いろみ」と言っていたがすぐにわかった。この人の才能はJazz Pianistとしても世界のTop Levelだ、勿論私も知っている。ただなんかこう、見た目がパッパラパーなのが気になるのだ。ひとたび演奏を聴けば「恐れ入りますでござりまする」と言う気持ちになるのだが。BarbaraのRomanelliが「いろみ」をこれだけ褒めまくるとは夢にも思わなかった。日本人だし「いろみ」を選曲すればいいではないかと言う話なのだが、髪型と言い、雰囲気といい、Bruxellesには若干抵抗があって、まあそれで、共演しているChic Coreaの懐かしの名盤「Return to forever」を選曲したわけだ。偏見に過ぎないのだが、以前Daphneを紹介したときにも多分同じような「抵抗」を言っているはずだ。


Aufgang

2013年04月07日 12時54分30秒 | Bruxelles Talks

今頃紹介するのは遅いかもしれませんが。Aufgang、トリオです。Bruxellesはシャンソン以外ではテクノが好きなのでついつい横入りさせていただきます。
いつまでもKraft Werkではどうも、という時代になったようです。
素晴らしい演奏!
テクノ+free Jazz +現代音楽、それがもともとのテクノですけどね。

[Aufgang] テクノは視覚化したら、動くOp Art ですね。
Telerama  & 40分ほどのinterview
You Tube  &  Jazz &  その他:  
Live1  : Live2  :  Live3(これは一時間)
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Carl Craig & Francesco Tristano & Moritz Von Oswald:100分
Carl Craig & Francesco Tristano & Moritz Von Oswald:   解説

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昔、宮間利之とニューハードにいらっしゃった
(多分これでそう思っているのかもしれない)

ドラマーのジョー・水木さん、を思い出した。
近所のパーマ屋さんから呼び出しがあって、出たらジョーさんからだった。
住所を頼りに?電話番号のわからない家の人とコンタクトをとる、
まさに意志あるところに道はある。
お目にかかって、その時確か
ニューハードとのレコーディングのお話をうかがいました
あれは完全にfree jazzのLPでしたね。
ジョーさんがマネージャーの本田さんのお弁当を食べてしまった
という手違いから知り合ったんですね。お元気ですか?今。


聖母被昇天祭 & 六甲山の零戦

2012年08月16日 08時56分37秒 | Bruxelles Talks

昨日8月15日は(日本では)終戦記念日(世界史上では9月2日)、
私は個人的休日としたのですが、
そうそうBarbaraに「8月15日」という歌があったなと、思い出しました。

Paris 15 aout par Barbara:
これは凄いですね、Barbaraは表情で歌詞の内容のすみずみまで表現しています。文化の違いで日本人にはわかりにくい独特のフランスの女心、
このBarbaraの表情を読み取ってください。


聖母被昇天祭:wikipedia
Paris 15 Aout : そのほかの日々(1) 過去記事

人気小説「永遠のゼロ」の来年の公開が決まりました。
小説「永遠のゼロ」に関して:
映画化決定前にファンが作った「永遠のゼロ」予告編
参照:空母バンカーヒルと二人の神風

 


シャンソンから離れて Banana Boat Song

2012年06月02日 08時35分08秒 | Bruxelles Talks

Harry Belafonte - "Banana Boat Song (Day O)" - 1956
浜村美智子 バナナ・ボート(1957年)
(浜村美智子は小坂照男と結婚したんでしたね。小坂照男はこの真ん中の人。この人の試合の記憶はたくさんあります。判定に泣かされた悔しいタイトルマッチがありました。顔は地味、よく言えば水原弘似かな?)

近所のおばさんが
「こんげっぁ(今月は)足りない、借りねばなーらん
イデデ、イデデ、イデデイデデエーオ」と
歌っていたのを思いました。
この替え歌は、全国的ですよね。
ベイスはジャマイカのバナナ農園の労働歌なんですねぇ。
Harry Belafonte & 浜村美智子
Harry Belafonte : Biography

Sing Your Song: 彼の伝記映画のYou Tube
日本に来たら見に行きたいなぁ。
カッコいい黒人と言えば、カシウス・クレイしか
思い出さなかったけれど
この人も結構カッコいいですね。
ナナ・ムスクリーとのデュエットでいろいろ
ヒットが出ましたよね。

ライスやパウエルやオバマを貶している
らしいですが、確かにpositionが違いますね。
今朝たまたまBBCで聞いたので
懐メロを取り上げてみました。
・・・・・・・

上の写真はBanana BoatのPATUCA
Banana PlantationからBananaを持ち帰るために
当時船会社は国家経営と密着していた。
植民地経営というとお持ち帰り品として綿花や茶を
思い出すが、このあたりのこの時代は
バナナ、パイナップル、等のフルーツ。

CHURCHILL VISITS JAMAICA
お勧めfilm: チャーチルと植民地
‘by his visit Jamaica’s history has been enriched, her popularity increased and her prestige enhanced’
チャーチルさまのご訪問により有難くもJAMAICAの歴史、評判、ステイタス
は富みかつたかめられた。(えっ!
どこかで聞いたような...)

・・・・・追記:2012年6月3日・・・・・
バナナと中米の政治経済 その1 ホンジュラス
バナナと中米の政治経済 その2     グアテマラ


Zou Bisou Bisou :Gillian Hills

2012年04月15日 12時43分24秒 | Bruxelles Talks

Zou Bisou Bisou Gillian Hills Gillian Hills
懐かしい曲を見つけた。今日の今日まで全く思い出さなかったが、聞いてみると日本語の歌詞を全部覚えている。森山加代子でしたね、これ。
「ズビズビズー、ズビズビズー、ズビズビズーズビズ、いつもI love you.あの人と私はアツアツどうしなのよ、何にも云わずに黙っていても、二人の心はね、ズブズブズー、ズビズビズー、ズビズビズズビズ、いつもI love you」
リバイバルしているらしい。
調べてみるとアメリカのTV映画でこの歌が登場してかららしい。

Zou Bisou Bisou’ Lyrics Translated
Jessica Pare’s ‘Mad Men’ Song
Mad Men - Zou Bisou Bisou :
マッドメン (テレビドラマ) :
So What Was That French Song
Megan Draper Was Singing on Mad Men?
(Sophia Lorenも歌ってたんですね)


Gille シャンソンから離れて

2012年04月04日 21時44分48秒 | Bruxelles Talks

Correspondancesにこういうのを置くのはタブーなのだけれど。
net newsで知った、Gille.はYou Tubeから生まれた歌手である。
宇多田ひかるの時は、なんとも思わなかったが、この人は確かに特別だ。
シルエットや発音からも日本人と思われる。背も小さいかもしれない。
年齢や顔を出さずずっとシルエットのまま歌うのも一つの方法かもしれない。
売り方次第では宇多田ひかるを超えるかもしれないが、
意外と短命の可能性もある。

すでにご存じかも、ですが取り敢えず3曲置いてみます。
タイム・トラベル (TIME TRAVEL) / 原田真二 Cover by GILLE
Adele - Rolling In The Deep Cover by GILLE
Bruno Mars - Grenade Cover by GILLE


あるBARBARA論

2012年01月15日 16時17分26秒 | Bruxelles Talks

調べものをしていたら、PLANETE BARBARAのarticleの内容で、論を進めているペイジに偶然出会った。「La voix de BARBARA」にしか書いていない内容が書かれていた。Barbara関連では初めてだが、Blog以外にも雑誌などでも、こういう経験をこのところ3,4回している。今回はフランス語のサイトだ。
Barbara : 10 ans déjà! :(以下引用)
 En tout cas il faut aussi parler de sa voix qui au fur et à mesure des années se brise perd de son souffle et devient de plus en plus rauque 
 
Au Japon, au Festival-Hall d'Osaka, le 27 janvier 1988, la chanteuse, devant le public, perdit sa voix. Entre temps elle s'adresse à un spécialiste de la voix et en 1990, deux ans plus tard, comme promis. Sa voix, cette fois était parfaite.
2年後1990年約束どおり声は完璧だった。とあるがちょっと言葉足らずで、何が「約束どおり」なのか、と「もう一度来日した」が文章から抜けているので、PALANETE BARBARAを読んでいない限り、少し分かりにくいだろう。
1988年1月27日の大阪公演だけ、失声していたわけではないのだが、フランス人は東京公演のキャンセルを知らない。
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・・・・・以上は2009年9月23日・・・・・
・・・・・追記:2012年1月15日・・・・・
昨日偶然
以前と同じサイトを読んだのだろう。
読んでいる最中に、ああ、これは私の文章だ
と、また別のところで思い当たった。
Elle est le symbole d’une femme qui lutte seule et, quoique avec beaucoup de bleus au cœur, n’abandonne jamais.
この部分も「
La voix de BARBARA」そっくりそのままだ。
何故すぐ気づくかと言えば、書いた文章を結構覚えていることと、
このフランス語の打ち込み、及びその校正に苦労したからだ。
英語では
She is a symbol of a woman who fights all alone and never gives up, with a lot of bruises in her heart.
日本語では
傷ついても傷ついても立ち上がり孤軍奮闘する人、その象徴のような気がする。となっている。
今回はこの部分で思い出した。
以前にも書いたかもしれないが私は1975年あたりに、ある「BARBARA論」を書いている(まだ見つかっていない)。その時のテーマがこの部分だった。私は当時BARBARAをそのように捉えていた、ことをよく覚えている。

このBarbara : 10 ans déjà!、よく読めば、もっと他にもそっくりの引用があるかもしれない。わざわざ探すことはしないが、気がついたら、また書き足していきたい。
 

・・・・同日追記・・・・
すぐ近くで早速見つかった。
Elle n’a le sentiment d’exister vraiment que lorsqu’elle chante
ここがそっくり。
英語では
I think she really feels living only when she is singing.
日本語では
歌っている間だけが生きている実感だったのかもしれない。
フランス語では、もちろん
Elle n'a le sentiment d'exister vraiment que lorsqu'elle chante
書き方を変えて内容そっくりよりも、むしろこのように
文章そのものをそのまま生かしてくれる方が、
ずっと気分がいい。
少なくとも今日書き出した部分は、BARBARAという歌手を
よく言い当てていると、自分でも思う。
そのままの引用はきっと、溢れる同意心、
熱い共感の気持ちからだと解釈したい。

参照:
PLANETE BARBARA ARTICLE:


BARBARA 思い出したように

2011年12月03日 22時08分29秒 | Bruxelles Talks

Video: Barbara "L'amour magicien" 1976 extrait du telefilm "Je suis ne a Venise" de Maurice Bejart
私は偶然にこのBejartの映画を日本で見たのだけれど、あまり見た人はいないようなので、Filmを見つけたので置いてみました。
Bejart parle de "Je suis ne a Venise"
実はBejartのバレエ団がまだたしか20世紀バレエ団
と名乗っていた頃からのBejart ファンで、Bejartの映画を
見に行ったらBarbaraが出てきたのでビックリしました。
Barbaraがエイズ撲滅運動に取り組んだ原因のひとつは
このJorge Donnがエイズで亡くなったからではないかと
考えています。Jorge Donnといえばやはりこれですね
JORGE DONN - BOLERO - 15min Version

Podium過去記事
Barbara et Maurice Béjart:INA
Correspondances過去記事:Bejart

・・・・・・
もう一つ別のBarbara出演の映画
Barbara et Jean-Claude Brialy extrait L'Oiseau rare 2

・・・・・
めったに歌わない
AU COEUR DE LA NUIT 1967
L'aigle Noirが父を振り返った歌だと言う人が多いが
私はこの曲こそ父を歌った曲だと思っている。
AU COEUR DE LA NUIT:Du Soleil Levant
AU COEUR DE LA NUIT成立過程:

・・・・・


Jacquesが好きだった曲:Gerard Berliner chante Barbara

2011年11月03日 17時36分49秒 | Bruxelles Talks

この曲、Jacquesの好みではないですか?と聞いたら
「なんでわかるの?」と言っていた。
○ 
Gérard Berliner:Louise
このGérard Berlinerは去年の10月13日に54歳で亡くなっていた。
Dick Annegarn : Bruxelles
Dick Annegarn site
この2曲、日本人歌手では、どなたが歌っていらっしゃるのだろう?

以上は2011年9月22日
・・・・・追記:2011年11月3日・・・・・
今頃になって気づくとは、自分ながら考えられない。
ここで紹介したLouiseのGérard Berlinerが
Barbaraを歌っていた!!
探し尽くしたと思っていたが、この情報は
Jacquesからさえ入らなかった。もちろん
Les amis de Barbaraからも,,,
PianoはRoland Romanelliだ
La Chance aux Chansons - Spéciale Barbara Février 1999から
Mon enfance : Gérard Berliner
Vienne : Gérard Berliner
なかなか心が感じられる。
La Chance aux Chansons はPascal Sevranの番組だ。
Pascal Sevranも登場している。
参照:Pascal Sevran:詩集「2N世代」


昔日本で大ヒットしたシャンソン

2011年09月24日 10時37分47秒 | Bruxelles Talks

Marjorie Noel Dans le meme wagon
この人は2000年に動脈瘤の破裂で亡くなっている。
Vicky - L'amour Est Bleu - ESC 1967
Marie Laforet - La plage
Nicoletta - Mamy Blue (live)
Sylvie Vartan: La Plus Belle Pour Aller Danser
France Gall - Poupée de cire poupée de son
Soeur Sourire - Dominique : 英語版
参照:Correspondances過去記事
Soeur Sourire: No.1 & No.2 & No.3 :


どれくらい大ヒットしたかはカバーした
日本人歌手名をみれば、想像がつくはず。
小柳ルミ子 そよ風にのって
天地真理【恋は水色】LOVE IS BLUE
夜霧のしのび逢い 伊東ゆかり:
マミー・ブルー/沢田研二 :

:中尾ミエ アイドルを探せ:
弘田三枝子 夢見るシャンソン人形

小柳ルミ子 ドミニク

シャンソンを全く知らない人でもある程度の年齢の人なら
歌える筈。しかし若者は聞いたこともないかもしれない。
ヒット曲とはそういうもの。そしてまたそこが、
日本でシャンソンとしてヒットした曲との違いでもある。