調べものをしていたら、PLANETE BARBARAのarticleの内容で、論を進めているペイジに偶然出会った。「La voix de BARBARA」にしか書いていない内容が書かれていた。Barbara関連では初めてだが、Blog以外にも雑誌などでも、こういう経験をこのところ3,4回している。今回はフランス語のサイトだ。
Barbara : 10 ans déjà! :(以下引用)
En tout cas il faut aussi parler de sa voix qui au fur et à mesure des années se brise perd de son souffle et devient de plus en plus rauque
Au Japon, au Festival-Hall d'Osaka, le 27 janvier 1988, la chanteuse, devant le public, perdit sa voix. Entre temps elle s'adresse à un spécialiste de la voix et en 1990, deux ans plus tard, comme promis. Sa voix, cette fois était parfaite.
2年後1990年約束どおり声は完璧だった。とあるがちょっと言葉足らずで、何が「約束どおり」なのか、と「もう一度来日した」が文章から抜けているので、PALANETE BARBARAを読んでいない限り、少し分かりにくいだろう。
1988年1月27日の大阪公演だけ、失声していたわけではないのだが、フランス人は東京公演のキャンセルを知らない。
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・・・・・以上は2009年9月23日・・・・・
・・・・・追記:2012年1月15日・・・・・
昨日偶然以前と同じサイトを読んだのだろう。
読んでいる最中に、ああ、これは私の文章だ
と、また別のところで思い当たった。
Elle est le symbole d’une femme qui lutte seule et, quoique avec beaucoup de bleus au cœur, n’abandonne jamais.
この部分も「La voix de BARBARA」そっくりそのままだ。
何故すぐ気づくかと言えば、書いた文章を結構覚えていることと、
このフランス語の打ち込み、及びその校正に苦労したからだ。
英語では
She is a symbol of a woman who fights all alone and never gives up, with a lot of bruises in her heart.
日本語では
傷ついても傷ついても立ち上がり孤軍奮闘する人、その象徴のような気がする。となっている。
今回はこの部分で思い出した。
以前にも書いたかもしれないが私は1975年あたりに、ある「BARBARA論」を書いている(まだ見つかっていない)。その時のテーマがこの部分だった。私は当時BARBARAをそのように捉えていた、ことをよく覚えている。
このBarbara : 10 ans déjà!、よく読めば、もっと他にもそっくりの引用があるかもしれない。わざわざ探すことはしないが、気がついたら、また書き足していきたい。
・・・・同日追記・・・・
すぐ近くで早速見つかった。
Elle n’a le sentiment d’exister vraiment que lorsqu’elle chante
ここがそっくり。
英語では
I think she really feels living only when she is singing.
日本語では
歌っている間だけが生きている実感だったのかもしれない。
フランス語では、もちろん
Elle n'a le sentiment d'exister vraiment que lorsqu'elle chante
書き方を変えて内容そっくりよりも、むしろこのように
文章そのものをそのまま生かしてくれる方が、
ずっと気分がいい。
少なくとも今日書き出した部分は、BARBARAという歌手を
よく言い当てていると、自分でも思う。
そのままの引用はきっと、溢れる同意心、
熱い共感の気持ちからだと解釈したい。
参照: PLANETE BARBARA ARTICLE: