CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

Une petite canatate

2007年01月30日 19時39分41秒 | Cockpitから

L'oiseau Invisible Visual 8の3番目をRaphaelの歌う「Une petite cantate」に差し替えた。この曲を取り上げてくれたことに敬意を表して。しかしとてもプロとは思えない!シャトレで何故これを歌ってくれたのだろうか?練習したとも思えない。ひょっとして咄嗟に歌う気になったのだろうか?Raphael、Merci beaucoup!


Georges Brassensデヴューを語る

2007年01月23日 16時26分14秒 | Cockpitから

Georges Brassens デビューを語る。

Georges Brassens & Jacques Canetti

Brassens Bourvil を語る。こちら

シャンソンファンには懐かしい、そして興奮するこの3人のお出まし。
Fontaine & Areski & Higelin この時代のFontaineにしびれた方は多いと思う

Figaro 発表の2006年の所得番付歌手の部、第一位はHallyday,2位はMylene、3位はこちらでもすでに紹介したDiam's. CD売り上げはこの人が1位だった。HallydayはツァーでMyleneはコンサートで。国民的歌手Hallyday,一体何年TOPを走り続けるのだろうか


Barbara 放送 2回目

2007年01月22日 19時01分48秒 | Cockpitから


Barbara Radio France 
1月21日放送分 
放送時間:1時間
下線部をクリックしてください。放送がすぐに始
まります

○ N氏にどっさり送っていただいた「るたん」の旧号を読んでいてフト思った。ミーナとオルネラ・ヴァノーニとミルバの名前の違いはわかっていても、顔の区別ができる人は、日本人の中に何人いるのだろうかと。

○ アンナ・プリュクナルとパトリシア・カースはどことなく、特に目か?、似ているなと。似ていないって?

○ 「るたん」昭和57年12月号(第34号)には大野修平氏にインタビューを受けているCeline Dionが登場している。なんと14歳。ローアングルから撮った写真は歯並びがよくない。ミレイユ・マチューが好きだと言っている。
もう一人はリシャール・ドゥイット。ドゥイットって本当にこんな名前があるのだろうか。元 Il etait une foisのメンバー。
「ジョエルはどうしていますか?」という大野氏の問いに「今年の6月に死んじゃったんです」と答えている。知らなかったのでビックリした。ずいぶんな若死に。・・・・・・・・・・・
追記 1月27日:上に写真を入れました。正しいスペリングで書くと彼の名前はRichard DEWITTE
Visual 9の4番目にIl Etait Une Foisの「J'ai encore reve d'elle」を入れました。ジョエルが亡くなったとなるとこのClipはお宝映像になる? この曲ほとんどRichardのソロに近かったことに気づきました。Richard Dewitte、モテモテだったでしょうね。それにしてもこの曲もきっと歴史に残る筈。

○ Colette MagnyはColetteというくらいだから女性なのだけれど、顔だけから判断しようとすると、男性か女性か判断が難しい。歌声だけからでも判断しかねる。
「見えない鳥の存在10」の8番目に「MELOCOTON」を入れている。なにかブルースっぽいものをもう一曲くらい入れたほうがいいかもしれない。

○ 「見えない鳥の存在(1)」の11番目の「黄金の麦の穂の歌」をFred Gouinが歌うものに差し替えた。薮内久氏の例の本によるとこのひとはベルト・シルヴァの最後の愛人だったらしい。Fred GouinとBerthe Sylva,勝手な想像だがいいカップルだったような気がする。
「見えない鳥の存在」が各号11曲であるのは、初回にどうしてもこの曲を1曲追加したかったからだ。(ひとつおまけ)としている。この曲がお好きだった葦原英了氏に捧げるつもりで追加したのでした。



Barbaraクイズ: Les Amis de Barbara

2007年01月19日 17時24分52秒 | Cockpitから

Les Amis de Barbara、No.27 & No.28にちょっとしたBarbaraクイズ、質問と解答が掲載されている。時間不足で全部は書けないがその一部を紹介してみると・・・
(少し易しく改作しています。解答は来週にでも)

1.Prenom de sa grand-mere (祖母の名前は?)
( )( )(R)( )( )(R)( )

2.Hommage a sa mere (母に捧げた曲のタイトルは?)
(R)(E)( )( )( )( )( )

3.Je signe... (...とサインしておきます)
( )(E)( )( )( )(E)

4.Son signe astrologique (Barbaraの星座は?)
( )(E)( )( )( )( )(X)

5.Y vecut longtemps (そこに長く住んだ場所は?)
( )(R)(E)( )(Y)

6.Y habita (そこに暮らしたもうひとつの場所?)
( )( )( )(R)( )( )(E)

7.Miracle , merveille (ミラクル、メルヴェイユ、と歌われたのは?)
( )( )(N)( )( )(N)

8.Lutta tant contre lui (これと闘うために社会活動をした)
(S)( )( )( )

9.Ville de ses debuts : Mon nom (デビューした都市は?)
( )(R)( )( )(E)( )( )(E)( )

10.Elle y chanta (ここで何度も歌った、人を励ますために)
( )(R)( )( )( )(N)( )

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1月23日入力: クイズ解答

1.VARVARA  :2.REMUSAT :3.LEONIE :4.GEMEAUX
5.PRECY :6.VITRUVE :7.PANTIN :8.SIDA
9.BRUXELLES :10.PRISONS
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Barbara 特別番組 Radio France 1時間

2007年01月15日 16時21分50秒 | Cockpitから
昨日日曜日:Greniers Memoireと言うRadio Franceの特別番組で第一回の放送があった。番組は今回はいきなりはじまる。今キーボードを打ちながら聞いている。番組開始すぐ後にGerardの声が聞こえてきた。Barbaraの埋葬の日に彼が読み上げたお別れの言葉だ。 Barbaraの歌手としてのキャリアの前半15年の曲を聞き足跡をたどるというコンセプトの番組になる筈だ。前回の「BruxellesにおけるBarbara」より少しだけ時代が近づく。今回は実際のインタヴューがふんだんに使われる予定。後3回毎日曜日に放送がある。歌声、インタビューともに若いBarbaraがたち現れてくる筈だ。
前回より曲がたくさんかかっている気がする。記録にある昔の音源は可能な限りここに公開されるのだろう。これはBarbaraの例の自伝を充分補足するものになりそうだ。
これまでCDに未収録の、昔の番組から引っ張ってきた曲がすでに何曲か歌われている。 
 
Barbara Radio France: 1月14日第一回

またはこちらをクリックして右上のヘッドフォンマークをクリックしても聞ける。

La Rose d'Or A L'Olympia 2006

2007年01月13日 15時07分47秒 | シャンソン界の情報(フランス)

2006年と情報は少し古いが素晴らしいサイトを発見した。
La Rose d’Or A L'Olympia
2006年優勝はLorene Devienne 優勝者発表の瞬間
まず 
La Rose d’Orのサイトへ。日本にいながらこれだけ観て楽しめるなんて。
2006年コンクールの様子 : 
La Rose d’Or 2006
La Rose d'Or 2006のペイジ : La Rose d'Or A L'Olympia 2006

優勝者Lorene DevienneのサイトでAudio Visual をたっぷりとお楽しみください。


Barbara Video :(2)

2007年01月12日 18時52分52秒 | Cockpitから

Antonioが追加Videoを教えてくれた。こちらのほうが断然音がいい。

まず「Franz」より。
Brel Chante 「L'amour est mort」

Barbara Interview. Catherine Charbon記者 1966年11月8日

Ma plus bell histoire d'amour c'est vous.: Barbara」

Vienne :Barbara」 '75年の来日を思い出す。BarbaraとRomanelli

Gauguin : Barbara」 「Jacques Brelへの手紙」と言う別タイトルがある
 Je signe Léonie. Toi, tu sais qui je suis, Dors bien.
で歌詞は終わっている。「この手紙、サインはLeonieってしておきます。誰だかすぐにわかるでしょう。どうぞ安らかに」
Brelの映画「Franz」でBarbaraの役名はLeonie,BrelはLeonだったと思う。


Le Mal de Vivre : Barbara」 コントラバスはBrassensからお借りしたPierre Nicolas,この素晴らしいアコーディオンはJoss Baselli. Barbaraは当初から伴奏者も秘書もすべてが超一流。1965年9月26日放送の「Discorama」からのFILMだと思われる。
Joss Baselliはアコーデイオンの音楽院を設立してアコーディオンの楽器としての地位の向上に努めた。1982年9月5日、舞台で演奏中に心臓発作で倒れた。


Charlotte prie Notre-Dame par Marie Dubas

2007年01月04日 22時13分20秒 | Cockpitから

クリスマスの曲なので、ちょっとタイミングがずれるけれど、Marie DubasのQuand Charlotte prie Notre-Dame.をお楽しみください。「シャルロットのクリスマス
絶賛したいのだけれど、言葉が見つからない。それに長いのでまだL'oiseau Invisibleにも、好きなのに入れていません。・・・・・・

この曲、歌詞が何通りも出ている。そのどれもレコードやCDの歌とは異なっている。好きな曲なので当然訳詩にもチャレンジしたが、レコードと歌詞があまりにも違うので、混乱してきて途中で止めにした。
L'oiseau Invisible Audio31の11番目にこの曲を入れる予定だ。いつの日かJacquesが歌に合う歌詞を提供してくれることになっている。時間があれば、その後にでも再チャレンジしたい。
Charlotteという街の娼婦がクリスマスの夜に、マリア様にお祈りする内容。長々とした語りの歌。寒々とした服装で娼婦はマリア様にお願いするのだ。善良な人間になりますので、キリストの子守もいたしますので、たっぷりお金の入った財布でも、お願いですから拾わせてください。


En Chantant Vol.63

2007年01月03日 22時24分54秒 | Cockpitから

年末に日本シャンソン協会会報、シャンソン情報誌「En Chantant」Vol.63をいただいた。
前号には「男のような声を持った二人の女性 その1」としてSuzy Solidorが、そして今号には、その2としてDany Daubersonが長南博文氏の筆によって取り上げられている。
「ナナ・ムスクリやマリア・カンディド、マテ・アルテリなど甲高い歌声には身の毛もよだつ」長南氏はEn Chantantに於いて、上記の二人を絶賛されている。
「個性の中で最も重要なものと思われるのは声の個性の尊重ではないだろうか?」と書かれている。特に歌手に於いては、特にシャンソン歌手に於いては、確かにそれは真実だろう。

Solidorに女主人の愛人がいたことは有名な話だが、DaubersonにもNicole Bergerという女優の愛人がいた。その時代にカミングアウトしていたのだ。不幸なことに67年、ルーアンでの自動車事故で若き愛人は即死、彼女もキャリアを捨てざるを得ない程の重傷を負い、その3年後にはマルセイユで亡くなっている。
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声の個性と抜群の歌唱力だけの話なら、日本にもNSと言う人気歌手がいた。彼女は同性愛のスキャンダルであっという間に、陽の当たる場所から消え去った。
これは、日本とフランスの文化の成熟度、許容度の違いなのか、、はたまた道徳の腐乱度、錯乱度の問題なのか。
いずれにせよ才能を疎外するのが道徳の役割ではあるまい。
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今のところ、L'oiseau InvisibleにはSolidor, Daubersonそれぞれ1曲づつ入っています。


Avec le temps

2007年01月02日 20時38分12秒 | Cockpitから


N氏から「るたん」「Avec le temps」等のバックナンバーをどっさりといただいた。
87年7月号には大野修平氏によるイヴ・シモンのインタビューが出ている。
この時代はまだレコードだったんですね。TOSHIBA EMI発売の羽賀健二のシングル「シェルブールの雨傘」(700円)の宣伝もあって、その顔がまだとても幼いのに驚く。

大野氏が68年の5月革命について問われている。それに対しイヴは次のように答えている。
「あの時期を生きられて幸せだった。後悔はないし、もうそのことは考えないんだ。あの日が戻ってきてほしいとは思わないし、今日、生活はとても違ったものになっている。68年の事件は将来に向かって限りない進歩を信じられた時代の終焉を示したんだよ。今日、世界は変わってしまった。だから、世界と一緒に変わらなくてはならない」

これは今年から「2007年問題」直面する団塊の世代の日本人の声そのものではないだろうか。
ヒッピーとして多くの若者が地球の上を歩き回ったあの頃、国境を越えた強い世代間の共感があったことは確かだと思う。
家や村や国の外側に共感を求め、外側に理想と価値観の共有を試みようとした最初の若者たち(世代)だったのではないだろうか。