CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

Il est minuit, Paris s'éveille

2014年10月29日 18時14分31秒 | 海外の放送

Il est minuit, Paris s'éveille 9分:
以前に紹介済みかもしれないが、こちらのほうが長い?
タイトルはある曲のモジリ、たいして意味は無い

Christine Sèvres et Jean Ferrat
dans Il est minuit Paris s'éveille
Christine Sèvres 、お顔を初めて確認できた。

Paris,Chansonの最後の黄金期だったかもしれない。

・・・・・・・・・
Il est minuit, Paris s'éveille”,
 une histoire en chanson de la Rive Gauche

Yves Jeuland commente trois extraits de
“Il est minuit, Paris s'éveille”


FRANCOISE SAGAN & MICHEL MAGNE

2014年02月19日 11時52分56秒 | 海外の放送

FRANCOISE SAGAN & MICHEL MAGNE / CHANSONS ET BALLET
詳しい曲目紹介は上をクリック。
またEcouter L'emissionをクリックすると番組がフルに聴ける。

Francoise Saganの書いたシャンソンを集中して聞けるほか、
Saganの歌声(詩の朗読)も聞ける。

番組内容の元になったCD2枚組みが最近発売された
さて作曲家のMichel Magneの方だが、調べると非常に興味深い人物であった。探せばいくらでもあるがふたつだけリンクを貼っておく。
Michel Magneについて:No.1  &  No.2
Saganとの仕事は彼のたくさんの仕事の中の一部に過ぎない。
人生浮き沈み何があるかはわからない。
Michel Magneも最後は自殺しているようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Goodbye Again 1961
(original trailer):
このYou Tubeを見ていて思い出した。
これはサガンの「ブラームスはお好き?」が映画化されたものだ。
Aimez vous Brahms? (Goodbye Again) :
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Annabelに関して以前記事を書いたことを思い出した。
Correspondances過去記事:Annabel Buffet
御多分にもれずサガンは昔全部読んだくちだが
そういえば、日本版の表紙絵は全部Buffetだった。
Annabel chante Sagan - Les jours perdus (1956)


フランスで聞くアメリカ

2013年12月20日 21時54分56秒 | 海外の放送

Je vous promets l’Amérique …:内容
écouter l’émission
なかなかの曲が並んでいる。「フランスで聞くアメリカ」
にBruxellesの好みを付け加えれば外せないのがこの曲
Jacques HIGELIN : Paris-New York New York-Paris:
この人もBarbaraのお友達。Barbaraの葬儀に
Brigitte Fontaineと一緒に駆けつけ、立ち竦んでいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
Jacques Higelin & Brigitte Fontaineといえばこの曲を思い出す。
Higelinとの最初の出会い。まだ20才やそこらだった。
「男と女のこのやり取りがなんともフランス的だ」
と池田さんも言っていたっけ。
Brigitte Fontaine et Jacques Higelin
- Cet enfant que je t'avais fait お前に産ませた子供
・・・・・・・・・・・・・・・・
Jacques Higelinで一番好きなのはこの曲。
いつかYou Tubeがない頃わざわざ国会図書館に聴きに行った。
JE SUIS AMOUREUX D'UNE CIGARETTE - HIGELIN :
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Jacquesの息子のArthur HとおっさんみたいなBrigitte Fontaine
が歌うJe t'aime... moi non plus
なんというか、フランスアートをお楽しみください。
笑いを堪える必要はありません。


Barbara a Bobino, le succes enfin !

2013年12月16日 13時50分16秒 | 海外の放送

Barbara à Bobino, le succès enfin ! 
今月14日にあった再放送。この出演者を見れば多くのBarbara番組の中でも特に貴重なものであることがわかる。
La célébrité… un prix à payer. Les premières rencontres: sa secrétaire Marie Chaix, son agent Charley Marouani, son habilleuse Mine Vergès... ses complices Guy Bedos, Georges Moustaki, Rolland Romanelli et Serge Reggiani...
1969 : sur la scène de L'Olympia, la nouvelle diva surprend son public en faisant ses adieux !
Barbara à Bobino, le succès enfin


(写真をクリックして拡大:
このBarbaraの目。完全に恋をしていますね。
このReggianiの顔。大変面白い写真です)
最初に聞いたのはいつだったか忘れたが、特番の連続で、番組を探して掲載するので精一杯だったのを覚えている。今日聞いて面白い情報が入っているのに気づいた。
Serge Reggianiが歌うMoustaki作詞作曲のMadame Nostalgie これは明らかにBarbaraをイメージして作られたということ。Reggianiのレコードを持っている方は歌詞カードを読みながら針を落として回転させることをお勧めします。Moustakiのような生き方の人にはBarbaraはこのように映った、なんだかわかるような気がする。男から見たら、ということだろう。愛し合っていたはずのBarbaraとReggianiの強烈な破局も、この歌が原因?だったりして。
二人はその後、口も利かない、顔も合わせない、というような劇的な別れ方をした。BarbaraはReggianiを一切語らない。従って中断された自伝、でもReggianiは登場しない。


Edith Piaf et Isabelle Boulay

2013年12月01日 13時30分09秒 | 海外の放送

Musiques (4/4) : « Rencontre imaginaire entre Edith Piaf et Isabelle Boulay »
番組へダイレクトに:もう遅いので、聞くのは明日にする。
タイトル:Edith Piaf と Isabelle Boulayの架空の対話

・・・・・追記:2013年12月1日・・・・・
この架空の対話という番組構成、以前Barbaraの特番でもあった。
あの時は、誰か声優が、自問自答していたような記憶がある。
ベイスは「Il etait un piano noir...」だった。
Edith Piaf と Isabelle Boulayの架空の対話、をざっと聞いてみて
一番注目したのは、PiafがJacques Pillsを甘く語っているところだ。
Piaf
の男は数々あれど、名前も数々挙げられるけれど
誰でもうっかりPillsを忘れる。そう言えば、と思い出す程度だろう。
Pillsはその前にLucienne Boyerの夫だった。Boyerと言えば
「Parlez-moi d'amour」で日本でもかつてはPiafよりも有名であった。


いきなり何を出すのか?と言われそうだが
PiafとDietrichの熱烈キスシーンである。
Dietrichという人は女をその気にさせるようなキスをいつもしている。

二人は仲が良かったようだ。
DietrichはPiafとPillsの結婚にも立ち会っている。
Marlene Dietrich -La Vie En Rose
Edith Piaf Jacques Pills
Jacques Pillsに関しては薮内氏のシャンソンのアーティストたち
においては、「Pills et Tabet」の項目で詳しく書かれている。

・・・・・・・・・
CorrespondancesではDalida程もPiafはあまり取り上げていない。
ある程度の情報は既に流れているだろうし、日本でも最も有名な
シャンソン歌手といってもいいだろう。Bruxellesが特に頑張ることもない。
Bruxellesの関心はほとんど人が注目しないMarguerite Monnot
に注目しMarguerite Monnotを通したPiafを過去記事に書いている。
Marguerite Monnot全16本。番号が逆だが

興味のある方はクリックしてお楽しみください。
Marguerite Monnotを通したEdith Piaf論にもなるかと思います。



France Culture Kaas & Adamo

2013年10月21日 11時32分48秒 | 海外の放送

Patricia Kaas chante Piaf & Salvatore Adamo: 
Chanson Boum
日本のシャンソンファンに一番人気の女性・男性歌手

・・・・・追記:2013年10月21日・・・・・
昨日の報道番組を取り上げた他の方々のBLOG等を読みながら上のAdamoの放送を耳で聞いていた。真ん中よりも少し前くらいのところでENIGMAという言葉が聞こえてきた。アダモが数学の話をしたりアゼラがナチスドイツがどうの、などといっている。そしてAlan Turingの名前が出てきた。20世紀最大の国家功労者であるにもかかわらず犯罪者とされ自殺してこの世を去っている。罪名は同性愛。
Adamoは2012年のオランピアでこの新曲を披露したようだ。
Salvatore Adamo - ALAN et la pomme

彼の学問的功績についてはこの講演をきくとよくわかる。
ICO Alan Turing Lecture 2012
2012年がAlan Turingの生誕100年。彼を歴史から消していた英国が2012年にはついにこういう映画をつくったようだ。
BBC Codebreaker
同性愛者を犯罪者としただけでなく、化学治療なるものを彼に施した。Alan Turingは2年後に自殺したが屈辱に耐えられなかったのだろう。
単に同性愛者をいたぶるだけの目的でこうしたのではない。
ルーズベルトの真珠湾と同じで、チャーチルには「ドイツの暗号を解読していることがドイツに分かって暗号そのものを変えられたりそこに偽情報を流されたりすれば、極めて不利な状況が引き起こされるので、敢えて爆撃情報を市民に流さずに英国の立派な都市をむざむざと敵の攻撃にさらした」という過去がある。チャーチルとしてはAlan Turingに国家の英雄という栄光をあたえることは、極めて不都合な事態であり続けたからだ。その解説は以下を参照のこと。
The Coventry Blitz:Tel Quel Japonより


Deuxième Guerre mondiale

2013年09月29日 10時55分04秒 | 海外の放送

Du Caf’Conc’a la rive gauche
Deuxième Guerre mondiale :

Suzy Solidorの Ouvreが出てきたので驚いた。
Suzy Solidorに関しては過去記事がいくつかある。
Suzy Solidor Ouvre
SUZY SOLIDORー「En Chantant 62号」
En Chantant Vol.63
最後にParis解放の時に大ヒットしたという
Fleur de Parisがかかった。
これはCorrespondancesとは別のBlogの過去記事に書いた。
 Jacques Helian : Fleur de Paris

さてDu Caf’Conc’a la rive gauche をタイトルとする番組はまだまだあるが、Correspondancesによる案内はここまでとする。
すべての番組はここにあるので、ここから気に入ったものを選んで御自分で記事を書いてみてください。そして気に入ったものが出来上がったらTrackbackでCorrespondancesにお知らせください。続きも共に楽しみましょう。

ここにフランス製の「第二次世界大戦(4/6)」という素晴らしいドキュメンタリーを置きますので、よかったらお楽しみください。日本のことも出てきます。日本とフランスの接点は仏領インドシナ真珠湾攻撃(開戦)の前にすでにフランスはドイツに敗北していて(占領されていて)、ドイツの同盟国日本は、(フランスが明け渡した)仏領インドシナに進駐します。それが日本の南進と言われているものです。日本は北進か南進かで意見が分かれていたのですが、ゾルゲや尾崎秀美などのスパイの工作、や書類改竄で、罠にはまって南進を選んでしまうのです。北進して西はドイツから東は日本からソ連を挟み撃ちすれば、ユーラシア大陸の戦争は日本とドイツの勝利で終わっていたかもしれません。日本に先の大戦で勝利するチャンスがあったとすれば、「あの時北進をとっていれば」というただ一回のチャンスしかありません。日本はアメリカの敵国になる必然はどこにもなかったのです。少なくとも日本側には。近年いろんな機密書類が公開されルーズベルトの陰謀論が有力になってきたのはそのためです。このドキュメンタリーはフランス製でヨーロッパから見た第二次世界大戦(4/6)が日本人には新鮮に映るかもしれません。リンクは6分の1しかしていませんが、残りは右側を探せば見つかります。
テーマ曲は日本人の作曲家の手になります。

・・・・・追記:2013年9月28日・・・・・
参照:2N世代:フランス映画「インドシナ」

・・・・・追記:2013年9月29日・・・・・
長い長いインドシナ戦争は一次と二次があり最終的にベトナム戦争に行き着く。フランスが敗退したあとアメリカがやって来たからだ。「可愛いトンキン娘」からインドシナに思いを馳せ、最後は昔、ベトナム戦争からの脱走兵に出会ったことを思い出した。興味のある方は
第一次インドシナ戦争&第二次インドシナ戦争:をクリッ


Josephine Baker

2013年09月14日 10時26分02秒 | 海外の放送

Du Caf’Conc’a la rive gauche
Joséphine Baker:
le vendredi 26 juillet 2013

Joséphine Bakerと孤児院の話は有名だが、Joséphine BakerがOSSのエージェント、スパイだったという話はそれほど知られてはいないだろう。楽譜に炙りだしインクで情報を書いて、情報伝達工作をしていたらしい。イギリスの作家サマセット・モームもスパイだったし女優のデートリッヒも同じくスパイ活動をしていたことがわかっている。変わったところでは日米親善野球に来たMoe Bergプロ野球選手のスパイだったと言われている。

Joséphine Bakerあたりになると、時代を感じさせてくれる。それで彼女のfilmを3本用意した。取りあえず置くので、時間のあるときにゆっくりお楽しみください。いろいろ感じるものがあると思います。当時アメリカはまだ黒人差別が激しく、彼女がレヴューの女王になれたのもParisという文化都市であればこその現象だったのではないでしょうか。
Joséphine Baker: The 1st Black Superstar

Chasing a Rainbow: The Life of Joséphine Baker
フランス人が最も身近に感じたアメリカは
ひょっとしたらJosephine Bakerを通してだったかもしれない。
異国でこれだけ自分を開花させた黒人は他にいないだろう。
人種差別と戦い苦戦しながらも地位向上に貢献したという点では
カシウス・クレイ(モハメッド・アリ)の偉大さに匹敵する。
夢を追い現実に挑戦し完璧に実現できなかったとは言え
夢の家族を手に入れた事実は、個人の夢としてだけでなく
人類史の夢へのチャレンジとしても大きな意義を残したのではないだろうか。
歌唱の実力もその向上ぶりは目を見張るものがある。
Zouzou (1934) - Josephine Baker Film

・・・・・追記:2013年9月11日・・・・・
Parisに到着して3日目、まだホテル暮らしをしている頃に現金、TC, Openの帰国航空券、パスポートなどをソックリひったくられて、手元に残ったのは10万円の日本円のTCのみという状況にあった。この先どうするか考える余地もない頃地下鉄の通路を通ったら、Josephine Baker死亡の号外が張り出されていた。それが新鮮な号外だったか何日も前に貼り付けられそのままになっていた古ぼけた号外だったのかは思い出せない。BOBINOに出演中に亡くなった。それが西暦何年の出来事か、だから私はよく覚えている。Josephine Bakerは既に過去の人でラジオで曲がかかることも滅多になかった。
夏にはジョー・ダッサンの「レテ・アンディアン」が大ヒットしマイク・ボランの「ディ・リュイ」は歌手がもうこの世にいないのにヒットパレードを賑わせていた。二度目の飛び降りで、思いを遂げて死んだ。
歌がうまくハンサムで若くてセクシィーで、何もかも思い通りのはずだったに違いないのに、何故死んだのだろう。イスラエル人なのだがイランのテヘランで歌っているところをシルビー・バルタン様御一行にスカウトされParisにやってきた。最初の曲から大人気、大スターである。モナコの王女様に失恋したとか噂を聞いたが、Dalidaを調べた時にはDalidaとも関係があったことを知った。女性は降る星のごとくに、魚の大群のごとくに彼に近づいてきた筈だ。キブツに住んでいた素朴な青年の目には全ての女性が幸運の女神、絶世の美女に見えたに違いない。勝手な想像だが、その全ての女性を相手にするには時間が足りなかった、そのことを深く悩んで、解決できないことに絶望して、自ら命を絶ったのではないかと思っている。冗談で言っているわけではない。そういう悩みも充分ありえると思う。

・・・・・追記:2013年9月15日・・・・・
Josephine Bakerと言えば日本で大ヒットした曲がふたつある。
どちらかを選べといわれたら、私はこちらをえらぶ。
Josephine Baker "La Petite tonkinoise" : 1930年
実はこちらのリバイバル 1920年代初め?
Esther Lekain " petite tonkinoise " 1953
創唱者はこの人 1906年
LA PETITE TONKINOISE - POLIN

La Petite Tonkinoise
:
ベトナムの歴史
French colonialism in Vietnam:
日本とベトナムの独立
「可愛いトンキン娘」が何故ベトナムの歴史と関係が
あるのかと思われるかもしれない。トンキンは東京と
書くがこれはハノイのこと。この曲は宗主国の人間が
植民地の娘を歌った歌であることがわかる。

Histoire du Music-Hall:Correspondances過去記事


La Belle Epoque ベル・エポック

2013年09月07日 08時49分23秒 | 海外の放送

両替橋 ↑
Du Caf’Conc’a la rive gauche

La Belle Epoque
le lundi 15 juillet 2013


Dranem ,Bourvil,Polin,Line Renaud,このあたりはCorrespondancesでも取り上げてきたように思う。DranemはJacquesが資料を送ってくれて初めて見たり聴いたりすることができた。
ただ、Gaby Montbreuse、Jean Segurel、Paul Lackは未紹介。PCの調子が悪いので完璧には探せなかったが、この3人に関する資料を集めてみた。
Gaby Montbreuse
Jean Segurel & Jean SegurelJean Segurel
Paul Lack:

PARIS 1900 1925 la belle epoque film:
la belle epoque のfilmにしてはrolling twenties
まで拡大して入っているが。歴史書や当時の文学書を
読みながらこのFilmをみると一層film価値が増すと思われる。

このあたりでシャンソンの100年特に前半の50年を
復習しておいたほうがいいかもしれない。
都合よくシャンソンの100年という貴重な資料が見つかった。
ここに登場する名前を掘り起こして順番に聞いていくと
シャンソン史ツアーを一人で独自に楽しめるかもしれない。
シャンソンの100年:非常に価値のあるサイト

L' Exposition Universelle de 1900 a Paris:


Le Chat Noir

2013年09月02日 16時08分26秒 | 海外の放送

↑ この部屋にあるものと同じ。

Le Chat Noir
 le vendredi 12 juillet 2013


Le Chat Noir : Wikipedia
Le Chat Noirの店名の由来はこの作品から。
黒猫:朗読を聞く
Livre audio : Le Chat noir, Edgar Allan Poe
Le chat noirとAristide Bruantを再現した劇?
Bruantの作品から以下を聞いてみようと思う。
A la Bastille、A Saint-Lazare、Le chat noir、Rue Saint Vincent 、A Montmerte
と思って探していたら、凄いものを見つけた。BarbaraのA Saint-Lazareは前から好きだったが、こういうYou Tubeがあるとは思わなかった。セットのなかに入り込んでいて、いつものBarbaraとは違う雰囲気を見せている。


Barbara - A Saint-Lazare (1967):
この曲は以前Veronique Sansonが素晴らしいと紹介したことがある。彼女が暮らしたアメリカがこの曲の中に溶け込んでいる。
Véronique Sanson: "Saint Lazare"
Bruant本人の歌唱でA la Bastille
Aristide Bruant - Nini peau d'chien
Michèle Torr - Rue Saint Vincent "Rose"
M.Ogéret / A.Bruant

Accordéon : Roland Romanéni
Champs-Elysées du 25/03/1989
Présentation : Michel Drucker
と説明がつけられている。アコーディオンはロマネリであることをお見逃しなく。
Barbaraから離れて仕事を始めたロラン。まだ若々しい。この場面ではMichèle TorrはBruantではなくYvette Guilbertの役割らしい。

Mouloudji le chat noir Aristide Bruant
Marc et André - A Montmerte
Recordの時代からのシャンソン・ファンはAristide BruantとYvette Guilbertは必ず購入して熱心に聴いている筈だから、葦原英了氏や永田文夫氏、塚本邦夫氏、特に塚本邦夫氏のBruantにかける思い入れの強さはご存知だろう。石井好子氏も後年のCDでBruantメドレーを楽しそうに歌われている。Le Chat Noirの雰囲気の再現の意図も充分感じられた。Bruant= Le Chat Noirなのだ。
そしてParisはモンマルトルの時代である。

参照:伊丹市立美術館 過去資料より


Frehel

2013年09月01日 18時27分27秒 | 海外の放送

Du Caf’Conc’a la rive gauche
Fréhel
le mardi 30 juillet 2013


私は「望郷」を見ていないが、これを見たシャンソン・ファンなら必ずこのシーンを話題に出す。
Frehel dans Pepe le Moko
映画の中であまりにも自分にピッタリな役をやりすぎているからだ。それにしても、気の毒な太り方だ。望んで太っているわけではない。辛い人生の心の叫びが表面化したに過ぎない。
FREHEL - Où est-il donc
「モンマルトルの挽歌」
映画「望郷」を見た人から話は聞くが、このフレールを見た人で、生きている人はもはや数少ないだろう。見たい人はどうぞ、「望郷」fullでご覧ください。
Pépé Le Moko .望郷 You Tube: Full

Fréhelを知るためのペイジ
Frehelの人生に関しては葦原英了氏や永田文夫氏の著作で既に暗記するほど知っている。知らない人には、誠文堂新光社刊、永田文夫著、世界の名曲とレコード「シャンソン」をお薦めしておく。私の持っているものは昭和59年8月25日発行、定価2200円となっている。この本には歌手の人生や歌詞の意味だけではなく、シャンソンの歴史がかなり詳しく解説されている。この放送でもあらかた同じことを言っているが、フレールから抜粋するとこのようなことが書かれている。
ーしかし、ロベルティは彼女を食い物にしたあげく、ダミアという次のカモを見つけて去っていった。いっぽう、フレールの前にはモーリス・シュバリエが現れた。シュバリエに対するフレールの愛情は激しく真剣なものだったが、それがかえって彼にとっては重荷だったのかもしれない。シュバリエがミスタンゲットの許へ走り、破局が決定的になったとき、フレールは半狂乱の状態になり、自殺をはかった。ー
籔内久氏の「シャンソンのアーティストたち」ではこの部分、ーシュバリエを殺そうとしたが果たせずーと書いてある。永田氏の本からの引用を続ける。
ー1923年、フレールはパリに戻って奇跡的にカムバックする。(略)収入はとだえ、露天の八百屋の手伝いまでして糧を得た。そして1951年2月、モンマルトルのピギャール街にある安ホテルの一室で貧困のうちに世を去った。ー
映画のシーンといい、この解説といい、心潰れる人生だったようだが、背景の時代を考えると、フレールだけが特に不幸だったというわけではないだろう。それにフレールには劇場やスクリーンで活躍した栄光の時代もあったのだから。

さてFrance Musiqueの放送だが、今回も選曲がものたりない。何故なら私Bruxellesの大好きな「Comme un moineau」がないではないか!そこで、リンクを探してみた。
Fréhel - comme un moineau
Marie Paule Belle comme un moineau
Comme un Moineau - Berthe Sylva - 1925:
Piafの映画の中で、ルイ・ルプレに路上で歌っている小娘ピアフがスカウトされるシーンがあるが、あの時ピアフが歌っていたのがこの歌だった。
日本語のタイトルは「雀のように」、塚本邦雄氏が「薔薇色のゴリラ」で素晴らしい訳を付けておられるのでここでは省略する。シャンソンの中でも特筆すべき名曲だと思う。もうひとつ古い1974年のピアフの映画のレコードを持っている。そこではBetty Marsがこの歌を吹き替えて歌っている。
この人「初日の夜」のヒットもある力強い歌声の歌手なのだが、1989年2月、意外にも自宅の窓から飛び降りて44歳で自殺している。


Yvette Guilbert

2013年08月31日 21時27分50秒 | 海外の放送

Du Caf’Conc’a la rive gauche
Yvette Guilbert
le mardi 16 juillet 2013 放送


この放送ではYvetteのよく知られた曲があまりかからない。たとえば「辻馬車」とか「マダム・アルチュール」とか。(訂正:今聴きながら書いているが、アレレ「マダム・アルチュール」がかかっている!)Barbaraはどちらも歌っている。一番知られているものがQuand on vous aime comme ça par Yvette Guilbertではないかと思う。プログラムを見ると最後から二番目にかかるはず。(訂正:最後にかかった!)
日本語のタイトルは「こんなふうに愛されるなんて」

実は私Bruxellesはこの曲をベイスにして、
Yvette Guilbert論を北海道の詩誌「阿吽」に寄稿したことがある。

Yvette Guilbert論 by Bruxelles:

DISCOGRAPHIE: Yvette Guilbert
Yvette Guilbert, la fondatrice :
The Elegant French Music-Hall Star, Yvette Guilbert:

Yvette Guilbert and Freud
About Sigmund Freud
Yvette Guilbert論にも書いているが、あの有名な精神分析医フロイトが贔屓にした歌手であった。家族ぐるみのお付き合いだったと言ったほうが正確かもしれない。フロイトのお気に入り女性はほかにLou Andreas-Salome(1861-1937)がいる。Yvette Guilbertは結婚しているが、実はレスビアンの噂もある。単なる噂の可能性もあるが。Freudの娘Anna Freudにもそう言う噂(こちらはほぼ確実)がある。お相手はTiffanyの創業者の孫娘でもある、Dorothy Burlinghamである。そんなわけでYvetteはAnnaとも理解し合えたわけだ。この時代に職業を持ち成功している女性にはそういう噂がたつのも常だったが。例えば看護婦という職業を打ち立てたナイチンゲールにもその噂はつきまとった。ただDorothyとAnnaの場合は共に暮らし共に仕事をし共に同じ墓に眠っている。深いつながりを持った人生のパートナーだったことは確かである。
BarbaraはYvette Guilbertを継ぐ者と言われることがある。それは古いシャンソンを掘り起こして歌ったこと、それからシャンソンを好きを仕事にしているという客と対した時のプロの姿勢ではないかと思う。一生歌い続けられる歌手は意外と少なかった。YvetteもBarbaraも、早い時期から歌う人生を決めていたのではないかと思う。こうして聴き込むと、そう確かに似ている、共通するものを多く感じる。


Moulin Rouge contre Folies Bergeres

2013年08月30日 10時58分27秒 | 海外の放送

Moulin Rouge contre Folies Bergeres:
le mercredi 17 juillet 2013 放送

オランピア劇場について詳しく書いたことがある。(Music Cross Talk在)しかしMoulin Rouge とFolies Bergeresを取り上げるのは、初めてかもしれない。この放送まず最初にCora VaucaireのLa complainte de la butte((J. Renoir 、 G. van Paris))が流れる。Cora VaucaireのペイジでCora Vaucaire自身が語っていたが、この曲は映画「フレンチカンカン」の主題歌だそうだ。
参照:フレンチ・カンカン 映画
(パリの名物だったムーラン・ルージュの由来を描いている。)
参照:フレンチ・カンカンとは
参照:カンカンダンス・衣装と踊りと音楽
例えば和服を着た人が、裾をつまんで前を丸出しにする姿を想像すれば、この踊りがどれだけ男性向けサービスに徹しているかがわかる筈だ。最後は逆にお尻を丸出しにする、という終わり方のヴァージョンもあるはずだ。


シャンソンといえば思い出す曲というのは、人によりけりで、一般的なのは、シャンソンといえば「枯葉」「愛の讃歌」、宝塚ファンならばシャンソンといえば「すみれの花咲く頃」「モンパリ」映画ファンならば、おそらく「モンマルトルの丘」「ムーラン・ルージュの歌」ではないだろうか。宝塚歌劇ならコネがある、と祖母が言うものだから、私は幼稚園の頃は将来は宝塚歌劇に入団するつもりでいた。それでその頃から上の6曲を全部知っていたが、映画を見ていないので、告白するがその当時「モンマルトルの丘」と「ムーラン・ルージュの歌」のタイトルが頭の中でごちゃごちゃになっていた。曲の醸し出すイメージが似ていたからかもしれない。どちらも映画の曲でどちらの映画もMoulin Rougeが舞台である。どちらの映画も見ていなかったので、映像としてひらめくものがなかったのだ。ベルギーのブリュッセルで「赤い風車」の映画シナリオ本をプレゼントしてもらった。帰国してずっと後で本を読んで、「赤い風車」のシナリオ本とロートレックのあの映画が同じだとやっと繋がった。
参照:Moulin Rouge (1952).mpg
ロートレックを主人公にするこの映画、胸引き裂かれるほどに暗い救いようのない悲しみに満ちた映画だった。Moulin Rougeなどと言うタイトルなのでイメージとして、劇場のムーラン・ルージュやダンスのフレンチカンカンや、シャンソンの「モンマルトルの丘」を思い浮かべるが、実は全く想像もできない程悲惨な映画であった。この映画にムーラン・ルージュなどというタイトルをつけてはいけない。あんな美しい主題歌を被せてはいけない。幼稚園児だけでなく大人でも混乱してしまう。
Moulin Rouge - Andre Claveau
Juliette Greco - Moulin Rouge
西洋画のファンの方、ロートレックのファンの方は、しかしながらこの映画必見。それからロートレックファンでなくても、シャンソンファンなら、ロートレックは調査しておくべき画家である。ブリュアンやギルベールを描いているからである。私が今いる部屋にもロートレックが描いた黒マント赤マフラーのブリュアンがいる。私は好みとしてはロートレックはあまり好かないのだが、シャンソンファンとして、このポスターを手放す気は全くない。気分が萎えそうな時にもこのブリュアンをみて、シャンソン・ファンとしての矜持を回復している、励まされているのである。もうひとつ、この部屋にはDannyが描いたBarbaraの素描があるのだが、こちらの方はものすごく怖い顔なので、遊びに来た人の評判も悪く、誰か引き取り手はないものかとふと思う時がある。



どちらも観光化しているので、真のシャンソンファンにはさほど興味がない場所かもしれない。「フォーリー・ベルジェール」で私が真っ先に思い出すのは、ゴンちゃんこと上月晃が1975年から3年間、東洋人として初主演した劇場だということだ。ものすごい快挙である。
偶然であるがTVニュースで報じられた上月晃の出棺の場面を覚えている。「ゴンちゃん」の声に送られて、クラクションを鳴らしながら霊柩車が遠ざかっていった。私はひと世代前のズカファンであるので上月晃の現役を知っているわけではないが、何故か身内の死のような深い悲しみを感じた。

追記:2013年8月31日
中国人のお金持ちが世界の観光地に溢れ出ているらしい。ムーラン・ルージュの支配人が観客の中に占める中国人の割合に上限を設けたという記事を最近見た。ほうっておくと連日客席が中国人で埋まるのだそうだ。ムーラン・ルージュの文化的伝統を守りたいという意志の現れなのだろうが、こんなことを日本がすると、人種差別だと非難轟々、内外のマスコミからつるし上げられるだろう。
あなたならこのムーラン・ルージュの支配人の対応を賞賛しますか、
それとも非難しますか?


Cora Vaucaire

2013年08月29日 11時29分48秒 | 海外の放送

Du Caf’Conc’a la rive gauche
Cora Vaucaire  France Musique
le mardi 27 aout 2013

前回のGrecoに続いてBarbaraのDis quand reviendras tu を今度はCoraが歌う、この番組で流れるのでお聞き逃しなく。 Barbara関連ではDrouotも歌っている。Barbaraと聴き比べてみるのもいいだろう。
Cora Vaucaire - Drouot

私の好みの歌唱法ではないが、じっくりとシャンソンを味あわせてくれる貴重な歌手だと思う。この放送ではCoraの素晴らしいヒット曲をあまり聞けない。それでYou Tubeに1980年、日本でのコンサートがあったので、それを追記しておく。ゆっくりじっくり楽しめる。 
Cora Vaucaire Japan Recital in 1980 part 1 of 2
Cora Vaucaire Japan Recital in 1980 part 2 of 2

本当に素晴らしい、うっとり聞かせてくれる歌が多いのだが、1曲を選ぶとするとこの曲だ。美輪明宏と聴き比べてみよう。
CORA VAUCAIRE - Je n'irai pas à Saint-Tropez (Saint-Tropez - 1974
美輪明宏 想い出のサントロぺ(ライブ)

Correspondances 過去記事
Cora Vaucaire est morte