昨日ある方に4月30日にオランピアでコンサートを開いた突無也のCDをいただいた。
フランスのミュージシャンが大勢友情出演したという情報は入っていたが、CDの顔ぶれを見て吃驚!
「小さな紙切れ」を本家のRegineと、「リラの切符切り」をBernard Lavilliersと「Chacun Fait」を本家のValliと、「Que reste-t-il de nos amours?」をLiane Folyと、「オーシャンゼリゼ」をLioとなど等、ほとんどが有名シャンソン歌手とのデュエット。
オランピア出演、CDフランスデビューなど、すべてのシャンソン歌手の夢のまた夢。
一体どうして突無也はこのような奇跡を引き起こせたのだろうか?
私はFrance 2でTomuyaのインタビューを見たが、日本のメディアは彼の母国でどんな報道をしたのだろうか?
それとも突無也は生活の拠点をずっとParisに持つ、すでにフランスの生んだシャンソン歌手?なのだろうか。謎のまた謎。
Tomuyaのサイトで録音の様子を見ることができる。
Tomuyaのサイトにあった、フランス情報サイト。
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追記:6月29日
CDの中で面白いと感じたのは最後の「L'hymne a la joie」
ベートーベンの第9のメロディーに「昔は恐竜今は人間...」と日本語をのせてTomuyaが歌い、バックでインド人のSmriti Minochaが独特のメロディーをつくる。その声がとてもオリエンタルで、インダス川の朝焼けの風景が見えてきたりするのだ。
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1970年代半ば、沢田研二がフランスデビューを果たしたことがある。レコード屋にはレコードが窓を飾り、ラジオからは歌声が、TVにはゲスト出演者として姿を見せ、ナイトクラブのジュークボックスの中にもたいてい彼の曲が置いてあった。
ヒットしたのは「僕は世界の果てから来た」というタイトルだった気がする。
彼の話をすると多くの人が話題に乗ってきたし、特に女性は「ああ、あのハンサムな大きな美しい目の彼ね」と非常に好意的な反応だった。
ABDIの二人の妹のリクエストで彼女たちに沢田研二のカセットテイプをプレゼントしたこともある。
いかんせん沢田研二自身にフランス進出の強い意欲が全くなかったようだ。インタビューに応じられるフランス語力があったなら、Marcelは「ポールアンカのような歌い方だ」と言ったが、私はFrederic Francoisの線に近いと思うし、また彼と肩を並べるくらいの人気者になっていたのではないかとも思う。彼のスター性は注目を集めかけていただけに残念だった。
沢田研二: 「As time goes by」
& The Tigers Final Live