CORRESPONDANCES

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石井好子 (18) 日本シャンソン・コンクール

2011年01月09日 21時39分52秒 | 追悼:石井好子

シャンソン歌手はすべて大変個性的である。しかし石井先生が日本シャンソンコンクールで発掘された新人歌手の中で、最も個性的で最も前衛的で最も芸術家的で、最も完成度の高いシャンソン歌手は、薩めぐみ、ではないかと私は思う。
Brigitte Fontaineの「ラジオのように」の場合は喫茶店で初めて聞いて、飛び上がってそのままレコード店に駆け込んだ。薩めぐみの場合は自宅でラジオで聞いて、駆け出して近所のレコード店に発注に行った
PLANETE BARBARAで大して取上げなかったのは、Brigitte Fontaine同様あちらの世界に行き過ぎていて、ある種の異様さを感じたことと(たとえばBARBARAに比べ)声が重過ぎることだ。
何かで読んだ記憶があるが、彼女はシャンソン界のみならずフランス前衛演劇界でも活躍したそうだ。Artistだなと思った。しかも最前衛の。それより10年前にアメリカに行った小野洋子を思い出させる。FRUXUS時代のオノ・ヨーコ  や塩見允枝子 や久保田成子のフランス版のような感じがした。FRUXUSは当時一応グループとみなされていたので 、親和性のある世界にいる事が出来たが、薩めぐみの場合は、Parisという表現のためのヒリヒリと孤立したむき出しの感性の世界で、どうやって神経のバランスを保とうかと、非常に苦渋に充ちた、あるいは敢えて苦渋を味わい尽くすために苦渋に埋没した日々だったのではないかと想像する。そして異郷に生きた本物のArtistらしく、やはり傷み壊れていた部分もあった筈だと思う。

「今でもときどき夜に電話がかかってくる。あの人はもう〇〇〇にやられている。立ち直れないのではないかとも感じる時がある」石井先生の手紙にあった。 薩めぐみがParisからSOSにも似た電話を石井先生にかけているとは、不思議なつながりを感じた。
フランス在住のシャンソン歌手として生きた。どの程度認知されていたのか私にはわからない。「健康」などは最も過小視していたに違いない。
薩めぐみが石井先生に遅れること3ヶ月、2010年10月18日喉頭癌のために死去していた事を今日知った。
以前「Ceci n'est pas une pipe」に書いたRoland Toporの記事を再読して再クリックして知った。
あれだけの個性は多分Parisでなければ生きていけなかったのではないかと思う。Parisで過ごした人生を、自分らしく生きた手ごたえのある人生だったと今頃天国で満足していらっしゃると信じている。

参照:薩めぐみsite
参照:Ceci n'est pas une pipe: Roland Topor
(薩めぐみが歌う動画を2本リンクしています)
参照:「見えない鳥の存在」:黒トカゲ
(薩めぐみのTV出演を2本リンクしています)

・・・・・追記:2011年1月10日・・・・・
Roland Topor & Jean Baudrillard
sur Megumi Satsu- chanteuse: chansons:
Sujet : Megumi Satsu : Ecouter CDs :

//////////////////追記//////////////
第144回芥川賞候補の朝吹真理子氏の大叔母は翻訳家「朝吹登水子」である、とかなり紹介されているが、こちらは祖父の妹。祖母の妹の大叔母は石井好子氏である。どこにも書かれていないのはJournalistの不勉強だと言わざるを得ない。
・・・・・追記:2011年1月18日・・・・・
朝吹真理子さん第144回芥川賞受賞
・・・・・追記:2011年4月19日・・・・・
石井好子の母



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6 Comments

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・・・知りませんでした (函館のシト)
2011-01-10 09:04:22
薩めぐみさん、名前は知っていました。
歌も聴いたことがありますが、その鋭さと危うさと脆さが、未熟な私には受け入れ難かったです。

もっとも、私がもう少し年齢を重ねれば想いも違ってくるのかもしれません。

仰る通り、日本では活動し難い方のように思います。

去年、亡くなっていたとは・・・訃報は割合まめにチェックするのですが、見かけた記憶が無いのは日本では報道されなかったのでしょうか。
長生きされるような方では無いと思っていましたが・・・。

石井好子さんと電話を掛けたりする間柄とは、不思議では無いですが、考えたことが無かったです。石井人脈の広さ・幅にはいつも驚かされます。
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二人の真夜中の電話 (Bruxelles)
2011-01-10 15:43:59
函館のシト様
先日は「かもめ」のYou TubeへのUP,有難う御座いました。
今回のコメントも読み込んでいただいて感謝です。薩めぐみの訃報を、石井好子追悼の中にどう組み込むか迷いましたが、最後の一行で意図を察していただいている事が分かり、纏まりました。
御著作においても何度か触れていらっしゃいます。才能を認め、心にかけていらっしゃったからだと思います。許容範囲のとても広い方で、凡庸な社会がアレルギー反応を起こす異質な才能を積極的に認め保護するような眼差しを注いでいらっしゃいました。石井好子に於けるフランス(自由・平等・友愛)はその点で花開いているのだと私は思っています。
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感謝 (saabpenguin)
2011-01-26 20:18:26
Bruxelles様
薩めぐみの遺児から写真の整理を依頼され、その作業を朝から昼過ぎまでやっていて、自分の事務所に戻り薩めぐみを検索して、貴ブログを知りまた。
彼女の病理も気質も包み込んで、これほどの愛情ある理解の言葉を彼女が読めたとしたら・・・
70年代前半、石井先生と彼女を乗せてパリを走った日々を思い出しました。若輩の私の言葉に先生は「殿方はね、いつもそうおっしゃるのよ」と何度も返されました。
薩めぐみが70年に渡仏し最初に知りあったartistたちはFLUXUSのフランス人メンバー、Ben Vautierの弟分のような人々でした。75年に一時帰国し西武劇場でリサイタルをひらいたのち催した「エリック・サティ没後50周年」の3日間の催しには、毎晩ヴァイオリンを抱えた小杉武久氏が飛び入りで参加していたのも思い出します。客席には一柳慧氏や秋山邦晴氏もいました。FLUXUSの遠い外周にいたのかもしれません。
その舞台で小杉氏の演奏に合わせて踊っていた、薩めぐみの初期を支えた芳賀詔八郎氏も。終生の恩人石井先生も昨年逝ってしまい、誰に彼女の死を知らせたら良いのか、シャンソン界に疎い私はあきらめておりました。貴ブログと出会えこれほどの理解を言葉にして下さる方が居られた事を知り、一時薩めぐみの親族だったものとして感謝させて下さい。
ヨーコ・オノ、塩見充枝子、久保田成子ら大姉たちの名を出されて、薩めぐみは幸せ者だと思います。
彼女とプレヴェール夫人を訪ねたら隣家がボリス・ヴィアンの家である事に驚いたり、トポール家で若い奥方の美しさに驚いたことなど色々な事を思い出しています。でも今夜はマレ地区の近所のムスタキの家に行って二人が歌った「マ・ソリチュード」を憶い出そうと思います。

彼女の孤独をどうする事もできなかった者として、Bruxelles様に感謝を込めてこのメールを認めます。
saabpenguin拝
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こちらこそ感謝です (Bruxelles)
2011-01-28 11:45:59
薩めぐみ氏の身近にいらっしゃった方から、思い出たくさんのコメントをいただきこちらこそ有難う御座います。薩めぐみ氏と石井先生を乗せて私もセーヌ沿いの道を車で走りたかったです。A級ライセンス所持者としては。(誰でも取れるんですけどね)
指摘を忘れていましたがフランス人の高名Artist達に作品を提供させて、オリジナルのシャンソンをフランス語で歌った事、先例をみない彼女の快挙だったと思います。・・・
小杉武久、一柳慧、秋山邦晴とくれば、Cross Talk Intermedia Festival(1969 Tokyo)の牽引者たち、ですよね。実際にお話をしたのは小杉氏だけですが、物凄く心酔していました。またエリック・サティといえば、故鍵谷幸信氏、一度だけですがご指名いただき、対談したことがあります。
saabpenguin様や芳賀詔八郎氏、そして石井好子先生など、薩めぐみ氏は素晴らしい出会いを体験されておられた方なんですね。4,5日前にふと考えたのですが、薩めぐみ氏の渡仏は、ひょっとして彼女のDNAの中に組み込まれていたのではないかと、血脈の中に隠された意志、を感じました。出会いもそういった意志が引き寄せるものだと思います。
これからも、いろんな思い出をお聞かせいただければ、大変嬉しいです。
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小生は今日知りました (POPO)
2011-12-03 00:26:38
始めまして。  (Bruxelles)様の名はBARBARA等の記述を拝読して居りました(感謝)
本日プレステージと言うドラマがあり、エンドロールで多分違うと思うが薩さんに似た歌声が流れて居りました。 ドラマで検索しても出て来ませんでしたが「薩めぐみ」で検索をして昨年他界された旨を知り驚いた次第です。 とても真摯なブログで「さくらんぼの会」とか「サ・ガーズ」等で以前はリアルに知り得たものでしたが、前者は主が亡くなり後者のブログは音沙汰無く残念に思っておりました。
薩様とは同郷でもあり、70年代在パリ時にアンティークのドレスにアバンギャルドな帽子をかぶられ数回出くわしたものでした。 立ち話で「アレヴィアン」が好き等と話したら、それは喜んでおられました。 薩様とお近しい方からのコメントも読ませて頂き感慨に浸った次第です。 YouTubeでフランス国営TVに出演されたのを見ると、NHKにも昔は気骨のあるディレクターが沢山いたのに・・・少数派の好みを満たしてはくれませんね。 とりとめのない話で失礼致しました。 時折寄せて頂きます♪
pour POPO
  
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薩めぐみ (Bruxelles)
2011-12-03 21:38:33
日本という国は全体に合わせることを無言で強制し、個性を摩滅させて全体で勝利感にひたるようなところのある国ですね。それを統制や秩序と勘違いしている。シャンソン界だけが、そこを免れている、従ってシャンソン歌手は、個性派ぞろいでしたね。薩めぐみは、そのなかでも個性が飛び抜けていましたね。
今はYou Tubeなどがあるので、古い歌も新しい歌もなく、いい歌はいい歌手はある意味永遠に現役であることができるし、若いファンを獲得することもできる。しかもインターネットは国境を超えている。
しかしそのためには、正しく紹介する必要がある、シャンソンサイトの役割も使命も大きく重くなってきていることを自覚する必要がありますね。反省と自戒を込めて。(Bruxelles記)
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