CORRESPONDANCES

記述内容はすべてBruxellesに属します。情報を使用する場合は、必ずリンクと前もっての御連絡をお願いします。

「TOI LE POETE」

2005年11月30日 18時27分31秒 | Bruxelles Talks

ここに記入する時間がなかったのですが、昨日「TOI LE POETE」に新しい記事を入れました。
今日はこういうサイトを発見。興味本位になるといけないので、解説なくサイトだけ、お知らせします。
こちらです。納得したり吃驚したり。

「Sand et les Romantique」の歌詞のサイト、こちらです。
Catherine Laraの参考サイトはこちらです。ミュージカルの配役がわかる。ここでLaraの「Nuit Magique」が聞ける。
Catherine Laraと「Entre Elle et Moi」の参考サイト。こちらです。これで訳の方向確認。

Coming Out page。まじめに見てね。こちらです。JulietteにはNEWのマークが。
文学者のペイジには、堂々日本の作家、三島由紀夫先生が。こちらです。

Julietteのサイトはこちらです。ここからさらにサイトに入っていける。そこのサイトは、見たり聞いたりサービス満点。Julietteのファンの方のために。ここでいろんなTV出演番組が見られる。Julietteファンは大満足の筈。ファンでない人もTV番組の雰囲気が楽しめる。(よく見ると秘密のサイトと書いてある。執念がないと入りにくい。案内は親切ではないが、内容は豊富)

MOI LA CHANTEUSE」にVeronique SANSON(2)の原稿を書いてきたのだけれど、打ち込み時間がもうない。また明日。


「Moi La Chanteuse」

2005年11月28日 19時18分20秒 | 歌手の紹介に関して

昨日に続いて「Moi La Chanteuse」に記事「Veronique SANSON(1)」を書きました。
BruxellesはBruxellesでこの人の存在を知りました。すぐにレコード店に行ってSANSONのレコードを買いました。(これはRoseにプレゼントしたので)日本に帰ってからもまたSANSONのレコードをかいました。SANSONにはCHANSONプラスアルファーがある。
別にどの曲が好きというわけではないのだけれど、どの曲もみんなSANSON。


Nouvelle Chansonの海外報道

2005年11月27日 19時18分18秒 | Cockpitから

Moi La Chanteuse」に「Nouvelle Chansonの海外報道」というタイトルで4人の歌手達を紹介しました。

今日を入れてあと残すところ4日となった旧サイトのアドレスを書いておきます。
DIARYはこちら。Music Cross Talkはこちら。BBSはこちら
後4日で消える。


更新のお知らせ

2005年11月26日 19時08分35秒 | Cockpitから

昨日のペイジに、Veronique SANSONのCLIPを二つ追加しました。(「Moi La Chanteuse」に近々Veronique SANSONを入れる予定です。)

「Du Soleil Levant」の「
La Joconde」の訳をほんの少し変更しました。

「Toi Le Poete」にChaterine LaraとVeronique SANSONのデュエット曲「Entre elle et moi」を放り込みました。訳出はずっと先になると思います。あるいはこのままか。


Patric Fiori & Helene Segara

2005年11月25日 19時05分42秒 | 歌手の紹介に関して

Patrick FioriのToutes Les PeinesのClipをこれでご覧いただけるかどうか、チャレンジ!
こちらをクリックしてしばらく待つとCLIPが楽しめる筈なのですが。

Helene SegaraのAu Nom D'une FemmeのClipをこれでお楽しみください。
こちらをクリックして・・。

画面が出ない場合は、lecteur video Yahoo Musicをクリックして下さい。

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追加:11月26日
Veronique SANSONのAttendreのクリップをお楽しみください。
こちらをクリックして・・。
Veronique SANSONのPour Me Comprendreのクリップは
こちらで。


Anny Blatt

2005年11月18日 17時57分49秒 | 小さなBARBARA情報

ここまで調べるとほんとにカルト的になるけれど、編み物が好きなBarbara愛用の毛糸玉はAnny BLATTというブランドのものだったようです。編み物好きの方はよくご存知かもしれませんね。念のために少し関連サイトにリンクしておきます。
こちら(1)。
こちらにはAnny BLATTのParisの住所まで出ている。興味のある方はどうぞ。こちらです。(2)
こちらも(3)

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「Music Cross Talk」に記事を書きました。
18日はピアノがなくなって家を出た(最初の家出)&19日は「Vitruveに住み始めた頃(1)」を書きました。
19日の写真があまりに決まっているので、更新のお知らせを18日のこのペイジに乗せました。

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Diaryそのほかの日々(1)(2)の分け方、今のままだと(2)に偏るので、また考え直さねばならなくなった。


Mine-Barral Verges

2005年11月17日 19時20分51秒 | 小さなBARBARA情報
1967年Regineのコンサートに行ってMine-Barral Vergesに出会って以来30年Barbaraはこの人に衣装を任せている。Barbara独自のあの黒のパンタロンのスタイルはどうやらこの人がBarbaraと二人で考え出したもののようだ。調べてみるとPantin'81,Moagdor'90はともにMine-Barral Vergesが衣装を担当している。どのような実績のあるどんな感性の人か調べてみたが、どうも分からない。詳しくご存知のかたがいらっしゃれば、この方の経歴などを教えていただきたいのですが。

嬉しいのとちょっぴり自慢したいのと・・

2005年11月16日 17時55分36秒 | Bruxelles Talks
先日Barbaraの本「Barbara La dame en noir」をいただいた方から、さらに今日はすごい資料を頂いたので報告します。
それは国立国会図書館の葦原英了コレクション目録。第三巻レコード編の全四冊。先日第一巻洋書編の舞踏と第二巻楽譜編も頂いているので、全六冊。大変な重量だ。
Bruxelles、この貴重な資料をまだ充分に活かせるかどうか自信がないけれど、猫に小判、豚に真珠にならないように、これからは照準視野をもっと広げてシャンソンに取り組んでいきたいと思っています。
国立国会図書館所蔵葦原英了コレクション目録がこれからずっとこのサイトへのカンフル剤として機能してくれますように!

L'Olympia のIsabelle Boulay

2005年11月14日 18時57分47秒 | 歌手の紹介に関して

今日はオランピアのIsabelle BoulayのLive clipを見つけたので、お知らせします。タイトルは「Du Temps Pour Toi」 こちらです
右下の「Regardez le clip」をクリックするとステイジが現れます。
この人どうしてパンツルックなんだろう。ステイジというよりまるでキャリアウーマン風(にしては胸が開きすぎ)
のこのファッション。歩き方はかなり男性的。

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ほかにVeronique SansonのL'Olympia Liveのクリップ「Drole de vie」などはいかがでしょうか?
こちらです。下の真ん中あたりの「COUP DE COEUR」のやはり真ん中のVeronique Sansonの文字をクリックすると、Live風景が現れて「Drole de vie」を歌う姿が見られる。(Validerのクリックも忘れないでね)かなり若々しい。Sansonもパンツルック。こちらは黒のレザーのように見える。モノセックス風。
この頁では、今話題の「Roi Soleil(太陽王)」のリハーサル風景も見ることができる。その他Caliやら他にもたくさんのVideo Clipを見る事ができる。お楽しみくださいね。


左岸派・右岸派

2005年11月11日 17時30分17秒 | Barbara関連情報

セーヌは南北に流れているわけではないので、左岸、右岸と言われてもピンとこないかもしれない。(ピンとくるかもしれないけれど)

左、右と言うとき川は下流に向かって、つまりセーヌの場合は西に向かって左側(つまり南)が左岸で、右側(つまり北)が右岸である。Barbaraの時代は、左岸派の歌手が右岸のホールに出演すると、それだけでちょっとした話題になったらしい。

2004年にMille et une nuit社から出たDidier Millot著「Barbara、J'ai traverse la scene」という書物がある。
1987年のChatelet公演の最終日の10月11日、1986年のLily Passionで歌った「Memoire memoire」を今度はLilyの歌としてでなくBarbara自身の歌に変えてタイトルを「Memoire」とし、「J'ai traverse la Seine」とBarbaraは歌った。この歌に触発されて筆者Didier Millotはこの著作のタイトルを「Barbara,J'ai traverse la scene」にしたと言う。La SeineとLa sceneは違うけれども掛詞なわけだ。La Seineをわたると言うことはBarbaraのキャリアの中でも意味があったのだろう。