CORRESPONDANCES

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Il etait un piano noir... France Culture-1 (21)

2014年06月01日 11時15分30秒 | Bruxellesが守れなかったBarbara

≪ Plus jamais je ne rentrerai en scene. Je ne chanterai jamais plus. Plus jamais ces heures passees dans la loge a souligner l’?il et a dessiner les levres avec toute cette scintillance de poudre et de lumiere. Plus jamais revetir le strass, le paillete du velours noir. Plus jamais cette attente dans les coulisses, le coeur a se rompre. Plus jamais descendre vers vous, venir a vous pour enfin nous retrouver. Ecrire, aujourd’hui, est un moyen de continuer le dialogue. ≫

France Culture 7月8日から7月19日 夜の8時半から8時55分 合計10回
番組は「Il etait un piano noir...」を基に構成されている。Barbaraの声優の声が年寄り臭くて耳障りなのが気になるが、そのうち慣れるだろう。心地よい声でも明快なアナウンサーのような発音でもない。音声がくぐもっている。ざっと聞いただけだが、Barbaraの役割の声優は、本の中にある言葉以外を喋らない。それだけ本を徹底的に尊重している。男の声が、相手役になってBarbaraの声優が「本の内容を読む」ことを誘発するのだが、厳密な対話ではない。男の声は「黒いピアノ」の声という設定。読む部分はテーマによってあちこち飛ぶので、最初は本の内容を読んでいるとは思わなかったが、記憶にあることばかりをしゃべるので、「朗読している」ということがわかった。
翻訳ではない(誤訳がない)ので、安心して聞ける。久しぶりにやれやれだ。


1er episode : Une enfance nomade
1.Il etait un piano noir… d’apres les Memoires interrompus de Barbara 1/10 :

2eme episode :La folie de chanter
2.Il etait un piano noir… d’apres les Memoires interrompus de Barbara 2/10 :

//////////////////////////校正:13回目///////////////////////////
1er episode : Une enfance nomadeを聞いていて
校正すべきところを思い出した。
○原本P.31:J'ai tellement besoin de ma mere, mais comment faire pour lui parler ?  Et que lui dire ? Que je trouve le comportement de mon pere bizarre ? Je me tais. これが訳本では
訳本P.23  私は母をひどく必要としていた。でもどうやって母にそれを父に言わせるようにする? 何と言ってもらう? 私が父の態度を変だと思っているって?ここで私は口をつぐむ
難しい箇所ではない。太字にしたluiを取り違えているのであるが、何をどう勘違いしてこんな訳をひねり出したのか、あまりに初歩的な間違いなのでむしろ驚く。
母の存在が私にはとても必要だった。でも母にどのように言えばいいのか?そして母に何がどうだと告げればいいのか?お父さんの様子が変だとでも母に言う?(母を戸惑わせ、苦しめるだけではないか)私は黙るしかない。
「母にそれを父に言わせる」の誤訳であるが、子供のBarbaraが母を使役するかのようで、誤訳に加えて可愛げのないBarbaraをさりげなく生み出している。不快さの加わる誤訳である。
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シャンソンにもバルバラにもさほど関心がない、しかし信頼できる私の友人に一連の記事の感想を聞いてみた。まず、間違いの多さにびっくりしたという答えが返ってきた。そして、ほかの翻訳本も、気づかないだけで、同じようにたくさんの間違いがあるのではないかと、そういう不信感をふと抱いてしまったと。単なるミスプリ、単なる勘違いの誤訳、内容に関する知識不足ゆえの誤訳、あるいは理解不足ゆえの支離滅裂、ほかには内容誘導のための捏造、目的を達成したいがための思慮を欠いた激しい思い込み、間違った資料の丸写し、資料収集や資料確認の省略、心理的圧迫感からの逃げのための手抜き、いろいろ原因はあると思うが、間違いは必ず誰かによって暴かれる。ところが、中身も読まない確認もしない無責任な評論家の存在によって、暴かれるどころかよいしょされ、善良な読者の前に嘘偽りが黴菌のようにばら蒔かれるのが、資本主義社会のむしろ現状であると言わねばならない。良心は消し飛び、出版した以上売上以外なにも考えられなくなった人間が、ひたすらプロモーションに奔走する。これは供給側の見苦しい狂態である。需要側はどうか?およそ100%の読み手は正否の判断がまず不可能で、鵜呑み、しかできない。「矛盾を突く目」を持った読者など0.001%にもみたないだろう。頭の中は支離滅裂が渦を巻いているのに、見栄からかよく理解できたように振舞う。あるいはそのように錯覚している。そして内心では宝くじが外れたときと同じように自分を慰める。もう一種類別の人種もいる。権威に阿て、わかったような顔をして被害者であることを隠すタイプである。バカがバレるのをひたすら恐れて、むしろトチ狂って加害者側に与しようと謀る、事なかれ主義の似非平和主義者である。
翻訳というものを改めて考えると、読者に原本がない、原語がわからない、という決定的な弱点があるので、錯乱して良心を無くしていても、翻訳者は平然と高笑いできるのである。私はこれまでに2度今回にも増してバカバカしい翻訳本の存在を知ったことがある。一冊は歴史書である。翻訳本なのだが、ネット翻訳のような日本語で、最初から最後まで、全く日本語が意味をなすものになり得ていなかった。もう一冊は高名な筑波大学名誉教授の翻訳本であった。なんと、元の本が出版されていないのだ。お分かりだろうか?原本がないのだから、訳本は何を書いても自由自在。誰にも誤訳や、内容の理解不足を暴かれることもない。「権力に阿て、わかったような顔をしている」輩が多いので、その訳本に原本が存在しないことなど、その手の輩は保身から敢えて口にしない。訳本は原語と訳を左右見開きにして、両方並べるのが望ましい。否そこまでは不要かもしれないが、少なくとも詩作品の翻訳にはそのほうが望ましい。それと絶対に忘れてはいけないのは専門家の厳格な校正である。また出来たら責任を取らせるという意味で(宣伝とは別の意味で)、その分野の権威者の推薦文を帯に掲げるべきだ。この内容を保証しますよ、という推薦者がいれば、その推薦者自身がいい加減な内容の本の出版を許さないだろう。権威に頼りたくない場合は、誠意ある翻訳者がしばしばあとがきに書いているように「不備・誤訳に気づかれた場合は、御教示をよろしくお願いいたします」と書くべきだ。内容に万全を期した、実力に真に自信のあるものだけがとれる謙虚な姿勢である。
出版という知的作業を生業とするものは、プライドとそれに相応する責任と、読者に対する誠意・敬意そして愛情を片時も疎かにしてはならない。翻訳の場合は読者に対してだけでなく、そこに原執筆者に対しても、が加わるのは言うまでもない。


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//////////////追記:2013年7月15日////////////
現在7月15日午前1時
今年のBarbara特番を1回から5回までつまり
すでに半分を聴き終えた。毎回時間も30分にみたない。
早々と中断された回想録に資料を限定しているので
内容的にも広くも深くもない。とても物足りない。
バックに犬や猫の声、意味のない笑い声などが入って
構成的にも面白みに欠ける。なにより最初に書いたように
Barbaraの声優の声に精神の老いとザラつきを感じて、好きになれない。
去年のものと比べてどれくらい品質が落ちたかといえば...
というわけで去年のものを再掲載することにした。
毎回1時間、没後15年だったので特に力が入っていた。
没後15年Barbara特番 第一回:
Barbara en noir et blanc (1) 過去記事
Barbara en noir et blanc : Episode-1



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