CORRESPONDANCES

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石井好子 (14) 二人のMarcel  その二 Marcel Amont

2010年10月08日 06時13分44秒 | 追悼:石井好子

Marcel Amont

小学校5年生の3月に父をなくした。その1年前からプレドニゾロンを飲み始めていた。葬儀に来た父の従兄弟のドクターに叱られた。すでにステロイド中毒になっていたのだ。葬儀には注射を打って出席したが、出棺の見送りも出来なかった。
その後市大病院の小児科の喘息教室に入院する事になった。薬を抜くためにである。何度か入退院を繰り返した。そのうちに病院生活が楽しくなってきた。看護婦の藤井さんが、歌の好きな入院中の私を「ナンバ一番」に連れて行って下さった。初めてコカコーラを飲んだ。(コカコーラはまだ市販されていなかった)。出演者は若き日の内田裕也氏。バンド交代の音楽は「Take the A train」。
インターンの春本先生が初デイト(お見合い)をすることになり、照れくさいので私に一緒についてきてくれ、と言われた。お相手はお見合いらしく着物で現れた。場所は労音の音楽会。私は二人の真中に座った。「どういうお知りあい?」と聞かれ、春本先生がしどろもどろなのを見て、咄嗟に言った。「春本先生の隠し子!」
当時労音は藝術の大衆化を目的に一流の音楽家や歌手をたくさん抱えていた。音楽会は需要が供給を遥かに上回り、日本全国で大人気だった。
勤労者音楽協議会:wikipedia 労音の歴史と実績 wikipedia
その人の存在は、何でも知っている祖母から既に聞いていた。記憶では'60または'61年だから、2度目の帰国になるのだろう。看板には大きく「お帰りなさい 石井好子さん リサイタル」と書いてあったように思う。確かに豪華で華やかな異国の空気が流れていた。そのなかでお客さんたちと一緒に歌いましょう、というシーンがあった。その曲は
Marcel Amont - Bleu Blanc Blond
Bleu Blanc Blond Lyrics
このbleu bleu, blanc blanc, blond blond
の部分をお客さんたちが一緒に唱和するのだ。
楽しい曲だった。メロディーも覚えやすい。随分後にこれがMarcel Amontの歌だと突き止めた。カセットテイプもフランス人の友達に送ってもらった。
石井先生と私の、言わば出会いの曲となる。
最近これに元歌があり、本来はアメリカの曲だと言うことを知った。
Johnny Tillotson - True True Happiness
True True Hapiness : Lyrics
フランスで大ヒットしたのは、ひとえにMarcel Amontの歌唱力とキャラクターにあるのではないだろうか。

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調べてみて分かったのだが、石井先生がParisデビューされた最初の店「パスドックの家」のトリはミック・ミッシェルで、Marcel Amontと石井先生は共に新人だったらしい。つまりMarcelはパスドックの同僚だった。石井先生が第一回目の帰国をされた数ヶ月のちにMarcel Amontはエディット・ピアフのリサイタルの第一部に起用されオランピアへの出場を果たす。その後ブレイクする。
石井先生が歌われた「Bleu Blanc Blond」はMarcel Amontがパスドック時代に歌っていた曲を石井先生が持ち帰られたものだと、最近まで思っていたが、調べてみるとこれは'60の大ヒット曲とある。労音で歌われた時は、まだホヤホヤのヒット曲だったわけだ。おそらくMarcel Amontと石井先生はその後もずっとコンタクトがあったのだろう。
(追記:2010年10月14日:調べてみたら1990年12月10日、石井先生はオランピア劇場でのリサイタルで、この曲をMarcel Amontとデュエットされていた!)
Marcel Amontは2度来日している(石井音楽事務所招聘)。「日本語のおけいこ」と言う歌を日本語で歌った。谷川俊太郎作詞、寺島尚彦作曲で、日本語の特訓はオペラ歌手長門美保氏。石井先生の人脈が見えてくる。またMarcel Amontは永六輔作詞、中村八大作曲「Sous une pluie d'etoiles-上を向いて歩こう」を録音している。やはり石井先生の人脈が見える。
Marcel Amontの家に昼食に招待されたら、そこが藤田画伯の家に近かったのでその事を言うと、ぜひ連れて行って欲しいと頼まれた、という記述が「私は私」p.77にある。Marcelは嬉しさのあまりセーターを藤田画伯の家に置き忘れた。パスドックの同じ新人の同僚として親しくされていたことがうかがえるエピソードだ。
前回のMarcel MouloudjiとMarcel Amontは細身の雰囲気は似ていないこともないが、キャラクターはまさに陰と陽で対をなしている。どちらも楽屋を共にする、偶然の出会いに違いないが、石井先生の中にも、その「対」に共感できる陰と陽が共存していたのかもしれない。
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Marcel Amontがカンバックしたという情報(2008年)を見つけた。
マルセル・アモン (Marcel Amont) のカムバック !!!
Marcel Amontに少しリンクを貼るので、彼がどのくらい「陽」か、できるだけ味わっていただきたい。飛びきり明るく楽しい芸達者なシャンソン歌手だ。
Marcel Amont : Deezer com
Marcel Amont : Home Page
Marcel Amont : Blog
若いMichel SardouとMarcel Amont:

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参照:石井好子 interview-1
         石井好子 imterview-2
Net上の一番詳しいBiographyとなっている

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::追記::
いま思えば、この音楽会は、私にとっての初めてのシャンソン直体験だったと言えるかもしれない。幼稚園の頃からの宝塚ファンだったので、宝塚経由でシャンソンには親しんでいた。それとは別に「河は呼んでいる」「幸福を売る男」「薔薇色の人生」「可哀想なジャン」「小さな靴屋さん」「私の回転木馬」「ワンワン・ワルツ」「待ちましょう」等など、幼稚園から小学5年生までの間に、どこからともなく耳に入ってくるシャンソンも多かった。日本にまだ戦後が色濃く残っていた頃、ジャズやシャンソンやラテンなどの所謂洋楽は今よりももっと日本中に溢れていた。

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追記:2010年10月8日
石井先生をparisデビューに導いた「パスドックの家」の主
Andre Pasdocの写真と歌声を見つけた。
石井先生の御著作には石井先生の歌の伴奏でピアノを弾く
Pasdocの写真があったので本人確認が出来た。



Andre Pasdocはこのペイジの19番目
「Un petit mot de toi」
という歌を歌っている。Fullで聞ける。
なをこのペイジではめったに聞けない
1940年のシャンソンをfullで24曲も聴ける。



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