CORRESPONDANCES

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石井好子 (21) 最初のリクエスト La Chanson de Margaret

2011年07月17日 22時31分02秒 | 追悼:石井好子

Jacquesに貰ったシャンソンのDVDの一部をようやくまた見る気になった。封筒の中に石井先生の60周年リサイタルのチケットと平成17年9月17日の消印のある速達のハガキが一枚紛れ込んでいた。新たな発見である。初めてのことで、少し傾いているが、スキャナーでBlogに取り込んでみました。↓

長引いたトラブルの最中で、一度行けないと連絡していた。日程が立てられなかったからだ。結局、60周年に行くことは数年前からの約束だったので、トラブルが悪化することに目をつむっても、60周年に行くことを選んだ。それにしてもハガキが速達でなければ、間に合わないぎりぎりの決心だった。チケットは既に完売していたので、この時点では入手不可能。この速達のハガキが来なかったら、どうするつもりだったのだろう。当日厚かましくも、会場の入口の横にあった、特別テーブルに名乗り出た。その上に私の名前を書いた封筒を見つけたからだ。
「石井がいつも大変お世話になっております」などと言われて、吃驚して招待券を受け取った。
早めに新宿に着いたので、麻布十番でシャンパンを買って、それを特別
テーブルに差し入れした。花束ならたくさん来ると思ったからだ。
確かに花束はジャングルのように来ていた!

「さよならは云わない」コンサートレポート
そのほかの日々より
(このレポートのごく一部は日本シャンソン協会刊のシャンソン情報誌「En Chantant」に紹介された。そこでは編集の方に筆者は超シャンソン通と紹介されている
。「まだ一度も会っていない、というと皆が吃驚する。吃驚されるのがちょっぴり楽しいし、それでいてこんなにも長く持続する関係を得意に思う気持ち、自慢したい気持ちもある」石井先生は言葉でそう伝えてくださった。)
・・・・・・・

最初私は「Toi et Moi」(
この人がアシスタント
という番組のリスナーだった。
最初に読んでいただいたリクエストはもう覚えていない。
ただ質問を書いた記憶がある。
「わかりません」というお答えだったが、その質問は
放送で取り上げていただいたのだと思う。
そうだ、質問からして、
私の最初のリクエスト
はこの曲だったに違いない。
参照:
見えない鳥の存在マルガレの歌
Monique Morelli :
La chanson de Margaret:
Germain Montero:
La chanson de Margaret:

歌の内容は「見えない鳥の存在」に書いてある通りなのだが、「女が集まる場所には、その少し前に男達が大勢押し寄せてきているのだ。メキシコの歴史にまでまだ手が出ないので、詳しくは書けないのが残念」とあるように、今一つ歴史的背景が読み取れない。タンピコはメキシコにあり石油の産地だということ。その石油を求めて、フランス軍がメキシコに(娼婦となる若いフランス女性を引き連れて)侵攻したことが、背景にあるのではないですかと、この曲は何年の曲で、その頃、そういった事実は果たしてあったのでしょうか、と質問したのだった。

昨日面白い頁を見つけた。
主人公は
Le Havreの出身で、はるばる大西洋を渡ってTampicoまで行く。そこに高額の仕事があるからだろう。若いうちに稼ぐ。
参照:
L'église de Sanvic & Le Bassin du Roy
Le Havre d'avant...のおかげで、歌詞の背景が具体的に見えてきた。
さらに昨日質問した事項に今日早速返事が寄せられた。
モンテロが創唱したのは1957年、作詞したのは1952年、従って、19世紀後半のフランス軍のメキシコ侵攻とは無縁だろうということ。歌詞に歌われたLe Havreはサイト筆者のPatard氏によると、1920~1930年代あたりらしい。
(私の考えすぎだということがわかってすっきりした。何故そう考えたのかというと「マルガレの歌」は「MADAMA/BARBARA」というLPの最後に入っている。この曲は舞台「MADAME」で歌われたわけではないが、内容的に言ってBARBARAはこの曲によって舞台「MADAME」の構想を得たのではないかと思われる。もう一つ、この曲にBARBARAのコートジボワール出演の体験とが重なって、「MADAME」が完成したと思われる。TampicoをAbidjanにすると、状況及び双方の主人公が重なるのだ。「MADAME」のLPの最後にこの曲が入っている意味にも納得できる。
植民地に類するような外地に、お金を稼ぐために流れて行った女の歌であることに、間違いはない。)
(私の考えすぎは石油だ。タンピコだ、メキシコだ。マルガレの歌の主人公は、貧困が生んだ単なる「からゆきさん」だったのだろうか。表面には出てこないが、やはり他国同様タンピコの石油利権を自由にしようとした時のフランス政府の意図が、20世紀中頃にもまだ(追記:タンピコの発見は1910年)
、隠されていたのではないだろうか。たくさんの資料に当たってみたが、南米を支配しようとするのはたいていアメリカで、フランスのメキシコ干渉もあるが、Patard氏の言うように時代が異なる。読み捨てた資料の中で一つだけ残してリンクすることにします。だからどうだと断定は出来ませんが、「マルガレの歌」のなかに私が感じた石油のにおい、この資料の中に見出していただければと思っています。)↓
参照:メキシコをむしばんだもう一つの大国

Toi Le Poete」に「La Chanson de Margaret」
を訳出する予定です。お楽しみに。
そこには作詞家Pierre Mac Orlanに関する
およそ一時間の番組にもリンクしています。
Mac Orlanを歌った歌手たち、
Mac Orlanと組んだ作曲家たちも
詳しく紹介されています。
Patard氏もご存じなかったとのことでしたが
この番組ではBarbaraのLa Chanson de Margaret
を聞くこともできます。
Toi Le Poete」では、Pierre Mac Orlan氏の
声も顔も聞き、見ることができます。
余談ですがPierre Mac Orlan氏は
あのラパンアジールの経営者で
歌にも歌われた「フレデ」の義理の娘と結婚しています。


//////////////////追記////////////////
中南米の特にメキシコの政治は常にわかりにくい。
参照:Ceci n'est pas une pipe
No.1 & No.2 :


////////////////////////P.S.//////////////////
//////

石井先生、そこでは時間を逆に戻せますか?

そこからはこの世は見えますか?

そこには光があるのですか?

そこでも言葉は機能しますか?

「いかに生きるか」に意味があるのはこの世だけですか?

存在は他者の観念の中に命を得るんですよね、
永遠の命を、相互の想いを糧として

2011年7月17日 M.Taïraquas 記




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