Marcel Mouloudji:
4,5年位前だったと思う、石井先生から「今ムルージの『エンリコ』を再読している」というお手紙をいただいた時、私も偶然同じ本を読んでいたことがあった。社会的背景は全く異なるが、石井先生と私は四柱推命によると同じ運勢のカテゴリーに入るということを最近知った。ほとんど人生はクロスしないが、理解と安心と信頼を常に感じていることができる,私にとっては唯一の、メンターと呼べる方だった。そして何故石井先生が1942年の「エンリコ」を今頃手にとっておられるのか、少し分かる気がした。
翌1953年ディスク大賞を受賞した「小さなひなげしのように」を毎晩歌っていた。(注:ナチュリストの稽古に入る前、凱旋門に近いナイトクラブという名のナイトクラブで、石井先生、マガリ・ノエル、マルセル・ムルージが真打として歌っていた時期があった)
「麦畑の真中で殺されていた少女の姿は、まるでひなげしの花のようだった」とさりげなく、しみじみと歌うムルージに聞きほれた。...
ムルージは、物静かな目立たない人というより、目立ちたがらない人だった。笑う時ですら、ひっそりと声をたてなかったし、いつも淋しそうに見えた。
ボリス・ヴィアン作の「脱走兵」というシャンソンは、彼のヒット曲だった。...
女優だった彼の妻フローランス・フーケは、勇敢にもレジスタンス活動に加わりドイツ軍にとらわれ、苦悩に満ちた日々を送ったと言う。
逃げた夫、戦った妻・・・。冷たい空気が流れていた。そして別れた。
むさくるしい小さい楽屋で、ムルージと二人、ソファーに座って出を待っていた。
そっと握ったっ手を離さないまま「ヨシコは静かで優しいね。なんだか淋しそうで気になってしまう」と言った。同じことを私も彼に言いたかった。
家にいると、よく、ムルージのレコードを聞いた。ムルージの新曲、私にくれたレコード「いつの日か」...
「ムルージ、好きなのね」と登水子が言った。
そう、ムルージ、心の琴線に触れる人だった。
ー1997年岩波書店刊 石井好子著「私は私」p.109~p.112より引用ー
Deezer com: Marcel Mouloudji:
RFI Biographie : Marcel Mouloudji:
Wat.tv video : Marcel Mouloudji :
(脱走兵は沢田研二も歌っている)
Un jour tu verras 歌詞:いつの日か
Un jour tu verras
On se rencontrera
Quelque part, n'importe où
Guidés par le hasard...
手紙を交わすようになって間もない頃...
あまり慌ててお目にかからなくても
もし人生がクロスするなら、と書いた後に
上の4行を書き足して送った。
そうですね、そのうちきっとどこかでね,いつの日か
と書かれた後に石井先生からのお返事にも
上の4行が書かれていた。
「いつの日か分かるでしょう、(どことはいえなくても)どこかで、私たちは偶然に導かれて、出会う事になっているのでしょう、きっと(和訳)」
その日以来、言葉で確認はしなかったが、この曲が二人の約束のテーマ曲になった。
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