CORRESPONDANCES

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石井好子 (12) サンフランシスコ講和条約

2010年10月03日 16時29分44秒 | 追悼:石井好子

Shigeru Yoshida, shook hands with then-U.S. Secretary of State Dean Acheson at the signing in San Francisco of the peace treaty between the two nations.

吉田茂 ~「日本独立」 その光と影 Part.5 You Tube
吉田茂 ~「日本独立」 その光と影 Part.6 You Tube
サンフランシスコ平和条約:英語版 Video
吉田茂 サンフランシスコ 演説 09/08/1951
Signing of US-Japan Security Treaty 1951
日本語資料英語資料:日米安全保障条約(旧)
サンフランシスコ平和条約とは

石井好子(9) 朝吹登水子
で、石井先生もハーバート・ノーマンとお会いになったことがありますか、と聞いた質問にも無回答であった。と書いたが、解答が見つかった。
9日の昼、ゴールデン・ゲートパークの野外劇場で講和条約記念コンサートがあり、海軍の軍楽隊の伴奏で、また「荒城の月」と「さくらさくら」を歌った。日本通で知られるカナダの元公使ハーバート・ノーマン氏にも久しぶりでお会いした(ノーマン氏については工藤美代子著『悲劇の外交官 ハーバート・ノーマンの生涯』にくわしい)。ダレス夫人、アチソン夫人にも紹介された。(Bruxelles注:国務長官といえばダレスの名が浮かぶがこの時の国務長官はアチソン)
-石井好子著「私は私」p.47-

1997年に読んだ時に見落としていたのだった。
1951年9月4日から8日までサンフランシスコのオペラハウスで講和条約の調印会議が行われた。9月5日にはフェアモント・ホテルで日系アメリカ人たちが日本代表団を迎えて歓迎夕食パーティーを開いた。その時も石井先生は「荒城の月」を歌っておられる。
日本からは吉田茂首相、自由党の池田勇人、星島二郎、一万田日銀総裁が出席した。参加国は52ヶ国、議長は米国務長官のアチソン。と上記の本に書いてある。つまりハーバート・ノーマンを以前から知っていただけではなく、あの日本が独立国として復帰したサンフランシスコ講和条約調印会議に際して、日本人歌手として参加されていたのだ。
今なら、ダレス夫人、アチソン夫人にも紹介された、と言う事がどんなに凄い事かと言う事も分かる。
間接的であれ直接的であれ、これほど昭和の歴史の場を目撃してきた歌手はそうはいない。

参照:写真右がハーバート・ノーマン氏
参照:ダレス国務長官の弟がこのAllen Dulles氏
(米国史にも日本史にも大きな関わりを持つ大変興味ある人物である。)

追記:2010年10月5日
サンフランシスコ講和条約と現代日本
西尾幹二氏のblog:ダレスの結果としての役割


・・・・・追記:2011年4月18日・・・・・
San Francisco Peace Treaty
日米友好記念式典 41分 2001年9月8日
San Francisco Peace Treaty50周年記念



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