経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

8月21日 聖日礼拝

2016-08-24 09:08:17 | 礼拝
聖書:ピリピ3:10~16
メッセージ:“希望に生きる”
特別賛美:ブクステフーデ“コラール 神はわがやぐら”

1.キリストの復活の力を知る
(10~11)「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」
 パウロはキリストを知るすばらしさのゆえに、一切のことを損と思うようになりました。キリストは今も生きておられます。キリストの復活の力を知り、それに生かされています。自分で自分の限界を設けるのではなく神の可能性を信じます。

2.キリストが捕えてくださった
(12~13)「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、」
 過去の成功や失敗、過去のことに捕らわれることなく、後ろのものを忘れ、前のものに向かって進んで行きます。一事に励みます。そうできるのは、パウロ自身がそうであったように、キリストが先ず私たちを捕えてくださったからです。 

3.キリストに望みを置く
(14)「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」
「神の栄冠」とは、朽ちない冠、いのちの冠を表しています。古代ギリシャでは競技の勝者に、葉のついた月桂樹の枝を輪にして作った冠、月桂冠が名誉のしるしとして与えられました。しかしここで言う栄冠とは、やがて朽ちる冠ではなく、信仰を守り通した人に用意されている永遠に残るいのちの冠です。
 ユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルは第2次世界大戦時、ユダヤ人大虐殺が行なわれた強制収容所の一つ、アウシュヴィッツ収容所での苦しい日々を経験しました。次から次へとガス室に送られるなか、多くの人たちが望みなく命を失いました。しかし過酷な収容所生活を生き抜いた人たちもいました。彼らはそのような状況のなかでも生きる意味を見いだし、自分の人生を絶望しなかったと言われます。どのような状況の中でも、神は私たちを見捨てることなく愛していてくださいます。それゆえ望みがあります。主に望みを置くことを教えられます。日々上に召してくださる栄冠を目指し、主にある希望に生かされていきましょう。
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