経堂めぐみ教会

日曜礼拝のメッセージ動画です。

9月4日聖日礼拝

2016-09-05 14:42:17 | 礼拝
聖書:Ⅱコリント12:7~10
メッセージ:“わたしの恵みはあなたに十分”
特別賛美:“主イエスの歩いた道 他”植木朋子先生(お茶の水聖書学院教会音楽科講師)

1.肉体のとげ
(7~8)「また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないようにと、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。」
 パウロには神からのすばらしい啓示が示されましたが、そのために高ぶることがないようにと肉体に一つのとげが与えられました。「肉体のとげ」とは何なのかはっきりとはわかりませんが、目やてんかん性の病気など肉体的な弱さや苦痛とも言われています。パウロはこのとげを去らせてくださいと三度願いますが取り去られることはありませんでした。このことがなければもっと自由に活動に専念できたのでしょう。

2.主の力は弱さのうちに現れる
(9~10)「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」
 取り去られるように祈ったのに、しかし主は「わたしの恵みは、あなたに十分。」と言われました。なぜなら主の力は弱さのうちに完全に現されるからです。パウロはキリストのために弱さや苦痛を受け入れ、さらにキリストの力が自分をおおうために弱さを誇りとします。

 瞬きの詩人で知られる水野源三さんは、長野県に5人兄弟の次男として生まれます。終戦後、集団赤痢が発生し、当時小学4年生だった源三さんも病気にかかり脳性麻痺に冒されてしまいます。それ以後、見る、聞く以外は何もできない重い生涯を負った彼は寝たきりの生活を余儀なくされます。あらゆる治療の効果もなく、数年が過ぎた頃、一人の牧師が彼のもとを訪ねるようになりました。自らも進行性筋萎縮症病を負ったその牧師が語る聖書の話に、源三少年は徐々に耳を傾けるようになっていきます。希望もなく渇いていた心に、聖書のことばが命の水となって注がれ、明るさを取り戻し、1950年12月に洗礼を受けます。
 彼が詩作を始めたのは18歳の頃でした。お母さんが指す50音表の文字を見ながら、「はい」のときは目をつぶるという意思表示によって詩をつくりました。お母さんとの二人三脚の詩作でした。やがて、キリスト教の雑誌にぽつぽつと投稿した作品が取り上げられるようになり、世に知られるようになります。1975年、初めての詩集「わが恵み汝に足れり」が刊行され、それ以後4つの詩集が刊行されました。これらの詩集は多くの人たちに慰めと希望を与え続けています。そのうちの一つをご紹介します。
 
「悲しみよ悲しみよ 本当にありがとう お前が来なかったら つよくなかったなら 私は今どうなったか 悲しみよ悲しみよ お前が私を この世にはない大きな喜びが かわらない平安がある 主イエス様のみもとにつれて来てくれたのだ」   
                                  (「私は私らしく」いのちのことば社フォレストブックスより)

 源三さんは耐え難い程の悲しみの中にありましたが、その中でイエス様に出会い、生きる望みが与えられ、彼の人生は大きく変えられました。私たちも傷を受け弱さがありますが、主は私たちの弱さに働かれ、ご自身の力を現されます。すべてを宝に変え、私たちを通して主の栄光が現されていきますように。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」
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