先週土曜日(7/20)から開始された、「瀬戸内国際芸術祭2013」の夏会期(~9/1まで)。
岡山、香川両県の島々を舞台にした現代アートの祭典で、三年ぶり二度目の開催となる。
今回は二十三カ国・地域のアーティストらが参加し、夏会期にはデヴィッド・シルヴィアンも写真、音楽で参加すると新聞(地元の詳しい情報を知りたいときは『山陽新聞』に限る)で知って、以前から楽しみにしていた。
この記事では、写真の方を紹介。
「芸術祭」の会場となっている島々に、岡山側から渡る玄関口の宇野(玉野市)は、今期、“音と写真のまち”として、様々なイベントやプロジェクトを行っている。
その一つに、街中写真プロジェクトがあり、荒木経惟ら第一線のフォトグラファーやアーティストが、商店街の空き店舗やガレージを利用して、作品を展開している。(一般公募の写真も展示されている)。
さて、デヴィッド・シルヴィアンの写真は、駅前商店街の中の一角(「みやした」と表示があり、おそらく空き店舗)に、一階がアラーキーで、二階にデヴィッドのが展示されていた。(「芸術祭」のパスポートがない人は、個別鑑賞料金300円が必要になる。)
画像を見ておわかりのように、本当に民家の二階以外の何物でもないが、こうして見ると、古民家風のギャラリーとかアートスペースといえないこともない。壁にはレトロなエアコンも付いていたし。(詳しくはわからないが、昭和50年代くらいの型のように見えた。)
デヴィッドの紹介としては、
David Sylvian
1958年2月生まれ。
ミュージシャン。JAPANでデビュー後、80年代よりソロ活動を続けている。90年代初頭より、ヴィジュアルによるアート・インスタレーションを行う。
云々と書かれていたが、現在の若者にとってデヴィッドは、なじみのないミュージシャンということになるのだろうな。1958年2月生まれ。
ミュージシャン。JAPANでデビュー後、80年代よりソロ活動を続けている。90年代初頭より、ヴィジュアルによるアート・インスタレーションを行う。
デヴィッドと写真とのつきあいは古く、1984年にはポラロイド写真集『パースペクティブ』を発表し、個展も開いている。(ただし、そのモンタージュ写真の手法がホックニーの模倣であるとして、物議を醸したことは、『ミック・カーン自伝』にも出てくる。)
今回の写真は、彼の書く歌詞にも似て、簡素で美しく、抽象的であり、パッションの存在をあまり感じさせない。
彼の詞がしばしば哲学的で思弁的な一方、映像的な要素が強いことも大方の認めるところであろうが、詞の感覚と写真の感覚には近い部分があるのだろうか?
デヴィッドのキャリアからは、写真は余技に位置づけられるのだろうが、作品を生で見て、彼の心の風景を垣間見ることができたように感じた。