LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

LE PROFESSEUR (4)

2016-03-21 | THE 70'S CINEMA
『アラン・ドロン映画祭』いよいよ今週末の開催となりました。

『高校教師』を大画面で大音響に包まれて鑑賞できる機会は非常に貴重です。
皆様まだまだ席に余裕はあるようですので、ファンの方々同士お誘いあわせの上奮ってご参加ください。

今回も前回の続きで2008年の記事のリニューアルです。

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1972年、ジャン・ピエール・メルヴィルとの『リスボン特急』の撮影を不完全燃焼のまま終えたアラン・ドロンは『高校教師』の撮影のために意気揚揚とイタリアに向かい2月から3月までをそこで過ごした。

それはドロンにとって自身が初めて成功した地への帰還でもあった。
撮影現場では1960年に『若者のすべて』で共演したレナート・サルバトーリや、アラン・カヴァリエ監督作の『さすらいの狼』で共演したレア・マッサリも一緒であった。

ドロンとズルリーニとの関係はフランス本国で映画が公開されるときに発生したいくつかの誤解によって暗雲が立ち込めることになる。
フランス版の公開題名が「Le Professeur」と変えられたこと、そしていくつかのシーンがカットされたことに対してズルリーニ監督はプロデューサーのアラン・ドロンを非難した。

ヴァレリオ・ズルリーニから(記者に)送られてきた手紙が紹介された当時の新聞記事にはこう書かれている。

『私は(イタリア公開用の)オリジナル版をようやく完成させたが、その後は自分で自分の作品を守ることができなくなり気分を害している。
フランスで公開されたフランス語バージョンを観てみると、映画の内容がほとんど理解不能なものになってしまっていた。
約15分ものシーンがカットされているために、レア・マッサリが演じた役柄の人物像が理解不能なものになっている。
またラスト・シークエンスで描かれた荘厳さも著しく異なったものになってしまっている。
すべての精神的なかかわりというものが手荒にかき消されてしまっているのだ。
これではフランスの観客に2年間私が費やしてきたこの映画への努力を理解してもらえるとは到底思えない。』

フランスでは百万人以上の観客を動員しイタリアでも成功を収めたにもかかわらず、アラン・ドロンは『高校教師』は失敗作だったと感じている。
彼がイメージチェンジを図ろうとするといつも観客は拒絶するのだとこの映画はまたしても彼に感じさせることになるであろう。

「『もういちど愛して』が失敗したとき、私には何も新しいものをもたらすことはなかった。
『高校教師』『パリの灯は遠く』もまたしかりで、私は自分が何をしてきたのかはよくわかっているさ。」

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DELON DÉÇU

Le tournage d'Un Flic s'étant terminé en demi-teinte avec Jean-Pierre Melville, Alain Delon est ravi de partir pour l'Italie et d'y rester de février à mars 1972 pour Le Professeur.

C'est également une sorte de retour aux sources et aux films d'auteur qui avaient fait ses premiers succès.
Il retrouve d'ailleurs Renato Salvalori qu'il a connu sur Rocco et ses frères en 1960 et Lea Massari, sa partenaire dans L'Insoumis d'Alain Cavalier en 1964.

Sa collaboration avec Zurlini sera néanmoins quelque peu ternie par une mésentente survenue à la sortie du film dans l'hexagone.
Outre le titre français du film, le réalisateur reproche à Alain Delon d'avoir opéré des coupures.

En témoigne cet article du journal Combat:
“Valerio Zurlini explique dans une lettre que, sérieusement malade après avoir terminé la version originale, il n'a pu défendre son film.
Après avoir vu la version présentée en France, il considère que son film est méconnaissable :
15 minutes environ de coupures, le personage interprété par Lea Massari devenu incompréhensible, la signification de la sequence finale complètement renversée, toutes les implications spirituelles du film brutalement effacées.
Dans ces conditions, écrit-il, je ne comprends pas ce que le public français a pu voir et saisir de mon travail de deux années.”

Malgré plus d'un million d'entrées en France et un succès en Italie, Alain Delon considérera la sortie du Professeur comme un échec et ce film lui laissera une profonde blessure personnelle avec la conviction que le public le rejette lorsqu'il tente de changer d'image :
“Quand Doucement les basses a été un bide, ça ne m'a rien fait.
Le Professeur, Monsieur Klein, oui, parce que je savais tout ce que j'y avais donné.”

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最後のドロンさんがこの作品を失敗に思っていた、という記述は何年頃の取材によるものかが記載されていませんでしたが、当時と今とではドロンさんの心境もかなり変化したことが窺い知れます。

問題のカットされたシーンについては、どこまでドロンさんの意思が入っていたかは定かではありません。
ズルリーニ監督がドロンさんを非難しているのは少し早計だったのではないかと個人的には思います。

ただ改めてフランス語版とイタリア語版を見直してみますと、ズルリーニ監督の指摘は残念ながら当たっていると言わざるを得ません。
フランス語版の唯一の優れている点といえば、ドロンさん本人が話すフランス語が聴けることかもしれません。

今週末の上映はフランス語版ではなくイタリア語版と聞いておりますので完全版の上映ということになります。
Comments (2)
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