気象庁は、国土交通省の外局。最新コンピューター技術の導入と共に、以前よりは地域を分割して、細かに気象情報を流すようになった。その予報確度も、従来に比べると相当に向上している。
だが、東日本大震災の津波予報では、取り返しのつかない大失敗をした。三陸沖20kmの海上に7個のGPS波浪計(ブイ型)を設置して、正確に海面変動を検知していながら、間違った津波情報を流し、結果的に沿岸住民の避難が遅れた。もし、最初から津波の高さ10m以上と避難警報を流せば、消防団員も防潮堤閉門に向かわず、住民避難に全力を尽くしたことだろう。
大震災の丁度1年前、小野寺五典衆議院議員(自民)が衆議院災害対策特別委員会で、波浪計のデータ処理リンクについて質問した。データが必要な担当部署へ迅速に伝わるよう要望も行い、国交省はそのように図る約束をした。だが、データは処置されるようになっても、気象庁の津波予報は従来の方式を踏襲し、間違った警報を流した。折角の小野寺議員の提案も、生かされなかった。
警告無視の「人災津波」 救えたはずの命が…
[岡田浩明の永田町便り]
2012.2.12 18:00
2年前の3月11日。政権交代から半年が経過した通常国会中の衆院災害対策特別委員会で、自民党衆院議員の小野寺五典氏(宮城6区)が声を張り上げて「警告」を発していた。
取り上げたのは「GPS(全地球測位システム)波浪計。沖合約20キロに浮かぶブイが海面変動を観測し、そのデータを陸上の基地局に送る仕組みだ。つまり、沖合の波の変動から沿岸に到達する津波がいつ、どの程度の高さなのかが予測できるわけだ。東北地方の青森県から福島県の太平洋側には7地点にブイが浮かんでいる。
小野寺氏は当時、チリ地震による東北の太平洋沿岸部への津波被害を踏まえ、「波浪計を活用して、今回はたまたま(遠い)チリで起きたので4時間ぐらい前に大津波警報を出すことができた」と評価しつつ、一つ注文をつけた。
「波浪計で確認した情報を陸上でコンピュータソフトに手作業で打ち込まないと情報が出てこない。国土交通省だけですべて完結するとどうなのかとか、いろいろなことがあってつないでいないが、なぜリンクさせないのか」
津波襲来の際、職員が慌ててデータを入力するのではなく、多方面にリンクしたりするなどシステムの拡充を求めたのだ。
同時に「宮城県沖あるいは三陸沖にこれから大きな地震が来た場合は津波が来るまで時間がかからない。その場合には波浪計が多くの人の命を救う」と付け加えた。これに対し国交省の長安豊政務官(当時)は「(小野寺氏が)おっしゃられたように今後、開発を進めていきたい」と約束したのだ。
ところが、警告は生かされなかった。ちょうど1年後の「3・11」。東日本大震災が発生し、巨大津波による多数の犠牲者を出した。
時系列でみると、気象庁は震災発生から3分後に大津波警報を発表。津波の高さを「宮城県最大6メートル」「岩手、福島両県最大3メートル」と低く予測した。発生から約30分後、「宮城県最大10メートル」「岩手、福島両県最大6メートル」に修正したが、同じ時間帯に津波はすでに沿岸に到達し、多くの沿岸住民は修正されたことも知らず、飲み込まれてしまった。その15分後、気象庁は「全域で10メートル以上」と再修正したものの、もはやなんの意味もなかった。
震災から丸1年を迎えようとしている今月2日。小野寺氏は衆院予算院会でこう訴えた。
「波浪計は気仙沼沖合で約6メートルだった。そこから想定される沿岸の津波の高さは4倍か5倍と言われ、20から30メートルが来る。もしデータを生かしていれば、ちゃんとオンラインでつながっていれば…。ちょうど震災の1年前、オンラインにして気象庁に使ってくれと委員会で言ったのに…」
さらに「実は今回の震災で波浪計のデータは気象庁に届いていた。だけど、気象庁は『予報を出すときには今までずっとやってきた仕組みがある』と。データの第一報を無視して、津波が来た後に修正、修正を繰り返している。こんな後に出されても困る」と語気を強めた。
これに対し平野達男復興担当相(当時)は、気象庁にデータが届いていたことを認めた上で、「データをどう解釈するかについて具体的な手法が周知徹底されていなかった」と釈明したが、罪は重い。
沿岸部にある防潮堤を閉めれば防げる高さだと判断し、危険を顧みず沿岸部に駆けつけた消防団員。高いところに逃げるよりも家の2階にいれば大丈夫と思った地域住民。背景には、最初に出された見通しの甘い津波予想が根拠にあったのは間違いなく、多くの命を奪ってしまった。
「3・11」後、ようやく復興庁が発足し、被災地復興への動きが本格化するとともに、風化を懸念する声もある。その一方で永田町は被災地そっちのけで、相変わらず政局的な動きが目立ち、国民の生命や財産を守るはずの「政治力」は心許ない。一人の国会議員の声さえかき消され、守ることのできた命を守れなかった重い現実がある。
死者1万5848人、行方不明者3305人(10日現在)。「その中には、浮かばれない消防団員もいる。二度とこんなことがないように…」。目を潤ませながら訴える小野寺氏の言葉は、被災地の悲痛な叫びを代弁している。同時に今後懸念される東海、東南海、南海地震への警告でもある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120212/plc12021218000006-n1.htm
気象庁長官、並びに警報発令担当部署の所属長は、この問題で責任を取ったのであろうか?
我が国政府機関では、情報伝達の迅速化と共有化が実に下手である。また、思い込みが強いためか、情報分析も客観的に行われない。東電のような大企業もそのような欠陥があると思う。
人命に係わる課題については、もっと情報の価値を評価出来るようなシステムを真剣に考える必要がある。
だが、東日本大震災の津波予報では、取り返しのつかない大失敗をした。三陸沖20kmの海上に7個のGPS波浪計(ブイ型)を設置して、正確に海面変動を検知していながら、間違った津波情報を流し、結果的に沿岸住民の避難が遅れた。もし、最初から津波の高さ10m以上と避難警報を流せば、消防団員も防潮堤閉門に向かわず、住民避難に全力を尽くしたことだろう。
大震災の丁度1年前、小野寺五典衆議院議員(自民)が衆議院災害対策特別委員会で、波浪計のデータ処理リンクについて質問した。データが必要な担当部署へ迅速に伝わるよう要望も行い、国交省はそのように図る約束をした。だが、データは処置されるようになっても、気象庁の津波予報は従来の方式を踏襲し、間違った警報を流した。折角の小野寺議員の提案も、生かされなかった。
警告無視の「人災津波」 救えたはずの命が…
[岡田浩明の永田町便り]
2012.2.12 18:00
2年前の3月11日。政権交代から半年が経過した通常国会中の衆院災害対策特別委員会で、自民党衆院議員の小野寺五典氏(宮城6区)が声を張り上げて「警告」を発していた。
取り上げたのは「GPS(全地球測位システム)波浪計。沖合約20キロに浮かぶブイが海面変動を観測し、そのデータを陸上の基地局に送る仕組みだ。つまり、沖合の波の変動から沿岸に到達する津波がいつ、どの程度の高さなのかが予測できるわけだ。東北地方の青森県から福島県の太平洋側には7地点にブイが浮かんでいる。
小野寺氏は当時、チリ地震による東北の太平洋沿岸部への津波被害を踏まえ、「波浪計を活用して、今回はたまたま(遠い)チリで起きたので4時間ぐらい前に大津波警報を出すことができた」と評価しつつ、一つ注文をつけた。
「波浪計で確認した情報を陸上でコンピュータソフトに手作業で打ち込まないと情報が出てこない。国土交通省だけですべて完結するとどうなのかとか、いろいろなことがあってつないでいないが、なぜリンクさせないのか」
津波襲来の際、職員が慌ててデータを入力するのではなく、多方面にリンクしたりするなどシステムの拡充を求めたのだ。
同時に「宮城県沖あるいは三陸沖にこれから大きな地震が来た場合は津波が来るまで時間がかからない。その場合には波浪計が多くの人の命を救う」と付け加えた。これに対し国交省の長安豊政務官(当時)は「(小野寺氏が)おっしゃられたように今後、開発を進めていきたい」と約束したのだ。
ところが、警告は生かされなかった。ちょうど1年後の「3・11」。東日本大震災が発生し、巨大津波による多数の犠牲者を出した。
時系列でみると、気象庁は震災発生から3分後に大津波警報を発表。津波の高さを「宮城県最大6メートル」「岩手、福島両県最大3メートル」と低く予測した。発生から約30分後、「宮城県最大10メートル」「岩手、福島両県最大6メートル」に修正したが、同じ時間帯に津波はすでに沿岸に到達し、多くの沿岸住民は修正されたことも知らず、飲み込まれてしまった。その15分後、気象庁は「全域で10メートル以上」と再修正したものの、もはやなんの意味もなかった。
震災から丸1年を迎えようとしている今月2日。小野寺氏は衆院予算院会でこう訴えた。
「波浪計は気仙沼沖合で約6メートルだった。そこから想定される沿岸の津波の高さは4倍か5倍と言われ、20から30メートルが来る。もしデータを生かしていれば、ちゃんとオンラインでつながっていれば…。ちょうど震災の1年前、オンラインにして気象庁に使ってくれと委員会で言ったのに…」
さらに「実は今回の震災で波浪計のデータは気象庁に届いていた。だけど、気象庁は『予報を出すときには今までずっとやってきた仕組みがある』と。データの第一報を無視して、津波が来た後に修正、修正を繰り返している。こんな後に出されても困る」と語気を強めた。
これに対し平野達男復興担当相(当時)は、気象庁にデータが届いていたことを認めた上で、「データをどう解釈するかについて具体的な手法が周知徹底されていなかった」と釈明したが、罪は重い。
沿岸部にある防潮堤を閉めれば防げる高さだと判断し、危険を顧みず沿岸部に駆けつけた消防団員。高いところに逃げるよりも家の2階にいれば大丈夫と思った地域住民。背景には、最初に出された見通しの甘い津波予想が根拠にあったのは間違いなく、多くの命を奪ってしまった。
「3・11」後、ようやく復興庁が発足し、被災地復興への動きが本格化するとともに、風化を懸念する声もある。その一方で永田町は被災地そっちのけで、相変わらず政局的な動きが目立ち、国民の生命や財産を守るはずの「政治力」は心許ない。一人の国会議員の声さえかき消され、守ることのできた命を守れなかった重い現実がある。
死者1万5848人、行方不明者3305人(10日現在)。「その中には、浮かばれない消防団員もいる。二度とこんなことがないように…」。目を潤ませながら訴える小野寺氏の言葉は、被災地の悲痛な叫びを代弁している。同時に今後懸念される東海、東南海、南海地震への警告でもある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120212/plc12021218000006-n1.htm
気象庁長官、並びに警報発令担当部署の所属長は、この問題で責任を取ったのであろうか?
我が国政府機関では、情報伝達の迅速化と共有化が実に下手である。また、思い込みが強いためか、情報分析も客観的に行われない。東電のような大企業もそのような欠陥があると思う。
人命に係わる課題については、もっと情報の価値を評価出来るようなシステムを真剣に考える必要がある。
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