政治支配体制の中で、共産党による一党独裁ほど精神的に国民を弾圧し、また過酷・残虐であるものは無い。この政治体制が今なお続く中共は、いずれ旧ソ連のように国家瓦解するであろうことは明白だが、その歴史の中で1989年6月4日に起きた「天安門事件」は共産党支配の矛盾をさらけ出したものとして永く世界史に記録されるだろう。
今年は、この大事件が起きて18年目を迎えたのだが、その実態を良く捉えていると思うのは、2年前の「大紀元」の記事である。長くなるが、全文引用する。
リメンバー!6・4天安門事件―何を求め、何を失ったのか―
【大紀元日本6月4日】(2005)
1989年6月4日に中共政府が学生や民衆を虐殺した天安門事件は本年で16年目を迎える。この事件で失脚し自宅軟禁下に置かれた元共産党総書記・趙紫陽氏が今年1月17日に死去した。改革・開放に道筋をつけた趙氏の功績が再認識され名誉回復が期待されたが、政権維持のために中国共産党は旧態依然として警戒を強め、中国国内では民衆レベルの運動復活への機運は芽生えることはなかった。事件当時、民主化運動に加わった学生は現在、中国内外で社会の中枢を担う世代になった。自由と民主主義を求めて立ち上がった学生たちは、何を求め、何を失ったのか。事件の現場にいた彼らから、その真相と中国の展望について聞いてみた。
①改革開放への期待 官製メディアもデモに参列
開放政策による自由な雰囲気
胡耀邦氏は1982年9月、総書記に就任すると、改革開放路線と自由化路線を打ち出し、86年5月には「百花斉放・百家争鳴」を提唱して言論の自由化を推進し、民衆からは開明的指導者として支持を集めていた。
南京で大学時代を過ごした東京在住の中国人女性・章真さん(37)=貿易会社勤務=によれば、胡耀邦氏の政策の下、開放政策が始まって以来、最も自由な雰囲気がキャンパスや社会にあったと言う。
自由な環境で外国の思想が紹介され、思想的な交流や討論会などが活発に開かれた。学生や社会の知識人なども、社会に対して責任を持ち、中国の将来を真剣に考え、可能性と多くの希望に満ちあふれていた。
南京では、軍隊と学生との衝突はなかったが、北京に応援に行こうとしたら、兵士から銃口を向けられ阻止された。
事件が発生した年に大学を卒業した章さんは、政治に対して大いに失望し、その「恐怖の抑圧」が十数年にわたりトラウマ(心の傷)になった。
メディアも参列
当時、高校生だった中国人女性・貝善さん(32)=翻訳会社勤務=は、北京から遠く離れた田舎に住んでいたが、テレビの報道で事件の推移を固唾をのんで見守っていた。
官製の新華社や人民日などの報道関係者も先頭に立ってデモに加わったのが印象的だったと言う。
文化大革命で祖父が殺された貝さん一家は中共に対して嫌悪感を抱いていたので、民主化運動には期待を抱いていたが、都市部に比べると、民主・自由を求めるリベラルな雰囲気はなく、口外はできなかった。
②ハンガーストライキ 平和的に抗議する学生
学生は「階級の敵」
89年3月8日に北京人民大会堂で開かれた中国共産党政治局全体会議で、保守派の李鵬首相が、自由な討論に沸く大学キャンパスで学生たちが抗議集会を開いて現政権を開いてる事実を指摘し、西欧化によって腐敗した「階級の敵」であると学生たちを指弾した。
学生たちを擁護しようと発言に立ち上がった胡耀邦氏は、脳梗塞で病魔に倒れ、5週間後の4月15日に息絶えた。
胡氏の訃報が伝わり、同日、数千人の学生が天安門広場に集い、追悼集会を開いた。
会場には、「中国に民主主義移行の権利あり」の横断幕が掲げられ、民主主義や自由、汚職撲滅などのシュプレヒコールがうねりとなた。
共産党の首脳陣たちは、学生たちのデモを止めさせようとしたが、テレビや新聞などの報道陣が一緒に歩いていたことから、リベラル派の趙紫陽氏が制圧を止めさせた。
ハンスト闘争
学生たちの呼びかけは全国の大学に波及し、あくまでも合法的な手段で平和的に民主化を要求しようと整然と行動した。
民主主義要求をかけて、400人以上の学生がハンガーストライキに突入し、命を懸けた戦いがはじまった。
趙紫陽氏の失脚
胡氏の訃報から一ヶ月後の5月15日、ソ連のゴルバチョフ書記長を人民大会堂に迎えたが、北京政府を非難する学生たちの呼びかけが会場にまで聞こえ、面目をつぶされた小平氏は、学生を擁護する趙紫陽氏と対立。
権力闘争に敗れた趙氏はハンスト中の学生を訪れ、「わたしは来るのが遅すぎた」と、学生の期待に応えられなかったことを悔やみながらも、この自由を求めるドラマの舞台から消えた。
趙氏の後任として、上海で学生運動を鎮圧した江沢民が党総書記に就任。5月下旬から全国で学生や市民による抗議デモが行われた。
6月2日、中共政府は武力制圧を決断、10万人規模の人民解放軍が戦車をはじめ、ロケット・ランチャーなどまるで戦場に向かうかのように重装備で北京を包囲した。
③戦場と化した天安門広場
宮城県在住の中国人男性・曹忍さん(35)=大学講師=は当時、北京大学経済学院に入学したばかりだった。
6月3日夜、戒厳司令部の文字がテレビに映し出された。
天安門広場には、学生や市民がバリケードを作り、軍隊を入れないようにしていた。建国門の陸橋の下にはトラックがバリケード代わりに置かれ、大勢の人が荷台に上がり、軍隊とにらみ合っていた。
突然、戦車が陸橋めがけて加速しながら突進してきた。人々は荷台から飛び降りたが、間に合わなかった人々は、戦車になぎ倒されたトラックの下敷きになり、血だらけに横たわっていた。
突然の出来事に曹さんは頭が真っ白になった。学校の寮に戻ろうと道を急いだ。途中で大型バスから悲鳴が聞こえてきた。中を覗くと、兵士がひとり、7、8人の市民にかこまれ殴られおり、助けを求めていた。顔が血だらけになった兵士を見て、張さんは混乱状態に陥った。
学校の寮に戻ると、テレビで戒厳令が出され、息子を自宅に連れ戻そうとした曹さんの母親が待っていた。自宅に一緒に帰ろうと勧める母親に、張さんは学校内から出ないことを約束してとどまった。「文化大革命を経験している母から見れば、戒厳令が出されるということがどれだけ深刻なものかわかったいたのでしょうね」と曹さんは後から母親の心配が身にしてわかることになる。
軍はダムダム弾を使用
寮に戻った曹さんは学友らとブリッジカードをして朝まで過ごした。午前五時半ごろ、のどが渇いたので売店寮の向かいの売店に行こうとしたところ、花火のような銃声が上がり、ガス弾の黄色の煙で呼吸ができなくなったので、うつぶせになって芝生の顔を埋めてじっとしていた。
数分後、立ち上がってみると、周りには数人が血を流して倒れていた。仲間と一緒に三輪自転車で、最初に8人を近くの病院に運んだが、全員死亡していた。
遺体には、10センチ近くもある大きな穴が空いており、中には、腕が皮一枚でつながっているものもあった。医者がそれを診て、「どこかの工事現場で事故があったのか」と状況をまだ把握できていなかった。
それだけ突発的なことであり、まさか軍が市民や学生に発砲するなど思いもよらなかったのであろう。
さらに、医者は「どうみても、通常の弾丸ではない」と話した。曹さんによれば、国際法で禁じられていた殺傷力の高いダムダム弾だと後にわかったが、「そうしたものを、自国民に使用する中共政権の恐ろしさを感じた」と憤りを隠せない。
結局、四日午前10時ごろまで、軍隊による発砲が行われ、張さんは25人から30人を病院に運んだ。「体を弾がかすめる音も聞こえました。戦場というのは、まさにこういう場のことをいうのだと思った」と当時を振り返る。
④弾圧の正当化を受け入れた民衆
政治への失望
南京で大学を卒業した章さんは北京で働くことになったが、「恐怖の抑圧」からトラウマに悩んでいたので、政治色が濃い北京での勤務は耐えられず、南へ職場を変え、数年後海外へ逃れ来日した。
「わたしだけではなく、当時の中国は、理想を抱いて少しでも向上しようとする意欲を失わせた。だから、わたしは海外へそれを求めた」と切々と語る。
また、曹さんは事件の翌日、6月5日付の死者23人の政府発表に愕然とした。自分が運んだ犠牲者の数ではないか。少なくとも数千人は亡くなっているはずだ。
その後、章さんと同様、政治に失望し、卒業後は海外に希望を託し別の世界を夢見て、2年後来日した。
弾圧の正当化
世界中がその事件の残虐さを目撃したのにもかかわらず、「軍が人民の誰一人殺害したり、危害を加えたりしなかった」(人民日報)と歴史を改ざんし、その真相を知る学生たちに対してはすり替えの論理で弾圧を正当化した。
これについては、昨年11月本紙が発表した「九評共産党(共産党についての九つの論評、以下九評)」の第九評に明らかにされている。―「例えば、強盗がドアをうち破って押し入り、強姦をも犯した。法廷における弁護では、その「強姦行為」のおかげで人を殺さずに済んだのであり、「強姦」と「殺人」を比べれば、殺人の方が凶悪である。従って、法廷は被告を無罪釈放とすべきと述べ、人々が「強姦は筋が通っている」と唱和すべきとする。 これは全くの荒唐無稽であるが、中共の六四(天安門事件)弾圧の理論は、この強盗と同じなのである。彼等の説は、「学生を弾圧」することによって「内乱」を防いだ。だから、「内乱」と比べれば「弾圧は筋が通る」ということである。―
信じられない話だが、曹さんによれば、弾圧の恐怖に圧倒された学生らは、共産党のこうした論理のすり替えで事件を総括し、政治に理想を求めることはなくなったのだという。
風化する6・4天安門事件
日本の歴史教科書には敏感な中共政権は、自国の歴史の改ざんには全く鈍感だ。
曹さんは大学教員という立場上、中国人留学生を多く指導する。来日したばかりの彼らに天安門事件の話をすると驚く。
「そんなにたくさんの人が亡くなったのですか。しかも軍隊が市民に発砲するなんて」。そうした発言を耳にするたび、曹さんは「このわたしが生き証人」だと主張する。
中国共産党がなければ…
中国共産党は、「恐怖による抑圧」で中国民衆から理想を求め向上を目指す崇高な人間性を奪ってしまったといえる。
体制の維持と権力闘争のために、次代を担う多くの若者の命を奪った中共は同時に、国家の未来へのビジョンをも殺してしまった。
経済発展と都市の近代化が進む中国で、天安門事件のような虐殺と弾圧のおぞましい過去は葬り去られてしまったのか。
否、思想弾圧や少数民族の独立など、弾圧と虐殺は今でも続いている。中共の体質は全く変わっていない。
変わったのは、民衆の心であり、中共の邪悪な本質を見て見ぬふりをし、64事件の虐殺と弾圧を正当化する論理を受け入れてしまった中国民衆ではないか。
「九評」は、こう締めくくられている。「 中国共産党がなければ、正義を重んじる善良な中国民衆が必ずや再び歴史に輝きをもたらす」(第九評結び)。
(05/06/04 08:00)
http://jp.epochtimes.com/jp/2005/06/html/d12607.html
私は、1986年11月に中共を訪問した。北京、長春、吉林に2週間ほど滞在した。当時は、人民服を着た人々が殆どだったが、胡耀邦総書記の影響が大きく、若い人々は開放へ向かっての希望を語っていた。北京大学や精華大学には、大型の分析装置も数台導入され、研究者達は目を輝かせていた。北京の大通りは自転車の大洪水で、その中を汚れたバスが三々五々に走っていたが、何れは地下鉄が充実するのだろうと想像した。
カラーTVはあまり見られなかったが、白黒TVがかなり普及していて、NHKのTVドラマ「おしん」の人気が高く、豊かな経済大国日本もあのような時代があったのだと中共の人々は考えていた。今、我々は「おしん」の時代なのだ、開放政策を進めて行けば、やがては日本のようになれる。
反日の雰囲気など全く無かったし、中共を訪れる多くの日本人も「文化大革命」で疲弊したこの国にかなりの同情心を抱いていたと思う。私自身、過去の戦争の歴史を乗り越えて、建設的な交流が始まると期待した。深センや珠江地域では、経済特区への投資が高まっていた。だが一方で、共産主義体制の中で、資本主義的な手法を取り入れて上手く行くのだろうかと疑問を持った。
3年後に、天安門事件が起きた。開放政策に理解を示していた小平氏がハードライナーの李鵬首相に命じて学生を弾圧するとは考えられなかった。日本のTVでも、天安門広場で座り込みをする大勢の学生達、「自由の女神」、前進する戦車の前に恐れもせず、じっと佇む白シャツの学生を繰り返し放映した。あの学生は殺されてしまったのだろうか。私の中共への期待は萎んで行った。
天安門広場に集まった学生達は、統制を維持しており、権力に対して暴力沙汰を起こしたわけではない。時代の流れを反映した精神的自由を求めてのデモであった。日本の全共闘運動や大学紛争のような不毛の騒動ではないのだ。戒厳令を布いて残虐にこれを弾圧した中共政府は世界各国から非難され、経済制裁を受けた。だが、その反省も無いままに、依然として情報封鎖が続いている。
再び「大紀元」は天安門事件の歴史的意義を論じている。
袁紅氷・教授、「6・4天安門事件」を分析、「中国共産党は必ず歴史の大審判を受ける」
【大紀元日本6月4日】(2007)
中国当局に弾圧された1989年の学生民主運動「6・4天安門事件」を実体験した豪州在住の元北京大学法学教授の袁紅氷氏は5月28日、「希望の声」( Sound of Hope)ラジオの取材を受け、自らの体験を語り、「天安門広場で、大勢の大学生への虐殺が発生した原因と教訓は、中国国民が中国共産党の本質を認識していないことにある」と分析し、「『九評共産党』(大紀元のシリーズ社説)を読み、しかもその伝播を大々的に推進して、はじめて中国共産党の邪悪な本質をはっきり認識でき、中共の暴政を早めに崩壊させ、歴史的審判を受けさせることができる」と話した。
袁紅氷氏はまず、「6・4天安門事件」での実体験を以下のように語った。
「1989年、学生による政治改革を求める民主運動がはじまった当時、私は北京大学の法律学部の教師であった。当時学生の民主運動を支持するため、私が発起人になって北京大学教師後援団を結成した。事件の全過程について、私ははっきりと覚えている。6月3日夜、一晩中に私は長安街の西部分の六部口あたりにいた。この一晩で、私は多くの負傷者を救出した。着ていたワイシャツが負傷者の鮮血で完全に濡れていた。私は目撃した、白いスカートの女学生が私のそばから走り去ったときに、銃弾に打ち飛ばされ、地面に叩き込まれた・・・・・。一両の装甲車が1人の学生の体を踏み潰した。装甲車が去った後、残された体は2本の腕だけ、その手にはまた一枚の旗を握っていた。これは、私が実際に見た現場である。あの晩、血が河のように流れていた。天安門広場で誰一人が殺されていないと称し続けている人たちは、中共の独裁政治を粉飾するために、破廉恥にうそをついている」。
袁紅氷氏は、「6・4天安門事件」の惨劇を招いた原因は、中国国民が中国共産党の本質を認識していないためだと指摘、以下のように分析した。
天安門での虐殺が発生した後、多くの人はこの大学生民主運動について、いわゆる「反省」を行った。特に一部の知識人は、学生運動が理性を欠いている、学生たちが妥協しなかったから、中国当局の弾圧を招いたなどなどと非難している。
実際には、この民主運動は、学生の純粋なる強い正義感により起こされた。本質から言うと、これは激情的な運動であり、周到に熟考され、理性的に計画した過程ではなかった。歴史を変える火焔は往々にして激情によって点火されている。しかし、残念ながら、中国の知識人層は、この学生民主運動に対し、真に歴史価値を創造させるための導きを行おうとしなかった。結局、学生たちによるこのような激情的な運動は、独裁政治を徹底的に否定できる理性ある運動に変身できず、中国共産党の一党独裁を徹底的に終焉させるとの強い政治理念が足りないため、このような虐殺の惨劇が発生した。
我々は、中国共産党が政権を確立してから今日までの歴史を少し振り返ってみれば、この党は、中国の苦難を招いた根源であること、中国の人権が踏み躙られる根源であること、中国で発生している罪悪の根源であることに気づくはずだ。中国当局の官僚集団は、反人類の罪を繰り返している犯罪集団である。これはこの悪党の本質だ。天安門事件の時、中国の知識人の主体が中共のこの本質をはっきりと認識できなかったため、全国範囲で全国民による大反撃を起させるための明確な強い政治理念を提供できなかった。そのため、民主的な新しい中国を誕生させることができなかった。
袁紅氷氏はさらに、「九評共産党」は中国共産党の本質を認識し、中共の独裁政治を暴露するには重要な役割を果たしていると指摘し、「2004年、大紀元がこのシリーズ社説を公表してから、すべての良識ある中国人は、中国共産党の本質を明確に認識できるはずだ。それまでに、多くの知識人がこの党の本質について、すでに様々の見解を持っていたが、「九評共産党」のように、わかりやすい言葉で、緻密にしかも深く中国共産党の本質を暴かした文章はまったくなかった。この角度からみると、「九評共産党」を如何に広く伝播させ、さらに深く中共の暴虐政治の本質を暴露するのは、我々良識のある中国人全員が直面する重要な課題である。もし、我々は徹底的に中国共産党の本質を暴露できなければ、たとえ、「6・4天安門事件」のような集団的大規模抗議運動が再度起こされても、最終的に明確な政治理念を持たないことから、惨劇が再演し、成功できない。これは、「6・4天安門事件」の18周年記念日の今日、我々は心に刻むべき深刻な教訓である」と強調した。
最後に、袁紅氷氏は、中国共産党は天安門事件の後から、その政治体制は完全にマフィア化し、犯罪集団となったと指摘し、「彼らには天安門事件を評価・名誉回復する資格はまったくない。中共には、歴史の大審判が待ち構えている。中国共産党はすでに自己調整する能力を喪失、いかなる理性と良識を有していない。この党は専制統治を維持することで、継続的に中国人を剥奪・抑圧している。中国共産党の統治を終結させるには、国民の覚醒運動、すなわち、全国民による反暴政運動が必要であり、中国共産党の文化と独裁から解放するには、徹底的な精神解放運動が必要である。ここ18年間、毎年の6月4日の記念日に迎える際に、多くの人は中国共産党に対し、「6・4天安門事件」の名誉を回復するよう求めてきた。この要求自身は、一種の奴隷根性を現している。中国共産党自体は犯罪集団であり、「6・4天安門事件」はこの犯罪集団が犯した許し難い反人類の罪であり、必ず歴史の審判を受けるはずだ。このような犯罪者にとうして「6・4天安門事件」の名誉回復を要求するのか、このような犯罪者はどうして自ら犯した犯罪を再評価する資格があるのか。彼らを待ち構えているのは一つの結果しかない、すなわち、歴史の大審判で裁かれることである」と力説した。
(07/06/04 17:41)
http://jp.epochtimes.com/jp/2007/06/html/d69322.html
袁紅氷教授の指摘は鋭い。私は、「中国共産党は天安門事件の後から、その政治体制は完全にマフィア化し、犯罪集団となった」との見方に同意する。日本のヤクザ集団を巨大にスケールアップした存在が中共現体制である。この犯罪集団は、プライドが高く、「しのぎ」のためには捏造や恫喝を繰り返し、しかも核兵器を持つから始末に終えない。
支那人大衆は、魯迅の表現したようにわが身大事の「阿Q」である。それは、大陸性国家の宿命なのかもしれない。ロシア民衆がトルストイの「イワン」に代表され、米国が「アンクル・トム」に象徴されるように。歴史と伝統に溢れる島国の日本では、天安門事件のような悲劇は起こらないであろうが、6月4日を迎える時には命を掛けて多数の犠牲者が何を求めていたのかを改めて思い起こす必要があろう。
今年は、この大事件が起きて18年目を迎えたのだが、その実態を良く捉えていると思うのは、2年前の「大紀元」の記事である。長くなるが、全文引用する。
リメンバー!6・4天安門事件―何を求め、何を失ったのか―
【大紀元日本6月4日】(2005)
1989年6月4日に中共政府が学生や民衆を虐殺した天安門事件は本年で16年目を迎える。この事件で失脚し自宅軟禁下に置かれた元共産党総書記・趙紫陽氏が今年1月17日に死去した。改革・開放に道筋をつけた趙氏の功績が再認識され名誉回復が期待されたが、政権維持のために中国共産党は旧態依然として警戒を強め、中国国内では民衆レベルの運動復活への機運は芽生えることはなかった。事件当時、民主化運動に加わった学生は現在、中国内外で社会の中枢を担う世代になった。自由と民主主義を求めて立ち上がった学生たちは、何を求め、何を失ったのか。事件の現場にいた彼らから、その真相と中国の展望について聞いてみた。
①改革開放への期待 官製メディアもデモに参列
開放政策による自由な雰囲気
胡耀邦氏は1982年9月、総書記に就任すると、改革開放路線と自由化路線を打ち出し、86年5月には「百花斉放・百家争鳴」を提唱して言論の自由化を推進し、民衆からは開明的指導者として支持を集めていた。
南京で大学時代を過ごした東京在住の中国人女性・章真さん(37)=貿易会社勤務=によれば、胡耀邦氏の政策の下、開放政策が始まって以来、最も自由な雰囲気がキャンパスや社会にあったと言う。
自由な環境で外国の思想が紹介され、思想的な交流や討論会などが活発に開かれた。学生や社会の知識人なども、社会に対して責任を持ち、中国の将来を真剣に考え、可能性と多くの希望に満ちあふれていた。
南京では、軍隊と学生との衝突はなかったが、北京に応援に行こうとしたら、兵士から銃口を向けられ阻止された。
事件が発生した年に大学を卒業した章さんは、政治に対して大いに失望し、その「恐怖の抑圧」が十数年にわたりトラウマ(心の傷)になった。
メディアも参列
当時、高校生だった中国人女性・貝善さん(32)=翻訳会社勤務=は、北京から遠く離れた田舎に住んでいたが、テレビの報道で事件の推移を固唾をのんで見守っていた。
官製の新華社や人民日などの報道関係者も先頭に立ってデモに加わったのが印象的だったと言う。
文化大革命で祖父が殺された貝さん一家は中共に対して嫌悪感を抱いていたので、民主化運動には期待を抱いていたが、都市部に比べると、民主・自由を求めるリベラルな雰囲気はなく、口外はできなかった。
②ハンガーストライキ 平和的に抗議する学生
学生は「階級の敵」
89年3月8日に北京人民大会堂で開かれた中国共産党政治局全体会議で、保守派の李鵬首相が、自由な討論に沸く大学キャンパスで学生たちが抗議集会を開いて現政権を開いてる事実を指摘し、西欧化によって腐敗した「階級の敵」であると学生たちを指弾した。
学生たちを擁護しようと発言に立ち上がった胡耀邦氏は、脳梗塞で病魔に倒れ、5週間後の4月15日に息絶えた。
胡氏の訃報が伝わり、同日、数千人の学生が天安門広場に集い、追悼集会を開いた。
会場には、「中国に民主主義移行の権利あり」の横断幕が掲げられ、民主主義や自由、汚職撲滅などのシュプレヒコールがうねりとなた。
共産党の首脳陣たちは、学生たちのデモを止めさせようとしたが、テレビや新聞などの報道陣が一緒に歩いていたことから、リベラル派の趙紫陽氏が制圧を止めさせた。
ハンスト闘争
学生たちの呼びかけは全国の大学に波及し、あくまでも合法的な手段で平和的に民主化を要求しようと整然と行動した。
民主主義要求をかけて、400人以上の学生がハンガーストライキに突入し、命を懸けた戦いがはじまった。
趙紫陽氏の失脚
胡氏の訃報から一ヶ月後の5月15日、ソ連のゴルバチョフ書記長を人民大会堂に迎えたが、北京政府を非難する学生たちの呼びかけが会場にまで聞こえ、面目をつぶされた小平氏は、学生を擁護する趙紫陽氏と対立。
権力闘争に敗れた趙氏はハンスト中の学生を訪れ、「わたしは来るのが遅すぎた」と、学生の期待に応えられなかったことを悔やみながらも、この自由を求めるドラマの舞台から消えた。
趙氏の後任として、上海で学生運動を鎮圧した江沢民が党総書記に就任。5月下旬から全国で学生や市民による抗議デモが行われた。
6月2日、中共政府は武力制圧を決断、10万人規模の人民解放軍が戦車をはじめ、ロケット・ランチャーなどまるで戦場に向かうかのように重装備で北京を包囲した。
③戦場と化した天安門広場
宮城県在住の中国人男性・曹忍さん(35)=大学講師=は当時、北京大学経済学院に入学したばかりだった。
6月3日夜、戒厳司令部の文字がテレビに映し出された。
天安門広場には、学生や市民がバリケードを作り、軍隊を入れないようにしていた。建国門の陸橋の下にはトラックがバリケード代わりに置かれ、大勢の人が荷台に上がり、軍隊とにらみ合っていた。
突然、戦車が陸橋めがけて加速しながら突進してきた。人々は荷台から飛び降りたが、間に合わなかった人々は、戦車になぎ倒されたトラックの下敷きになり、血だらけに横たわっていた。
突然の出来事に曹さんは頭が真っ白になった。学校の寮に戻ろうと道を急いだ。途中で大型バスから悲鳴が聞こえてきた。中を覗くと、兵士がひとり、7、8人の市民にかこまれ殴られおり、助けを求めていた。顔が血だらけになった兵士を見て、張さんは混乱状態に陥った。
学校の寮に戻ると、テレビで戒厳令が出され、息子を自宅に連れ戻そうとした曹さんの母親が待っていた。自宅に一緒に帰ろうと勧める母親に、張さんは学校内から出ないことを約束してとどまった。「文化大革命を経験している母から見れば、戒厳令が出されるということがどれだけ深刻なものかわかったいたのでしょうね」と曹さんは後から母親の心配が身にしてわかることになる。
軍はダムダム弾を使用
寮に戻った曹さんは学友らとブリッジカードをして朝まで過ごした。午前五時半ごろ、のどが渇いたので売店寮の向かいの売店に行こうとしたところ、花火のような銃声が上がり、ガス弾の黄色の煙で呼吸ができなくなったので、うつぶせになって芝生の顔を埋めてじっとしていた。
数分後、立ち上がってみると、周りには数人が血を流して倒れていた。仲間と一緒に三輪自転車で、最初に8人を近くの病院に運んだが、全員死亡していた。
遺体には、10センチ近くもある大きな穴が空いており、中には、腕が皮一枚でつながっているものもあった。医者がそれを診て、「どこかの工事現場で事故があったのか」と状況をまだ把握できていなかった。
それだけ突発的なことであり、まさか軍が市民や学生に発砲するなど思いもよらなかったのであろう。
さらに、医者は「どうみても、通常の弾丸ではない」と話した。曹さんによれば、国際法で禁じられていた殺傷力の高いダムダム弾だと後にわかったが、「そうしたものを、自国民に使用する中共政権の恐ろしさを感じた」と憤りを隠せない。
結局、四日午前10時ごろまで、軍隊による発砲が行われ、張さんは25人から30人を病院に運んだ。「体を弾がかすめる音も聞こえました。戦場というのは、まさにこういう場のことをいうのだと思った」と当時を振り返る。
④弾圧の正当化を受け入れた民衆
政治への失望
南京で大学を卒業した章さんは北京で働くことになったが、「恐怖の抑圧」からトラウマに悩んでいたので、政治色が濃い北京での勤務は耐えられず、南へ職場を変え、数年後海外へ逃れ来日した。
「わたしだけではなく、当時の中国は、理想を抱いて少しでも向上しようとする意欲を失わせた。だから、わたしは海外へそれを求めた」と切々と語る。
また、曹さんは事件の翌日、6月5日付の死者23人の政府発表に愕然とした。自分が運んだ犠牲者の数ではないか。少なくとも数千人は亡くなっているはずだ。
その後、章さんと同様、政治に失望し、卒業後は海外に希望を託し別の世界を夢見て、2年後来日した。
弾圧の正当化
世界中がその事件の残虐さを目撃したのにもかかわらず、「軍が人民の誰一人殺害したり、危害を加えたりしなかった」(人民日報)と歴史を改ざんし、その真相を知る学生たちに対してはすり替えの論理で弾圧を正当化した。
これについては、昨年11月本紙が発表した「九評共産党(共産党についての九つの論評、以下九評)」の第九評に明らかにされている。―「例えば、強盗がドアをうち破って押し入り、強姦をも犯した。法廷における弁護では、その「強姦行為」のおかげで人を殺さずに済んだのであり、「強姦」と「殺人」を比べれば、殺人の方が凶悪である。従って、法廷は被告を無罪釈放とすべきと述べ、人々が「強姦は筋が通っている」と唱和すべきとする。 これは全くの荒唐無稽であるが、中共の六四(天安門事件)弾圧の理論は、この強盗と同じなのである。彼等の説は、「学生を弾圧」することによって「内乱」を防いだ。だから、「内乱」と比べれば「弾圧は筋が通る」ということである。―
信じられない話だが、曹さんによれば、弾圧の恐怖に圧倒された学生らは、共産党のこうした論理のすり替えで事件を総括し、政治に理想を求めることはなくなったのだという。
風化する6・4天安門事件
日本の歴史教科書には敏感な中共政権は、自国の歴史の改ざんには全く鈍感だ。
曹さんは大学教員という立場上、中国人留学生を多く指導する。来日したばかりの彼らに天安門事件の話をすると驚く。
「そんなにたくさんの人が亡くなったのですか。しかも軍隊が市民に発砲するなんて」。そうした発言を耳にするたび、曹さんは「このわたしが生き証人」だと主張する。
中国共産党がなければ…
中国共産党は、「恐怖による抑圧」で中国民衆から理想を求め向上を目指す崇高な人間性を奪ってしまったといえる。
体制の維持と権力闘争のために、次代を担う多くの若者の命を奪った中共は同時に、国家の未来へのビジョンをも殺してしまった。
経済発展と都市の近代化が進む中国で、天安門事件のような虐殺と弾圧のおぞましい過去は葬り去られてしまったのか。
否、思想弾圧や少数民族の独立など、弾圧と虐殺は今でも続いている。中共の体質は全く変わっていない。
変わったのは、民衆の心であり、中共の邪悪な本質を見て見ぬふりをし、64事件の虐殺と弾圧を正当化する論理を受け入れてしまった中国民衆ではないか。
「九評」は、こう締めくくられている。「 中国共産党がなければ、正義を重んじる善良な中国民衆が必ずや再び歴史に輝きをもたらす」(第九評結び)。
(05/06/04 08:00)
http://jp.epochtimes.com/jp/2005/06/html/d12607.html
私は、1986年11月に中共を訪問した。北京、長春、吉林に2週間ほど滞在した。当時は、人民服を着た人々が殆どだったが、胡耀邦総書記の影響が大きく、若い人々は開放へ向かっての希望を語っていた。北京大学や精華大学には、大型の分析装置も数台導入され、研究者達は目を輝かせていた。北京の大通りは自転車の大洪水で、その中を汚れたバスが三々五々に走っていたが、何れは地下鉄が充実するのだろうと想像した。
カラーTVはあまり見られなかったが、白黒TVがかなり普及していて、NHKのTVドラマ「おしん」の人気が高く、豊かな経済大国日本もあのような時代があったのだと中共の人々は考えていた。今、我々は「おしん」の時代なのだ、開放政策を進めて行けば、やがては日本のようになれる。
反日の雰囲気など全く無かったし、中共を訪れる多くの日本人も「文化大革命」で疲弊したこの国にかなりの同情心を抱いていたと思う。私自身、過去の戦争の歴史を乗り越えて、建設的な交流が始まると期待した。深センや珠江地域では、経済特区への投資が高まっていた。だが一方で、共産主義体制の中で、資本主義的な手法を取り入れて上手く行くのだろうかと疑問を持った。
3年後に、天安門事件が起きた。開放政策に理解を示していた小平氏がハードライナーの李鵬首相に命じて学生を弾圧するとは考えられなかった。日本のTVでも、天安門広場で座り込みをする大勢の学生達、「自由の女神」、前進する戦車の前に恐れもせず、じっと佇む白シャツの学生を繰り返し放映した。あの学生は殺されてしまったのだろうか。私の中共への期待は萎んで行った。
天安門広場に集まった学生達は、統制を維持しており、権力に対して暴力沙汰を起こしたわけではない。時代の流れを反映した精神的自由を求めてのデモであった。日本の全共闘運動や大学紛争のような不毛の騒動ではないのだ。戒厳令を布いて残虐にこれを弾圧した中共政府は世界各国から非難され、経済制裁を受けた。だが、その反省も無いままに、依然として情報封鎖が続いている。
再び「大紀元」は天安門事件の歴史的意義を論じている。
袁紅氷・教授、「6・4天安門事件」を分析、「中国共産党は必ず歴史の大審判を受ける」
【大紀元日本6月4日】(2007)
中国当局に弾圧された1989年の学生民主運動「6・4天安門事件」を実体験した豪州在住の元北京大学法学教授の袁紅氷氏は5月28日、「希望の声」( Sound of Hope)ラジオの取材を受け、自らの体験を語り、「天安門広場で、大勢の大学生への虐殺が発生した原因と教訓は、中国国民が中国共産党の本質を認識していないことにある」と分析し、「『九評共産党』(大紀元のシリーズ社説)を読み、しかもその伝播を大々的に推進して、はじめて中国共産党の邪悪な本質をはっきり認識でき、中共の暴政を早めに崩壊させ、歴史的審判を受けさせることができる」と話した。
袁紅氷氏はまず、「6・4天安門事件」での実体験を以下のように語った。
「1989年、学生による政治改革を求める民主運動がはじまった当時、私は北京大学の法律学部の教師であった。当時学生の民主運動を支持するため、私が発起人になって北京大学教師後援団を結成した。事件の全過程について、私ははっきりと覚えている。6月3日夜、一晩中に私は長安街の西部分の六部口あたりにいた。この一晩で、私は多くの負傷者を救出した。着ていたワイシャツが負傷者の鮮血で完全に濡れていた。私は目撃した、白いスカートの女学生が私のそばから走り去ったときに、銃弾に打ち飛ばされ、地面に叩き込まれた・・・・・。一両の装甲車が1人の学生の体を踏み潰した。装甲車が去った後、残された体は2本の腕だけ、その手にはまた一枚の旗を握っていた。これは、私が実際に見た現場である。あの晩、血が河のように流れていた。天安門広場で誰一人が殺されていないと称し続けている人たちは、中共の独裁政治を粉飾するために、破廉恥にうそをついている」。
袁紅氷氏は、「6・4天安門事件」の惨劇を招いた原因は、中国国民が中国共産党の本質を認識していないためだと指摘、以下のように分析した。
天安門での虐殺が発生した後、多くの人はこの大学生民主運動について、いわゆる「反省」を行った。特に一部の知識人は、学生運動が理性を欠いている、学生たちが妥協しなかったから、中国当局の弾圧を招いたなどなどと非難している。
実際には、この民主運動は、学生の純粋なる強い正義感により起こされた。本質から言うと、これは激情的な運動であり、周到に熟考され、理性的に計画した過程ではなかった。歴史を変える火焔は往々にして激情によって点火されている。しかし、残念ながら、中国の知識人層は、この学生民主運動に対し、真に歴史価値を創造させるための導きを行おうとしなかった。結局、学生たちによるこのような激情的な運動は、独裁政治を徹底的に否定できる理性ある運動に変身できず、中国共産党の一党独裁を徹底的に終焉させるとの強い政治理念が足りないため、このような虐殺の惨劇が発生した。
我々は、中国共産党が政権を確立してから今日までの歴史を少し振り返ってみれば、この党は、中国の苦難を招いた根源であること、中国の人権が踏み躙られる根源であること、中国で発生している罪悪の根源であることに気づくはずだ。中国当局の官僚集団は、反人類の罪を繰り返している犯罪集団である。これはこの悪党の本質だ。天安門事件の時、中国の知識人の主体が中共のこの本質をはっきりと認識できなかったため、全国範囲で全国民による大反撃を起させるための明確な強い政治理念を提供できなかった。そのため、民主的な新しい中国を誕生させることができなかった。
袁紅氷氏はさらに、「九評共産党」は中国共産党の本質を認識し、中共の独裁政治を暴露するには重要な役割を果たしていると指摘し、「2004年、大紀元がこのシリーズ社説を公表してから、すべての良識ある中国人は、中国共産党の本質を明確に認識できるはずだ。それまでに、多くの知識人がこの党の本質について、すでに様々の見解を持っていたが、「九評共産党」のように、わかりやすい言葉で、緻密にしかも深く中国共産党の本質を暴かした文章はまったくなかった。この角度からみると、「九評共産党」を如何に広く伝播させ、さらに深く中共の暴虐政治の本質を暴露するのは、我々良識のある中国人全員が直面する重要な課題である。もし、我々は徹底的に中国共産党の本質を暴露できなければ、たとえ、「6・4天安門事件」のような集団的大規模抗議運動が再度起こされても、最終的に明確な政治理念を持たないことから、惨劇が再演し、成功できない。これは、「6・4天安門事件」の18周年記念日の今日、我々は心に刻むべき深刻な教訓である」と強調した。
最後に、袁紅氷氏は、中国共産党は天安門事件の後から、その政治体制は完全にマフィア化し、犯罪集団となったと指摘し、「彼らには天安門事件を評価・名誉回復する資格はまったくない。中共には、歴史の大審判が待ち構えている。中国共産党はすでに自己調整する能力を喪失、いかなる理性と良識を有していない。この党は専制統治を維持することで、継続的に中国人を剥奪・抑圧している。中国共産党の統治を終結させるには、国民の覚醒運動、すなわち、全国民による反暴政運動が必要であり、中国共産党の文化と独裁から解放するには、徹底的な精神解放運動が必要である。ここ18年間、毎年の6月4日の記念日に迎える際に、多くの人は中国共産党に対し、「6・4天安門事件」の名誉を回復するよう求めてきた。この要求自身は、一種の奴隷根性を現している。中国共産党自体は犯罪集団であり、「6・4天安門事件」はこの犯罪集団が犯した許し難い反人類の罪であり、必ず歴史の審判を受けるはずだ。このような犯罪者にとうして「6・4天安門事件」の名誉回復を要求するのか、このような犯罪者はどうして自ら犯した犯罪を再評価する資格があるのか。彼らを待ち構えているのは一つの結果しかない、すなわち、歴史の大審判で裁かれることである」と力説した。
(07/06/04 17:41)
http://jp.epochtimes.com/jp/2007/06/html/d69322.html
袁紅氷教授の指摘は鋭い。私は、「中国共産党は天安門事件の後から、その政治体制は完全にマフィア化し、犯罪集団となった」との見方に同意する。日本のヤクザ集団を巨大にスケールアップした存在が中共現体制である。この犯罪集団は、プライドが高く、「しのぎ」のためには捏造や恫喝を繰り返し、しかも核兵器を持つから始末に終えない。
支那人大衆は、魯迅の表現したようにわが身大事の「阿Q」である。それは、大陸性国家の宿命なのかもしれない。ロシア民衆がトルストイの「イワン」に代表され、米国が「アンクル・トム」に象徴されるように。歴史と伝統に溢れる島国の日本では、天安門事件のような悲劇は起こらないであろうが、6月4日を迎える時には命を掛けて多数の犠牲者が何を求めていたのかを改めて思い起こす必要があろう。
台灣の次期總統選舉(2012年 3月)の直後にやり遂げ、
同年秋の中共第18回黨大會を「祖國統一完成祝賀大會」にして胡錦濤の引退を飾り、
胡錦濤引退後の影響力を確保しようとしてゐる
──といふ機密計劃を暴露した本が台灣で出ました。
袁紅冰『台灣大劫難:TAIWAN DISASTER/ 2012 不戰而勝台灣』です。
(台北縣中和市・星島國際有限公司、2009.11. 1刷/12.4刷) 新台幣 360元
台灣では、本書は 6萬部くらゐ賣れたさうです。
台灣の人口2300萬人からすれば、なかなかのものです。
日本では、註釋つきで「参考資料として」 5月に譯本が「まどか出版」から
刊行される予定と聞いてゐます。
但し本書 (中文版) は實に讀み易い文章ですから、中國語をきちんと學んでゐなくとも
讀めます。特に中國語の初學者にお勸めです。
ぜひ「當つて碎けろ」で直接讀んで御覧になりますやうに!
著書『暴かれた中国の極秘戦略』で中国共産党政権による台湾乗っ取り戦略を描いた
袁紅冰氏が来日。台湾乗っ取り戦略の現況とともに、中国の対日本戦略を語ります。
尖閣諸島沖の衝突事件以来の日中関係の背後にあるものとは何か、そして中国はいっ
たい何を狙っているのか? 中国共産党政権内など中国内に余人をもって替えられない
情報網をもつ袁紅冰氏ならではの講演が聴けることでしょう。
■日 時: 2010年10月28日(木) 18:30~21:00(18:00開場) 定員70名
■会 場: 文京シビックセンター 区民会議室 5階会議室C
■使用言語:中国語(通訳有)
■主催: まどか出版
■お問い合わせ・お申込み
mail予約 adm@madokabooks.com [件名 袁紅冰講演会 お名前 ○○○]
電話予約 TEL:03-5814-9292 まどか出版 イベント係まで
■参加費: 500円
[講演者略歴]
袁紅冰(えん・こうひょう/Yuan Hongbing)
中国の著名な亡命作家。自由主義の法学者。詩人で哲学者。民主政治活動家。「中国自
由文化運動」発起人。ウェブサイト『自由の聖火』総編集長。現在、オーストラリア在住。
1952年、内モンゴル高原に生まれ、中国共産党によるモンゴル人への大迫害のなか少年期
を過ごす。86年、北京大院を修了、同大の教職に就く。89年、六・四民主化運動では「北京大
学教師後援団」を組織。94年「中国労働者権益保障同盟」組織したことから秘密裏に逮捕さ
れ、同年末、貴州に追放される。
2004年、三十有余年をかけて秘密裏に書き上げた『自由は落日のなかに』など四部の原稿を
出版するため、オーストラリアに亡命。06年、「中国自由文化運動」を発起した。
主要な文学の著作に『自由は落日のなかに』『黄金の聖なる山』『荒涼に回帰する』『文化と運
命』など。ほかに哲学や法学、政治学の著作もある。
[講演者の日本での著書]
『暴かれた中国の極秘戦略――2012年台湾乗っ取り、そして日本は…?』(まどか出版刊)
尖閣諸島沖漁船追突事件後、互いに譲らぬ日中外交と先行き不透明な日中経済。
今最も注目されている華人が緊急来日し、中国のグローバル拡張や真の対日戦略、そして、中国・アジア関連のビジネスに携わるビジネスパーソンは必ず把握しておくべき今後の中国の政局について語ります。
■講演者プロフィール
袁紅冰(えん・こうひょう:Yuan Hongbing)
北京大学修了後、同大の教職に就く、89年、六・四民主化運動時に「北京大学教師後援団」を組織し民主化運動を支持、94年「中国労働者権益保障同盟」を組織したことから貴州へ追放される。貴州師範大学法学院長時の2004年、オーストラリアに政治亡命する。現在は作家、法学者、哲学者、民主活動家と多彩。
主たる著書:『自由在落日中』『金色的聖山』『回帰荒涼』『文殤』など、他に法学、政治学などの著書多数。
■日時
10月31日(日) 講演時間14時~16時 【中国語で講演、日本通訳付】
■会場
東京都渋谷区道玄坂2-6-17 渋東シネタワー13階
■交通
JR・東急・京王井の頭線・東京メトロ各線「渋谷駅」徒歩2分
東京メトロ・東急田園都市線渋谷駅地下コンコース2番出口直結
■入場料
2,000円
■主催
ワールドビジネスマーケティング協会 http://my7.jp/