陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

恥を忘れた日本の経営者

2012-01-17 01:38:25 | 財政・経済問題
 オリンパスの東証一部上場は、なお継続しているが、不正経理で世界を騒がせたのであるから、東証理事長は同社を上場廃止にすべきであった。それにしても、オリンパス経営陣の破廉恥振りには呆れてしまう。

 大王製紙の経営者も無様な姿を曝した。平成の御世になってバブルが弾け、不動産業や金融業におかしな経営者達がいたことが露呈したが、製造業では余り目立たなかった。それでも、株式の時価発行で荒稼ぎ(エクイティ・ファイナンス)を行っていた企業もあり、それらは軒並み後処理で苦労をしている。

 多くの従業員を抱え、株式を公開している大企業は、社会的責任が問われる。大企業経営者は、それを強く意識すべきである。自らの経営判断に過誤があり、財務がおかしくなったなら、潔く責任を取って身を引くべきであろう。

 武家政治では、指導者は廉恥を重んじ、それは明治・大正の時代まで続いていた。昭和の御世、特に昭和10年以降になって、指導者の資質が低下し、廉恥心が失われた。ミッドウェー海戦で敗北した山本五十六連合艦隊司令長官が、空母4隻を失った責任を取らず、これを隠してその職務に留まったことは、武士道を忘れた廉恥心の欠落としか言いようが無い。

 敗戦を経ても、指導者達の廉恥心は劣化したままで、上記のように平成の御世になってからは、それが顕著になったと感じる。

 福島第一原発に事故でも、東京電力の経営者は責任の取り方が情けない位に無残である。あれだけの災害を招いたのであるから、現場責任者を除いて経営者は潔く早期に総退陣すべきであった。ここにも、廉恥心の欠落が見られる。

 オリンパス問題について、外国人から興味深い指摘がなされている。


「菊と刀」からオリンパス問題を考える-W・ペセック

1月13日(ブルームバーグ):オリンパスの株主は愚かなのか外国人嫌いなのか、それともその両方なのだろうか。同社の最高経営責任者(CEO)から内部告発者に転じたマイケル・ウッドフォード氏にはっきりと「ノー」を突き付けたことで、こうした疑問が出てくるのは極めてもっともなことだ。

英国人のウッドフォード氏(51)は昨年10月、企業買収での異常な会計処理を疑問視したことでCEOを解任されたが、今やこの問題は巨額の損失隠しをめぐる捜査の焦点となっている。ヒーローとしてたたえられてもいい同氏だが、ここ日本ではいまだに外国人CEOは極めてまれで、CEOの解任理由は日本文化に無理解というあいまいな理由だった。

メディアを通じ自身の主張を訴えたウッドフォード氏は、オリンパスのCEOに復帰し、同社の信頼性の回復に貢献しようと手を上げていた。だが先週、今春開催予定の臨時株主総会での委任状争奪戦を断念すると表明。大株主である国内機関投資家の支援を得られなかったためだ。

一体全体、オリンパスの株主は何を考えているのだろうか。勇気を振り絞りCEOとしてオリンパスが生き残るために必要な透明性を示したウッドフォード氏ではなく、「日本株式会社」において最も恥ずべきスキャンダルの一つに関与した会社側につくというのだ。何とも奇妙なことではないか。

それを説明するのは、恥そのものかもしれない。終戦間もない1946年、米国の文化人類学者のルース・ベネディクトは著書「菊と刀」で、「恥の文化」を分析し日本人論を展開した。政治の世界でも企業社会でも、失敗は恥につながり、日本人がどんな犠牲を払ってでも避けたいことだというのだ。

原発危機

日本に起業家精神が育たないこともこれで説明できる。日本の大企業はさまざまな技術革新を成し遂げ、長期にわたり特許技術における世界のリーダーとしての自負を感じている。だが日本においては米アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏のように数人の若者がガレージにノートパソコンを持ち込みながら、世界を変えるような企業を起こすという夢や野望を抱くということは一般的ではない。失敗への恐れが強いのだ。

オリンパス問題の核心は、強欲さでも損失を隠した旧経営陣の取り巻きを守ることでもない。恥をかくことへの恐れだ。オリンパスの旧経営陣は財テクの失敗を白状するよりも、刑務所に入ったり92年の歴史を持つ同社をぶち壊すリスクを冒すことを選ぶのだ。幹部が安全基準違反を数年にわたり隠していた東京電力の原子力発電所で、放射能漏れの危機が起きたことを考えてみてほしい。

恥の経済学は精神分析に任せよう。だがオリンパスのケースでは、恥の文化が分析すべき大きな背景であることは明らかだ。(ウィリアム・ペセック)
(ウィリアム・ペセック氏はブルームバーグ・ニュースのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です)
原題:Economics of Shame Undermines Japan Inc.: The Ticker(抜粋)
更新日時: 2012/01/13 13:59 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LXPPD00YHQ0X01.html


 ベネディクト女史は、日本を訪問することは一度も無かったが、克明に日本人の生き方を調査し、「菊と刀」を書き上げた。観賞用の菊(皇室の御紋章でもある)を丁寧に育てる繊細さが日本人にある一方、恥をかくことを最も恐れ、恥をそそぐためには刀で争ったり、場合によっては切腹して責任を取る潔さがあると指摘、これを<恥の文化>と唱えた。それは、確かに日本人の行動様式を言い当てた面がある。

 ベセック氏は、日本人経営者が「恥をかくので隠す」と捉えているようだが、私はそれに加えて、経営者達の恥の意識が稀薄になったと見る。

 再び、ミッドウェー海戦の敗北についてだが、負けたのは恥ずかしい、面子が保てないと云って、海軍首脳は終戦までこれを隠し通した。空母4隻を沈められ、逸材・山口多聞少将を始め多数の優秀な軍人を戦死させた責任を取り、山本長官は廉恥心から自裁したとしよう。海軍首脳はそれを公表せざるを得ず、最早海戦不可能の判断がなされ、和議を模索する気運がその時に生まれたかも知れない。

 企業経営者について批判したが、昨今の政治屋は二重三重に恥をかいても平然としている。こちらは、廉恥心涵養の前に、道徳全般を学び直すことが必要だろう。
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2 コメント

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死ぬのが遅かった (死ぬ時期は適切に)
2012-01-17 03:58:49
ラバウルで戦死は遅いですよね。
ミッドウェー敗戦の直後にしないとですよね。
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self-will (noga)
2012-02-10 01:40:56
自由とは、意思の自由のことである。
恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由は、どこの国でも認められない。

意思がなければ自由もない。
だから、不自由を常と思えば不足なしである。

日本人には、意思がなくて恣意 (本音) がある。
恣意を規則 (建前) の枠内で自由に伸ばすことをもくろんでいる。
この生き方が、日本人を世俗にまみれたいやしい姿にして見せている。

日本語には未来時制がないので、理想はない。
現在時制 (現実構文) の中で語る理想は、空想になる。
だから、考えから現 (うつつ) を抜かすことはできない。
日本人には真の意味での賢さがない。

現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
日本人には模倣力はあるが、創造力がない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812




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