陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

東日本大震災から3年経過

2014-03-12 23:17:35 | Weblog
 昨日は、東日本大震災が発生して3年目であり、各地で犠牲者に対する慰霊の式典がしめやかに行われた。私は、先週末から風邪を引いて寝込んでいたが、午後2時46分、ベッドで体を起こし犠牲者へ黙祷を捧げた。

 今なお、2600人もの方々が行方不明であり、身元不明の遺骨も数多いと聞く。改めて凄まじい大災害であったと思うのである。

 2012年6月、私はJRを利用して3泊4日の慰霊の旅に出た。宮古市街の被災の姿もさることながら、田老の破壊された巨大防潮堤を目の当たりにして気持ちが沈んだ。釜石市街も、80万トンの瓦礫が大量に残っていた。

 石巻市大川小学校の廃墟を訪れ、80人の学童が津波に呑み込まれた状況を思い起こしながら献花した。女川港はかなり後片付けが進んでいたが、石巻市街の惨状を見て心が傷んだ。かつて家並みのあった場所は広い原っぱになり、家の基礎部分だけが残っている。数千人の人々がここで命を落としたのだ。小山のように積み上げられた自動車の残骸には唖然とした。

 今日、NHKの「クローズアップ現代」で石巻市の仮設住宅に住む被災者の方々の現状を伝えていた。被災者対象の集合住宅建設は遅れており、住民は経済的にも苦労されているようだ。幼児・児童を抱える家庭では、子供達のストレスもかなり溜まっている。家屋再建は経済的な問題もあるが、石巻市は海岸沿いで数10cmの地盤低下を起こしているので、土地のかさ上げ工事と区画整理調整の問題も住宅建設に影を落としている。

 3年経過しても、復旧は遅々として進まない。私は鉄道軌道の復旧(仙石線、山田線など)をもっと集中的に進めるべきと思う。通勤・通学の問題解消もあるが、復旧資材の大量輸送が可能になるからだ。

 街作りを進める時は、電線地中化を考慮して欲しい。美観向上もあるけれども、電線地中化は自然災害に強いのである。

 被災地の皆さん、色々大変と思いますが、頑張って故郷の再建と復興に、なおご奮発下さい。私達は、被災地を忘れることはありません。
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