陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

敗戦直後の靖國神社

2006-08-12 13:29:54 | 靖國関連
 占領軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、占領目的の一つとして、日本国民の宗教感を変えようとした。フィリピンで屈辱の退却を余儀無くされ、「カミカゼ」攻撃の凄まじさを知っていたマッカーサーにしてみれば、あの強烈な日本軍の戦闘精神を叩き潰さねばならない、そのためには、天皇を頂点とする国家神道を破壊する必要があると考えたのだ。

 部下達に色々と調べさせる内、日本人の神道は多神教だから様々なヴァリエーションを持ち、民族文化と融合している事、あるいは地域の精神的支柱になっている事などを知る。どうやら神社は全てが天皇中心の国家神道によるものでは無いらしいとマッカーサーは理解した。

 日本の神社の総元締である伊勢神宮には、占領が始まっても天皇は勿論、首相や大臣が繰り返し訪れている。それらを見ていると、彼らは復讐を誓う訳では無く、民の安寧を願い、決まりごとを報告しているだけと知った。それは占領政策に何ら悪影響を及ぼさない。そこで、神社を総べて宗教法人とし、その維持に国費を関与させないようにした。それと、多少GHQ指令に反しても、目を瞑る事にしたのだ。つまり、「触らぬ神に祟り無し」の実行である。

 しかし、靖国神社に関してはGHQ内部でも意見が分かれた。あれは、破壊し焼いてしまえと言う極端な意見が強くなった。一応の結論を得た上で、マッカーサーは宗教関係のアドバイザーであるブルーノ・ビッテル神父(ドイツ人)に意見を求めた。当時、ビッテル神父は駐日ローマ法王代表、バチカン公使代理であって、カソリックの日本代表と言うべき存在である。彼は、同僚達と相談し、次のように答えた。

 「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。無名戦士の墓を想起すれば、自然に理解できるはずである。

 もし、靖國神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残ることであろう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。はっきり言って、靖國神社の焼却、廃止は米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。

 靖國神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根元であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖國神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道、仏教、キリスト教、ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖國神社にその霊を祀られるようにすることを、進言するものである」
(「マッカーサーの涙」より)

靖國神社を護ったキリスト者

 マッカーサーは、優れた武人であると共に、敬虔な聖公会教徒(アングリカン)である。ビッテル神父の言わんとする事を直ちに悟り、靖國神社を宗教法人として残す事に決めた。全国51ケ所の護国神社も右へ倣えとした。

 当時のマッカーサーは、日本においては超法規的存在である。だから何でもやれた。靖國へ目を瞑る事など、彼が納得しさえすれば簡単に出来た。それどころか、「ポツダム宣言」よりも踏み込んで占領政策を行い、「ハーグ陸戦規定」を乗り越えて憲法改正にまで干渉した。60年を経過した今も、その後遺症に我が国は悩んでいる。




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