陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

<絆>は建前だったのか

2012-03-06 16:20:47 | Weblog
 もう直ぐ3月11日が訪れる。あの凄まじい東日本大震災から、早くも1年を経過しようとしているのだ。死者と行方不明者を併せ、約2万人の同胞が犠牲になった。被害総額は、20兆円とも30兆円とも言われる。

 岩手、宮城、福島各県の被災者は、住む家を失い、勤務先が消失し、茫然と佇んだ。暦の上では春であっても、この時期東北地域は残雪が多く、飢えと寒さで多くの人々が塗炭の苦しみを味わった。しかし、食料を奪い合う暴動も起きず、被災者は地域の人々による暖かい炊き出しや緊急食糧配給を規律を保って受けていた。世界は、その健気な姿に驚き、同時に賞賛した。

 震災が起きた直後に、警察、消防の担当者は自らの命を犠牲にして、人々の避難誘導を行った。その後、文字通り不眠不休で彼らは被災者の救援に尽力したのである。避難者の誘導で、殉職した多くの警官の姿は、今も生々しく伝えられている。また、自衛隊は救援活動に加えて、遺体収容、緊急輸送路の確保を急いだ。海保職員も、遺体収容に全力を尽くしていた。それは、職務意識よりも、同胞への熱い思いやりに溢れた行動であった。

 米軍は、日本政府の判断とは別に、陸、海、空軍を動員する「トモダチ作戦」を展開した。こうした組織的な緊急援助活動は約1ヶ月続いたが、今振り返っても、避難誘導と救援行動に身を挺して活躍して下さった人々には、改めて頭が下がる。

 国内からは、義捐金、食料、衣類などが被災地に続々と届けられた。国外からも多額の義捐金が寄せられたが、特に台湾の人々から届いた金額は途轍もなく大きく、同国の人々が我国に抱く思いの深さをつくづくと感じさせられた。

 若い人々を中心としたボランティアも、続々と被災地に入り、瓦礫除去や日常生活復旧に協力した。芸能人やスポーツ選手たちは、身銭を切って被災地で炊き出しを行い、様々に交流して被災者の心を癒す活動を行った。

 こうした中で、同胞に対する<絆>意識が俄かに盛り上がった。苦難を分かち合う日本人としての意識が、自然と甦ったように思えた。

 震災と同時に起きた東電・福島第一原発のメルトダウン事故は、政府の対応のもたつき、東電の緊急時対処手段の欠落と情報隠蔽などから、福島県東部地域(浜通り)の人々へ多大の負担を掛けたし、その後遺症は現在もなお続いている。

 しかしながら、放射能となると、<絆>は別問題と考える日本人が多いようである。京都・大文字焼き問題、愛知・日進市の花火問題など、科学的根拠を忘れて放射能へ過剰反応する人たちがおり、客観的な判断を無視してまで自治体を突き上げ、大きな話題を呼んだ。最近では、放射能汚染とは関係の無い青森県の雪を運び、沖縄の子供たちに楽しんでもらう企画さえも中止に追い込んでいる。

 昨今、大きな問題になっているのは、被災地の瓦礫処理である。被災の大きい3県の瓦礫量は

 岩手県   435万トン
 宮城県  1800万トン(石巻市だけで、620万トン)
 福島県   438万トン

 福島県に関しては、政府の方針で同県内処理を行う。宮城県と岩手県の自治体による処理能力には限界があるので、復旧・復興を加速するためには県外の協力を得て、瓦礫を焼却処分しなければ手の付けようが無い状況。

 だが、現在まで東京都、山形県、青森県、埼玉県(さいたま市を除く)そして静岡県島田市が引き受けを表明しているのみであり、他の自治体では住民の反対が激しく、引き受け交渉は遅々として進まない。

 瓦礫処分を依頼するに際しては、搬入前の瓦礫放射線量測定を行い、焼却後の灰についても線量データを取ることに決めている。こうした科学的データが微量の放射線量を示しているにも拘らず、思い込みの激しい住民たちは納得しないのである。

 国土の狭い日本、困っている時はお互い様で、出来るだけ助け合う行為が何故生まれないのだろう。「我が身と家族さえ良ければ、後は知らないよ」と言うのでは、<>尊重は建前かと疑ってしまう。

 人々の持つ不安を利用して、尤もらしい言説を振り撒く中、低線量放射能でも危険だと言いまくり、風評被害や人権侵害を招いているケースが目立つ。私たちは、もっと冷静になり、放射能問題に関してホルミシス効果の内容をしっかりと把握する必要があるのではないか。

 <>を声高に言いながら、一方では瓦礫を受け入れませんと言う大衆意見の中に、個人重視の行き過ぎ、そして公概念の軽視を教え込んだ戦後民主主義教育の成果が、ここにも如実に現れていると断ぜざるを得ない。
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