Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

街灯

2013年11月08日 | Weblog

 

少し前に気が付いたのだけれど、町内の街灯が急に明るくなった。それも住宅
地のみならず田圃の農道の街灯まで全部である。

今の季節、朝4時はまだ真っ暗。これまでは切れかかったり、古くなってお化け
電球みたいに薄ぼんやりしていた蛍光灯に取って代わって、強力なLEDタイプ
に変えたらしい。人口の少ない貧乏な町なのに、なかなかやるわい・・・^^!

Edの住んでいる住宅地は400戸余りの小規模団地だから、800mほど離れ
た駅まで行かなければ商店はない。夜は街灯の明かりだけが頼りだから、女
性は夜道が怖いかもしれない。これで少しは改善されるだろう。

闇を怖がるのは女性ばかりではない。以前、真っ暗な早朝田圃道をウォーキ
ングしていて、前方の草叢からヌッと人間らしき頭が現れた時は、吃驚して思
わず足が止まった。そのときも街灯は近くになくて遠くにポツンとお化け電球
が見えるくらいで、星明りだけだった。

目を凝らしてよく見たら小柄なお婆さんで、杖をつきながら草叢から立ち上が
ってノロノロこちらに向かって歩いてきた。若しかして痴呆の老婆の徘徊だった
のかもしれないと思うと、少し可笑しくかったけれど、最初は本当にギョとした。

町は新しい街灯の設置にお金が掛かったかもしれないけれど、住民の安全
のためには有効な投資である。LEDは長寿命且つ電力消費が少ないから、
すぐ元は取れると思うな・・・^^!

                  


儚い命

2013年11月08日 | Weblog

 

子猫のトラが死んでしまった。ノラ猫ミーが子猫2匹を連れてきて、ようやく我が
家に居付き始めた矢先のことだった。


一昨日のこと、帰宅したらカミサンがイの一番で教えてくれた。昼間家の目の前
の道路で車に轢かれてしまったらしい。そろそろ2匹とも”飼い猫”にしてしまお
うと思っていたのに、可哀そうなことをしてしまった。

生まれて3ヶ月くらいのものだろう、2匹で部屋中駆け回り、じゃれて遊んでい
たのに親子2匹だけになってしまった。昨日の晩は2匹で寄り添っていたけれ
ど、心なしか寂しげだった。

                                    

カミサンは、そういう訳で昨日から屋外に出さないと決め、ガラス戸は締めた
ままにしてある。親猫は表に出たがって、鳴きながらあちこち出口を探し回っ
ている。

「昼間は出してあげたら?」というと、
「どうせまた道路を横切って歩き回るから危険だよ!」と譲らない。
確かに、特に子猫のほうは危険だろう。

カミサンは飼い猫にするため、昨日早速トイレ砂も買ってきて部屋の隅に置い
た。庭に落ちていた子猫の糞を入れておいたら、トイレの使い方は直ぐ憶えた
ようである。なかなか賢い。

ノラの習性は簡単に抜けるわけはなく、抱こうとすれば親猫は鋭い猫パンチ
を繰り出すし、子猫は素早く逃げ回って、「フ~ッ!」と一丁前に威嚇してみせ
るのだ。

少なくとも一月くらいは家の中だけに留めておかなければ・・・と、猫をよく知
っているカミサンの友達は云うらしい。閉じ込めて2日目の朝、すでに親猫の
方はややイラついている様子で、この先ホントに大丈夫だろうか・・・と、我が
家の”家猫化大作戦”はチョッと心配である。

 


苦情処理

2013年11月06日 | Weblog

                

どんな商売であれ、お客から苦情があれば応対には細心の注意が必用である。
うっかり機嫌を損ねるような云い方や態度を見せれば事態はますます悪くなって
しまう。

しかし客先に非がある場合には、”ご無理ご尤も!”で泣き寝入りはしたくない。
そういう場合でも、相手を無闇に刺激するような言い回しをしたり、単刀直入に
相手の非を指摘したらケンカになってしまう。穏やかに、しかしキッチリと相手に
説明し、納得して貰わなくてはならない。

Edの仕事上の顧客というのは大型車両メーカーである。数日前納入した製品
の木製パレットが破損していた、という苦情が来た。写真が添付してあって確か
にパレットの床面部材が折れている。

客先の言い分は「パレットの部材が古びて腐食していたから輸送中に破損した。
当方の取扱いの不備ではない」というものだった。

写真を良く見るとT/M(重量物)の前後を支えている9cm角の太い木のブロック
2個のうち後のブロック真下で厚さ4cm・幅9cmの床材が4本とも折れている。
未だかかつてこんな壊れ方をしたことはないし、第一このパレットは海外工場か
ら製品(T/M)を日本へ送って来たとき使われていた、そのものであり、強度に
問題があるはずがない。

更にいえば、木材が古びて腐食云々は単なる言いがかりで、ここで出荷梱包
の際傷んだパレットは修理するか廃棄処分しているので、彼らの主張は当た
らない。恐らくフォークで降ろす際地面にドスン!と落とすようにパレットを接地
させてしまい、落下加速度で過大な重量(力)が加わったに違いない。

さて、しかし壊れたパレットは廃棄されてしまったらしく、返却できないという。
現物が残っていれば双方で確かめて話し合いができるのだけれど、推定だけ
でこちらの主張を述べれば相手は必ず反発してくる。

ここは大人しく引き下がっておいた方が得策と判断、もしまた同様の破損が生
じたら連絡してもらい現物を双方で確認する、ということで決着した。

大メーカーは常に我々部品業者を上から目線でみているから、滅多なことでは
自分たちの非は認めたがらない、といことを我々はこれまで数多く学んできた。
実害がなければ、徒(いたずら)な摩擦は避けるに限る。^^!

                   


ターナー展

2013年11月05日 | Weblog

 

4日(文化の日の振替休日)は、上野の都美術館で開催中のターナー展に出掛
けた。午前中なかなか小雨が止まないので、出足が鈍り上野に着いたのが12
時20分、ようやく雨は上がっていた。

会場入口に”ただ今大変混み合っています”の注意書きがあったけれど、チケッ
ト売り場は空いていて、難なく2枚購入。勿論身分証明を提示して65才以上1千
円の割引チケットである。中に入ると、確かに混んではいるけれど、見られない
ほど酷くはない。

英国最高の巨匠と云われるJMWターナーの作品は20,000点が国に寄贈され
その殆どはテート美術館が所蔵しているらしい。ロンドンには何度か行ったことが
あるけれど、テート美術館を訪ねたことがなかったので、風景画の巨匠と云われ
るターナーの作品を是非見たいと思っていた。

スケッチ、水彩、油彩の挿絵から大作まで年代を追って110点余りが展示されて
いた。2時間半ほどかけて一通り観てきたが、いつもこういうイベントで感じること
は、前宣伝の割には見応えがない。多分展示作品の数が少ないせいだと思うけ
れど、やはりテート美術館まで行かないとダメなのだろう・・・

展示作品そのものは勿論素晴らしかった。特に柔らかでコントラストを抑えた色使
いの水彩画は春霞の中に浮かぶ景色みたいで、空気を感じさせるし、油彩の海
や雲の動的な躍動感にも強く引き込まれる。

目が悪くなってしまったので観終わったら結構疲れた。二階のレストランで軽い
食事をしながら
一休み。4時の電車が来るまで上野駅構内の店を散策して、5時
半に帰宅した。まあまあ良い一日だった。^^!

 


TGF

2013年11月02日 | Weblog

                  

大昔、Edが40才前後(1980年~)の頃「花金」という言葉が流行っていた。
外資系ではThanks goodness for Friday(略してTGF)とかいって金曜日
の夕方は、皆で呑みに繰り出した。

尤も、呑み助のEdは金曜日といわず殆ど毎晩、誰かと呑んで帰っていたから、
TGFは深酒の日の代名詞だったかも・・・^^!

                                   

翌日から3連休を控えた昨日(11月1日・金)はEdにとっては正しく花金で、
何となく開放された(・・・といっても、もう仕事で絞られているわけではない)気
分でYKさんの待つ”赤坂やげん亭”へ向かった。

約束の時間5分前に着いたら、外のベンチでYKさんが待っていた。彼は一月
前に慢性硬膜下出血とかで入院し、手術して一週間で全快退院するという幸
運に恵まれた。言語を含めて身体の後遺症は全くなく、本当によかった。

やげん亭は元々とんかつがメインの店だったのだけれど、今は魚の刺身を
含めて一通り何でもある。我々は二人とも生ものより揚げ物が好きなので、
カキフライ、ジャーマン・ポテト、ロースかつ、野菜サラダ、胡麻ダレ豆腐、ピ
リ辛こんにゃくなどを注文。最初はビール、あとはワインにしたけれど、彼は
病み上がりだし元々あまり呑まないほうだから、ワインもグラス一杯だけ。

それにしても”健康的”な飲み会になったものだ。ビール一杯とグラス・ワイン
2杯でお終りだなんて・・・昔の自分が信じられない。^^!

昔話に花が咲いて、あっという間に2時間が過ぎた。お腹も一杯になったの
でお開きとする。店を出て直ぐ下が地下鉄の駅だから、帰りは都合が良い。
千代田線でまっすぐ我孫子まで行ける。転寝に気をつけながら、10時40分
我孫子に着いたら成田行きは30分待ち!・・・ぎぇ~!!

これだからローカル線は困る。ま、良い空気とのトレード・オフだと思って、諦
めましょう・・・(笑)

楽しい飲み会でした。

                   


親しくなったキッカケ・・・

2013年11月01日 | Weblog

 

前の勤め先GMで知り合った親友YKさんとは、知り合って以来もう34年にもなる。
彼とはお互い忘れた頃、どちらからともなく「一杯やるか!」と声が掛かって、それ
でも3ヶ月とは間をおかずに逢っている。

入社当時、彼は既に技術部のベテランで、新型審査(Homologation)の専門家
だった。サービス部に配属されたド素人のEdと違って、ディーラーの技術担当者
からも頼りにされる存在だったから、最初は近寄り難い感じがしていた。

その彼と急速に親しくなったのは、GMをリストラされる一年ほど前からで、Edが
技術部の手伝いをするようになってからである。その年、新型審査の手伝いで
一緒にアリゾナ州メサにあるGMのProving Ground(テストコース)へ行った。

彼は毎年2回は行かなければならない場所だけれど、Edにとっては初めてだっ
たから見るもの聞くもの全て目新しかった。^^!なにしろ砂漠の中にある広大な
テストコースだから、毎日ホテルとPGの間を車で往復するだけの単調な日が続
く。手伝いと云っても簡単な書類整理、写真の手配、運輸省の審査官の休日の
世話くらいのもので、大した仕事はなかった。^^!

彼は審査の段取り、審査書類の作成、運輸省やディーラーとの折衝など取り纏
め役だったから、慣れているとはいえ忙しそうだった。それでも夜は、PGで働い
ていた日系人のオバサンとも親しかったから、時々夕食に一緒に誘ってもらった
りして米国滞在を楽しんでいた。

当時のGMは世界一を標榜する自動車会社だったから、気位も高く従業員の待
遇も破格だった。我々のような平社員でさえ Ocean Fright 
はファースト・ク
ラスである。仕事でアメリカには計5回ほど行ったけれど、後にも先ににもファー
スト・
クラスを使ったのはGMの時だけである。

彼が機内で「Edさん、コックピットの中見せてもらおうか?」という。「エッ!そん
なことできるの?」と云うと彼は「大丈夫!」と請け負った。彼がスチュワーデス
のお姉さんに小声で頼むと、少し待たされてから「どうぞ!」とパイロット・キャビ
ンへ案内してくれた。

凡そ30分くらい、パイロットとコーパイ(副操縦士)の4人で色々飛行機の話をし
て過ごした。高高度を巡航中はパイロットは殆どすることが無くて、外を見てい
るだけで退屈らしい。Edにとってはパイロットは憧れの職業だったから、実際の
操縦という仕事を見せてもらって、少し複雑な気持ちになったことを憶えている。

帰りには休暇を2日貰って、二人でSFで”途中降機”してバス・ツアーでイエロー
・ストーン公園へ行ったり、街中を散策したりした。有名なフィッシャーマンズ・ワ
ーフへ行ったのも、確かこの時である。


この時以来彼とは親しく付き合うようになり、家族ぐるみで会ったりもしたから、
互いのカミサン同士も仲がよい。

                                      

もう一人仲の良いGM時代の友人TIがいるのだけれど、彼は今脳梗塞の後遺
症でリハビリ中のため、残念ながら今日のYKさんとの飲み会には来られない。