Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

親しくなったキッカケ・・・

2013年11月01日 | Weblog

 

前の勤め先GMで知り合った親友YKさんとは、知り合って以来もう34年にもなる。
彼とはお互い忘れた頃、どちらからともなく「一杯やるか!」と声が掛かって、それ
でも3ヶ月とは間をおかずに逢っている。

入社当時、彼は既に技術部のベテランで、新型審査(Homologation)の専門家
だった。サービス部に配属されたド素人のEdと違って、ディーラーの技術担当者
からも頼りにされる存在だったから、最初は近寄り難い感じがしていた。

その彼と急速に親しくなったのは、GMをリストラされる一年ほど前からで、Edが
技術部の手伝いをするようになってからである。その年、新型審査の手伝いで
一緒にアリゾナ州メサにあるGMのProving Ground(テストコース)へ行った。

彼は毎年2回は行かなければならない場所だけれど、Edにとっては初めてだっ
たから見るもの聞くもの全て目新しかった。^^!なにしろ砂漠の中にある広大な
テストコースだから、毎日ホテルとPGの間を車で往復するだけの単調な日が続
く。手伝いと云っても簡単な書類整理、写真の手配、運輸省の審査官の休日の
世話くらいのもので、大した仕事はなかった。^^!

彼は審査の段取り、審査書類の作成、運輸省やディーラーとの折衝など取り纏
め役だったから、慣れているとはいえ忙しそうだった。それでも夜は、PGで働い
ていた日系人のオバサンとも親しかったから、時々夕食に一緒に誘ってもらった
りして米国滞在を楽しんでいた。

当時のGMは世界一を標榜する自動車会社だったから、気位も高く従業員の待
遇も破格だった。我々のような平社員でさえ Ocean Fright 
はファースト・ク
ラスである。仕事でアメリカには計5回ほど行ったけれど、後にも先ににもファー
スト・
クラスを使ったのはGMの時だけである。

彼が機内で「Edさん、コックピットの中見せてもらおうか?」という。「エッ!そん
なことできるの?」と云うと彼は「大丈夫!」と請け負った。彼がスチュワーデス
のお姉さんに小声で頼むと、少し待たされてから「どうぞ!」とパイロット・キャビ
ンへ案内してくれた。

凡そ30分くらい、パイロットとコーパイ(副操縦士)の4人で色々飛行機の話をし
て過ごした。高高度を巡航中はパイロットは殆どすることが無くて、外を見てい
るだけで退屈らしい。Edにとってはパイロットは憧れの職業だったから、実際の
操縦という仕事を見せてもらって、少し複雑な気持ちになったことを憶えている。

帰りには休暇を2日貰って、二人でSFで”途中降機”してバス・ツアーでイエロー
・ストーン公園へ行ったり、街中を散策したりした。有名なフィッシャーマンズ・ワ
ーフへ行ったのも、確かこの時である。


この時以来彼とは親しく付き合うようになり、家族ぐるみで会ったりもしたから、
互いのカミサン同士も仲がよい。

                                      

もう一人仲の良いGM時代の友人TIがいるのだけれど、彼は今脳梗塞の後遺
症でリハビリ中のため、残念ながら今日のYKさんとの飲み会には来られない。