Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

この先に何が

2015年02月05日 | Weblog

               

我々が日常使っている生活の手段や生きている環境といった物質面を考えれば、
この僅か100年位の間にとてつもなく進化したように思うのだけれど、こと物の考
え方や精神を考えると殆ど何も進歩していないのではないか、と思えてしまう。む
しろ物質面で貧しかった時代のほうが、人の心は豊かだったかもしれない。


宗教や思想の違い、人種の違い、国家体制の違いから、憎み、怨み、妬み、ある
いは誤解などから人間は相変わらず戦争し、殺し合いを続けている。


二千数百年前の古代中国、春秋戦国時代でも一国の支配者となれば、その富と
権力を自分の子に遺そうとし、相続をめぐって兄弟同士で殺し合いが行われてき
た。また夫々の取り巻きの家臣たちも自らの名誉、穎脱を目指して死闘を繰り広
げる。人間は己が最も優れていると認めさせるためにあらゆる手を使って相手を
蹴落とし、安心のためには相手を殺すまで戦わねば気が済まない動物らしい。


人間は一旦握った権力と地位は何が何でも手放したくなくなるとみえ、政治家や資
産家がそれにしがみつこうとする様は、持たざる我々には見苦しく悍ましいものに
映る。けれども若しかしたらそれは誰にでもある願望、潜在意識なののかもしれ
ず、だからこそ大金持ちは云うに及ばず、小金持ちまで自分の財産は少しでも増
やそうとする。経済格差が広がり続ける所以なのかもしれない。


経済の仕組みも政治の仕組みも、庶民の自由がなかった100年、200年前のそ
れと比べれば大きく進化したのかもしれない。けれども、それを行う肝心の人間の
精神まで進歩したわけではないから、今すぐ世界が根本的に変わるようなことはな
い。残念ながら戦争の無い世界とか恒久平和と云う理想は、そう簡単には実現し
ない。けれども理想は理想として高く掲げておく方が良いのだ。日本国憲法9条が
これまで果たしてきた役割は、とてつもなく大きいのである。


                                              

それにしても近頃の日本の急速な右傾化は、一体どうしたことだろうか。安倍晋三
という右翼の人間が首相になってしまったことがそもそも問題なのだが、彼を支持
している自公国会議員が多数をしめているということであり、かつてはジャーナリ
ズム精神が健全だったはずのマス・メディアまでが挙って政権批判をしなくなってし
まった。危険な足音が近付いてくるような気がする。


有権者のたった1/4の支持しか得られていない政党が、拙速に閣議決定だけで
あらゆる国の方針・政策を決めてしまう暴挙に、我々は危機感すら感じないのだろ
うか。


周りを見回すと政治には殆ど無関心で、専ら収入のこと明日の生活のことにしか
興味はないようで、自分の生活さえ安定していれば他はどうでもよい。面倒なこと
は考えたくないのか、新聞やTVでニュースは観ても唯ボーっと受け身になってい
るだけで、自分で考えて批判するとか、何か変だと疑ってみることもしない。我々
はやっぱり無知で無能なのだ。


気が付いたら、我々の自由ががんじがらめに拘束されていて、権力者の思うが儘
に働かされ、税金を絞られ、戦争に駆り出され、老後はボロキレのように死んでゆ
く・・・そんな世の中にだけはして欲しくないものである。


                                              

日本に限らず今の世界は、経済も政治も社会の仕組みも悉く行き詰まりつつある
ように見える。この先私たちは、秩序を失った混沌の世界に突入していくのではな
いか、という漠然とした怖れがEdにはある。


老い先短い年寄が今更何を・・・と笑われそうだけれど、近頃の世の中の動きを観
ていると、子や孫たちが悲惨なめに遭わないで欲しいと、願わずにはいられなくな
るのである。


                      



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