Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

M先生のこと

2013年11月28日 | Weblog

                 

もう遠いむかしのことになるけれど、高校時代の社会科の教師はM先生だった。
やや小太りで生徒の生活態度などに口うるさい厳しい先生だった。


例えば、朝礼に遅刻してきた生徒は他の皆とは一緒に並ばせず別の所へ立た
せたり、意味のないこと・・たとえば道を歩きながらトタン板の塀に傘の先端を当
ててカタカタ音をさせたり、などするんじゃないと云ったりする。敗戦後米国によっ
てもたらされた自由主義が社会に広まっていく中、戦前の躾けとか道徳を重んじ
ていた方ではないかと思う。


Edがこの先生のことを尊敬するようになったのは、しかし大分大人になってから
のことである。M先生は我々生徒に憲法の前文を暗記させ、各条文を細かく説
明しながら三権分立、戦争の放棄、天皇の位置づけ、政治の主権は国民にあ
ること等の基本をしっかり教えてくれたのである。

敗戦後、アメリカによって日本に民主主義がもたらされたとはいえ、戦後政治の
中枢に居たのは相変わらず、戦前からの保守政治家であり、彼等は表向き日本
を生まれ変わった民主国家だと標榜しながら、その実反省などは少しもしていな
かったに違いない。

その証拠に、平和憲法を持ちながら警察予備隊を発足させ、自衛隊に格上げし、
更には今、軍隊に格上げさせようと目論んでいる訳である。連合国裁判で「戦
争犯罪人」として死刑執行された
人間まで、他の戦没者と同列に靖国に祭って
いるのも、つまりは日本という国は隣国各国に多大な迷惑をかけ、自国民に
320万人もの犠牲を強いた「戦争の責任」というものを、日本人自らの手で総
括し、反省してこなかった。

敗戦という痛手を負って折角手にした「民主主義」と「自由」も、我々がそれを自
ら「勝ち取った」という意識ではなく、むしろ「米国によってもたらされた」という意
識の方がより強いのではないだろうか。だから、そのことの大切さは、物質的豊
かさばかり追い求めているうちに、何時しか空気のように感じなくなってしまい、
それらを守る手段として唯一存在する選挙権さえ行使することを怠り、政治に
ますます無関心になってしまった。

日本人はいつまで経ってもお上意識から抜け切れず、政治の主権は自分たち
にあるということを理解していない。一票の格差が違憲状態のままで選挙し、且
つ全有権者のたった4分の1しか支持していない政権与党が、やりたい放題、
ロクに審議もせず恐ろしい法案を国会で押し通しているのをみると、ああ~ぁ・・
・・・と唯嘆息するのみ。

愚民政治ここに極まれりである。

                                     

そのうち日本はアメリカの言いなりに自衛隊を米国の引き起こした戦争に送り
込み、若者が国際貢献の美名のもと大勢犠牲者がでてくる。誰がそういうこと
を決めたのか・・・と確かめようにも、全ては「秘密」のベールに隠されていて、
知る術はない。勇気を持って、うっかり権力者の琴線に触れるようなことをすれ
ば、直ぐ逮捕・禁が待っている。
このままでは、いづれこの日本に「暗黒社会」が必ず到来する。

全ては、今無関心を装っている我々一人ひとりの責任である。その時が来て慌
てても、もう手遅れなのである。

                        



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