明日を信じられる時代になって欲しい。日常の活動日記

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悪いことは出来ないものだ ~石川議員のICレコーダーが検察にトドメか

2011年01月18日 09時15分21秒 | Weblog
悪いことは出来ないものだ ~石川議員のICレコーダーが検察にトドメか
(よらしむべし、知らしむべからず)より

捜査の一部始終が録音されているという。石川議員、Good Job !

全面可視化されていれば当たり前の録画録音である。

が、ここニッポンの捜査現場では逃げまわっているので、取り調べ側がやらないのなら身を守るため自分でやるほかない。

ICレコーダーの録音があったことを知ったとき、担当検事は血の気が引いたに違いない。

そして瞬時に悪夢の公判イメージが脳裏を走ったことだろう。

雰囲気と生の音声が記録されているので、供述を誘導・強要していたかどうかがはっきりする。

検察が描いてた構図が具体的にわかり、いかに石川議員をその構図に嵌めようと圧力を掛けていたかどうかもわかってくるだろう。

皆さん、ご注目くだされ。

さぁ~て、当時の特捜部長って、誰だったかな?

滋賀の地で、の~んびりできるはずだったんだが、ドンデン返しも想定しとかないと、ねっ!

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悪事といえば、いつかはバレるもの。お天道さんが見ているもの。

そしてドンデン返しが始まる。

ドンデン返しとくれば、映画「太陽がいっぱい」の衝撃のラストシーン。

太陽がいっぱい

ルネ・クレマン監督
ニーノ・ロータ作曲
アラン・ドロン主演

カネと女が絡み殺人まで起こすというストーリーで、殺した相手のサインをそっくり真似てその本人になりすまし、完全犯罪となるはずだった。

ところが、ところが、ロープでぐるぐる巻きにしてヨットから海へ投げ捨たはず、この世から消えたはずの遺体が自分のものとなったヨットのそのスクリューに巻きついていたことを知る由もなかった。

その後、そのヨットを売ることになりクレーンでヨットを海から吊り上げるときに遺体もズルズルと引き揚げられ、
最後のシーンを迎える。

どんでん返しが待っていた。



あの西村賢太が芥川賞を受賞する時代が、やっとやってきたということだろう。

2011年01月18日 09時00分26秒 | Weblog
あの西村賢太が芥川賞を受賞する時代が、やっとやってきたということだろう。
(山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』)より

西村賢太という作家がいる。中卒で、コンプレックスの塊のような、貧しく、自虐的な青年を主人公にした「私小説」を書き続けている作家である。

現代では、きわめて珍しい作家であるが、実は、西村賢太の小説のファンというか愛読者、ないしは支持者は少なくない。

僕も、デビュー当時から、「これぞ小説だ」と思ってきた。

しかし、芥川賞を受賞するまで書き続けるとは思っていなかった。

西村賢太が敬愛し、惚れ込んで、自分の力でその全集まで出したいという不遇な貧乏作家・藤澤清造のように、不遇な貧乏作家で終わるのかもしれないと思っていた。

その西村賢太が、昨日の芥川賞選考会で、見事に芥川賞を受賞することになったという。

そういう時代になったのだと言わざるを得ない。

ふと、僕は、そう言えば、西村賢太的リアリズムは、田中角栄的リアリズムに、そして小沢一郎的リアリズムに通じているなあ、と思った。

誰も行かないような田舎の山奥の寒村で、ミカン箱の上に立ち、選挙演説を開始する、という小沢一郎の「川上作戦」は、田中角栄的な政治的リアリズムを象徴しているが、こりリアリズムは、西村賢太的リアリズムに似ていなくもない、と思うからだ。

さて、西村賢太と言っても、一般的には馴染みがないかもしれないが、すでに多くの本を出し、文庫本にもなっているぐらいの作家だから、まっさらの新人というわけではない。

西村賢太の作品歴は次のとおり

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2004年、『煉瓦』第30号(同年7月)に発表した「けがれなき酒のへど」が『文學界』12月号に転載され、同誌の下半期同人雑誌優秀作に選出される。

2006年、「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川龍之介賞候補、「一夜」で第32回川端康成文学賞候補、『どうで死ぬ身の一踊り』で第19回三島由紀夫賞候補となる。

2007年、『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞受賞。

2008年、「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補。

2011年、「苦役列車」で第144回芥川賞受賞。

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■芥川賞受賞作「苦役列車」冒頭引用。

「苦役列車」西村賢太

    一
曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。

 しかし、パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿を放ったのちには、そのまま傍らの流し台で思いきりよく顔でも洗ってしまえばよいものを、彼はそこを素通りにして自室に戻ると、敷布団代わりのタオルケットの上に再び身を倒して腹這いとなる。

 そしてたて続けにハイライトをふかしつつ、さて今日は仕事にゆこうかゆくまいか、その朝もまたひとしきり、自らの胸と相談をするのであった。

 その貫多は十日ばかり前に十九歳となっていたが、未だ相も変わらず日雇いの港湾人足仕事で生計を立てていた。

 中学を出て以来、このときまで全く進歩もなく日当の五千五百円のみにすがって生きる、不様なその日暮しの生活を経(た)てていた。

 無論、貫多とて何も好きこのんでそうなっていたわけではない。根が人一倍見栄坊にできてる彼は、本来ならば自分と同年齢の者の大半がそうであるように、普通に大学生であるのを普通に誇っていたいタイプの男なのである。

当たり前の学問と教養を、ごく当たり前に身にまとっていたい男なのである。

 だが彼が大学はおろか、高校にさえ進学しなかったのも、もとより何か独自の理由や、特に思い定めた進路の為になぞ云った向上心によるものではなく、単に自業自得な生来の素行の悪さと、アルファベットも完全には覚えきらぬ、学業の成績のとびぬけた劣等ぶりがすべての因(いん)である。

そんな偏差値三十レベル以下の彼を往時受け入れる学び舎は、実際定時制のそれしか残されておらず、これは馬鹿のくせして、プライドだけは高くできてる彼にかなりの屈辱であったのである。

 加えて、すでに戸籍上では他人になっているとは云い条、実の父親がとんでもない性犯罪者であったことからの引け目と云うか、所詮、自分は何を努力し、どう歯を食いしばって人並みな人生コースを目指そうと、性犯罪者の伜だと知られれば途端にどの道だって閉ざされようとの諦めから、何もこの先四年もバカ面さげて、コツコツ夜学に通う必要もあるまいなぞ、すっかりヤケな心境にもなり、進路については本来持たれるべき担任教諭とのその手の話し合いも一切行なわず、また教諭の方でも平生よほど彼のことが憎かったとみえ、さわらぬ神に祟りなしと云った態度で全く接触を試みぬまま、見事に卒業式までやり過ごしてくれていたから、畢竟、彼に卒業後のその就職先の当てなぞ云うのはまるでない状況だった。

 その当時、貫多は母親の克子から、十万円の現金を強奪するようにしてむしり取ると、その金で鶯谷に三畳間の部屋を借り、ひとまずそこを根城として働く先を探しだしたが、十五歳と云う満年齢では中学校側からの口利きがなければ土方の見習いどころか、新聞配達員にすらなれない現実を、この段になって初めて知るに至ったのである。

 はな貫多は、宿から歩いても行ける、最も近場の繁華街として上野にゆき、アメ横や中央通りなぞの商店の軒先をひとつひとつ見て廻り、そこに求人の札がないかどうかを調べたりしたものである。

そしてたまさかアルバイト募集の貼り紙がしてあるのに喜びいさんで飛び込んでみれば、それは十八歳以上を対象とした求人であり、かつ高卒、普通免許も必須条件との、てんから彼なぞ受け付けぬ類のものばかりであった。

それでも中に一軒、かような貼り紙をしていたカレー屋で、彼を奥の事務室みたいな部屋へと招じ入れてくれたところもあったものの、履歴書すら持参せぬ全くの世間知らずの彼は、僅か数分で苦笑いに送られて外に押し出される始末だった。

 どうにも初手からして計算違いだったわけだが、更にはそれまでは家で母親の金をちょくちょく盗み、中学生の分際で深夜にしばしば伊勢佐木町界隈なぞを徘徊して、いっぱし若きローンウルフ気取りでいたような彼も、いざひとりで生活してみると便所の紙一枚使うにも金がかかると云う道理を身をもって感ずるに至り、そのアパートを借りたあとに残った六万円程の金も、当初は一回飯を食えば確実に目減りしてゆくと云うことにすら、全く思いが及ばないような次第であった。

 そうなると、最早履歴書を握りしめ、働き場所を当てもなく足で探すなぞ云う悠長な行動をとれる展開でもなく、これには強いあせりを覚えたが、しかし人間窮すれば大したもので、どこでどう気付いたのか、それまでそんなものはまるで念頭にもなかった、売価百円の求人雑誌と云うのを彼は手にすることになり、そこには年齢不問の上に給料を日払いでくれる、“埠頭での荷物の積み下ろし”なる働き口と云うのがデカデカと掲載されていた。

 すぐさま電話をかけてみると、受話器の向こうの担当者は実にあっさりと彼を雇い入れてくれ、電話口で名前を聞いただけで、あとは履歴書提出の必要もないと言う。

汚れてもいい服と軍手、それに認め印だけ持って翌朝七時に来るようにとのことである。

 これに貫多は、募集要項には八時半から夕方五時までの作業時間とあるのに随分と早くに招集するものだと、半ば訝しがりながらもしかし背に腹はかえられぬ思いで、翌日、まだ江戸川にいた子供時代の、少年野球の日曜練習時以来となる早朝六時に何んとか目を覚ますと、薄ボンヤリした頭で山手線内のとある駅に程近い、その会社へと行ってみた。

と、かの社の入口附近には幾台もの小型のマイクロバスが停まっており、その周辺には余り上品そうにも見えない老若の男が、何やら数十人ばかりたむろしている。

 その連中の間をかいくぐるようにして、おそるおそる受付けのところまで進み名前を告げた貫多に、応対した初老のずんぐりした小男は手元に拡げてあるノートをチラリと見て、そこに書き込まれているらしい彼の姓名との符合を確認すると、いきなり、「じゃ、お前はそこの“五”と書いてあるバスだ」と指示を出し、そこで彼が、今日が初めての新顔であるのを覚ったのかどうか、「金は作業後に現場でもって渡すから、ハンコを押して貰ってくれ」なぞ付け足し、それで早くも貫多の存在は小男の眼中から消え去ってしまった様子。

 そして何かしらこの時点で逃げ出しといた方が良さそうな不安を抱きつつ、その、示されたバスと云うのに乗り込んでみれば、車内はすでに二十人程の先客がおり、座席はすべてふさがっていて、これにも一寸オドオドしていると、横合いから運転手による、「一番奥に行って、補助席を降ろして座っていろ」との命令のような指示がここでも下り、そののち更に五人ばかりも積んでから出発したバスが小一時間後に到着した先は、昭和島の羽田沖に面した冷蔵の物流倉庫の一軒であった。

 つくとすぐに着替えを命じられて作業となり、成程七時集合とはこう云う仕組みであったからかと得心したが、さて貫多が初めて体験したところのこの肉体労働は、何か冷凍のイカだかタコだかの、三十キロ程もある板状の固まりを延々木製のパレットに移すだけの、ひたすら重いばかりで変化に乏しい、実に単調な作業であった。

 夕方になって貫多は、昼に支給された弁当代の二百円を天引きしてあると云う、待ちに待った日当を受け取り、この作業内容で五千五百円と云うのは妥当な額なのかそれともひどく安いのかもよくわからなかったが、しかし、とあれ初めて自らの手で金を稼いだ感慨は、根が子供の頃からたかり、ゆすり体質にできてる彼と云えども確と湧き、帰りのマイクロバスの中では一種心地良いような疲労感を楽しむ心の余裕さえも生じているようであった。

その彼は案外生きてゆく為の労働なぞ容易いものだな、との嘗めた思いも抱き始めていたのである。

 そして、今思えばこれがいけなかったのだ。(以下略)

小沢一郎は民主主義と自由主義、普通の国を目指しているだけなのだが

2011年01月18日 07時51分39秒 | Weblog
小沢一郎は民主主義と自由主義、普通の国を目指しているだけなのだが
(世相を斬る あいば達也)より

小沢一郎を知るために、結構様々な努力をしている。

色々と事象ごとに筆者の理解の範囲を超える言動に出遭う事もあるが、それは筆者ごときには計り知れない熟慮や深謀があるのだろう、と考えている。

小沢一郎が公に、その政治理念や思想、時に個別の政策を語るのを聞いていると、我々が一般的に持っている「政治家像」とは異質なモノも感じる。

ある時は市井の道徳親父のように思えるし、“キリキリ王国”の小学校校長のようでもある。

時に偉大な哲学者のようにも思える。

それでいて、評価は別にして日本の政治シーンで最も重要な地位を占めている

(役職とかのレベルではなく)。

菅直人が首相となり、小沢本人に狂気の鉈を振り回そうと泰然自若なのである。

約束を守らないと、怒りが直ぐ顔に出て、誤解を招く(相当に損をしているが、個人的にはその方が好きだ)。

信義誠実に忠実すぎる人格は、現在のような生活主義、自己中心主義な生き方万能の世の中では、煙たい存在でもあるだろう。

楽して生きていきたい人々からみれば、嫌われ者になるのも頷ける。

しかし、彼は世間の評価に迎合することなく、自らの信念を貫き、魑魅魍魎の政治の世界で40年生き続けている。

その力の源泉は、筆者は小沢一郎が、真の原理原則主義者だと云う部分に行きつく。

このような表現をすると、原理主義者で誉れ高い岡田克也と云う人物が思い浮かばれるが、岡田の原理主義は都合で如何様にも変わってしまう、表層的原理主義だ。小沢の原理原則主義には、入り込む好き間がなさそうな原理原則の中に、縄文の心とか人情とか、人間性の矛盾を許容する自在性を加味しているところが面白く、極めて魅力的なのだ。

小沢一郎が主張している事は単純で、単純すぎるが故に難しい。

そこが彼の最大の魅力だ。

彼の日本の真の民主主義実現に向けての熱意。民主主義を補助する形で存在する法治と云う観念(故に悪法でも従う姿勢)。

普通の国となり、自由に外交・経済を展開する事。

国民一人ひとりが自主独立の精神を持ち自立すること。

自立の意欲は様々な教育を通して得られること。

国民の自主独立が自主独立国家の源泉だと常に主張していること。

個別の政策課題や外交課題においても、この理念が根底にあるので“揺らぐ”ことがない。

あるとすれば、そこに縄文の心や人間の本質的な身勝手さを若干許容して、原理原則を緩める場面だろう。

或る意味で、彼は何処に出ても、誰から聞かれても、この理念を語るのだから、追いかけ回しても、それ程の変化はない。

にも関わらず、小沢のインタビューは鮮度が保たれている。

なぜ同じことを繰り返しているにも関わらず鮮度を保っているのか?

筆者の自己分析では、筆者がそもそも単純に小沢一郎を魅力的だと思っているからと云うのがある。

次に小沢一郎には、原理原則では律し得ない、常にある人間の不条理を一定の範囲で許容する度量があるからではないかと思っている。

愚直に「お天道様が観ていらっしゃる」なんて言葉を躊躇いなく21世紀の政治家が語る部分が心を打つのだと思う。

小沢が口にしている「民主主義国家像」は至極当然なことを言っている(まるで教科書そのもの)だけなのだが、それが新鮮な言説のように聞こえる。

田原や田崎や星が言ってもマヤカシに聞こえる言葉が、小沢の口から出た瞬間に“なにやら輝いて聞こえる”不思議だ。

酷くおかしく、魔術にしてやられているのかと己を疑う事もある。

世界に影響を及ぼす政治家の一人と言われる由縁が、そのサムシングにあるのだろう。

筆者を揶揄する人々は「だから、小沢教信者なんだよ!」と笑うだろうが、それはそれで受け入れようではないか。

ただ、小沢の言葉は宗教の教えではない。

ただの民主主義の基本であり、それが政治理念だ、ここを見逃して貰っては困る。

しかし、民主主義の基本が政治理念になる?やはり日本国家は病んでいるのだ。

一昨日の特集2001番組出演において、TPPの参加検討の場面では、小沢の政治家の一面が色濃く出ていた。

自由貿易論者であるが、TPPイコール自由貿易かどうかは別だと云う部分である。

米国の世界戦略の中のTPPだと云う事を踏まえた議論が必要だ。

乗り遅れているわけではない、準備が出来ていないだけだと、真実を論破していた。

財政規律に関しても、小沢は財政再建に無関心な筈がない。細川政権時に斎藤次郎次官(当時)との国民福祉税構想をみるまでもない。

財政規律が重要なことは、与謝野の十年来、菅の数年来に比べ、小沢一郎は二十数年前から考えていたことだ。

与謝野の「蜂に刺された程度発言」のような寝とぼけた増税論者とは筋金の入り方が違う。

ただ、財政の無駄を省くと言った以上、その無駄を予算作成の仕組みも含め見直さない限り、予算が浮いてくるわけがない、と言っている。

今まで同様の霞が関ルーチンワークから、財源が生まれてくれば良いだろう、それでは財務省の役人の理屈が通ってしまう。

だから政治主導の地方への財源移譲が重要なカギを握る。

紐なしになった財源を地方に任せることが、予算の歳出を抑えられ、地方の自主独立の精神を育む。

財源の移譲により、当然予算配分を通して無駄の温床を作った霞が関改革にも繋がる。

一方で地方の自主と独立が強く問われる。

結構厳しいことを小沢一郎は言っている。個人にも、地方にも、企業にも、霞が関にも、政治家にも。

既得権益を1,2割脅かされる国民階層にとっては不快な政治家だ。

しかし、その不快を乗り越えて、自主独立をして、国益を考えるポジションに立たなければ、古臭いが「日本の戦後は終わらない」。

謂わば「無条件降伏した敗戦国」の国際的地位から脱却できないのだ。

メチャ苦労しそうだから嫌っ、と云うリアリストも多いだろう。

その選択は国民に任されている。

外交防衛に関しても、TPP同様に、米国の言うことさえ聞いていれば、「楽だから」で良いのか、と日本人が眼を覚ます事を促している。

米国の要求が理不尽だと云う話ではない。何処の国でも、独立国であれば必死に自国の国益を考えるのは当然で、米国は国益において主張しているだけである。

独立国は、政治家も官僚も緊張の連続を強いられる。

だから、国際的信頼も得られるし、主張に耳を傾けて貰えると云う、国際的常識を語っている。

まして、世界の超大国米国と交渉する事は尋常な気持では出来ないと言っているのだ。

この自国の国益を主張する事と、米国と喧嘩するとか、仲を悪くしようとか、そういう問題ではない。

但し、相当の覚悟が必要なのは事実だよ、と言っている。

だから、菅は隷米を選択した。

隷米である以上、最低限の安泰が約束されるからだ。

それを象徴するのが「最小不幸社会」の造語に繋がる。

そして、霞が関を含めた既得権益層が隷米の方が「楽だから」「得だから」と云う攻防を小沢・鳩山としている。

少々短絡的帰着だが見逃して貰おう。

小沢一郎は、我々に厳しさを要求している。

おそらく、小沢一郎の考える自立した日本の姿は、緊張の連続になるだろう。外交も防衛も経済も緊張感を要求される。

当然、その主権者である我々国民にも、厳しさを求められる。しかし、その厳しさの中からしか、本当の個人の自立、そしてその個人の共生、真の独立国は得られないと言っている。

戦後の民主主義は、米国から半ばタナボタ的に得たものである。

贈り物に満足する民主主義は、様々な国でも経験されているが、やはり何処か底が浅い。

難し挑戦だが、筆者は、そんな小沢一郎の政治的試みを応援しようと思う。

「民主党政府を担っている」と思っている諸君達に伺いたい。

2011年01月18日 07時45分40秒 | Weblog
「民主党政府を担っている」と思っている諸君達に伺いたい。
(晴れのち曇り、時々パリ)より

菅直人くん。

枝野くん。
岡田くん。

前原くん。
玄蕃くん。

安住くん。

北澤くん。
蓮舫くん。

そして、仙谷くん。

君たちに問いたい。

「君たちが、いま日本国の政府の閣僚、及び政権党役員でいられる、その原因は何か?」

権力を握ったから。。。
党内実力者だから。。。
挙党一致でまとまれたから。。。

否!

2009年8月30日、国民が「民主党を選んだ」からである。

では、国民が民主党を選んだのはなぜか。

『国民の生活が第一』という、民主党の基本方針を、「良しとした」からである。

これまで、日本国民は搾取され続けて来た。

大企業中心の経済政策。
稼げども、稼げども、一部特権階級のみが潤う、偏った社会構造。

その、特殊な社会構造を造り上げた、官僚支配体制。
その、官僚支配体制を背後で後押しをする、アメリカの一部利権集団。
その、アメリカに結ばされた、不本意な軍事同盟。
その、不本意な軍事同盟がもたらす、日本の安全保障と言う幻想に基づいた、様々な欺瞞。
その、幻想に基ずく欺瞞がもたらす経済的、社会的、摩擦と弊害。
その、幻想に基ずく欺瞞が生み出す、国家の独立放棄と、アメリカへの盲従。
その、アメリカへの盲従がもたらす、巨額の財政赤字。

歴史を見れば、人間社会には『ユートピア』は存在しない。

如何なる民族も、如何なる時代に於いても、如何なる社会においても、社会は矛盾だらけであった。

権力を握った物が、支配者となる。
支配者が、総ての特権を享受する。

支配者の周りには、蠅がたかる。

その蠅が、社会の支配層を形成する。

支配し、支配されて、人間は生を営んで来た。

しかし、その「避けられない」支配構造の中に有っても、古代帝国や、共産帝国主義国家と違い、「特権階級」と「一般大衆」との差が、天文学的な大きさで存在出来る世の中では、既に無い。

今や。
一般大衆こそが、その社会の主人公である筈だ。

一般大衆こそが、働き、稼ぎ、家族を養う課程で、豊かな文化が育まれ、豊かな経済を形づくり、豊かで成熟した社会を形成する。

その、豊かな社会を、制度的に運営する主体が、『国家』である。

そして、そのように形成された国家の『主体』は、国民つまり一般大衆である。

制度としての国家を、一時的に預かり、国民の代表としてシステムの運営にあたるのが、国民に選ばれた「代議員」たる国会議員である。

それが、代議制のもたらす『議会制民主主義』であるのだ。

菅直人くん。
およびその一味の、民主党役員、及び政府の閣僚諸君。

君たちの、今の地位は、誰が君に与えたのだ?

忘れるな。
日本国民である。

更に忘れられてては困る事。
君たちに、その地位を与えた、その総ての理由は、民主党が国民の味方である、と宣言したからである。

『国民の生活が第一』

まさに、その宣言に依って、2009年8月30日、一部特権階級の代理人であった自民党は、政権の座を追われたのだ。

それまで、国民の側に立つ事を、<現実的>に宣言した政党は無かった。
その為、なし崩し的に、「自民党的なるもの」が政治であり、それが秩序である、と思い込まされていた。

そして、『国民の生活が第一』を、高らかに宣言し、その実現の為のディテールを指し示した政党が、選挙に打って出た。

国民は、当然「希望を託して」民主党に投票したのだ。

その結果、菅直人くん、及び一味の諸君、君たちは今の立場にいる事となった。

その、民主党をして政権奪取に導いた国民の支持の基である、『国民の生活が第一』という<基本哲学>を打ち立てたのが、他ならぬ『小沢一郎』である。

君たちは、忘れている様だ。

国民の支持を、民主党へともたらしたのは、『小沢一郎』である。

菅直人くん。
一味の者共。

君たちは、「君たちの資質が今の地位を与えたのでは無い」と言う事を、肝に銘じなければならない。

小沢の政策指針と選挙戦術とが無かったら、君たちは、未だに万年野党で、管を巻いていただけの筈である。

▶一年生議員から面と向かって罵倒される菅首相。民主党の崩壊は間近?(週プレ見出し)

>1月12日、東京・永田町の憲政記念館で開かれた民主党両院議員総会。テレビカメラも入った公開の場であったにも関わらず、出席した民主党の一年生議員から菅首相への批判が噴出した。

>「私たちはマニフェストを掲げて戦ったが、書いてないことをやって、書いてあることをやっていない。これは国民をバカにした話。マニフェストの全面見直しをするなら、国民に信を問うべきだ」(斎藤やすのり衆議院議員)

>「政治主導と、なんの相談もなく唐突に物事を決めていくのは違う。消費税、TPPへの参加の検討など、少し唐突な発言がある」(舟山康江参議院議員)

>「内部紛争、小沢問題よりも、責任を持って約束を守る民主党でやってほしい」(姫井由美子参議院議員)
と、まるで菅首相が“嘘つき”とでも言わんばかりの批判が飛び交った。

一年生議員は、純粋である。
一年生議員は、一番国民の意識に近い所に居る。

彼等の声は、<国民の声>なのだ。

>総会から一夜明けた13日には民主党党大会が開かれたが、こちらも大荒れ。来賓の国民新党・亀井静香代表までもが、「いまの民主党、いいんですか!? みっともない! みっともない!」と、来賓挨拶とは思えない口調で現政権への怒りをぶつけた。

『連立相手』としての友党ならではの、苦言を呈してくれるうちは、まだ見捨てられていないと心せよ。

>だが、その後に演説を行なった菅首相は、「私はこの政権交代からの一年半、大きな意味で民主党が進めてきたことは間違っていなかったと自信を持って申し上げることができます!」と、超前向きな発言を展開。

>議案の採択の際に、「おかしいぞ!」と、森ゆうこ参議院議員ら数名の議員が立ち上がり意見を述べようとしたが、議長はそれを黙殺。

粛々と議事を進め、森議員らに発言が許可されることはなかった。「オープンな政党だったら、なぜあそこで発言を認めないんですか」と、森議員は党大会終了後、怒りに震えていた。

菅直人くん。

君は、総理の座を「天から授かった」とでも思い始めたか。
「王権神授説』を行動の根拠にする程、君は天才では無い。
ルイ14世を気取るな。

>「いまの民主党は、自民党の末期とそっくりですね。安倍さん、福田さん、麻生さんも、両院議員総会で若手に面罵された。公衆の前で面罵されると、必ず政権が崩壊しています」
そう語るのは、ジャーナリストの上杉隆氏。
【週プレNEWS/1月17日(月)20時17分配信】

菅直人くん。
その一味の、思い上がった「跳ねっ返り」ども。

君たちは、自分達が、政権を取らせて貰った、その根拠を思い出し、噛みしめなければならない。

▶「どうぞ4人でやりなさい」鳩山前首相が不満(読売見出し)

>民主党の鳩山前首相が菅首相に対する不満を募らせている。

>16日夜(日本時間16日深夜)には、訪問先のインド・ニューデリーで同行記者団と懇談し、今回の内閣改造人事が首相、枝野官房長官、岡田幹事長、仙谷由人次期代表代行の「4人組主導」と指摘されていることについて、「(首相は)挙党態勢を望むと言いながら、自分の仲間だけで決めてしまう。『どうぞ4人でやりなさい』という気持ちだ」と言い捨てた。

>特に、枝野氏起用については「(昨年の)参院選で幹事長として負けた責任は大きい。半年で責任を忘れていいのか」と批判。報道各社の世論調査で内閣支持率がやや上向いたことも、「『最強の体制』と首相が胸を張るほど、国民は期待していない」と断じた。
【読売新聞/1月17日(月)17時53分配信】

この発言は、一前総理の発言では無い。
国民の総意である。

▶民主・安住国対委長「世論厳しい」小沢氏に辞職“決断”促す(産経見出し)

>民主党の安住淳次期国会対策委員長は17日午前、産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査で、民主党の小沢一郎元代表が強制起訴された場合に議員辞職すべきだとの回答が62・2%に上ったことについて、「世論の見方は非常に厳しい。強制起訴という事態になった時点で、自身でさまざまな決断をしていただくということになると思う」と述べた。

>内閣支持率が約1カ月前の前回調査に比べ4・7ポイント増の28・3%になったことを受け、「勇気づけられる。これからの国会で実積を上げていくことに尽きる」と語った。国会内で産経新聞などの取材に答えた。
【産經新聞/1月17日(月)12時36分配信】

安住くん。
たしか君は、当年49歳であったか。

ヨーロッパでは、40代の首相など、珍しくも何ともない。
かって、ローラン・ファビウスが、ミッテラン政権下で首相に抜擢されたのは、39歳の時であった。

しかし、安住くん。
君の49歳は、幼すぎる。

幾ら、政権与党の執行部に居るからの発言とはいえ、今回の内閣改造後の支持率微増に「勇気づけられる」では、馬脚を表すも良い所だ。

ましてや、政権奪取の推進者に向かって「辞職しろ」と言い放つに有っては、身の程知らずの典型である。

君が辞職する方が、よっぽど国の為になる、とだけ言っておこう。

<「検察審査会は秘密のベールに閉ざされ、民主主義国家として非常に特異な制度だと思うんですけど制度は制度。

捜査当局による起訴とは全く異質で政治家が強制起訴になればそれも初めて。
この際、政治家も国民も考えるべき問題だ」>

安住くん。
小沢氏の、この言をどう聞く!?

君が忠義だてをする、菅直人一味は、最早国家百年の大計を過たす、『悪の四人組』と成り果てている。

政権が何時まで持つか、と言う議論以前に、この政権は「人として存在さててはならない」存在である。

<平成四人組>は、『文革四人組』に勝るとも劣らない、凶悪邪悪な<人でなし集団>であった。

読売新聞は小沢一郎元代表がフジテレビ番組で述べたTPPに関する「アメリカの国際戦略」憂慮発言を無視

2011年01月18日 07時00分02秒 | Weblog
読売新聞は小沢一郎元代表がフジテレビ番組で述べたTPPに関する「アメリカの国際戦略」憂慮発言を無視
(板垣英憲)より

◆読売新聞が1月17日付け朝刊「総合面」(2面)で「『政倫審より予算成立』小沢氏 政権公約見直し批判」と見出しをつけて、小沢一郎元代表が16日にフジテレビの番組「新報道2001}に出演して行った発言を掲載している。

だが、読売新聞は、相も変わらず、「政倫審」への出席問題しか記事にしておらず、TPP参加問題について「アメリカの国際戦略に振り回されてはいけない」と重要発言したことを一言も触れていない。

読売新聞が対米従属の報道をしている姿勢を、ここでも露呈している。

以下、記事を引用しておこう。

「民主党の小沢一郎元代表は16日、フジテレビの番組で衆院政治倫理審査会(政倫審)への出席について、「私の問題で審議がどうこうと野党は考えていない。

優先順位で言えば、予算の成立が一番大事ではないか」と述べ、出席する場合でも2011年度予算成立後とする考えを示唆した。

ただ、『早く出ることによって国会運営がスムーズに行くとかいう状況であれば、冒頭にでも出席する』とも語った。

24日の通常国会召集前の出席については、『司法の場で論議しようとしていることだから、(国会の)休会中に出席する理由はない』として、応じない考えを明言した。

また、自らが強制起訴された場合の党の対応に関し、『(強制起訴は)いわゆる捜査当局による起訴とはまったく異質だ』と述べ、党執行部にある離党勧告論をけん制した。

菅首相らが、09年衆院選の民主党政権公約(マニフェスト)見直しを表明していることに関しては、「党が『これ(マニフェスト)を変えてしまうんだ』となれば、国民にもう一度、信を問うような大きな問題だ」と批判した」

◆最近販売部数が減り気味とはいえ、読売新聞のような大新聞が、TPP参加を無条件で是認するような報道は、マスメディアのあり方として正しくない。

それも、自民党時代に対米交渉の重要場面に立ち会ってきた経験豊かな小沢一郎元代表の肝心要の発言よりも、いつまでもしつこくく、政倫審出席問題にこだわる微積分的報道が、国民生活のとってどれほどの意味があるのか、甚だ疑問である。

もちろん、小沢一郎元代表は、「こんなことを言っていいのかどうか」と控えめで「アメリカの国際戦略に振り回されてはいけない」と短いフレーズだったので、「アメリカの国際戦略」について、詳しく説明したわけではない。
 
それでも、奥深いところで、菅直人首相の思いつきから始まったようなTPP参加であるだけに、一体、米国オバマ政権が描いている国際戦略は何なのか、その背後にいて農業問題では必ず蠢く、世界最大の穀物商社である米国の「カーギル社」が、環太平洋地域でどんな国際的商業戦略を展開しようとしているのかについて憂慮している小沢一郎元代表の発言を、少なくともマスメディアの一環を担っている読売新聞は、一言触れて然るべきであった。

◆ただし、小沢一郎元代表が、菅首相らが、09年衆院選の民主党政権公約(マニフェスト)見直しを表明していることについて、「「党が『これ(マニフェスト)を変えてしまうんだ』となれば、国民にもう一度、信を問うような大きな問題だ」と批判した」と報じている点については、一応評価しておこう。

民主党が「マニフェスト選挙」で政権を争って、政権の座に就いた経緯がある以上、ここはやはり小沢一郎元代表が言うように、「衆院解散・総選挙」は、避けては通れまい。

「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」

17日(月)米国市場休場(マーティン・ルーサー・キング・デー)

2011年01月18日 06時36分21秒 | Weblog
17日(月)米国市場休場(マーティン・ルーサー・キング・デー)

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米ドル82円台後半=豪ドル82円台前半〔シドニー外為〕(18日午前8時半) 時事通信

【メルボルン時事】18日のシドニー外国為替市場の米ドル円相場は、現地時間午前8時半現在、1米ドル=82円70~80銭と、前日ロンドン市場午後4時時点(82円60~70銭)と同水準で取引されている。

海外市場では、米国市場が休場ということもあり、小動きだった。

豪ドルは、対米ドルで1豪ドル=0.9935~0.9945米ドル。

豪ドルは海外市場では、対ユーロで買い戻される動きとなり、対米ドルでも一時、0.9968米ドルまで上昇した。

対円では1豪ドル=82円20~30銭で取引されている。

ニュージーランド・ドルは、対米ドルで1NZドル=0.7720~7730米ドル、

対円では63円80~90銭。

ユーロは、対米ドルで1ユーロ=1.3290~3300米ドル、

対円では109円90銭~110円00銭。

日本、5ゴール快勝=岡崎ハット、前田2点―アジア杯サッカー

2011年01月18日 00時59分54秒 | Weblog
日本、5ゴール快勝=岡崎ハット、前田2点―アジア杯サッカー 時事通信

【ドーハ時事】サッカーのアジア・カップ第11日は17日、当地で1次リーグB組の最終戦2試合が行われ、2大会ぶり4度目の優勝を目指す日本はサウジアラビアに5―0で快勝、2勝1分けの勝ち点7とし、同勝ち点のヨルダンを得失点差で上回って同組1位となった。

日本は6大会連続の決勝トーナメント進出。21日の準々決勝でA組2位のカタールと4強の座を争う。
 
過去2戦から先発を3人入れ替えて臨んだ日本は前半8分、初先発した岡崎(清水)が遠藤(G大阪)のパスで抜け出し、先制ゴール。

5分後には香川(ドルトムント)のパスを岡崎が頭で合わせて加点した。

同19分には長友(チェゼーナ)のクロスを前田(磐田)が決めて3点目。

後半にも前田がヘッドで4点目を奪うと、岡崎が自身3点目を奪ってハットトリックを達成した。
 
ヨルダンはシリアを2―1で破って2位となった。

準々決勝ではA組1位のウズベキスタンと対戦する。