2010年を振り返ってみれば。。。ワースト・ワンの出来事は「第二次菅直人政権」の誕生であった。
(晴れのち曇り、時々パリ)より
2009年は、日本中の国民が「何かが変わる」事を熱烈に期待した、『政権交代』がなされた年だった。
一年前の今頃は、高揚した精神を内に秘めて、勝利の余韻ん浸りながら、晴れやかに「新しい時代の到来」を噛みしめていたものだった。
そして一年が経った。
2010年が過ぎ行こうとしている今この時、感じている事と言えば、『絶望的落胆』でしかない。
2010年12月31日。
近来まれに見る最悪の『酷い年』の暮れである。
『八ッ場ダム』の中止は、中止になった。
『日本航空』は倒産した。
『普天間飛行場』の県外移設は握りつぶされた。
『参院選』で民主党は大敗した。
特に、9月14日。
『小沢氏が206名の裏切りに有って、代表選に破れた』
『<検察審査会>なるオバケにより、小沢が強制起訴される事となった』
ありとあらゆるマス塵が、あくまでも「嘘八百」の記事を垂れ流して、小沢を悪人に仕立てる先駆者となった。
そして。
公務員の特権は、未だに全く廃止されていない。
地方の経済は、破綻している。
県庁所在地の、一番の商業地区ですら、「シャッター街」になり果ててしまった。
年金も、介護も、全く何も改革される気配無く、低所得の退職者や老人は増々困窮の極みに陥っている。
貧富の差は増々拡大し、固定化して、負け組ばかりが続出し、底辺の人々は決して救われる事の無い、冷酷な社会システムに移行したままである。
国際的な立場はと言うと、国内問題と同様、何もかも総てがじり貧状態。
『尖閣諸島』は中国の領土であるという空気が、世界に形成されつつ有る。
『北方領土四島は、実質ロシア領に過ぎない事が、強制的に明らかにされた』
『<日本海>を「東海」と表記する国々が増えている』
アメリカも、中国も、韓国までもが「日本の国際的立場」など存在していなかった様な態度で、国際外交を展開している。
中国のマスコミでは、「日本は3等国に成り果てた」と言う記事が踊っている。
アメリカは、中国との直接対話を深めつつ、日本の出番が増々無くなって行った。
ロシアは、対中関係と対米関係の軸の中に、日本の居場所など考えても居ない。
トヨタはアメリカで、リコール問題が最大級の政治的スケープ・ゴートにされ、結局莫大な制裁金を支払うハメとなった。
世界のマーケットに於いて、かってのソニーの棚にはサムスンとLGとがひしめき、メイド・イン・ジャパンの神話はもろくも崩れ去った。
国内的に、何ら財政や経済の改善も上昇なども見られないにも関わらず、対ドル円レートは80円に迫っている。
インドは「国連安保理」候補として積極的に推され、日本を推す声は聞かない。
日本国は、空前の社会的困難に見舞われてしまった。
国民は、一生で滅多に味わえない程の「挫折感」を、味わった。
全く、思い出すのもいやになる2010年であった。
それもこれも、<「小沢のせい」だとわめき続ける奴ら>のせいである。
政権交代が、政権後退へと成り果てた。
しかし、菅直人政権と影の総理仙谷由人のお陰で、良い事も有ったのだ。
日本人の20%は『警察=検察=裁判所=新聞テレビ=霞ヶ関=アメリカ』という、実際に日本を動かして来た者達の構図を、知る事が出来た。
日本は、日本の国益の為に有るのでは無かった。
それを、知らしめてくれた、一年であった。
それを知らしめてくれたのが、仙谷菅一味であった。
その事に関しては、現民主党政権に感謝しなければならないであろう。
日本人は誰しもが、こう言われ続けて育てられて来たのでは無かっただろうか。
「悪い事をしてはいけない」
「悪い事をすれば警察に捕まる」
「悪い事をした人は、裁判所で罰を受ける」
「新聞に書いてある事は絶対に正しい」
「テレビのニュースで言った事は、全て正しい」
これらは、日本人の、日本人としての根幹を為す、思想的背景である。
である筈であった。。。
だがしかし。
「悪い事をしていなくても捕まる」
「悪くないのに裁判にかけられる」
「裁判所は無実の声を聞こうとしない」
「新聞も雑誌も、正しい事は決して伝えない」
「誰を貶め、追い込むか」
それを決めるのが、国民の知らない所に居る<一部の特殊な世界の人々>で有り、その人々に取っての利害こそが、「悪い事」と「良い事」とを決めてきたのだった。
実は皆が知らされていなかった事に、気がついたのだ。
それもこれも、仙谷菅岡田前原一味の功績が、甚大である。
その事に関して、多いに彼等を讃えよう。
いよいよ、『最悪の年』が過ぎ去ろうとしている。
このままの流れに安住していれば、新しい年が「新たなる最悪の年」にならぬとも限らない。
その気配は、濃厚に漂っている。
しかし!
20%の国民は変わったのだ。
<彼等>の好きにばかりさせておいて、なるものか。
『正義』も『大義』も、それぞれ相対的なものに過ぎない。
ヤクザ弁護士・仙谷に取って、小沢は悪なのだ。
それならそれで良い。
<日本の明日>という尺度で見た時、そして<日本人の利益>という視点に立って見た時、誰が『悪』で有るのかは、時が判じ、天が断じ、人々が記録するのだから。
お互い、精一杯「己の信ずる所」に則って頑張ろう。
いつか「歴史の一頁」として、今日の日本の騒動が、記されているに違いない。
後2時間半で、最悪の年は終わる。
「我々の正義」が、最終的に勝利する事を信じて、今夜は眠ろう。
一夜明ければ、2011年が始まる。
日本を、本当に変えよう!
今年一年、本当にお世話になりました。
来る年も、どうか変わらぬご高配を賜れます様、お願い申し上げます。
ご愛読に感謝です。
(晴れのち曇り、時々パリ)より
2009年は、日本中の国民が「何かが変わる」事を熱烈に期待した、『政権交代』がなされた年だった。
一年前の今頃は、高揚した精神を内に秘めて、勝利の余韻ん浸りながら、晴れやかに「新しい時代の到来」を噛みしめていたものだった。
そして一年が経った。
2010年が過ぎ行こうとしている今この時、感じている事と言えば、『絶望的落胆』でしかない。
2010年12月31日。
近来まれに見る最悪の『酷い年』の暮れである。
『八ッ場ダム』の中止は、中止になった。
『日本航空』は倒産した。
『普天間飛行場』の県外移設は握りつぶされた。
『参院選』で民主党は大敗した。
特に、9月14日。
『小沢氏が206名の裏切りに有って、代表選に破れた』
『<検察審査会>なるオバケにより、小沢が強制起訴される事となった』
ありとあらゆるマス塵が、あくまでも「嘘八百」の記事を垂れ流して、小沢を悪人に仕立てる先駆者となった。
そして。
公務員の特権は、未だに全く廃止されていない。
地方の経済は、破綻している。
県庁所在地の、一番の商業地区ですら、「シャッター街」になり果ててしまった。
年金も、介護も、全く何も改革される気配無く、低所得の退職者や老人は増々困窮の極みに陥っている。
貧富の差は増々拡大し、固定化して、負け組ばかりが続出し、底辺の人々は決して救われる事の無い、冷酷な社会システムに移行したままである。
国際的な立場はと言うと、国内問題と同様、何もかも総てがじり貧状態。
『尖閣諸島』は中国の領土であるという空気が、世界に形成されつつ有る。
『北方領土四島は、実質ロシア領に過ぎない事が、強制的に明らかにされた』
『<日本海>を「東海」と表記する国々が増えている』
アメリカも、中国も、韓国までもが「日本の国際的立場」など存在していなかった様な態度で、国際外交を展開している。
中国のマスコミでは、「日本は3等国に成り果てた」と言う記事が踊っている。
アメリカは、中国との直接対話を深めつつ、日本の出番が増々無くなって行った。
ロシアは、対中関係と対米関係の軸の中に、日本の居場所など考えても居ない。
トヨタはアメリカで、リコール問題が最大級の政治的スケープ・ゴートにされ、結局莫大な制裁金を支払うハメとなった。
世界のマーケットに於いて、かってのソニーの棚にはサムスンとLGとがひしめき、メイド・イン・ジャパンの神話はもろくも崩れ去った。
国内的に、何ら財政や経済の改善も上昇なども見られないにも関わらず、対ドル円レートは80円に迫っている。
インドは「国連安保理」候補として積極的に推され、日本を推す声は聞かない。
日本国は、空前の社会的困難に見舞われてしまった。
国民は、一生で滅多に味わえない程の「挫折感」を、味わった。
全く、思い出すのもいやになる2010年であった。
それもこれも、<「小沢のせい」だとわめき続ける奴ら>のせいである。
政権交代が、政権後退へと成り果てた。
しかし、菅直人政権と影の総理仙谷由人のお陰で、良い事も有ったのだ。
日本人の20%は『警察=検察=裁判所=新聞テレビ=霞ヶ関=アメリカ』という、実際に日本を動かして来た者達の構図を、知る事が出来た。
日本は、日本の国益の為に有るのでは無かった。
それを、知らしめてくれた、一年であった。
それを知らしめてくれたのが、仙谷菅一味であった。
その事に関しては、現民主党政権に感謝しなければならないであろう。
日本人は誰しもが、こう言われ続けて育てられて来たのでは無かっただろうか。
「悪い事をしてはいけない」
「悪い事をすれば警察に捕まる」
「悪い事をした人は、裁判所で罰を受ける」
「新聞に書いてある事は絶対に正しい」
「テレビのニュースで言った事は、全て正しい」
これらは、日本人の、日本人としての根幹を為す、思想的背景である。
である筈であった。。。
だがしかし。
「悪い事をしていなくても捕まる」
「悪くないのに裁判にかけられる」
「裁判所は無実の声を聞こうとしない」
「新聞も雑誌も、正しい事は決して伝えない」
「誰を貶め、追い込むか」
それを決めるのが、国民の知らない所に居る<一部の特殊な世界の人々>で有り、その人々に取っての利害こそが、「悪い事」と「良い事」とを決めてきたのだった。
実は皆が知らされていなかった事に、気がついたのだ。
それもこれも、仙谷菅岡田前原一味の功績が、甚大である。
その事に関して、多いに彼等を讃えよう。
いよいよ、『最悪の年』が過ぎ去ろうとしている。
このままの流れに安住していれば、新しい年が「新たなる最悪の年」にならぬとも限らない。
その気配は、濃厚に漂っている。
しかし!
20%の国民は変わったのだ。
<彼等>の好きにばかりさせておいて、なるものか。
『正義』も『大義』も、それぞれ相対的なものに過ぎない。
ヤクザ弁護士・仙谷に取って、小沢は悪なのだ。
それならそれで良い。
<日本の明日>という尺度で見た時、そして<日本人の利益>という視点に立って見た時、誰が『悪』で有るのかは、時が判じ、天が断じ、人々が記録するのだから。
お互い、精一杯「己の信ずる所」に則って頑張ろう。
いつか「歴史の一頁」として、今日の日本の騒動が、記されているに違いない。
後2時間半で、最悪の年は終わる。
「我々の正義」が、最終的に勝利する事を信じて、今夜は眠ろう。
一夜明ければ、2011年が始まる。
日本を、本当に変えよう!
今年一年、本当にお世話になりました。
来る年も、どうか変わらぬご高配を賜れます様、お願い申し上げます。
ご愛読に感謝です。