「極東」から「世界」戦略へと変質した日米同盟関係(永田町異聞)より
沖縄を米国から日本に返還し、核兵器も撤去する。だけど、必要なら再び持ち込むこともある。
そんな内容に、佐藤栄作首相とニクソン大統領が署名したいわゆる「核密約文書」。これを保管してきた佐藤家が、政権交代を機にはじめて公開した。
「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」でノーベル賞をもらった佐藤首相の非核三原則が有名無実であることくらい、国民はだいたい察しがついていた。それでも、現物の文書が放つ歴史的迫力は半端じゃない。
米国への約束と、日本国民への説明の違い。これは、日米安保に絶えずつきまとってきた。
いま、メディアがひとつ覚えのように騒ぎ立てる普天間基地移設問題にしてもそうだ。
普天間飛行場は市街地に隣接しているため危険だというのが、1996年に日米が移設合意した表向きの理由だ。
その危険は13年を経ても解消されていない。危険除去だけならすぐにでもできるはずではないのか。
普天間の海兵隊ヘリ部隊は有事即応型だから、仮の場所を設けて即座に移動させれば、とりあえず目的は達する。新施設はあとでなんとかすればいい。
ところが、老朽化した普天間から近代的な施設に移りたい米軍の思惑と、どうせ辺野古に新基地をつくるのなら大規模施設のほうがいいという日本の政官業利権が絡まって、肝心の危険除去はあとまわしにされ続けた。
そして、米軍の新たな展開が始まるきっかけとなったのが2001年の9.11同時多発テロだった。
米国はテロという新しい脅威に立ち向かうため、即応能力を重視した世界規模の米軍再編を構想した。
2005年10月、「日米同盟:未来のための変革と再編」という合意文書が両国間で交わされた。
これは、1960年に改定された日米安保条約にとって代わるといっていいほど、重要な合意である。
「日本と極東の平和と安全」をうたったのが日米安保条約。
それに対し、「変革と再編」合意は、「世界における課題に効果的に対処する」とし、世界戦略を強調している。
そして、その合意の具体的な内容として、普天間基地移設、沖縄海兵隊グアム移転などが盛り込まれた。
つまり、日米安保は、すでにアメリカの世界軍事戦略に組み込まれていることになる。
防衛大学教授、孫崎享氏はその著書「日米同盟の正体」で、「国際的安全保障を改善する国際的活動に協力する」ことを日本は約束していると書いている。
日本が米国の世界軍事行動に協力する。それは、孫崎氏の露骨な表現を借りれば「自衛隊員に死を覚悟してもらう」ことを意味する。イラクやソマリア沖への自衛隊派遣にはそういう流れをつくるねらいがある。
日米同盟関係はこうして、国民に知らせることなく「変革と再編」合意により、あきらかに変質した。
なのに、政府は「この合意で何も変わることはない」と説明するのみで、ここまできた。
「核密約」と同じように、米国への約束と日本国民への説明が大きく乖離する構図だ。こうしたギャップこそが、両国関係をぎくしゃくさせる原因になっている。
だからこそ、米国は政権交代して腹のうちが読めない日本政府首脳の安保をめぐる言動に神経をとがらせ、「日米合意の履行」を強く日本に迫っているのだといえる。
普天間基地についての日本メディアの近視眼的報道を利用して、日本に誕生した新政権に合意見直しをさせないよう恫喝し、圧力をかけ続けているのである。
そして、定番の脅し文句はこうだ。
「米軍がいなくなっても、日本は自分の国を守れるのか」「米国の若者の血が流れているのに、日本は経済的にアメリカをおびやかすだけで、防衛分担を果たしていないではないか」
こう言われれば、「アメリカを怒らせて、同盟関係がなくなったら日本は丸腰になる」と、日本人は押し黙る。そのことを米側は十分に心得ている。
かつてキッシンジャーは「日本人は論理的でなく、長期的視野もなく、関心を払うに値する連中ではない。ソニーのセールスマンのようなものだ」と語ったという。
戦略的思考がなく、経済的利益しか頭にない日本人を皮肉ったものだろうが、米国要人の外交辞令に踊らされ素直に喜ぶ政治家や官僚は、その裏に潜む本音をもっと考えるべきだろう。
日本は米軍に多大な貢献をしていることを忘れてはならない。基地に思いやり予算をつけ、世界最強の第7艦隊の母港を提供し、米本土以外では最大の燃料備蓄、弾薬庫がある日本は米国の軍事戦略に絶対に欠かすことのできない国なのだ。
日本外交とメディアの卑屈な姿勢こそが、米国の某学者をして「安全保障面では日本人は猿みたいだ」(孫崎享、日米同盟の正体)と言わしめている。
沖縄を米国から日本に返還し、核兵器も撤去する。だけど、必要なら再び持ち込むこともある。
そんな内容に、佐藤栄作首相とニクソン大統領が署名したいわゆる「核密約文書」。これを保管してきた佐藤家が、政権交代を機にはじめて公開した。
「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」でノーベル賞をもらった佐藤首相の非核三原則が有名無実であることくらい、国民はだいたい察しがついていた。それでも、現物の文書が放つ歴史的迫力は半端じゃない。
米国への約束と、日本国民への説明の違い。これは、日米安保に絶えずつきまとってきた。
いま、メディアがひとつ覚えのように騒ぎ立てる普天間基地移設問題にしてもそうだ。
普天間飛行場は市街地に隣接しているため危険だというのが、1996年に日米が移設合意した表向きの理由だ。
その危険は13年を経ても解消されていない。危険除去だけならすぐにでもできるはずではないのか。
普天間の海兵隊ヘリ部隊は有事即応型だから、仮の場所を設けて即座に移動させれば、とりあえず目的は達する。新施設はあとでなんとかすればいい。
ところが、老朽化した普天間から近代的な施設に移りたい米軍の思惑と、どうせ辺野古に新基地をつくるのなら大規模施設のほうがいいという日本の政官業利権が絡まって、肝心の危険除去はあとまわしにされ続けた。
そして、米軍の新たな展開が始まるきっかけとなったのが2001年の9.11同時多発テロだった。
米国はテロという新しい脅威に立ち向かうため、即応能力を重視した世界規模の米軍再編を構想した。
2005年10月、「日米同盟:未来のための変革と再編」という合意文書が両国間で交わされた。
これは、1960年に改定された日米安保条約にとって代わるといっていいほど、重要な合意である。
「日本と極東の平和と安全」をうたったのが日米安保条約。
それに対し、「変革と再編」合意は、「世界における課題に効果的に対処する」とし、世界戦略を強調している。
そして、その合意の具体的な内容として、普天間基地移設、沖縄海兵隊グアム移転などが盛り込まれた。
つまり、日米安保は、すでにアメリカの世界軍事戦略に組み込まれていることになる。
防衛大学教授、孫崎享氏はその著書「日米同盟の正体」で、「国際的安全保障を改善する国際的活動に協力する」ことを日本は約束していると書いている。
日本が米国の世界軍事行動に協力する。それは、孫崎氏の露骨な表現を借りれば「自衛隊員に死を覚悟してもらう」ことを意味する。イラクやソマリア沖への自衛隊派遣にはそういう流れをつくるねらいがある。
日米同盟関係はこうして、国民に知らせることなく「変革と再編」合意により、あきらかに変質した。
なのに、政府は「この合意で何も変わることはない」と説明するのみで、ここまできた。
「核密約」と同じように、米国への約束と日本国民への説明が大きく乖離する構図だ。こうしたギャップこそが、両国関係をぎくしゃくさせる原因になっている。
だからこそ、米国は政権交代して腹のうちが読めない日本政府首脳の安保をめぐる言動に神経をとがらせ、「日米合意の履行」を強く日本に迫っているのだといえる。
普天間基地についての日本メディアの近視眼的報道を利用して、日本に誕生した新政権に合意見直しをさせないよう恫喝し、圧力をかけ続けているのである。
そして、定番の脅し文句はこうだ。
「米軍がいなくなっても、日本は自分の国を守れるのか」「米国の若者の血が流れているのに、日本は経済的にアメリカをおびやかすだけで、防衛分担を果たしていないではないか」
こう言われれば、「アメリカを怒らせて、同盟関係がなくなったら日本は丸腰になる」と、日本人は押し黙る。そのことを米側は十分に心得ている。
かつてキッシンジャーは「日本人は論理的でなく、長期的視野もなく、関心を払うに値する連中ではない。ソニーのセールスマンのようなものだ」と語ったという。
戦略的思考がなく、経済的利益しか頭にない日本人を皮肉ったものだろうが、米国要人の外交辞令に踊らされ素直に喜ぶ政治家や官僚は、その裏に潜む本音をもっと考えるべきだろう。
日本は米軍に多大な貢献をしていることを忘れてはならない。基地に思いやり予算をつけ、世界最強の第7艦隊の母港を提供し、米本土以外では最大の燃料備蓄、弾薬庫がある日本は米国の軍事戦略に絶対に欠かすことのできない国なのだ。
日本外交とメディアの卑屈な姿勢こそが、米国の某学者をして「安全保障面では日本人は猿みたいだ」(孫崎享、日米同盟の正体)と言わしめている。