ブログのネタ探しで、外を歩き回ることもしなくなりましたが、体力維持のために適当に運動をしては居ます。
昨日は自転車で遠出して、最遠点で自転車を置いて、今度はその付近を歩き回り、自転車を置いた場所に戻ります。
自転車での帰途に雨に遭い、しこたま濡れてしまいましたが、ネタ探しのためではないので、カメラを持ち歩かなかったのは幸いでした。
そんな程度の運動量なら今のところは維持しておりますので、老人ボケがやって来るのもしばらくの間はスローペースになりそうです。
今回の「回想」は1996年のお盆休みに行った中央アルプスですが、この時は標高2800メートルくらいの高さの稜線を歩いているのに、暑くて暑くて・・・初期の熱中症にかかり、ひどい目に遭いました。
実行図 ↓
地図の南(下)から北(上)に歩き抜けました。
鳥瞰図 ↓
こうしてみると稜線上を歩いているので、涼しそうなものですが、この時は風が無くて、それはいやらしい暑さに悩まされました。
断面図 ↓
一旦稜線の高みに到達すると、あとはもう、大きくは上下していません。
須原駅 ↓
8/11日。
自宅を朝の5時過ぎに出て、その頃は未だ運行していた、東海道本線の長距離鈍行「ながら」に乗ったところ、全席が詰まっているのでびっくりしました。
名古屋からは中央西線で、この須原駅までやってきました。ここでタクシーを呼んで、登山口まで運んでもらいます。
今朝沢出会い ↓
ここでタクシーから降りて、少しの間林道歩きです。
福栃沢出会い ↓
この場所から山道に入っていきます。
樹林帯 ↓
こういう樹林帯の中でしたら、ひどくは暑さを感じないで済みます。
越百小屋 ↓
この小屋は男性が一人で切り盛りしていましたが、山小屋としては好印象でしたね。
夜はきれいな星空でした。
越百山 ↓
8/12日。
小屋を早朝に出ます。
目の前にこれから登る越百山が雄々しく聳えています。
越百山頂上(2613m) ↓
山頂は横から来る朝日で輝いています。
行く手 ↓
これから向かう峰が近くに見えます。
富士山 ↓
富士山が雲海に浮かんでいます。
南アルプス ↓
南アルプスと富士山の関係はこうなっています。
さぁ、これから稜線を北上していきます。
南駒ヶ岳(2841m) ↓
ここに来るまでに仙涯嶺(2734m)の岩峰を過ぎて来ましたが、その間は高山植物の姿を主に追っていました。
空木岳と赤梛岳 ↓
これから歩く稜線が良く見えています。
このあたりで暑さを感じ始めてきました。
今から考えると、日差しを遮るものの無い稜線上ですので、風の無い時には辛いですね。
赤梛岳(あかなぎだけ=2798m) ↓
ガスが巻いて、暑いし・蒸すし・・・・・結構耐え難くなってきています。
空木岳(2864m) ↓
空木岳の山頂には午前11時頃には着きましたが、暑さにヘバりました。
これから先にはとても歩けそうもないので、その日の行動を停止することにしました。
眼下にある山小屋に行きます。
駒峰ヒュッテから空木岳山頂 ↓
8/13日。
駒峰ヒュッテに一晩お世話になり、翌朝はすっかり体力回復して縦走に戻ります。
昨日降りてきた山頂に登り返していきます。
木曽殿越 ↓
空木岳から北に下ると、東川岳との鞍部にこの小屋があります。
この場所は木曽義仲が越えて行ったという伝承があります。
恵那山 ↓
木曽殿越あたりから振り向いたところで、恵那山が近くに見えていました。
前日に歩いた部分 ↓
南駒ヶ岳が遠のき始めました。
東川岳(2671m) ↓
木曽殿越からそう歩かないで東川岳の山頂に着きます。
宝剣岳 ↓
遠くに宝剣岳が見えていましたので、ズームして確認します。
この日は前日とは違って、雲が出ていますので、暑さはそれほどでもなかったようで、行動は捗り、あの宝剣岳のもっと先まで歩いています。
空木岳を振り返る ↓
間に木曽殿越という鞍部を置いて、距離1.3km先に見返す空木岳は、200mほどの高度差があり、迫力があります。
赤梛岳と南駒ヶ岳 ↓
空木岳の右隣りには、赤梛岳と南駒ヶ岳が連なります。
木曽御嶽 ↓
東川岳からもう少し北上したところで、木曽御嶽も近くに見ることが出来ました。
エーデルヴァイスの一種 ↓
桧尾岳を通り過ぎて、宝剣岳に向かって歩いて行く途中で、エーデルヴァイスの一種を見ました。
ここではコマウスユキソウといっていますが、一般的にはヒメウスユキソウというようです。
宝剣岳(2931m) ↓
宝剣岳のこの穂先に登ってから、なおも北上していきます。
木曽駒ヶ岳(2956m) ↓
宝剣岳からこの山頂に来る間、稜線上にたくさんのコマクサを見ました。
ここのものは赤い色が濃くて、ずいぶん派手に感じました。
しかし、これより以前(1980年頃)に、この頂上小屋に泊まった時には「この山域でコマクサを見かけた人が、それを知らせて呉れたら賞金を出す。」というお触れ書きがあったのを記憶しています。
つまり、新田次郎の小説「聖職の碑」の時代には、この付近に自生していたコマクサは、その後、人によって薬草として採取され尽くし、絶滅してしまったようなのです。
それが、ほんの15年ほどの間にびっくりするほどの生育振りですから、これは怪しいと思って、この時に宿泊した山小屋でこのいきさつを話したところ・・・・・・・、
「実は他の地方(東北の方)から持ってきて移植した」ということが判明しました。
だから赤い色が濃かったのですね。これは環境の攪乱ですが、見る人が楽しむならそれも仕方のないことなのでしょうか。
8/14日。
駒ヶ岳の山頂部にある小屋で一泊して、下山する日となりました。玉ノ窪小屋から木曽駒高原スキー場に向かって下ります。
高原スキー場に着いてから、備え付けの電話で、タクシーに来てもらい、木曽福島駅まで行って、中央(西)線、東海道本線にて帰宅しました。
昨日は自転車で遠出して、最遠点で自転車を置いて、今度はその付近を歩き回り、自転車を置いた場所に戻ります。
自転車での帰途に雨に遭い、しこたま濡れてしまいましたが、ネタ探しのためではないので、カメラを持ち歩かなかったのは幸いでした。
そんな程度の運動量なら今のところは維持しておりますので、老人ボケがやって来るのもしばらくの間はスローペースになりそうです。
今回の「回想」は1996年のお盆休みに行った中央アルプスですが、この時は標高2800メートルくらいの高さの稜線を歩いているのに、暑くて暑くて・・・初期の熱中症にかかり、ひどい目に遭いました。
実行図 ↓
地図の南(下)から北(上)に歩き抜けました。
鳥瞰図 ↓
こうしてみると稜線上を歩いているので、涼しそうなものですが、この時は風が無くて、それはいやらしい暑さに悩まされました。
断面図 ↓
一旦稜線の高みに到達すると、あとはもう、大きくは上下していません。
須原駅 ↓
8/11日。
自宅を朝の5時過ぎに出て、その頃は未だ運行していた、東海道本線の長距離鈍行「ながら」に乗ったところ、全席が詰まっているのでびっくりしました。
名古屋からは中央西線で、この須原駅までやってきました。ここでタクシーを呼んで、登山口まで運んでもらいます。
今朝沢出会い ↓
ここでタクシーから降りて、少しの間林道歩きです。
福栃沢出会い ↓
この場所から山道に入っていきます。
樹林帯 ↓
こういう樹林帯の中でしたら、ひどくは暑さを感じないで済みます。
越百小屋 ↓
この小屋は男性が一人で切り盛りしていましたが、山小屋としては好印象でしたね。
夜はきれいな星空でした。
越百山 ↓
8/12日。
小屋を早朝に出ます。
目の前にこれから登る越百山が雄々しく聳えています。
越百山頂上(2613m) ↓
山頂は横から来る朝日で輝いています。
行く手 ↓
これから向かう峰が近くに見えます。
富士山 ↓
富士山が雲海に浮かんでいます。
南アルプス ↓
南アルプスと富士山の関係はこうなっています。
さぁ、これから稜線を北上していきます。
南駒ヶ岳(2841m) ↓
ここに来るまでに仙涯嶺(2734m)の岩峰を過ぎて来ましたが、その間は高山植物の姿を主に追っていました。
空木岳と赤梛岳 ↓
これから歩く稜線が良く見えています。
このあたりで暑さを感じ始めてきました。
今から考えると、日差しを遮るものの無い稜線上ですので、風の無い時には辛いですね。
赤梛岳(あかなぎだけ=2798m) ↓
ガスが巻いて、暑いし・蒸すし・・・・・結構耐え難くなってきています。
空木岳(2864m) ↓
空木岳の山頂には午前11時頃には着きましたが、暑さにヘバりました。
これから先にはとても歩けそうもないので、その日の行動を停止することにしました。
眼下にある山小屋に行きます。
駒峰ヒュッテから空木岳山頂 ↓
8/13日。
駒峰ヒュッテに一晩お世話になり、翌朝はすっかり体力回復して縦走に戻ります。
昨日降りてきた山頂に登り返していきます。
木曽殿越 ↓
空木岳から北に下ると、東川岳との鞍部にこの小屋があります。
この場所は木曽義仲が越えて行ったという伝承があります。
恵那山 ↓
木曽殿越あたりから振り向いたところで、恵那山が近くに見えていました。
前日に歩いた部分 ↓
南駒ヶ岳が遠のき始めました。
東川岳(2671m) ↓
木曽殿越からそう歩かないで東川岳の山頂に着きます。
宝剣岳 ↓
遠くに宝剣岳が見えていましたので、ズームして確認します。
この日は前日とは違って、雲が出ていますので、暑さはそれほどでもなかったようで、行動は捗り、あの宝剣岳のもっと先まで歩いています。
空木岳を振り返る ↓
間に木曽殿越という鞍部を置いて、距離1.3km先に見返す空木岳は、200mほどの高度差があり、迫力があります。
赤梛岳と南駒ヶ岳 ↓
空木岳の右隣りには、赤梛岳と南駒ヶ岳が連なります。
木曽御嶽 ↓
東川岳からもう少し北上したところで、木曽御嶽も近くに見ることが出来ました。
エーデルヴァイスの一種 ↓
桧尾岳を通り過ぎて、宝剣岳に向かって歩いて行く途中で、エーデルヴァイスの一種を見ました。
ここではコマウスユキソウといっていますが、一般的にはヒメウスユキソウというようです。
宝剣岳(2931m) ↓
宝剣岳のこの穂先に登ってから、なおも北上していきます。
木曽駒ヶ岳(2956m) ↓
宝剣岳からこの山頂に来る間、稜線上にたくさんのコマクサを見ました。
ここのものは赤い色が濃くて、ずいぶん派手に感じました。
しかし、これより以前(1980年頃)に、この頂上小屋に泊まった時には「この山域でコマクサを見かけた人が、それを知らせて呉れたら賞金を出す。」というお触れ書きがあったのを記憶しています。
つまり、新田次郎の小説「聖職の碑」の時代には、この付近に自生していたコマクサは、その後、人によって薬草として採取され尽くし、絶滅してしまったようなのです。
それが、ほんの15年ほどの間にびっくりするほどの生育振りですから、これは怪しいと思って、この時に宿泊した山小屋でこのいきさつを話したところ・・・・・・・、
「実は他の地方(東北の方)から持ってきて移植した」ということが判明しました。
だから赤い色が濃かったのですね。これは環境の攪乱ですが、見る人が楽しむならそれも仕方のないことなのでしょうか。
8/14日。
駒ヶ岳の山頂部にある小屋で一泊して、下山する日となりました。玉ノ窪小屋から木曽駒高原スキー場に向かって下ります。
高原スキー場に着いてから、備え付けの電話で、タクシーに来てもらい、木曽福島駅まで行って、中央(西)線、東海道本線にて帰宅しました。
これだけ長い期間山の中で移動しているとどの様な事を考え感じていたんでしょうかね。
勿論気象条件も違えば景色や環境も刻々と変化している訳ですが、ただ無心と言うだけではないんでしょうね。
その時の息遣いも感じ取りたくなりました。
登山口は、伊奈川ダムですね。
ここは、同時期頃良くイワナ釣りに来ていました。
ゲート前の駐車場で仮眠して登山者と林道を歩いた覚えがあります。
本川を登り、東川、金沢を越えて上のダムまで釣り登りました。
帰りの林道の長いこと、疲れた記憶。
ケサ沢も釣り登りたかったですが、本川が結構釣れましたので行きませんでした。
越百岳まで結構きつい登りですね。
山と”同化”・・・それについては、同化(どうか)な?と思いました。
熱射病で倒れる一歩手前のところに居たのですから、か弱いものです。
でも、自分の中では雑念が消えて、ただ単純に山に浸かり込んでいました。
サラリーマン時代で、仕事にぎゅうぎゅう追われていた時でしたので、山の中に入れば、もうこちらのものでしたね。
このころは高山植物を無邪気に追い続けていたものでした。
ビデオカメラの画素が足りなくて、今になって悔しい思いをしていますが、こういうレトロな切り取り方もまた違った味がありますね。
こちらの方まで渓流釣りで入っていましたか、そのジャンルもなかなか深く入り込むものですね。
もしかしたら山登りよりも、技術的には難しい場所を歩くのではないでしょうか。
簡単に歩ける場所でしたら誰でも入ってしまえるので、誰も入らないようなところが狙い目になりそうです。
渓流釣りというジャンルに小生が足を踏み入れないでおいて、良かったと思いますね。
もしも踏み入れていたら、どうもそれにのめり込んでしまいそうな気がします。
越百岳の登り道は、どうだったのか今となっては全く覚えが無くなってしまいました。
またまた懐かしい山域が登場しましたね。
南駒までは同じルートで3年前の干支の山で登りましたが、それから先の空木までだけは未踏です。やはり、車では通り抜けが出来ないですから勿体ないですね。
真夏の稜線歩きは熱中症対策が必要のようですが、大事に至らずに済んで良かったですね。
車で出かけて中央アルプスを縦走するとなりますと、飯田あたりに車を置いて入山し、摺古木山から北上開始し、駒ヶ岳の後は将棋頭山・茶臼山から伊那市に下って、飯田までJRでもどれば良いのかも知れませんが、なかなかその気にならないのが難点ではないでしょうか。
この時の稜線上の暑さは尋常ではありませんでした。
日差しを遮る樹木が無いところですので、すっかり暑さにやられて、身体が言うことを聞かなくなりました。
こういう体験は雨飾山でも経験していて、その時も日陰の地べたにじかに寝転んで体を冷やして難を避けました。
暑さ恐るべしですね。