渓流に沿って少しずつ高度を上げていきますが、道が大きく迂回するところに差し掛かると、再び体内の”気まぐれの虫”が騒ぎ出しました。
対岸に尾根があって、それはこの渓流に並行して走っています。その尾根は以前、何度か使っています。
ここまで歩いて来た道が、これから先は大きく迂回していて、長いダラダラ歩きに飽きてきていたので、ここで対岸の尾根に行こうと決めました。
まず沢まで下り、沢から尾根まで短い距離ですが、藪を漕いで尾根に直登します。
そこから先もやはり、長いダラダラ稜線歩きでしたが・・・・・・・適当に変化を楽しんで行きます。
おきな淵 ↓
これまで見てきた場所とは違い、ここでは水を湛えた淵が出て来ました。水はきれいなものです。
クサアジサイ ↓
今年は初めて見るものです。
滝 ↓
このくらがり渓谷では落差の一番ある滝のような気がします。水流の落下は5メートルほどあるのでしょうか。
ダンドボロギク ↓
ある場所でダンドボロギクが密生していて、風が吹くと綿毛が宙を舞っていました。この植物はパイオニア植物で、崩れた斜面などにいちはやく生育しますね。
休憩舎 ↓
左手に古くからある休憩舎が見えます。道はここから左に大きくカーブします。
ウバユリ ↓
岩の上に花の終わったウバユリを見ます。ウバユリが岩の上に生えているのは珍しいのではないでしょうか。地中深くには根を出せないので、ウバユリにしては背丈も随分詰まっています。
沢底から対岸の尾根を見る ↓
対岸の尾根を目指す場面に来ました。まずは沢の底まで下ります。そこから対岸の尾根を見上げたところです。短い区間ですが、ここから藪漕ぎ開始です。
尾根歩き ↓
尾根についた後は、両側が杉・檜の植林になっている道を進みます。
中部電力の施設 ↓
行きついた先に中部電力の無人施設があります。マイクロ波の反射板があったりしたようですが、今でも使っているのかどうかはっきりわかりません。
宮標石 ↓
尾根の高いところに宮標石がありました。石柱のマークは宮の字をデザイン化したもので、明治時代に御料林とされ皇室所有の土地としたときの標石です。
裸の斜面 ↓
馬の背平に向かって少し下って行くと、伐採によりあたりが開けて、すっかり様変わりしていました。
馬の背平 ↓
いつもここに来た時は薄暗い感じがしていましたが、あたりが開けてしまって、まるで別世界になっていました。この斜面も来年あたりはダンドボロギクで賑やかになりそうです。
開けた視界 ↓
馬の背平からは急登が始まりますが、それまでは木々に阻まれていた視界が伐採によって、俄然開けています。
おそらく三河湾方面だと思いますが、見えるようになりました。
冬晴れの日に双眼鏡を持ってここを訪れて、何処がどういう風に見えるのか再確認したいと思います。
お二人さん ↓
下を行くのは先刻まで同じ登山道を歩いた二人連れで、彼らは山頂までの迂回路を歩いています。
伐採する前はこんな眺めはありませんでした。山が裸になって初めて見えた景色となります。
再び宮標石 ↓
馬の背の急登を登り詰めたところの道の脇に、岩に隠れるようにしてあった、宮標石をまた見つけました。
岩戸神社の鳥居 ↓
山道の脇に朱塗りの鳥居が立っています。ここから木の段を下って、行って見ることにします。
国見岩 ↓
逆光線で見づらい画ですが、「天の磐座」(あまのいわくら)とあります。
太古の昔から私たちの祖先は、神を招き、感謝と祈りを捧げる祭祀を執り行ってきましたが、それに答えて神が降臨こうりんされる依代(よりしろ)が、磐座(いわくら)だそうです。
この大岩の一番下の部分に岩戸神社があります。
この国見岩は今見えている部分は氷山の一角で、これから下に30-40メートルもある大きな一枚岩です。
安全柵 ↓
国見岩の底までは急な崖沿いの下りになっています。そこに道がついていますので、ステンレス製の安全柵がついています。
国見岩の底 ↓
岩の底までやって来ました。真ん中の長方形の暗い穴が”参道”入口で、光の届かない、暗い岩の洞窟を、腰をかがめて、蟹のように横向きに歩いたその先に”神社”があります。
対岸に尾根があって、それはこの渓流に並行して走っています。その尾根は以前、何度か使っています。
ここまで歩いて来た道が、これから先は大きく迂回していて、長いダラダラ歩きに飽きてきていたので、ここで対岸の尾根に行こうと決めました。
まず沢まで下り、沢から尾根まで短い距離ですが、藪を漕いで尾根に直登します。
そこから先もやはり、長いダラダラ稜線歩きでしたが・・・・・・・適当に変化を楽しんで行きます。
おきな淵 ↓
これまで見てきた場所とは違い、ここでは水を湛えた淵が出て来ました。水はきれいなものです。
クサアジサイ ↓
今年は初めて見るものです。
滝 ↓
このくらがり渓谷では落差の一番ある滝のような気がします。水流の落下は5メートルほどあるのでしょうか。
ダンドボロギク ↓
ある場所でダンドボロギクが密生していて、風が吹くと綿毛が宙を舞っていました。この植物はパイオニア植物で、崩れた斜面などにいちはやく生育しますね。
休憩舎 ↓
左手に古くからある休憩舎が見えます。道はここから左に大きくカーブします。
ウバユリ ↓
岩の上に花の終わったウバユリを見ます。ウバユリが岩の上に生えているのは珍しいのではないでしょうか。地中深くには根を出せないので、ウバユリにしては背丈も随分詰まっています。
沢底から対岸の尾根を見る ↓
対岸の尾根を目指す場面に来ました。まずは沢の底まで下ります。そこから対岸の尾根を見上げたところです。短い区間ですが、ここから藪漕ぎ開始です。
尾根歩き ↓
尾根についた後は、両側が杉・檜の植林になっている道を進みます。
中部電力の施設 ↓
行きついた先に中部電力の無人施設があります。マイクロ波の反射板があったりしたようですが、今でも使っているのかどうかはっきりわかりません。
宮標石 ↓
尾根の高いところに宮標石がありました。石柱のマークは宮の字をデザイン化したもので、明治時代に御料林とされ皇室所有の土地としたときの標石です。
裸の斜面 ↓
馬の背平に向かって少し下って行くと、伐採によりあたりが開けて、すっかり様変わりしていました。
馬の背平 ↓
いつもここに来た時は薄暗い感じがしていましたが、あたりが開けてしまって、まるで別世界になっていました。この斜面も来年あたりはダンドボロギクで賑やかになりそうです。
開けた視界 ↓
馬の背平からは急登が始まりますが、それまでは木々に阻まれていた視界が伐採によって、俄然開けています。
おそらく三河湾方面だと思いますが、見えるようになりました。
冬晴れの日に双眼鏡を持ってここを訪れて、何処がどういう風に見えるのか再確認したいと思います。
お二人さん ↓
下を行くのは先刻まで同じ登山道を歩いた二人連れで、彼らは山頂までの迂回路を歩いています。
伐採する前はこんな眺めはありませんでした。山が裸になって初めて見えた景色となります。
再び宮標石 ↓
馬の背の急登を登り詰めたところの道の脇に、岩に隠れるようにしてあった、宮標石をまた見つけました。
岩戸神社の鳥居 ↓
山道の脇に朱塗りの鳥居が立っています。ここから木の段を下って、行って見ることにします。
国見岩 ↓
逆光線で見づらい画ですが、「天の磐座」(あまのいわくら)とあります。
太古の昔から私たちの祖先は、神を招き、感謝と祈りを捧げる祭祀を執り行ってきましたが、それに答えて神が降臨こうりんされる依代(よりしろ)が、磐座(いわくら)だそうです。
この大岩の一番下の部分に岩戸神社があります。
この国見岩は今見えている部分は氷山の一角で、これから下に30-40メートルもある大きな一枚岩です。
安全柵 ↓
国見岩の底までは急な崖沿いの下りになっています。そこに道がついていますので、ステンレス製の安全柵がついています。
国見岩の底 ↓
岩の底までやって来ました。真ん中の長方形の暗い穴が”参道”入口で、光の届かない、暗い岩の洞窟を、腰をかがめて、蟹のように横向きに歩いたその先に”神社”があります。
尾根上では、大きく伐採されて眺めが良くなっていたのですね。
これは良いですね。しばらくは眺めを楽しめそうです。
伐採地跡に広葉樹を植栽すればもっと登山者も歩くのに楽しめそうですが
やはり杉檜を植えるのでしょうか?
本宮山から雁峰連峰は600mほどの尾根が続き歩くのに楽しそうですが
展望箇所は、ほとんどない植林山です。
それも放ったらかしで薄暗く、山野草もない寂しい山です。
いつも裏山を眺めてはそう思います。
今回も展望は望めたのでしょうか?晴れて澄んでいれば、ぶちょうほう様のお住いの方向も見られるのではないでしょうか?
ここの伐採は規模が大きかったですね。
これまではここを通るときにやや暗さを感じていましたが、今回は大違いでした。
山が丸裸になり、これから後に何を植えるのか興味を持って歩いていましたが、まだ植林に手がついていないようでした。
出来れば放置して、ここ本来の植生が戻るのを待ちたいですね。
しかし、そんなことはせずにきっと杉・桧の林になってしまうのでしょうね。
仮にそうなるとしても小生がここに来ているうちは、(木々の成長がそれほど早くはないので)この景観が続くでしょうね。
今回は花や山岳眺望は望まずに、朝遅くに出てきていますので、その通りの展開になりました。
聞いた話では、朝のうちは富士山も見えていたそうです。
この記事の後になりますが山頂のほんの400-600mほど北の稜線上に県の野外施設が建っていましたね。
これが廃止されて今は更地になっていて、車では入って行けなくなっています。
ここの駐車場からは富士山も眺められましたが、いまではその手前の木が育ってしまい、その景観もなくなったようです。
無くなってしまった施設についても、失われた景観についても残念に思っています。
丸裸の斜面が登場していますが、間伐もされない植林地が多々あるのに、これほどまでに伐採するとは何か意図がありそうですね?
最近よく見かけるのは、新たに林道を造る際の状況に似ています。無駄な事はして欲しくないですね。
この丸裸になった斜面にはおどろっ来ました。
植林するのも人間なら、伐採するのも人間の仕業でしたね。
この斜面にまだ幼い苗木は植えてありませんでしたが、きっとまた檜でも植えて殺風景な山に戻すのでしょうね。
ここの木が適合するかどうかは知りませんが、中国内では木材の伐採に相当制限が掛かってきたようで、その影響で輸出用の割り箸づくりが困ってしまい、日本から原料木材を輸入し始めているそうです。
その原料として、こういう未だ建築材としては未成熟なものの需要が出始めているのかな・・・なんて考えています。