現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

小熊英二「総説 「先延ばし」と「漏れ落ちた人びと」」平成史所収

2020-09-28 16:23:03 | 参考文献

 2012年10月30日に初版が発行された、小熊英二編著の「平成史」の巻頭論文です。
 平成史とありますが、もちろん平成時代は現在進行だったのですから、正確にはバブルが崩壊した1991(平成3)年から東日本大震災と福島第一原発事故のあった2011(平成23)年までの20年間を対象としています。
 この総説では、この二十年間とその前の時代を、やや性急な感じで概観しています。
 小見出しをあげてみると、「工業化時代の想像力」「ポスト工業化」「福祉におけるポスト工業化社会のバリエーション」「移民と地方経済」「「日本型工業化社会の成立」「バブル期から九十年代へ」「政治の推移」「「中流崩壊」と「ゆとり教育」」「女性労働と少子化」「「格差」と「地方」」「現状認識の転換を」となります。
 作者によると、戦後の日本の大きな変換点は、1955年(55年体制の成立と高度経済成長の始まり)と1991年(バブルの崩壊と55年体制の終焉)で、1973年ごろにオイルショックやドルショックによる小さな変換点があったとしています。
 また、2011年(東日本大震災と福島第一原発事故)が大きな変換点になるかどうかは、これからの歴史を待たねばなりません。
 そこで、この論文は、平成の前の時代にあたるバブル崩壊に至るまでと、その後の二十年間の平成時代について、駆け足で述べるとともに、この後に他の著者たち(一つだけは小熊自身)によって書かれる各論文の前振り的な役目を果たしています。
 紙数が限られているため、論文には87個もの注が付けられていてたくさんの関連する本や論文が紹介されていますが、文中にはそれらからの引用はなく、小熊自身のことばで簡単にまとめられています。
 小熊の文章は非常にロジカルでわかりやすいのですが、他の小熊の本(大部になることが多いです)と違って、引用による具体的な文章がないため、正確なニュアンスが小熊というフィルタを通すことによってこぼれ落ちてしまうことが多かったような気がします。
 本の序文で「震災後の二〇一一年春に、河出書房新社から「平成史」を書かないかという依頼をうけた。私自身は、一人で一冊の本としてそれを書く気はない、若い研究者と共同で研究会をやりながら相互に知恵を高めあうプロジヱクトとしてならやってもよい、と答えた。
 その後に分野決めと人選を行ない、ニ〇一一年八月から、各自二回の発表を行って相互批判する機会を作った。最初に基本アイデアを発表し、コメントを受けたあと、草槁を書いてさらに批判を受けるのだ。その分野の著者に依頼しただけで終わり、というありきたりの共著の書き方では、おもしろくないと思ったからである。参加者も意欲的で一年弱のあいたに議綸と内容が深まってていった。
 またせっかくの機会なので、一回ごとに研究会の場所を変えることにした。各自一ヵ所ずつ、自分が知っている「おもしろそうな場所」を紹介し、社会見学も兼ねてそこで研究会を開いたのである。」と弁解していますが、やはり読者としては、小熊自身でじっくり書いてほしかったという気持ちはぬぐいきれません。
 最後に、小熊は、平成史を見直す必要性について、以下のようにまとめています。
「「平成史」を一言で表現するなら、以下のようになろう。「平成」とは、一九七五年前後に確立した日本型工業社会が機能不全になるなかで、状況認識と価値観の転換を拒み、問題の「先延ばし」のために補助金と努力を費やしてきた時代であった。
 この時期に行なわれた政策は、その多くが、日本型工業化社会の応急修理的な対応に終始した。問題の認識を誤り、外圧に押され、旧時代のコンセプトの政策で逆効果をもたらし、旧制度の穴ふさぎに金を注いで財政難を招き、切りやすい部分を切り捨てた。
 老朽化した家屋の水漏れと応急修理のいたちごっこにも似たその对応のなかで、「漏れ落ちた人びと」が増え、格差意識と怒りが生まれ、ボピュリズムが発生している。それは必ずしも政策にかぎった現象ではなく、時代錯誤なジェンダー規範とその結果としての晩婚化・少子化もまた、|先廷ばし」の一例といえよう。だが「先延ばし」の限界は、もはや明らかである。
 表面的には「若者がハンバ―ガーを食べている風景」は一九七〇年代と変わらず、八〇年代から「大きな変化は何も起こっていない」ようにみえる。だがそうした認識の根底にあるのは、社会構造変化の実情と、旧態依然の社会意識のギャップである。そのギャップを「先延ばし」にしているかぎり、認識から「漏れ落ちた入びと」は大する。震災と原発事故によって、多くの人びとが日本型工業化社会の限界を意識し始めたいまこそ、「平成史」を見直すことがもとめられている。」

 

平成史 (河出ブックス)
クリエーター情報なし
河出書房新社
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2020-09-28 10:04:48 | 作品

ルルルー、ルルルー、……。

「ケイ、電話に出てくれ」
 店長が調理場からどなった。
「OK」
 リュウはヘルメットをぬぐと、受話器を取った。
「はい、ギャモンピザです」
「デリバリー、お願いします」
 男の子の声がした。リュウと同じ中学生ぐらいだろうか。
「はい、ご注文は?」
「スペシャルギャモンピザのLひとつ、オニオン抜きのペパロニダブルで。それにダイエットコークのラージとチキンとポテト。あとコールスローもひとつ」
「ありがとうございます。ご住所はどちらですか?」
「マリオットトウキョウホテルのラグジュアリタワー4301号室」
 マリオットトウキョウは、すぐそばにあるホテルだ。ギャモンピザとはチェーン同士で提携しているので、各部屋にメニューが置かれている。
「はい、わかりました。30分以内にお届けします」
「もっと早くならないからなあ。20分以内で来たら、チップをはずむからさ」
いかにも特別扱いになれている感じのする横柄な言い方に、リュウはカチンときた。
 しかし、気を取り直して、
「はい、できるだけ急いでお持ちします」
と、ていねいに答えて受話器を置いた。
「スペシャルL、オニオン抜き、ペパロニダブル、エクスプレスでお願いします」
 ひっきりなしに出入りしている配達用のバイクの音に負けないような大声で、リュウは調理場に大声でどなった。

リュウがこのピザ屋でバイトするようになってから、まだ2週間だ。背が170以上もあるおかげで、兄貴(ケイ)の原付の免許証も、二才もさばよんだ年令も、まだばれていない。幸いなことに、ケイとは顔がよく似ていた。
 中学三年生のリュウは、もう半年近く学校に行っていない。いちおう受験生なのだが、リュウはすっかり勉強をする気を失っていた。
両親は、リュウが学校に行くようにといろいろ手を尽くしていた。学校の先生たちや教育委員会とも相談したし、病院の専門家にリュウを見せたりしていた。
しかし、どれも効果がなく、最近はリュウを学校に行かせるのをあきらめたみたいだった。
学校に行かなくなったリュウは、家で本ばかり読んでいたが、こもりっきりなのでだんだん鬱屈してきていた。
 そんなリュウを、兄貴のケイが心配して、ピザ屋のバイトをすすめてくれた。両親もケイを信頼しているのか黙認している。
「ケイ、マリオットのスペシャルあがり」
 店長が、負けずに大きな声で怒鳴った。
 リュウはなれた手つきでできたてのピザを保温バッグに詰めると、ダイエットコークやコールスローやナプキン類をかき集めた。
「12号車、マリオット、出ます」
 リュウは三輪の配達用バイクにまたがると、大きくターンさせて出発した。
(ふーっ、寒い)
 前から吹きつけてくる風が冷たい。リュウは思わず肩をすぼめた。
 マリオットホテルは、大通りに出るともう目と鼻の先だ。リュウのバイクが正面玄関の前を通りかかると、あたりはいつになく混み合っていた。
 大きな望遠レンズのついたカメラをぶらさげたカメラマンたち。テレビカメラを肩に担いだニュース番組のクルー。メークの手直しに忙しいどこかで見かけたようなレポーターたち。そばには、テレビ中継車が何台も停まっている。
(そういえば、シクスティセブンスが泊まっているって、言ってたっけ)
 トウキョウシクスティセブンスといえば、ギグスのワールドスーパーリーグのファイナルも大詰めだ。黄金のワールドカップを、ロサンゼルススペースウォリアーズと争っている。
今、リュウが着いたマリオットホテルトウキョウは、シクスティセブンスがトウキョウに戻ってきた時の定宿なのだ。正面玄関にいる報道陣は、シクスティセブンスの取材のためなのだろう。きっと明日のテレビやスポーツ新聞には大きく取り上げられるに違いない。
 リュウはバイクを大きくターンさせると、横手にある業者用入り口の前に停めた。警備員に合図を送って、リュウはホテルの中に入っていった。
ロビーは、報道陣やファンの人たちでごったがえしている。シクスティセブンスのメンバーが現れるのを待ち受けていた。
 エレベーターホールにむかうと、そこにも私服のガードマンがいて、トランシーバーで何か話している。リュウがエレベーターに乗り込むと、こちらに鋭い視線を送ってきた。
 エレベーターは、一気に43階まで上がっていく。
 リュウはピザの入ったバッグを胸の前に抱えて、エレベーターのうしろの壁によりかかった。すごいスピードで階を示す数字が変わっていく。少しGがかかって、床に押し付けられるような感覚がある。
 ピンポーン。
軽くチャイムがなって、43階に到着した。
 ドアが開いて外に出ると、いきなり二人の男が前に立ちはだかった。一人は、ビシッとしゃれたスーツを着こなした金髪の男。右耳に銀色のピアスを二つつけている。もう一人は、まるでゴリラのように筋肉の盛り上がった大男で、両耳が潰れている。ジュージツかレスリングの選手のようだ。どうやら二人ともボディーガードらしい。
「小僧、なんのようだ」
 金髪の男が口を開いた。
「1号室に注文のピザを届けにきました」
 金髪の男がトーキーで確認している間、ゴリラ男がこっちをにらみつけた。リュウが負けじとにらみ返すと、怒った顔をして一歩進み出ようとした。
「待て、OKだ」
 金髪はゴリラをとめると、リュウにあごをしゃくって、
(こっちだ)
と、合図した。
 リュウは、金髪の後に続いて長い廊下を歩いていった。
(そうか!)
 リュウは、この階がVIP専用フロアだということに、ようやく気がついた。廊下の幅は他の階よりもずっと広いし、じゅうたんもフカフカでかかとがもぐりそうだ。
(今日、このホテルに泊まっているVIPといえば?)
 そう、シクスティセブンスのメンバーに違いない。
 リュウの心臓は、期待と緊張で急にドキドキしてきた。ごたぶんにもれず、リュウも、ギグスの、そしてシクスティセブンスの大ファンだった。
 廊下の突き当たりの部屋の前で、金髪は立ち止まった。ドアの前には、もうひとりの男がいる。金髪たちよりも年上で、がっちりした体つきをしたほほに傷のある男だった。傷男は、すでにトーキーで話しを聞いていたようだった。うさんくさそうな目つきでリュウをチラッと見ただけで、すぐに部屋のチャイムを鳴らした。
 ガチャン。
鍵を外す音がして、ドアが開いた。
 ドアを開けたのは、ほっそりした小柄な少年。銀色の髪の毛を針ネズミのようにとがらし、黒いまん丸の瞳に長いまつげ。
そう、トウキョウシクスティセブンスの、いやギグス全体にとっても最大のスーパースター、ケンだった。

「19分37秒68。すばらしい」
 腕時計のストップウォッチを止めながら、ケンがいった。
「えっ?」
「受話器を置いてから、君が来るまでさ。さっき、電話に出た人だろ。じゃあ、こっちに持ってきて」
 どうやら今いる所は、たんなる入り口にすぎなかったらしい。
 両開きの次のドアを、ケンが開けた。そこは、……。
 豪華なソファーセットやダイニングテーブルが置かれた、教室ほどもありそうな大きな部屋だった。
(これだけで、うちのマンション全部が、すっぽり入るな)
 リュウは、物珍しげにキョロキョロとあたりをながめていた。反対側の開け放したドアからは、さらにその先に、バスルームや寝室があることがわかる。どうやらとてつもなく豪華なスイートルームのようだ。部屋のすみには、ビリヤードの台や、ピンボールやエアホッケーなどのゲームマシンまでがならんでいる。
「じゃあ、そこに置いといて」
 ケンがさししめたのは、ベランダに通じる大きなガラス戸の前のテーブルだった。凝った装飾が、優美にカーブした脚や縁にほどこされている。
(ロココ調?)
 まだ学校に行っているころ、美術の時間に習った言葉が頭にうかんでくる。
「4725円になります」
「ルームにつけといてくれる?」
 ケンはそういうと、差し出した領収書にルームナンバーとサインを書き込んだ。
「ありがとうございました」
 リュウが頭を下げて、部屋を出て行こうとすると、
「ちょっと、待って、これ取っといて」
 ケンは小さくたたんだ一万円札を、リュウに押し付けようとした。
「なんですか、これ?」
「チップだよ。20分以内だったら、あげるっていったじゃない」
「いえ、こういうのは、いただかないことになってますから」
 リュウはそういって、一万円札を相手に押し返した。
「ふーん」
 ケンは、不思議そうな表情をうかべてリュウの顔をみつめていた。やがてニヤリと笑うと、部屋の向こうのゲーム台を指差した。
「じゃあ、こうしよう。ゲームで決着つけようぜ。君が勝ったらチップは受け取らなくていい。でも、おれが勝ったら受け取ってくれ。どのゲームをやるかは、そっちが決めていい」
 リュウはしばらく黙っていたが、やがて同じようにニヤリとした。
「OK、エアホッケーで一点勝負なら」
 このゲームなら、いつも兄貴たちとゲーセンでやっていたのでけっこううまい。リュウは、自信満々のこのスーパースターをギャフンといわせたくなっていた。
「そうこなくっちゃ」
 ケンはうれしそうに顔をクチャクチャにして笑いながら、すぐにエアホッケー台へ走っていった。そんなところは、まるでちっちゃい子みたいだ。ケンが電源をONにすると、すぐに盤面に均一に開いている細かな穴から、エアーがふきだしてきた。白くうすべったいパックが、盤上をゆっくりとすべりだす。
「じゃあ、やろうぜ」
 ケンが先にピンクのパドルを取った。
「いいよ」
リュウは、ブルーのパドルを手にして反対側にまわった。
 そのとき、傷男がドアの所に立ったまま、油断なくリュウの様子をうかがっているのが目に入った。なんとなく落ち着かない気分だ。
「ムラタ、もういいから、外へ行ってて」 
 リュウのけげんそうな表情に気がついたケンが、傷男にどなった。
「……」
 傷男はぜんぜん聞こえなかったかのように、そのまま動こうとしない。
 ケンは、肩をすくめながらリュウにいった。
「悪いけど、ムラタのことは気にしないでくれないかなあ。おれをガードするのが、彼のビジネスなんだ」

 勝つにしろ、負けるにしろ、一点勝負なのですぐに決着が着くと思っていた。
 ところが、いざ始めてみると、なかなか終わりそうになかった。二人の力量が不思議にきっこうしているのか、どちらもパックを相手のゴールに打ち込めないのだ。
 ケンが打ち込んでくるパックは、思ったよりスピードがなかった。だから、ゲームは初めから、リュウの攻勢で進められた。
 バチーン、……、バチーン。
リュウが打ち込んだパックが、すごいいきおいですべっていく。ワンクッション、ツークッションを使ったサイドからの攻撃。わざと相手のパドルにあててリバウンドをねらう連続攻撃。リュウは、あらゆるテクニックを駆使して攻め立てていた。
 何度も、
(決まった!)
と、思う瞬間があった。
 でも、ケンは驚異的な反射神経でパドルを動かして、パックをはじきかえしてしまった。  
 またたくうちに5分がたって、やがて10分が過ぎた。
(いけねえ、また店長にどなられる)
 クマのようなごっつい体つきの店長は、見かけに似合わず神経質で時間にうるさいのだ。帰るのが少しでも遅れると必ず文句をいわれる。
 しかし、リュウがいくら必死に攻撃しても、ことごとくケンのパドルにはね返されてしまっていた。
(待てよ、もしかしたら?)
 しばらくして、リュウの心の中に、ひとつの疑念がうかんできた。もしかすると、ケンはゲームを長引かせるために、わざと攻撃をしかけてこないのかもしれない。
 リュウはプレーを続けながら、よくよくケンが打ち返すパックの球筋をながめてみた。
(やっぱり)
 どんなにリュウがパックの方向を散らしても、ケンからのパックは実に規則正しくリュウの手元に戻ってくる。案の定、ケンはスピードをコントロールして、パックをリュウのパドルに正確に戻してきているようだ。
(こいつ、おれをひまつぶしの相手にさせているな)
 馬鹿にされたような気がして、リュウはカッと熱くなった。
 バチーン。
また、パックが正確に手元に戻ってきた。
 バッ。
リュウはパドルでパックを押さえてとめると、ケンをじっと見つめた。
 それから、正面のケンのパドルにめがけて、軽くパックを送り出した。ケンもパドルでいったんパックをとめてからゆるく返してくる。それをリュウが軽く打ち返す。ケンも軽く戻す。
 カツーン、……、カツーン、……。
白いパックは、二人の間をゆっくりといったりきたりしていた。その間、リュウは3メートルほど先にいるスーパースターをにらみつけていた。
やがて、ケンが根負けしたようにニヤリと笑った。
「本気を出さないんなら、やめるぜ」
 リュウは、ニコリともしないでいった。
「わかった」
 ケンはそう答えると、いきなりすごいスピードでパックを打ち込んできた。
 ガチーン。
リュウは、かろうじてパックをはじきかえした。 激しい音をたてて、火花がとびそうないきおいだった。こんなにすごいスピードのシュートを受けるのは初めてだ。もう少しで、パドルを手からふっとばされるところだった。
 それを境にして、ケンの一方的な攻撃が始まった。リュウの方は、それをなんとか防ぐのでせいいっぱいだった。
ケンの攻撃は、スピードがすごいだけでなく、コントロールも異常なくらい正確だった。ワンクッション、ツークッションさせても、必ず正確にリュウのゴールをとらえてくる。すべての球筋が、あらかじめ見えているようなのだ。
リュウの方は、さっきとうってかわって防戦一方で、とてもケンのゴールをねらうどころではない。かろうじて、得点を許していないだけだ。
 また、5分がたち、さらに10分がたった。一所懸命パックを受けているうちに、いつのまにか店長のことなんかは気にならなくなっていた。もうどうせ怒られるんだし、こんなすごいエアホッケーなんて、これから二度とできないかもしれない。リュウは、すっかりケンとの戦いに夢中になっていた。そして、ふと向かい側で同じように熱中しているスーパースターも自分と同い年なんだなあと、思ったりしていた。
 突然、ケンがパドルをとめた。パックはそのままゴールに吸い込まれていく。
チーン。
軽いチャイムが鳴って、リュウ側の得点ランプにあかりがともった。
「おれの負けだよ。すごい腕前だ。まさか、こんなにやれるとは思わなかった。これ以上続けて、君がピザ屋をクビになったらこまるしね」
 ケンはそういって、またニヤリとわらった。そういえば、店を出てから、もう一時間近くになっている。今ごろクマ店長は、カンカンに怒っていることだろう。
「でも、こんなにすごいゲームはほんとに初めてだよ。いつもムラタたちとやってんだけど、みんなてんで弱いんだ」
 ケンがそういっても、傷男はもちろん表情を変えない。
「おれも、こんなすげーのは初めてだ」
 リュウは息を弾ませながらそう答えた。本当に心からそう思っていたのだ。右腕はすっかりしびれていたし、額にもびっしりと汗が浮かんできている。
 ところが、ケンの方は何事もなかったようにケロリとしている。すごいスタミナだ。それに反射神経や瞬発力もすごい。
(やっぱり一流のアスリートは違うな)
と、リュウは思っていた。
「まだ、名前聞いてなかったっけ。おれは、……」
 ケンがニッコリしながらいった。
「そんなの世界中の奴が知ってる」
 リュウが息をはずませながら答えた。
「それで、君は?」
「リュウって、いってくれ。君と同い年だ」
「えっ、ほんとに? ふーん、最近のピザ屋は、中学生にバイクで配達させてんのか」
 ケンはさもおもしろそうにわらった。
「……」
 リュウは、
(しまった。ばれちまった)
と、思って、黙っていた。
「安心しろよ。チクッたりしないから」
 ケンがそういったので、リュウはホッとした。
「年齢なんて関係ないさ」
 ケンがそういうと、やっぱり説得力がある。なにしろ弱冠15才のスーパースターなのだから。
「ところで、明日さあ、試合なんだ」
 ケンは、少しはにかんだような表情を浮かべて、また話し出した。
「それも、世界中の奴が知ってる」
 リュウは、なんだか少しおかしいような気分だった。どうやらこのスーパースターは、自分が世界中でどのくらい注目されているか、ぜんぜん自覚していないみたいなのだ。まあ、こんな世間から隔離されたような生活をしていては、それも無理ないかもしれないけれど。
「良かったらさあ。一緒に明日の試合に来てくんないか」
 ケンは、まるで昔からの友だちを遊びに誘うような感じでいった。
「えっ、まじかよ。ファイナルの第五戦だろ。すげえなあ」
 リュウはびっくりしてしまった。
「だけど、バイトがあるからなあ。無断で休んだりしたらクビになっちゃうし」
 もちろん、ギグスのファイナルの試合は見てみたい。
 でも、カンカンに怒っているだろうクマ店長に、急に休ませてくださいとはいいにくかった。
「ムラタ!」
 ケンは傷男を呼ぶと、電話をする身振りをしてみせた。傷男は、すぐにギャモンピザのメニューを手に部屋を出て行った。
「だめだと思うよ、うちの店長、そういうの、うるさいから」
 クマ店長のどなり声が聞こえてくるようだ。
 でも、ケンはだまってニヤニヤしているだけだった。

しばらくして、傷男が部屋に戻ってきた。スマホをリュウに差し出す。
 リュウがおそるおそる電話に出ると、
「あっ、ケイくん。ムラタさんから話は聞いたからね。明日は休んでいいから」
 店長は、意外にも馬鹿ていねいな口調だった。
「えっ、ほんとにいいんですか?」
 リュウは、まだ信じられない思いだった。
 ところが、店長の許可は、明日、休んでいいということだけじゃなかった。なんと、今日の仕事もこのままあがっていいというのだ。リュウは、キツネにでもつままれたような気分だった。
 そのとき、ケンが傷男に向かってニヤリとしたのに、気がついた。
(ははあ、何か仕組んだな)
 傷男が、店長に何か条件を出したに違いない。もしかすると、今日の残りのピザを全部買い占めるとかなんとかいったのかもしれない。それくらいの金は、明日の試合に備えてケンのご機嫌を取るためなら、なんでもないことなのだろう。
(それとも、金髪やゴリラが店長に脅しを?)
 そういえば、店長の声は少しビビッていたようにも思えた。
 しかし、とにもかくにも、こうしてリュウはギグスのファイナルを見に行かれることになったのだ。

 ギグスというのは、内部が低重力になっている透明なアクリル製の大きなチューブの中でやるバスケットボールに似たゲームだ。リングにボールを入れる所はバスケと一緒だが、低重力において行われるので派手な空中戦が売り物だった。
 すばやいパスまわしをして、すごいスピードで相手ゴールに攻めこむ。時には、まわりの壁や天井をキックして、豪快なダンクシュートを決めることもできる。そのときに、派手な宙返りやきりもみをするのが、ギグスの最高の見せ場だった。
また、チューブの中でやるので、壁や天井を使った複雑なパスワークも見所のひとつだ。
 低重力で空中を飛びまわってやるゲームだから、バスケと違って身長などの体格差は関係ない。むしろケンのような小柄な選手の方が、スピードを生かして活躍できるようだ。だから、サッカーと同じように、世界中のどこの国の選手でも、スーパースターになれる可能性がある。ただ、低重力ドームを建設するのにお金がかかるので、今のところは先進国でしか行われていなかった。
 三年前に、アメリカと日本を中心にワールドリーグが結成されてから、急速に人気が高まっている。アメリカに十チーム、ヨーロッパに二チーム、そして、日本にも二チーム、プロのギグスのチームがある。日本からは、ケンのいるトウキョウシクスティセブンスと、大阪に本拠地のあるカンサイクレイジータイガースが参加していた。
 日本やヨーロッパのチームは、ふだんはアメリカのチームと一緒にアメリカ国内をツアーしてまわっている。
当然、日本やヨーロッパのチームにとっては、アウェイゲームばかりだ。
日本やヨーロッパのチームのホームゲームは、時々、日本やヨーロッパに全チームが終結して、一気に消化するのだった。
 トウキョウシクスティセブンスの、今年のレギュラーシーズンの成績は全体の二位。その後のプレイオフを勝ち抜いて、レギュラーシーズン一位のロサンゼルススペースウォリアーズと、ファイナルを戦っていた。
 ケンは、そのギグスで、二年前に史上最年少の13才でプロ契約した天才プレーヤーだった。驚異的な身の軽さを生かしたスピードあふれるプレーを得意としている。
得意技は、フォールスピニングダンク。サイドの壁を蹴って天井に駆け上がり、そこからまっさかさまにきりもみしながらゴールに直接シュートをきめる。世界中でも、彼にしかできない技だった。
デビューした年は、レギュラーシーズンの途中からの参戦だった。それでも、いきなり毎試合三十点以上の得点を決める大活躍で、新人王を獲得している。
昨シーズンは、予想どおりにみごと得点王に輝いた。チームもファイナルまで進出したが、今年の顔合わせと同じロサンゼルススペースウォリアーズに敗れて、惜しくも優勝は逃していた。
ケンは、レギュラーシーズンでは今年も二年連続で得点王を獲得している。今は念願のリーグ優勝とMVPをねらっている。
ケンは、本当ならばまだ義務教育の中学三年生の年令だ。プロ契約した時には公立中学の一年生だった。それからは、シーズン中は転戦転戦で、学校に行く暇がぜんぜんなかった。出席に厳しい公立中学ではとても進級できる状態ではない。それどころか、このままだと児童保護法違反になるところだ。
そこで、チームは出席に甘い私立中学に転校させた。そして、シーズン中は通信教育を受けていることになっている。
でも、それはまったくのおざなりで、ケンの学力は中学一年程度から止まったままだった。まともな学校生活もおくっていないから、同年輩の友だちもぜんぜんいなかった。
 一方、リュウの方も同じ15才だった。中学三年生だから、本当ならば今ごろは受験勉強に追われているころだ。
 ところが、半年前から学校はドロップアウトしてしまっている。
原因は、ささいなことの積み重ねだ。朝に寝坊してしまって遅刻するぐらいならばと、学校をさぼったり、学校への提出物をためてしまって学校に行きづらくなったりだった。
そして、初めは一週間に一回か二回さぼるだけだったのが、そのうちにぜんぜん学校に行かなくなってしまったのだ。
今振り返ってみると、おおもとの原因は、すっかり受験体制になった学校の雰囲気に、なじめなくなったからだったからかもしれない。
リュウは、もともと本を読んだりするのは好きだった。
でも、受験に追いまくられるような学校の勉強は大嫌いだった。
学校に行かなくなってからは、家で好きな本を読んでばかりいた。
両親や先生たちは、なんとかして学校に行かせようとした。
しかし、リュウは頑強にそれを拒んで、かえって自分の部屋に引きこもるようになってしまった。
そんなリュウを心配したアニキのケイが、
「リュウ、学校へ行かなくてもいいけれど、部屋にいてばっかりじゃだめだ」
と、いって、ギャモンピザでのバイトを斡旋してくれたのだった。
 両親から絶大な信頼を勝ち得ているケイのすすめなので、両親もこのバイトのことを黙認していた。

 翌日の昼ごはんを食べてから、リュウは家を出た。どこに行くかは、誰にも話していない。最近の両親は兄貴のケイに説得されて、リュウに対しては放任状態だ。
 リュウはギャモンピザの前を素通りして、マリオットホテルに向かった。
(クマ店長はどうしてるかな?)
と、チラッと思った。昨日の売り上げを保証されて、ホクホクしているかもしれない。
 今日はホテルの正面玄関から入って、エレベーターで43階に向かった。
 エレベーターの前には、今日も金髪とゴリラが見はっていたが、リュウを見るとニコッと笑って、あっさりとケンのスイートルームへ案内してくれた。
 部屋のドアの前には、傷男が立っていた。
「お待ちになっています」
と、いって、すぐにチャイムを押してくれた。
「よう」
しばらくして、ケンがドアを開けた。
「よう」
 リュウも答えた。
「支度するから、ちょっとここで待っててくれ」
 リビングルームに入ったリュウにケンは笑顔でいうと、寝室に戻っていった。

 リュウは豪華な専用リムジンに乗って、ケンと一緒にトウキョウギグスドームにむかった。
リムジンには、運転手以外に、ボディーガードの傷男、ムラタも乗っていた。ゴリラと金髪は、別の車でリムジンを先導している。
 リムジンに乗り込んだ時、リュウはムラタから関係者用のパスを渡された。マスコミの人が持っているような写真入りの立派なものだった。
(そういえば、さっき部屋にいるときに、タブレットで写真をとられたっけ)
 ティクティクティク、ダーン、……。
リムジンの中は、ケンの好きなラップミュージックが、大きな音で鳴り響いていた。
 リュウは、ものめずらしげに車内をキョロキョロ見まわしていた。
運転席とのしきり壁には、液晶の壁掛けテレビがついていて、ミュージッククリップが映し出されている。その横には、メタリックブルーにペイントされた冷蔵庫さえ備えてあった。ケンは、冷蔵庫から良く冷えたダイエットコーラを出して、リュウに渡してくれた。
 座席はフワフワした真っ白なムートンでおおわれていて、すわり心地が抜群だった。リュウは柔らかな座席に、深々とからだをもたれさせていた。
 でも、トウキョウギグスドームはすぐそこなので、10分たらずで着いてしまった。リュウは、もうしばらくこの豪華なリムジンに乗っていたいような気分だった。
 トウキョウギグスドームは、シンジュクの高層ビル群の真ん中にある。銀色に輝く大きなラグビーボールを縦に半分に切ってふせたような不思議な形をしていた。ここは、ギグス用の低重力チューブを備えた室内競技場だ。収容人員は約3万人。野球用のドーム球場を除くと、屋内のスポーツ施設としては日本最大級だった。
 リュウはみんなと一団になって、関係者用の出入り口から入っていった。
 制服のガードマンが、厳重にパスをチェックしてから通してくれた。
「じゃあ、着替えてくるから、先にコートへ行っててくれ」
 ケンは片手を上げて、ロッカールームに消えていった。
 観客席の下にある選手の入場口から、リュウはコートへ出て行った。その中央には、バスケットコートを立体的にしたような巨大な透明チューブが設置されている。
ギグスは、この低重力チューブの中に入って行われるのだ。あたりには、大勢の係員たちが準備のために走りまわっている。
 でも、試合開始までには、まだ二時間近くもあった。周囲にそびえる観客席には、お客さんたちは入っていない。
 リュウはコートに立って、耳をすませてみた。まだ、準備のための物音しか聞こえてこない。
でも、二時間後には、熱狂した観衆の割れんばかりの叫び声であふれかえるのだ。
(わーっ!)
 リュウには、その歓声が聞こえるような気がした。

 ギグスのファイナルは、ホームアンドアウェイの全七戦行われている。
レギュラーシーズン一位のロサンゼルススペースウォリアーズが、自分の本拠地で一試合余計にやるホームコートアドバンテージを持っているので、ロサンゼルスで四試合、トウキョウで三試合が行われる。
初めの二試合は、先週、ロサンゼルスで行われた。
トウキョウシクスティセブンスは、ケンの大活躍で初戦を幸先よく勝っていた。
 でも、スペースウォリアーズも、すぐにケン対策を立て直した。徹底的なマンツーマンのマークでケンを押さえ込んで、第二戦を接戦の末に物にした。これで、一勝一敗。
 続いては、トウキョウに移動しての三連戦。
第三戦は、シクスティセブンスがまたケンの活躍で勝った。これで、対戦成績を二勝一敗とリードした。
 ところが、第四戦の前半にケンが相手選手とぶつかって、ひざをけがしてしまった。そのため、一気にシクスティセブンスが劣勢になった。けっきょくその試合は大敗して、二勝二敗のタイになった。特に、後半は、ケンは出場すらできずに、一方的なゲームになってしまった。
 そして、トウキョウでの最終戦である第五戦が、今日行われるのだ。第四戦でけがをしたケンのひざの具合が心配されるところだ。
この試合は、どちらが勝っても、優勝は決まらない。二日間の移動日をはさんで、ロサンゼルスでの第六戦以降で決着がつけられることになっている。

第1クォーターが始まった。
トウキョウシクスティセブンスは、速いパスまわしで敵陣に攻め込んでいく。選手たちは、めまぐるしく空中を飛びまわって、相手チームをかく乱している。
ボールは、だんだん相手ゴールに近づいてきた。
とつぜん、ケンがすばやく右の壁をかけのぼった。そこにタイミングのいいパスが。
ケンは、空中でそのパスをキャッチ。相手ゴールの上にフリースペースができた。
次の瞬間、ケンは左足で天井をけるとキリモミしながらゴールへまっさかさま。
 フォールスピニングダンクだ。
 ザンッ。
鮮やかにゴールが決まった。相手チームの選手は、呆然と見送ったままだった。
 ウワーッ!
 観客は熱狂して、総立ちで歓声を送っている。
(すげえ!)
 リュウも思わず席を立ち上がっていた。初めて間近に見るケンのプレーは、迫力満点だった。特に、敵のゴール上のフリースペースを使ったフォールスピニングダンクは、ケンならではの決め技だった。 
 ケンは、観衆の声援に手を上げながら自陣に戻っていく。
 第1クォーターも中盤にさしかかった。
「ゴー、ゴー、セブンス!」
 大歓声とともに、トウキョウシクスティセブンスがまた相手ゴールにせまった。
 ケンがサイドの壁にかけあがる。
(フォールスピニングダンクだ)
 観客の誰もが期待した。ケンめがけてロングパス。
 ところが、相手選手がそれをインターセプトしようと、空中に飛び上がった。
(あーっ!)
 ボールをキャッチしようとしたケンと、相手選手が空中で衝突してしまった。
 ピッーッ。
ホイッスルがなった。相手選手のファールだ。二人は、そのままもつれあうように床に落下した。
 相手選手はすぐに立ち上がったのに、ケンはひざをかかえたままうずくまっている。ケンはタンカにのせられて、そのまま退場してしまった。
 長いシーズンも最後のところまできて、どの選手もなんらかのけがはしていた。特に、小柄なケンは接触プレーで飛ばされて壁や天井、床などに激突させられている。ほとんど満身創痍といってもいい。この日も、激しいボディーチェックをうけて、古傷を痛めてしまったのだ。
 ケンを失ったトウキョウシクスティセブンスは、しだいにピンチに追い込まれていった。第2クォーターを終わって、47対38と9点もリードされてしまった。

 ハーフタイムになった。
チューブの中では、セクシーなユニフォームをきたチアリーダーたちが、派手なパフォーマンスで観客席に愛嬌をふりまいている。
リュウはいたたまれなくなって、選手のロッカールームにむかった。
 ロッカールーム周辺は、関係者でごったがえしていた。リュウは人波をかきわけるようにして、ロッカールームのドアを開けた。
「よう」
 ケンがこちらにむかって、すぐに手をあげた。マッサージ台の上に腰をおろしている。
「だいじょうぶなのか?」
 リュウがたずねると、
「まあな」
 ケンはそういって、右足首をあげてみせた。 けがをした個所には、グルグル巻きにテーピングされている。
「後半は出られるのか?」
「もちろん、このくらいで休んでられねえよ」
 ケンはそう答えたけれど、無理をしているのはみえみえだ。けがをおしての、スクランブル出場らしい。いかにこの第五戦が大事なのかがわかる。

 後半戦が始まった。
ケンが復帰してきたおかげで、シクスティセブンスは元気を取り戻している。得意の空中戦に持ち込んで相手コートに迫っていく。
 でも、こんな状況では、さすがのケンもけがの影響か調子が出ない。観客席からも、ケンは少し足を引きずっているように見える。
これでは、得意のフォールスピニングダンクはもちろん、普通のシュートもきまらない。スペースウォリアーズとの点差は、なかなかつまらなかった。
「ああっ」
 また、パスをインターセプトされてしまった。
「ディーフェンス! ディーフェンス!」
 観客が必死に叫ぶ。ケンをはじめとして、シクスティセブンスのメンバーが防御のために戻っていく。
 ザンッ。
また、スペースウォリアーズに得点を決められてしまった。
 ピーッ。
ホイッスルがなって、第3クォーターが終わった。得点は71対63と、まだ8点差もあった。このままでは、シクスティセブンスの勝利は絶望的だった。
最終の第4クォーターに入って、トウキョウシクスティセブンスが猛反撃に移る。ケンが、ようやくスーパープレーを連発するようになったからだ。得意のフォールスピニングダンクも、次々にきまるようになってきた。チームの士気も、それにつれてあがっていく。
「ゴー、セブンス、ゴー」
 観客も、どんどん盛り上がっている。場内は、異常な熱気につつまれ始めた。
 相手のシュートがはずれて、セブンスボールになった。
残り時間は12秒。得点は91対92と、とうとう1点差にまでせまっている。
味方同士ですばやくパスをまわしながら、シクスティセブンスは速攻に移る。敵陣に入ってすぐに、ボールがケンにわたった。
ウォーッ。
場内に歓声が巻き起こる。相手選手がおそいかかる。
 しかし、ケンは敵のディフェンスをかいくぐって、サイドの壁をかけのぼっていった。
 バーーン。
ケンが力強く天井をキックした。キリモミしながら、ゴールめがけておちていく。そこは、ケンだけのフリースペースだ。
 フォールスピニングダンク。
 ザンッ。
ゴールが決まった。
 ファーン。
それと同時に試合終了のブザーがなった。
 93対92。劇的な逆転勝利だ。
 ウワーッ。
観客も総立ちで熱狂している。

 その夜遅くに、リュウとケンは、マリオットホテルトウキョウのラグジュアリタワー4301号室に戻ってきていた。傷男のムラタやゴリラと金髪は、部屋の外で待機している。ようやく傷男も、リュウのことを信用するようになってきていた。もしかすると、交代で食事にでも行っているのかもしれない。
「なんでも好きなの、いっぱい取っていいよ。おれは、もうたいてい食ってるから、何でもいいや」
 ケンがそういって、ルームサービスのメニューをリュウに差し出した。
「いつも、部屋で飯を食ってるのか?」
「ああ」
 今ごろ、日本中のレストランやバーでは、今日のシクスティセブンスの劇的な逆転勝ち、特に最後のケンのスーパープレーの話題で盛り上がっていることだろう。スポーツバーでは、あのプレーを繰り返し大型テレビで流しているに違いない。
 ところが、その本人は一人わびしく、(まあ今日はリュウも一緒だが)、ホテルの一室で食事をしているのだ。もっとも、ケンがどこかに食事に行ったら、それこそツイッターなどで情報が飛び交って、街中が大騒ぎになって収拾がつかなくなってしまうだろうけれど。
(これが、スーパースターの孤独ってやつなのか)
 リュウはあらためてケンの顔を見つめた。
「おいおい、早くしようぜ。おれはハラペコなんだ」
 ケンに催促されるまでもなく、リュウもおなかがすいていた。
「どれにしようかなあ」
 リュウがあらためてメニューをながめると、
「なんでもいいけど、ピザだけはやめておこうぜ」
 ケンはそういって、ニヤリと笑った。
 けっきょく、リュウは、そのままホテルに泊まっていくことになった。
リュウは、びくびくしながら家に電話を入れた。
ルルルー、ルルルー、……。
「もしもし」
ラッキーなことにアニキのケイが出た。家族の中で、ケイだけがリュウの理解者だ。
「ケイ、今日、おれはどこへいったと思う?」
「えっ、例のピザ屋のバイトじゃないのか」
「うん、じつは、……」
 リュウが事情を説明すると、
「ヒャー、ラッキーだなあ。そんなことなら、おれがピザ屋でバイトをすりゃよかった」
 ケイは、心からうらやましがっていた。
「それで、今日はこのままケンのスイートに泊まっていきたいんだけど」
「わかった。とうさんとかあさんには、おれからうまくいっておいてやる」
と、ケイは約束してくれた。
 ケンのスイートルームには、寝室が二つついていた。
「こっちを使ってくれよ」
 ケンがその一つを指し示しながら言った。
 寝室には、ひとつずつトイレとお風呂のあるバスルームがついている。寝室がそれぞれ普通のホテルの部屋になっているようなものなのだ。
 リュウは、手荷物を部屋に置くと、まずシャワーをあびることにした。
 シャー、……。
 熱いシャワーをあびると、一日の疲れが取れていくようだ。今日は、ほんとうに初めて体験するいろいろなことがあった。
 リュウはバスルームを出ると、備え付けのバスローブをはおった。
 リビングルームに行くと、ケンが待っていた。ケンは試合の後でシャワーをあびていたので、今は着替えただけのようだった。
その晩は、真夜中すぎまで、二人でゲームをやった。この孤独なスーパースターは、テレビゲームだけでなく、ボードゲームもたくさん持っていた。
 モノポリー、カタン、マンハッタン、ミッドナイト・パーティー、……。リュウが知らないようなゲームもたくさんあった。世界のスーパースターが、ひっそりと傷男やゴリラたちとゲームをしながら夜をすごしていると思うと、リュウはなんだかおかしかった。

 翌朝、リュウはゆっくりと目をさました。
 目覚めた時、初め自分がどこにいるのか、わからなかった。ふかふかした豪華なベッドで、いつもの自分のとは違う。
(そうか)
 ようやく、ケンのスイートルームに泊ったことを思い出した。
ベッドわきの時計は、もう九時をまわっている。窓の外はすっきりと晴れ上がっていた。今日もいい天気なようだ。
 シャー、……。
 起きぬけに、もう一度部屋のシャワーをあびた。こんな時は、部屋にバスルームがついていると、すごく便利だ。
 さっぱりした顔でリビングルームへ行くと、ケンがもう起きていた。どうやらこのスーパースターは早起きなようだ。
「おはよう」
と、リュウが声をかけると、
「よう。腹がへったよ。早く朝ごはんにしようぜ」
と、ケンが待ちくたびれた様子で答えた。
 その朝も、ルームサービスで、二人で朝食を食べることになった。
 電話で注文すると、意外に早く部屋に届けられた。こんな所も、スイートルームだけは特別扱いなのかもしれない
ボーイさんは、二人分の朝食を部屋へ持ってくると、手早く食卓を整えてくれた。
リュウとケンは、大きなダイニングテーブルに向かい合わせに腰を下ろした。
「リュウ、昨日はサンキュー。どうやら、きみはラッキーボーイのようだな」
 ケンが、スクランブルエッグをほおばりながらいった。
「そんなことはないよ。たまたま勝ち試合にでくわしただけさ」
 リュウは、パンケーキをナイフで切りながら答えた。
「それで、頼みがあるんだ」
 ケンは、まじめな顔をしていった。
「なんだい?」
 リュウが聞き返すと、
「ロサンゼルスの第六戦にも来て欲しいんだ」
 ケンは力をこめていった。
「えっ、ロサンゼルス? すげえなあ。だけど、おれは、バイトがあるからなあ」
 第六戦には、リュウも行ってみたい気がする。
 でも、これ以上休んだら本当に首になってしまう。
「ムラタ!」
 ケンは、そばに立って控えている傷男に、また電話をかけるまねをした。また、店長に交渉しようというのだろう。今度はどんな条件を出すのだろうか。

その日の午後、例のリムジンで成田空港に向かった。
 ホテルの前には、今日も大勢の報道陣やファンがあふれていた。
 ケンが姿を現すと、
「キャーッ!」
「ロスでも、がんばってーっ!」
と、歓声や声援が飛びかった。カメラのフラッシュが切れ目なくたかれて、まぶしいくらいだった。
 リュウは、ケンに続いてリムジンに乗り込んだ。
「やれやれ、これでひといきだな」
 リムジンが動き出すと、ケンが苦笑いをうかべていった。
「でも、ロサンゼルスだって、ファンで大変なんだろ」
 リュウがそういうと、
「そりゃそうさ。でも、ちょっと感じは違うね」
「違うって?」
「ああ、なにしろ敵地だからな。応援よりは、ブーイングの嵐だよ」
「へーっ!」
「でも、もう慣れっこだけどね」
 たしかに、ケンはレギュラーシーズンとプレイオフを合わせて、もう九十試合以上も戦っているのだ。その半数が、敵地での試合だった。アメリカ中、そして、ヨーロッパの各地での試合。まさに、ワールドツアーの一年なのだ。
 やがてリムジンは、成田空港に到着した。今日は豪華なリムジンにたっぷり乗れたので、リュウは満足だった。
 ケンたちが案内されたのは特別な入り口だった。一般の乗客にまぎれて、混乱が生じないようにとの配慮だったらしい。
 リュウは、ケンや他の関係者たちと一緒に、搭乗や出国の手続きをすませた。飛行機も、トウキョウセブンティシクサーズ専用のチャーター機が用意されていた。
 リュウは、今までに二回しか飛行機に乗ったことがなかった。四年前に、家族とハワイへのパック旅行に行ったときの往復だけだ。
でも、そのおかげでパスポートを持っていたので、今回は助かった。パスポートには、小学生時代のまだ幼さの残ったリュウの写真がはってある。兄貴のケイに連絡を取って、ホテルまでパスポートや着替えを持ってきてもらっていた。
「すげえなあ」
 ケンのスイートルームに来たケイはすっかり驚いていた。
「よろしく」
 ケンは、ケイの求めに応じて、彼が持ってきた色紙にサインしてやった。
「ロサンゼルスか。いいなあ」
 ケイは、何度もそういってうらやしがっていた。
 搭乗時間になった。
 小学生のときのパック旅行のときは、長い時間狭いエコノミーの座席にすわりっぱなしだった。すごく疲れたことを、今でも覚えている。
 ところが、搭乗してみると、案内されたのは機内前方のファーストクラスの席だった。
「ここだ」
 ケンが指差したリュウの座席は1Bで、ケンとは隣り合わせの席だった。まわりには、他のプレーヤーたちがすわっている。チームのスタッフは、後方のビジネスクラスの席のようだった。
 でも、そちらもエコノミークラスとは違ってかなりゆったりしているので、そんなに窮屈ではないだろう。
 ファーストクラスの座席は、大きく豪華だった。エコノミークラスとは、比べ物にならないくらいだ。座席と座席の間もたっぷりスペースがとってある。エコノミーだったら、その間にもう一列並べられそうだ。
 ためしに、横のボタンを押してみた。
(うわっ)
 座席が倒れて、理髪店のいすのように完全に平らになった。これなら、ロサンゼルスまでゆっくりと寝ていかれるだろう。そばには、専用の小型スクリーンがついていた。タッチパネル式になっていて、好きな映画やゲームを楽しむことができる。
(すげえなあ)
 リュウはなんだか遠足にでもきたように、ワクワクしてしまった。
「何してんだよ?」
 となりからケンが声をかけてきた。
「いやあ、いろいろついてて面白いんだ」
 リュウがそういうと、
「ふーん?」
 ケンは不思議そうな顔をしていた。もうファーストクラスの座席なんか、慣れっこになっているみたいだった。
 十時間後、リュウたちを乗せたチャーター機は、ロサンゼルス空港に着いた。
 入国手続きは英語で行われたが、リュウにはチンプンカンプンだった。
 でも、ニコニコ笑っていると、係官は肩をすくめてパスポートにスタンプを押してくれた。
 ゲートを出て行くと、ここにも大勢のファンたちが待ち受けていた。日本人が多い。観戦ツアーや現地在住の人たちなのだろう。
「キャーッ!」
「ケーン、がんばってーっ!」
 ケンとならんで外へ出て行くと、ひときわ大きな歓声が巻き起こった。まわりにはアメリカ人もいたが、心配していたブーイングは、ほとんどなかった。
 空港からは、他のプレーヤーたちと一緒に、専用バスで会場近くのホテルにむかった。
リュウは、初めて見るロサンゼルスの街並みを窓からながめていた。街はギグスのファイナルを迎えて、あちこちに大きなたれ幕やポスターがはられている。たいがいは、地元のロサンゼルススペースウォリアーズの選手たちだが、ケンの写真が使われているものもけっこうある。それだけではない。街中に、彼のコマーシャルがあふれていたのだ。
ファストフード、シリアル、ゲームソフト、……。
いろいろな商品に、彼の写真が使われていた。ケンは、日本だけでなく、ここでもスーパースターなようだ。
 バスがホテルに到着した。やっぱりここもマリオット系のホテルだった。このホテルチェーンが、ギグスの公式スポンサーをしている関係だろう。
「キャー!」
「ケーン!」
 ロビーの前には、やっぱりたくさんのファンがつめかけていた。中には、観戦ツアーで、同じホテルに泊まっている人たちもいるらしい。
 選手たちは、ガードマンたちが人垣を押し分けて作った狭い通り道を、足早に通り過ぎた。
 ケンは、ここでも特大のスイートルームに案内された。もちろん、リュウも一緒の部屋だ。この部屋も、大きなリビング以外に寝室やバスルームが二つずつついている。二人でもたっぷり余裕があった。
「ロスは初めてなんだろ。ちょっと観光でもしてきたら」
 荷物をそれぞれの部屋においてから、ケンがリュウにいった。
「ケンは?」
 リュウがそうたずねると、
「……」
 ケンは、さびしそうな笑顔を浮かべるだけだった。このスーパースターは、せっかくロサンゼルスにやって来ても、ホテルから一歩も出られないのだ。もし、外に出たら、どんな騒ぎになるかわからない。このスイートルームも、いつもの傷男や金髪、ゴリラに加えて、現地のボディーガードたちでまわりをかためられていた。

 ピーッ!
ホイッスルとともに第六戦が始まった。パスを受け取ったケンは、サイドの壁を巧みに使ったドリブルで、敵陣に攻め込んでいる。
「ディーフェンス! ディーフェンス!」
 観衆から、いっせいに地元チーム、ロサンゼルススペースウォリアーズの防御をうながす大声援が巻き起こる。
 ケンはすばやく味方の選手にパス。
 しかし、相手チームの選手に、それをカットされてしまった。スペースウォリアーズが、すばやく速攻に移る。
 ウォーッ!
 観衆から歓声がわきあがる。
「ディフェンス!」
 ベンチ横に座っていたリュウは、思わず大声を出していた。
 ケンが、けんめいに相手選手に追いすがっている。
 しかし、あざやかなパスが、ゴールめがけてジャンプした選手に通ってしまった。そのままゴールイン。アリ・ウープ・プレイだ。スペースウォリアーズが先取点をあげた。
ウォーッ!
 観客は総立ちで大喜びだ。すごい歓声のうずが場内をつつんでいる。ほとんどの観客が、スペースウォリアーズのチームカラーの服を着てきているので、場内はイエロー一色だ。リュウも身に付けているシクスティセブンスのチームカラーのブルーは、チラホラしか見えない。
(これが、アウェーでの試合なんだな)
と、リュウは思った。
 試合は、第2クォーターになった。
その後も、スペースウォリアーズのペースで試合は進んでいる。
 観客の応援を受けて、攻撃も防御も激しさを加えている。
 ガチーン。
あちこちで、選手同士の激突が繰り返されていた。
 ピーッ。
 審判のホイッスルが鳴っている。
 また、シクスティセブンスの反則が取られてしまった。
 一方、スペースウォリアーズの選手たちは、反則すれすれの、いや反則気味のプレーを続けているのに、あまり反則が取られていない。
(これがホームチームアドバンテージか)
 観客の一方的な声援が、審判の笛にも影響を与えているようだ。
激しいプレーで、両チームにはけが人も続出している。
ピーッ。
また一人、シクスティセブンスの選手が、担架でチューブから運び出された。
こういった肉弾戦になると、体力で勝るススペースウォリアーズが、シクスティセブンスを圧倒している。
ハーフタイムになって、48対54とシクスティセブンスは六点も負けていた。
 リュウは、選手たちの先回りをして、シクスティセブンスのロッカールームへ行った。
 選手たちが続々と引き上げてくる。
「ケン、足の具合はだいじょうぶか?」
 リュウは、最後にロッカールームに戻ってきたケンに声をかけた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
 そういいながらも、ケンは少し足をひきずっている。
(かなり痛いんだろうなあ)
と、リュウは思った。
 でも、ケンの目にはギラギラと闘志が燃えていた。どうしても、この試合を勝とうという強い意志が感じられる。
 ハーフタイムの休憩時間が終了した。
「がんばれよ」
 リュウが声をかけると、
「おお、まかせとけ」
と、ケンは笑顔を見せた。
「さあいこうぜ!」
「絶対、逆転できる!」
 シクスティセブンスのメンバーは口々に叫びながら、またまばゆい光のあたった低重力チューブの中へ入っていった。
 ピーッ!
 後半戦が始まった。
 ブーー、ブーー、……。
ボールがケンに渡ると、あいかわらず激しいブーイングがおこる。
 でも、ケンは少しもそれに気おされずに、すごいスピードでサイドの壁をドリブルしていった。
 この第3クォーターは、どちらのチームも、壁や天井を使ってジャンプする空中戦が展開された。
観客席から見ていると、まるでビンの中にたくさんのミツバチを閉じ込められて、ブンブン飛びまわっているかのように見えた。こういう戦いは、シクスティセブンスの得意とするところだ。だんだん得点差を詰めていっている。
第3クォーターが終わった。シクスティセブンスは、63対65と二点差に迫っていた。
「最後までねばっていこう。ケン、足の具合はだいじょうぶか?」
 ヘッドコーチが、円陣を組んでいるみんなに指示を出している。
「OK。ひざがパンクしたって、この試合で決めてやる」
 ケンが、目をギラギラと輝かせながら答えた。
「よーし、行くぞ」
 五人の選手たちは、最後に控えの選手たちとパーンとハイタッチをしてから、また低重力チューブの中へ入っていった。
 ピーッ。
いよいよ最後の第4クォーターが始まった。
すばやいパス交換から、ケンが相手ディフェンスをかいくぐって敵陣に入った。
 次の瞬間、ゴール前の味方に矢のようなロングパス。あっという間に、豪快なダンクシュートが決まった。これで、とうとう同点に追いついた。
 ゲームは、その後も一進一退が続いた。
 残り時間は、わずかに17秒。スコアは86対86の同点。
 しかし、相手ボールだった。この攻撃が決まったら、スペースウォーリアーズの勝利が決まる。そして、ギグスのファイナルは、三勝三敗で最終戦にもつれこむことになる。そうなったら、ホームチームのスペースウォーリアーズが有利だろう。
 相手の攻撃が始まった。ゆっくりとパスをまわしながら、ゴールに近づいてくる。
 次の瞬間、ゴール前の選手へすばやいパスが。
 でも、一瞬早くケンが前へ飛び出すと、相手ボールをインターセプトしていた。
 残り時間は、四秒。もうフォールスピニングダンクをやる時間はない。ケンはすばやくドリブルすると、思い切ってロングシュートをはなった。ボールは、きれいな放物線を描いて飛んでいく。
 ウワーッ。
観客席からは、歓声とも悲鳴ともつかぬ叫び声が響いた。
 ザンッ。
ボールがゴールに吸い込まれた。
 ゴールイン。
いちかばちかのシュートが決まって、シックスティセブンスの優勝が決まったのだ。

 表彰式が始まった。
低重力機能が解除されたチューブの中は、関係者や報道陣でごったがえしていた。
 シクスティセブンスの監督が、テレビ局のインタビューを受けている。今日のファイナルは、世界中の百以上の国や地域で生中継されていた。
 いよいよMVPが発表される。
「エム!」、「ヴイ!」、「ピー!」
 観客が口々に叫んでいる。
「ケーン!」
 場内アナウンサーが、大声で叫んだ。予想通りに、ケンが最優秀選手に選ばれた。
 ケンがコートの中央に進んでいく。コミッショナーから、クリスタル製の大きなトロフィーが手渡された。ケンは笑顔でインタビューを受け、応援してくれたファンに感謝している。
 続いて、黄金のワールドカップが、チームのキャプテンに渡された。カップはチームメンバーの間を手渡しされていく。中にはカップにキスをする者もいる。
 カップが、ケンの手に渡った。ケンは、ワールドカップをだきしめて泣いている。
 リュウは、そんな姿をチューブの外からながめていた。
 優勝の記念撮影が始まった。ワールドカップをまんなかに、チームメンバーや関係者が集まっている。
「おーい」
 ケンが手まねきして、リュウをそばに呼びよせた。リュウも、みんなと一緒に記念撮影をすることになった。大勢のカメラマンのたくフラッシュの洪水の中で、ケンもリュウも他のチームメンバーも、最高の笑顔を浮かべていた。

                                        

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那須正幹「ぼくらは海へ」

2020-09-27 11:32:12 | 作品論

 1950年代にスタートした「現代児童文学」が変曲点を迎えた年として、1978年もしくは1980年をあげる研究者が多いです(例えば、石井直人や宮川健郎など)が、その大きな理由として、作者の二つの作品、「それいけズッコケ三人組」と本作品「ぼくらは海へ」の出版があげられます。
 前者は「現代児童文学」では初めての本格的なエンターテインメントシリーズ(最終的には2005年に全50巻で完結しました)の確立であり、後者はいわゆる「タブーの崩壊」(それまで扱われなかった死、非行、家出、家庭崩壊、性などが「現代児童文学」で描かれるようになりました)の代表作のひとつとしてです。
 この二つのタイプの違う代表作のうちで、機を見るに敏な作者は、前者をビジネスチャンスととらえて(ポプラ社の担当編集者で後に社長になる坂井氏も同様に感じていたようです)、後者の方向性については見切りをつけて、「現代児童文学」においてビジネス的には最も成功した作家になりました。
 この卓越したビジネスセンスは、後に「ズッコケ三人組」シリーズのような従来のエンターテインメント作品があまり売れなくなる2000年代に、すっぱりとシリーズを辞めることで再び発揮されました。
 他の記事にも書きましたが、私が児童文学との関わりを再スタートするために、1984年2月に日本児童文学者協会の合宿研究会に参加する時に、課題図書として数十冊の80年代の「現代児童文学」を集中的に読んだのですが(実際には、他の参加者は、それらの本を少ししか読んでいなかったことが後で判明しました)、一番好きだったのが皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」(その記事を参照してください)で、一番衝撃を受けたのがこの作品でした。
 それは、他の当時の読者も同様でしょうが、主要登場人物の一人の少年の死とオープンエンディング(結末を明示せずに読者にゆだねる)のラストでした。
 しかし、30年以上たってこの作品を読み返してみると、この作品の完成度が意外に低いことに気づかされました。
 それは、一見作品テーマのように思われる少年たちの深刻な問題や事件と、天性のストーリーテラーである作者の書き方が、大きく分裂しているように思えたからです。
 文庫本のあとがきで作者自身が書いているように、作者はあくまでも「自分たちで船を作って出発する」少年たちを描きたかっただけなのでしょう。
 主要登場人物である五人の子どもたちには、ギャンブル狂で働かない父親のための貧困、裕福だが不倫をしている父親のための両親の離婚危機、夫に先立たれたために息子の将来に過大な期待をよせる母親、父親が転勤族のために友人たちとの別れを繰り返す孤独、ぜんそくの妹にかかりきりの両親による疎外感と、それぞれに深刻な状況が設定されていますが、それらはあくまでも「自分たちで船を作って出発する」ことの背景にすぎず、作者はこれらの問題にまともに向き合おうとはしていません。
 また、途中から船づくりに参加して、あっさりと船の設計図を書いてしまう優等生と、暴力をふるう番長タイプの二人の少年はいかにもステレオタイプで、前者が少年たちだけで船を完成できたことのリアリティの保証、後者は五人の結束の要因として、それぞれデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の働きをしています。
 初めの五人の少年たちは、一人は事故で死に、一人は引っ越しで町を去り、二人は船で海へ出発して行方不明になり、最後の一人は二人の帰りを待つと、それぞれラストでその後が明確になっています。
 それに引きかえ、デウス・エクス・マキナの二人の少年たちは、役目を終えるといつの間にか物語から姿を消しています。
 他の記事で、エンターテインメントの創作法として繰り返し述べてきましたが、この作品でも、荒唐無稽な設定(少年たちだけでの船の完成、海への出帆など)、ご都合主義のストーリー展開(一人の少年の死、二人の少年だけによる船の修復など)、偶然の多用(前述のデウス・エクス・マキナの少年たちの出現、長期にわたる大人たちの船づくりへの不干渉など)、類型的でデフォルメされた登場人物(少年たちの親たち、デウス・エクス・マキナの少年たちなど)などが十分に発揮されています。
 誤解を招かないように繰り返して述べておきますが、どちらかが良いとか悪いとかと言っているのではなく、リアリズムの作品とエンターテインメントの作品では創作方法が違うと言っているだけなのです。
 作者自身も自分の特質をよく理解しているようで、この後はエンターテインメント作品の方へ大きく舵を取ります。
 なお、文庫本では、同じくエンターテインメント作家であるあさのあつこによる、非常に情緒的な解説を載せています。
 このことは文庫本の売り上げのためにはプラスなのでしょうが、前述しましたように、この作品は「現代児童文学」の変曲点における重要な作品のひとつであるだけに、解説は「現代児童文学史」のわかる人物(例えば、佐藤宗子や石井直人など)に書かせて欲しかったなと思いました。

ぼくらは海へ (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋








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坂村 健「究極のマン=マシン・インターフェース」電脳都市所収

2020-09-26 18:19:14 | 参考文献

 この章では、ポール・アンダースン「アーヴァタール」とジェイムズ・P・ホーガン「創世記機械」に出てくる、究極の人間とコンピュータを結びつける方法、脳波やテレパシーを使うやり方について解説しています。
 残念ながら、現在においてもこうしたインターフェースは実現しておらず、その理由はこの本でも書かれているように、人間の脳がコンピュータで解析するには桁外れに複雑なことがあります。
 このギャップを埋めるために、SFではコンピュータに理解できるような脳波を出せる人間が登場します。
 しかし、最近実験に成功したと言われる桁外れの計算能力を持った量子コンピュータが実現し、さらに身に付けられるほど小型化されれば、普通の人間でもコントロールできるものが実現されるかもしれません。
 さて、この本が書かれた時点での最高のマン・マシン・インターフェースとして紹介されているMITのメディア・ルームは、椅子に座ったままタッチ・パネルやジョイ・スティックを使って、映像を見たり、本をめくったり、電卓、テレビ、電話などを使えるというものです。
 ご存じのように、インターネットや携帯電話通信網やスマホや電子書籍の実現で、現在では遥かに高度なことができる環境を持ち運べるようになっています。
 これを支えているのは、コンピュータや通信技術の進歩なのですが、その背後には他の記事でも書いたような半導体技術の驚くべき進歩があります。
 なにしろ、このメディア・ルームを実現するためにスーパー・コンピュータ四台と周辺機器十台が必要だったのです。
 しかも、スーパー・コンピュータのメモリ容量はたった512キロバイト(メガですらない)です。
 今では、この一万倍以上のメモリがスマホの中に入っています。
 当時の優秀なソフト・エンジニアの指標のひとつが、いかに少ない行数(必要なコンピュータのメモリ容量に比例します)でプログラミングできるかだったのも想像していただけるでしょう。

 

 

 

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坂村 健「OAの未来図②」電脳都市所収

2020-09-26 18:16:57 | 参考文献

 この章では、ロバート・シルヴァーバーグの「時の仮面」に描かれた口述筆記(音声認識によるコンピュータによる文章作成)、自動酒場(コンピュータ制御によるバーテンのいないバー)、ベーパーレス・オフィス、コンピュータ・シミュレーションなどが解説されています。
 ここでも、興味深い以下の項目について述べます。

音声認識:ご存じのように、現在では、Siriやスマートスピーカーのように、様々な音声入力でサービスしている機械が実用化されていますが、この本が発表された1987年にはまだごく特殊な用途にしか実現していませんでした。さらに時代をさかのぼると、1976年に私が書いた卒論は音声のパターン認識がテーマで、大型コンピュータ(そのころはパソコンなど影も形もありませんでした)を使って、「時の仮面」にも出てくるパンチカード入力で、真夏なのに18℃に保たれたコンピュータ室(そのころのコンピュータには真空管が使われていて、専用の部屋が必要なほど馬鹿でかく、また半導体と違って故障しやすいので低温環境でないとすぐにダウンしてしまいます)で、震えながら実験をしたのを覚えています。それでも、認識できたのは、「あ」「い」「う」「え」「お」の五つの母音だけでした。

自動酒場:コスト優位性がなかなか得られなかった(人間を安価な賃金で働かせた方がまだ安いことが多い)ので、ご存じのようにキャッシュレスと監視カメラを使ったコンビニなどの無人店舗は、まだそれほど普及していません。

プログラミング言語:FORTRAN、BASIC、PASCALなどの懐かしい言語が並んでいます。FORTRANは初期の大型コンピュータ用のプログラミング言語で、私が高校三年の時に初めて習ったのも、大学で卒論用にプログラミングしたのもこれでした。BASICは直感的に分かりやすい言語なので、パソコンで採用された例が多く、私が勤めていた会社で作っていたパソコン(工業用なのでワークステーションと称していました)にも採用されていたので、二十代の前半は、世界中のサービスエンジニアが我々の製品(電子計測器です)の動作試験をするためのプログラムを、これを使って書いていました(パソコンが出る前は、キャリキュレータと称していた工業用の専用コンピュータでHPL(Hewlett Packard Language)という会社独自の言語で書いていました)。PASCALには苦い思い出があって、私が二十代後半の時に初めて製品プランナーとして手掛けた、計測システムのプログラミング言語として採用して、大失敗しました。この言語は非常に美しく記述性に優れていたので、私も、開発プロジェクトのマネージャも、プログラミング担当のエンジニアたちも、みんな夢中だったのですが、大規模プログラム用なのでやや難しく、お客様をサポートするアプリケーション・エンジニアの育成に時間がかかって、商機を逃しました。

 

 











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坂村 健「OAの未来図①」電脳都市所収

2020-09-26 18:13:36 | 参考文献

 OAとは、今ではあまり使われなくなりましたが、Office Automationの略で、コンピュータを中心とした電子機器による仕事の機械化を指しています。
 この章では、ジェイムス・P・ホーガンのSF「星を継ぐもの」に描かれた未来の仕事の様子をもとに解説しています。
 ここでも、以下の興味深い項目について述べます。

テレビ電話:この作品では専用ブース行われています。私が会社で海外の事業部とテレビ電話で会議をするようになったのは1990年代ですが、その時も専用の部屋でやっていました。それが、2000年代に入ると、ネットミーティングと称して、自分の席、あるいは自宅のパソコンを使って行われるようになりました。今では、誰もが、スカイプなどを使ってスマホで世界中の人たちとテレビ電話をしているのはご存じのとおりです。

データベース問い合わせ機能:ここでも電話回線による集中処理方式のデーターベース問い合わせ機能が想定されています。1990年代のインターネットの発明が、いかに偉大で世の中を大きく変化させたかが分かります。

集中処理方式と分散処理方式:さすがにコンピュータ・アーキテクトである筆者だけに、将来は通信速度の向上により分散処理が主流になることを予想していますが、おそらくここで予想されていたのは有線方式で、現在のような超高速の無線通信(例えば5G)は想像していなかったようです。

スーパー・パーソナル・コンピューター:現在のノートPCのイメージに近いですが、記憶容量がメガ単位で、現在のギガ単位とは1000倍以上の差があります。筆者は半導体の専門家でもあるのですが、ムーアの法則(インテルの創業者の一人のゴードン・ムーアが1965年に論文に発表した「18か月で半導体の集積度は2倍になる」という有名な経験則)が、五十年以上たった今でもほぼ成り立っているとは思っていなかったかもしれません。

 

 



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坂村 健「未来予測が日常化するとき」電脳都市所収

2020-09-26 18:10:14 | 参考文献

1985年に、当時、非常に人気のあったコンピューター科学者(当時は東京大学の助教授)が、SFが描いた未来世界が、どのように実現されるかを解説した本です。
 この本が書かれてから30年以上がたち、著者の予測自体も当たりハズレがあって、今読み直してみると、多くの示唆を含んでいます。
 この章では、ジョン・ブラナーが1975年に書いた「衝撃波を乗り切れ」を題材にして、未来予測が日常的になった世界を解説しています。
 以下に興味深い項目をあげます。

アルビン・トフラー「第三の波」:1980年に出版された近未来を描いた本でベストセラーになりましたが、すぐにブームは去って1985年の時点では全く見向きもされなくなっていたようです。

家庭百科事典サービス:電話線を使ったデーターベース・サービスか、光ディスクによるサービスなので、価格的にも利便性でも紙の百科事典にたちうちできていませんでした。もちろん、その後に発明されたインターネットによる分散処理によって、現在ではウィキペディアなどが無料で利用できるので、こうしたビジネス自体存在しなくなっています(しいて言えば、電子辞書にその名残があります)。

バグ:この時点でも、大規模ソフトウェアではバグを100%なくすことは不可能だったのですが、現在ではさらにバグが引き起こす社会問題が大規模化しているのはご存じの通りです。

ワーム:自身を複製して他のシステムに拡散するマルウェア(悪意を持ったソフトウェア)で宿主となるソフトウェアを必要とするウィルスとは別の定義なのですが、今は引っくるめてウィルスと呼ばれることが多いので、懐かしいタームになっています。

デルファイ法、クロス・インパクト・マトリクス法、シナリオによる予測、システム・ダイナミックス:いずれも未来予測の手法で、私は事業部のビジネス・プランを立てるために使ったことがありますが、今はほとんど使われていないでしょう。

スーパー・ハッカー:このころはまだ否定的な意味で使われることが多かったと思いますが、現在では非常に重要で価値のある存在と見なされています。

新しい倫理基準:ここではコンピューターを扱う人間に対して求められていますが、AIが一般化した現在では、コンピューター自身にも求められています。

 

 



 

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安藤美紀夫「戦争・核・子ども ―私に寄せて」日本児童文学1984年8月号所収

2020-09-26 08:56:56 | 参考文献

 「核時代と戦争児童文学」という特集の中の論文です。
 著者は「戦争児童文学三五〇選」というブック・リストを取り上げて、「戦争の時代をくぐってきた作家たちが、苦汁にみちた戦争体験をもとに、さまざまな作品を作った。どの作品にも、戦争のほんとうの姿を正しく伝えようとする意欲、戦争の残酷非情な実態を描こうという努力、戦爭という極限状態の中にあっても、人間は常に精いっぱい生きようとしていた事実を描きあげようとする願いが、語りこまれていた。そして、子どもたちか戦争を批判する力をもち、自らが平和をつくりあげる姿勢を身につけることを願って、書きつづけられてきた。(『戦争児童文学三五〇選』の「はじめに」より)」という主張を、それは一面の真実を語っていると同時に、そのことによって、いわゆる戦争児童文学にかかわる評価のかなりの部分がうやむやにされてきたことをも語っている。そしてその多くは、〈反戦〉というテーマを持ちさえすれば、大方のことは許されるという、悪しきテーマ主義に起因している。」と批判しています。
 これは、私が学生時代にそのころ書かれていた戦争児童文学を数多く読んで持った感想と、ほぼ同じです。
 著者は、さらに、たんなる被害者意識だけでなく加害者意識も持った作品を書くことの重要性を、自分自身の作品も例に挙げて指摘しています。
 また、戦争や核の問題が過去の出来事でなく現在も起こり得ることだということを子どもたちに伝えなければならないと、強く主張しています。
 これらの主張もほぼ現在の私の考えと一致するのですが、それはある意味当たり前のことなのかもしれません。
 なぜなら、安藤美紀夫は私にもっとも影響を与えた児童文学者の一人だからです。
 この論文は三十年以上前に書かれたものですが、福島第一原発事故や北朝鮮の核武装化などに直面している私たちにとっては、ますます重要な意味も持ってきていると思います。

日本児童文学 2013年 04月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
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蒲田行進曲

2020-09-23 08:55:38 | 映画

 

 

 1982年公開の日本映画です。

 もともとは、つかこうへいの戯曲で、1980年に紀伊國屋ホールで初演され、紀伊国屋演劇賞を受賞しています。

 さらに、小説化もされて、直木賞を受賞しています。

 スター俳優と売れない女優の恋と、妊娠した彼女を押し付けられた大部屋俳優の悲哀を巡って、三者間の入り組んだ愛憎を、つかこうへい独特の長ゼリフで語って、笑いと涙の世界を繰り広げます。

 映画化においては、主役の安や銀ちゃんにはスター俳優の起用も検討されたようですが、1982年のつかこうへい事務所の解散公演のキャストである平田満と風間杜夫になりました。

 彼らの持つ舞台俳優としての身体性が、映画でも遺憾なく発揮されて、映画を成功に導きました。

 ただし、小夏役には、初演以来一貫して演じていた根岸季衣ではなく、スター女優の松坂慶子が演じました。

 売れない女優役は美人の彼女には似合わない感じですが、体を張った体当たり演技(ヌードシーンもあります)で、映画に華やかさを添えました。

 映画は予想以上のヒットと評価を得て、日本アカデミー賞の作品賞、監督賞(深作欣二)、主演男優賞(平田満)、助演男優賞(風間杜夫)、主演女優賞(松坂慶子)を独占しました。

 私は、紀伊國屋ホールで初演を見ているのですが、その時の配役は、銀ちゃんは加藤健一、安は柄本明と、他の小劇団の座長クラスが演じていましたが、やはりつかこうへい事務所の看板俳優である風間杜夫と平田満の方がはまっている感じです。

 また、この映画のヒットのおかげで、つかこうへい事務症解散後の二人の仕事の場が広がったことは、二人のファンだった私としては、非常に嬉しいことでした。

 

 

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J.K.ローリング「ハリー・ポッターと賢者の石」

2020-09-23 08:53:36 | 作品論

 言わずと知れた世界的ベストセラーの第一作です。

 イギリスのファンタジーの伝統の上に、現代的なアイデアを盛り込んで「現代の魔法物語」という新しいジャンルを創出し、多くの追随者を生み出しました。

 魔法使い、空飛ぶ箒、魔法学校、寮生活、闇の魔法使いとの戦い、マグル(通常の人間)との共存、フクロウの郵便、クイデッチ(空中で行う団体球技)、幽霊、謎解きなど、普通の作品だったら10冊は書けそうなアイデアを、これでもかとてんこ盛りにして、読者を飽きさせません。

 ハードカバーで500ページもある長編も、本離れしているはずの子どもたちが嬉々として読んでいる姿を見ると、本離れの原因が読み手ではなく書き手側にあることがわかります。

 それも、日本だけでなく世界中の子ども達に受け入れられたことを考えると、面白い本は、古今東西の垣根を超えて普遍的であることもわかります。

 まだ日本で翻訳本が出版されないころ、シリーズのたぶん3冊目の発売日にたまたまアメリカに出張していて、空港や街のあちこちで分厚い本を抱えた子ども達や山積みになった本に出くわしたものでした。

 もちろん典型的なエンターテインメント作品なのですが、その一方で、主人公やその男女の友人との友情を描いた児童文学伝統の成長物語でもあります。

 また、作品の主な舞台が全寮制の学校であることも、児童文学の伝統(ケストナーの「飛ぶ教室」など)を踏襲していますが、男女共学にしている点が現代的で読者の幅を広げることに貢献しています。

 

 

 

 

 

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猪熊葉子「小川未明における「童話」の意味」日本児童文学概論所収

2020-09-23 08:47:42 | 参考文献

 1976年に出版された日本児童文学学会編の「日本児童文学概論」の第一章「児童文学とは何か」第二節「日本児童文学の特色」二「なぜ童話は幼い子どものものとしてつくられたか」に含まれている論文です。
 著者は、未明とその追随者たちによる近代童話が「子ども不在」であったと、以下のように批判しています。
「一九二六年、小説と童話を書き分ける苦しさを解消し、以後童話に専心することを宣言してから、未明の作品の世界は大きく変化した。かっての未明童話を特徴づけていた空想世界は徐々に姿を消し、代わって現実的な児童像が描かれ始めた。それとともに、未明の作品には濃厚な教訓奥が感じられるようになった。
 「わが特異な詩形」としての童話を書いている間、未明は子どもの贊美者であり得た。子どものもつ諸々の特性こそが、空想世界の支えであると感じられていたからである。しかし、いよいよ子どもを対象として作品を書く決意をした時、未明は現実の子どもと向き合わざるを得なくなった。そして未明は子どもたちが環境と調和して生きられるように「忠告」する必要を感じるようになる。なぜなら、現実の子どもを目の前にすれば、未明の観念のなかにあった子どものように「無知」「感覚的」「柔順」「真率」な子どもは存在しないことに気付かないわけにいかなかったからである。
 空想的な童話を書いている時期にも、教訓的な童話を書いている時期にも、未明は子どもの側に立って発想してはいなかったと言えよう。すでに見たように、未明は自らの内部を表現するために童話の空想世界を必要としたのであったし、「わが特異な詩形」を捨てて、「子どものために」書こうと努めるようになった時には、おとなの立場に立って,子どもに現実の中で調和的に生きる道を教示したのであったから。いずれにしても、未明は、子どもの眼で世界を見ることはしていなかったのである。
 未明の「童話」が根本的には「子ども不在」の文学であったにせよ、多くの追従者をもった。それは未明の「童話」が、それまでに存在しなかった独自の美をもった作品を生んだことにもよるが、一番大きな原因は、日本の近代のおとなの多くが、未明と同様、真の子どもの発見者でなかったことによるものである。そういうおとなたちにとっては、未明のような方法で作品をつくることが、一番やりやすいことだったからだ。こうして未明の「詩的・情的童話」は、ひとつの伝統を形成していった。」
 しかし、猪熊の示した「現実の子ども」「真の子ども」「生きた子ども」などもまたひとつの観念であり、「子ども」という概念自体、近代(日本の場合は明治以降)に発見されたものにすぎないと、柄谷行人の「児童の発見」(「日本近代文学の起源」所収、その記事を参照してください)の中で批判されました。
 この柄谷の指摘はアリエスの「<子ども>の誕生」の影響下に書かれたものと思われますが、当時の「現代児童文学論者」に大きな衝撃を与え、以降、「子ども」を絶対視していた「現代児童文学論」の見直しが図られるようになりました。
 そういう意味では、この猪熊の文章は、当時の「現代児童文学論者」の「子ども」に対する考えを端的に示すとともに、その限界を明示したことで重要であったと言えるでしょう。

日本児童文学概論
クリエーター情報なし
東京書籍
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大あたりーっ!

2020-09-22 09:51:26 | 作品

「上ヘマイリマス」

 どこからか女の人の声がして、エレベーターのドアが閉まった。
「あっ!」
 あわてて「1」のボタンを押した。
 でも、間に合わなかった。地域住民センターの四階の図書館で借りたばかりのクイズの本を、歩きながら夢中になって読んでいたせいだ。
 エレベーターは、すぐに上へ向かって動き出してしまった。
(上には何があるんだろう?)
 ぼくは、この建物の四階より上には、行ったことがなかった。
 ピンポーン。
 あっという間に、五階に着いてしまった。音もなく、エレベーターのドアが開いた。目の前には、青い上っ張りを着て、両手にモップとバケツを持ったおばさんが立っている。掃除係の人だろうか。
「……」
 なんだか、ぼくが降りるのを待っているようだ。ぼくはペコリとあたまを下げると、用もないのについエレベーターを降りてしまった。
 ズンチャカカ、ズンチャカカ、……。
 すごいボリュームで、音楽がひびいている。
 すぐ前は広いホールになっていて、十数人のおじさんやおばさんたちが、社交ダンスを踊っている真っ最中だった。
「1、2、3。1、2、3。はい、そこでターンして」
 まん中に立っているまっかなドレスのおばさんが、手拍子をしながら叫んだ。他のみんなは、ドタバタとお互いの位置を変えようとしている。
「いてて」
「あっ、ごめんなさい」
 あわてて相手の足をふんづけたり、ころびそうになったりしている人たちもいた。場内は、みんなが体勢を立て直そうと大騒ぎになっている。
「ふふふっ」
 おもしろそうなので、ついエレベーターの下りのボタンを押すのを忘れてしまった。
ズンチャカカ、ズンチャカカ、…。
「はい、1、2、3」
 ようやく立ち直ったみんなは、まじめくさった顔をして、ホールをグルグルまわっている。

「ボク、どこに行くんだい?」
 ダンスがもっと見やすいようにと、壁にそって歩き出した時、いきなりうしろから声をかけられた。
 振り返ると、白いランニングシャツ姿をしたはげ頭のおじいさんが、こちらに向かってニコニコしている。手には、小さな包丁と豆腐のパックを持っていた。
「いえ、ちょっと、…」
 ぼくは、思わず口ごもった。特に、この階のどこかに行こうとしているわけではない。ダンスを見ようとしているだけなのだ。
 ズンチャカカ、ズンチャカカ、……。
 向こうのホールでは、あいかわらず、ヒラヒラのレースがたくさんついたドレスや蝶ネクタイの人たちが、グルグルまわりながら踊っている。
 反対のこちら側には、ランニングシャツに古ぼけたズボンのおじいさんが、包丁と豆腐のパックを持って立っている。
 なんだか、すごく変な組み合わせだ。
「見物すんなら、こっちにきな。ホールの中はじゃまになっから」
 おじいさんは、こっちにむかって手まねきをしている。ぼくは、ゆっくりとそちらに近づいていった。
 おじいさんがいる所は、そこだけ独立した小さな部屋になっている。入り口には、「湯沸かし室」って書いてあった。
 中をのぞくと、正面に大きな湯沸かし器が取り付けられている。さらに、ステンレスの流しと小さな炊飯器、それに一口だけのガスコンロもあった。コンロには古ぼけたなべがかかっていて、野菜がグツグツ煮えている。
「よし、いいあんばいだ」
 おじいさんは手のひらの上で器用に豆腐を切ると、ドサドサッとなべの中に入れた。
 なんだか、こっちもおもしろそうだ。ダンスはひとまずおいといて、おじいさんが料理を作るのを見ていることにした。
 今、ぼくが来ている所は、JR駅前の五階建てのビル。一階と二階はにぎやかなショッピングセンターで、三階以上は地域の住民センターになっている。
 三階が区役所の出張所で、四階は図書室。ここ五階には、案内板によると、カルチャーセンターや会議室があるらしい。
「できた、できた」
 おじいさんは、コンロの火を消してなべをおろした。
「ボク、そいつを持ってきてくれんか」
 ぼくは炊飯器をかかえて、おじいさんの後に続いた。

 フロアの奥は、会議室や実習室になっている。
 おじいさんは、なべを持ってどんどん先へと歩いていく。ぼくも炊飯器を持って、その後について歩いていった。
おじいさんは、第三会議室という看板が出ている部屋の前で、立ち止まった。
ドアには、「避難所」って書いた紙がはってある。四隅のセロテープのひとつがはがれて少し丸まり、黒のマジックの文字は消えかかっていた。
 ドアを開くと、大きな箱や折りたたみ椅子などがゴチャゴチャに置かれて、まるで物置のようになっている。
「こっち、こっち」
 おじいさんが手まねきしている窓のそばに、ぼくの背の高さぐらいのダンボールで、四角く区切った所がある。
 近づいてみると、それが「部屋の中の部屋」だということがわかった。こちら側のダンボールの壁に、四角くくりぬいた小さな「ドア」が作ってあったのだ。
「できだぞお」
 おじいさんが外から声をかけると、
「まあまあ、ごくろうさん」
 女の人の声がして、いきなり「ドア」が内側から開いた。
「お客さんだ」
 おじいさんは、腰をかがめて「部屋」に入っていく。
 ぼくが続くと、びっくりするほど小さなおばあさんが、中にチョコンとすわっていた。三年生のぼくよりも、まだ小さいくらいだ。 
「おやおや、ボク、いらっしゃい」
 白髪頭のおばあさんは、ニコニコしながらていねいにおじぎをした。
「こんにちわ」
 ぼくも、あわててピョコリと頭を下げた。
 おじいさんは、小さな折りたたみのテーブルの上になべを置いた。ぼくもそのテーブルの横に炊飯器をおろした。
おばあさんは、古い茶ダンスの引き戸をあけて、おちゃわんやおはしを出している。プーンと、かびくさいようななつかしいようなにおいがした。前に一緒に暮らしていた、ぼくのおばあちゃんの部屋の茶ダンスと同じにおいだった。 

 そのときだった。
ガチャ。
 いきなり、うしろで大きな音がした。
ぼくがびっくりして立ちあがると、ダンボールの壁越しに、会議室のドアから男の人が一人入ってくるのが見えた。
 ズンチャカカ、ズンチャカカ、……。
 男の人が、そのままドアを開けっ放しにしているので、ホールからのダンスの音楽がいっそう大きく響いてくる。
 男の人はぼくをジロリとにらむと、奥へ行ってゴソゴソと何かを捜しはじめた。
 そのへんは、何か物置場にでもなっているみたいだ。
 しばらくして、ようやく探している物が見つかったのか、男の人は、今度はぼくの方は見向きもしないで、ドアをバタンと閉めて出ていった。
 それにつれて、ホールからのダンスの音楽は小さくなった。
 でも、おじいさんとおばあさんは、平気な顔をしてごはんのしたくを続けている。まるで、今起こったことは違う世界のことか何かのようだった。
 ぼくもようやく安心して、「部屋の中の部屋」に腰を下ろした。
「ボク、いっしょに食べてかない?」
 おばあさんが、さそってくれた。いつのまにか、テーブルの上には、お茶碗とおはしが、三人分並べられている。
「ううん、いりません。もうお昼は食べたから」
 本当はまだ食べてなかったけれど、そう答えておいた。先生やおかあさんからは、知らない人にもらった物を食べたりしないようにいわれている。それに、だいいちぼくの分はあるのだろうか。おじいさんは、おばあさんとの二人分しか用意していなかったはずだ。
「まあまあ、遠慮しないで。と、いっても、なんにもないけどね」
 おばあさんは、さっさとぼくの分もごはんをよそっている。フアーッと、おいしそうなごはんのゆげが立ちのぼった。なべの中身は、野菜と豆腐だけだった。肉も魚も入っていない。あとは、テーブルの上に、つくだにとつけものが少しずつ並んでいるだけだ。
 それでも、おじいさんとおばあさんは、おいしそうにごはんを食べはじめた。
「いただきます」
 ぼくも小さな声でいって、お茶碗を手に取った

 それから、しばらくしてからのことだった。
「おかあさん、避難所って、何?」
 ぼくは、台所でおかあさんにたずねた。
「えっ、なあに?」
 朝ごはんを作っていたおかあさんが、こちらを振り返った。
「今朝のマンガに出てた」
 ぼくは玄関へ出て行って、下駄箱の上から朝刊をとってきた。
「ほら、これ」
 うしろのページの四コママンガを、おかあさんに見せた。ぼくは、毎日このマンガだけは読んでいる。
「ああ、地震のね。ほら、家が壊れちゃったりして、臨時に避難している場所のことよ」
「ふーん、図書館の上にもあるんだよ」
「図書館って。駅前の地域センターの?」
「うん」
「うーん。そういえば、ずっと前の台風で被害が出た時に、あそこが避難所になったような気もするけど。でも、もうとっくになくなっているはずよ」
 おかあさんは、ふしぎそうに首をひねっていた。

 その日の学校の帰りに、ぼくはまたあの「避難所」をたずねていった。
 エレベーターで五階に着くと、今日はダンスはやっていなかった。ホールは、将棋をさしている男の人たちが少しいるだけで、ガランとしている。
「湯沸かし室」をのぞくと、おじいさんは今日はトーストを作っていた。
 どうやら、
(足の具合が悪いんよ)
って、いっていたおばあさんにかわって、いつも食事のしたくをしているらしい。
「こんにちわ」
 ぼくは、ペコリと頭を下げた。
「おや、ぼく。今日も来てくれたのかい」
 おじいさんがこちらに振り返ってニッコリした。なんだか、口のあたりがフガフガしている。もしかすると、入れ歯をはめていないのかもしれない。
 おじいさんは、魚を焼く網の上にパンを置いて焼いているところだった。ガスコンロを弱火にして、じっくりと焼いている。ぼくのうちでは、パンはオーブントースターで焼いていた。でも、「湯沸し室」には、オーブントースターは見あたらなかったから、いつもこうして焼いているらしい。
 おじいさんは、パンが焼きあがると、マーガリンを薄くていねいにぬって、上から砂糖をまぶした。
 ぼくは、そのふうがわりなトーストができあがるのを、ジーッとながめていた。

「ボク、今日もいっしょに食べないか?」
 おじいさんが、テーブルの上にトーストと牛乳の入ったコップを並べながらいった。
「ううん、もう給食、食べてきたから」
 今日は、本当におなかがいっぱいだった。
「ボク、これなら食べるかい?」
 おばあさんが、茶筒からキャラメルを取り出して、ぼくにすすめてくれた。
「ありがとう」
 包み紙をむこうとすると、しけっているのか、しっかりとはりついちゃっている。つめではがそうとしたけれど、少しだけ白く残ってしまった。
 そばで二人がじっと見ているので、気にしないふりをして口にほうりこんだ。
 おばあさんは、安心したようにニッコリとした。
 キャラメルは口の中で少しガサガサしたけれど、甘くておいしかった。
「ボク、荷物はそっちに置いときな」
 おじいさんにいわれて、背負ったままだったランドセルを、窓際におろした。そこだけ、窓の高さに合わせて、ダンボールが少し低く切り取られている。
 窓の両側には、古いカーテンがぶら下がっていた。
 でも、よく見ると、右と左とでは、カーテンの柄が少し違っている。
 窓際に積まれた新聞の山の上に腰掛けて、あらためて「部屋」をながめてみた。
 ぼくの勉強部屋よりも、ずっと小さい。たたみ四枚ぐらいのスペースしかないだろう。反対側の隅には、二人のふとんがたたんで積み上げてある。それ以外の家具は、折りたたみテーブルと茶ダンスがあるだけだ。テレビもない。ただ、古ぼけた小さなラジオが、窓枠の所にのせてあった。

 その日以来、学校の帰りにおじいさんとおばあさんをたずねるのが、ぼくの日課になった。五時の「家に帰りましょう」のチャイムがなるまでの一時間か二時間を、二人とおしゃべりしたり、窓辺でラジオを聞きながらのんびりひなたぼっこしたりしている。
 団地の横のスーパーでレジのパートをしているおかあさんは、六時過ぎにならないと家に戻らない。今までは、それまでの間を、図書館や児童館ですごしていた。もっと前、ぼくのおばあちゃんが一緒に暮らしていたときには、「おばあちゃんの部屋」で遊んでいたけれど。
 おかあさんが前にいっていたように、ここのおじいさんとおばあさんは、去年の台風の時のがけくずれで家がこわされてしまって、この「避難所」にやってきていた。その時は、会議室や実習室だけでは足りなくて、ダンスをやっていたホールにも、たくさんの人たちが避難していたのだそうだ。
 でも、他の人たちはどんどんいなくなって、今では二人だけがポツンと取り残されている。
「若い人たちは、いくらでもやり直せるからなあ」
 おじいさんが、少しさびしそうにいった。
「いまさら、どこかに行けって、いわれてもねえ」
 おばあさんも、ためいきをついた。前に住んでいた所は、もともと地主に立ち退きをいわれていたし、家を立て直すお金もなかった。
 区役所からは、
(遠く離れた場所の区営住宅へ行け)
って、いわれているらしい。
「あそこは、絶対に離れん」
 おじいさんは、その時だけは、別人のような恐い顔をして、地主や区の悪口を言い出した。
 おばあさんの説明によると、いまだに区や地主ともめていて、なかなか行く場所が決まらないのだそうだ。それに、区役所のすすめる区営住宅の場所の近くには、知っている人が誰もいなかった。
「この年になって、知らないご近所の人たちと暮らすってのもねえ」
 おばあさんはそう言うと、もうさめてしまった湯飲みのお茶をひとくち飲んだ。
 二人には、子どもも他の身寄りもいないようだった。

「宝くじって、一度に何枚買うのが一番得だか、知ってるかい?」
 ある日のこと、おじいさんがぼくにたずねた。
 その日も、学校の帰りに二人の所によって、テーブルに宿題をひろげてやっていた。
「うーん、……」
 たくさん買う方が得するような気がするけれど、自信がない。
「あんな、正解は何枚買っても一緒。宝くじの売り上げの中から賞金にまわされるんのは、だいたい四割ぐらいなんだ。だから、一枚買っても、百枚買っても、たとえ一万枚買ってもな、そこからいくらもどってくるかの確率は、やっぱし四割。こういうのを期待値って、いうんだけどな」
「ふーん?」
「また、そんなこといって。ボクには、むずかしすぎるよねえ」
 おばあさんが口をはさんだ。
「だから、買うのは一枚でもいいんだけんど。前後賞ってのもあんだろ。それで、連番で三枚買いてえんだ」
「連番って?」
「おお、続き番号のことさ。だけんど、なかなか三枚だけじゃ、売ってくんねえんだよな。『連番は十枚から』って、売り場の奴に馬鹿にされちまう。売ってくれても、しぶしぶのことが多くってな」
 おじいさんは、不満そうに顔をしかめてみせた。 
「それで、この人な。わざわざ渋谷まで、宝くじ買いにいくんよ」
 ぼくにお茶を入れながら、おばあさんはニッコリした。茶色い前歯の間がすいている。
 おじいさんによると、渋谷のハチ公前の売り場のおばさんは、三枚だけでも、十枚セットをばらして、気持ちよく連番を売ってくれるのだそうだ。それで発売日には、いつも必ずはるばる渋谷の売り場まで、買いに行っているらしい。
「えっ、それなら、電車賃の方が、高くついちゃうんじゃない?」
 ぼくがそういうと、おじいさんはニッコリして定期のような物を見せてくれた。
「これがあれば、七十歳以上の年寄りは、バスと都電と都営地下鉄はロハなんだ」
「ロハって?」
「おっ、そうかそうか、ボクにはわからんか。ロハってのは、タダってこった」
 おじいさんは、紙に、只(ただ)という字を書いてみせた。
「カタカナで縦にロハって書いて、漢字の只って字になるんだ」
「ふーん」
 おじいさんは、古いノートを取り出してきて見せてくれた。
 いつもながめているのだろう。表紙が薄汚れている。
 ……
 六月十四日 第354回全国自治宝くじ
 六月十七日 第249回東京都宝くじ
 六月二十一日 ……
 どうやら、これからの宝くじの発売日が書いてあるらしい。
「へえーっ! 宝くじって、こんなにしょっちゅう売ってるんだ」
「そうなんよ。だから、せわしくって、いけねえ」
 そういいながら、おじいさんはなんだかうれしそうだった。
 週に二、三回、バスや都営地下鉄を乗り継いで、わざわざ遠回りしながら渋谷まで宝くじを買いに行くのが、おじいさんの「仕事」のようになっているらしい。
 それにひきかえ、おばあさんの方は、リューマチで足もとがあぶないので、遠出はできなかった。おじいさんに手を引かれながら、ショッピングセンターの中を散歩するだけにしている。おじいさんがいないときに、ぼくも何度か手を貸してあげたことがあった。おばあさんは、すいている時間を選んで、ショッピングセンターの中をゆっくりと一周する。食料品売り場、日用品売り場、電気製品売り場、……。
 一階も二階もすみずみまで歩きまわるけれど、いつも何も買わなかった。

「ボク、こっちも見てごらん」
 おじいさんは、ノートの別のページを開いた。
 第347回全国自治宝くじ
 一等 60組873024
 二等 ……。
 そこに書かれていたのは、宝くじの抽選結果のようだった。
 そのページだけではない。
 前のページにも、その前のページにも、今までの抽選結果が、細かい字でびっしりと書き込まれている。
「ふふ。この人な、宝くじの予想が趣味なんよ」
 おばあさんにわらわれても、おじいさんは平気な顔をしている。
 ここには新聞を配達してくれないので、発表結果を見るために、いつも駅まで新聞を拾いに行っているのだという。
「山ほど新品が捨ててあって、もってえねえんだ」
 おじいさんは、少しはずかしそうにわらった。
 おじいさんは、予想のやり方を、ぼくに説明してくれた。
「宝くじの抽選ってのは、0から9までの数字が書いてあるグルグルまわってる輪に、きれいな若い子が機械じかけの弓で矢を放ってやるんだ。それがあたったとこが、そのケタの番号ってわけだ。どの番号も、あたる確率は一緒ってことになってる。でも、機械の具合かなんかで、あたる確率が微妙に違ってるんだなあ。だから、おれは抽選結果をためておいて、各ケタごとに、どの数字が一番出てるかを調べてんだ。そいで、その数字を組み合わせて、くじを買うってわけだ」
「ふーん」
 ぼくが感心していると、
「ほら、ボク。こいつは、他の人にはないしょだぜ」
 おじいさんがそっと見せてくれたページには、ケタごとに、今までにあたりがたくさん出た順番に数字がならべてある。
 一番あたりが出ているのは、十万のケタは3。
 一万のケタは7。
 千のケタは…。
 熱心にしゃべっているおじいさんと、それをニコニコしながら聞いているおばあさん。
 そんな二人を見ていると、なんだか不思議なうれしさで、頭のすみがジーンとしびれてきた。
「このやり方で、四等の一万円が当たったことがあるんだぜ」
 おじいさんが、胸をはっていった。
「すごーい!」
「もう十年も前のことだけどね」
 からかうように口をはさんだおばあさんを、おじいさんはにらみつけている。

「ボクんちじゃ、宝くじなんか、興味ないんだろ」
「ううん。うちでも、おとうさんが、『五億円くらい、あたらないかなあ。そしたら、すぐに会社をやめちゃうのに』って、よくいってるよ」
「へーっ。ジャンボってわけだ」
「そう。それで、おかあさんに『じゃあ、宝くじを買ったら』って、いわれるんだけど、一度も買ったためしがないんだ」
「おれは、五億円なんていらねえ。一千万円か二千万でいいんだ」
「あたったら、どうするの?」
「もちろん、こんな所とはおさらばさ。あの家を建て直して、ばあさんとやり直すんだ。でも、その前にな、思いっきりどなってやるんだ」
 そこでおじいさんは、ひといきいれると大声で叫んだ。
「大あたりーっ!」
 ぼくがびっくりしていると、
「鐘があるといいんだけどね」
 おばあさんがニコニコしていった。
「鐘って?」
「ほら、福引きの特等のときに鳴らすやつさ。ジャラン、ジャランって」
と、おじいさんが説明した。
「こいつは、前に年末の大売り出しの時に、特等をあてたことがあるのさ」
「いい音だったねえ」
 おばあさんは、うっとりと目を細めている。
「賞品は?」
「そう、たしか、ミシンだったかねえ」
「えーっ、変なの」
「うーん。昔のことだから」
「ぼくが生まれるより前?」
「もちろん。もしかすると、ボクのおとうちゃんが生まれる前かもしれないねえ」
 おばあさんはそういうと、少しさびしそうにわらった。
「これが次の奴だ」
 おじいさんが、はじがやぶれかかった黒いさいふから、大事そうに宝くじを取り出した。
 第348回全国宝くじ。一等の賞金は二千万円。前後賞がないせいか、一枚きりしか買ってなかった。
「34組の378970。ほらな、おあつらえむけの番号が買えたってわけだ」
 おじいさんが、満足そうにうなずいている。
「34組の3、7、8、9、7、0。うん、ぜんぶ一番あたる番号だね」
 ぼくも、ノートの予想番号を見ながらくりかえした。

 次の日、先生の研修日なのでいつもよりも早く地域住民センターへ行くと、二人の「部屋」には誰もいなかった。
(ショッピングセンターに、散歩にでもいってるのかな?)
 ぼくはランドセルを背負ったまま、エレベーターで一階までおりた。
 夕ごはんの買物にはまだ少し早いのか、食料品売り場はすいていた。
 おいしそうな物があふれるように積まれた棚の間をぬいながら、ぼくは二人をさがし始めた。
(いた!)
 肉売り場の方に、おばあさんがいるのが見えた。
 でも、おじいさんの姿が見えない。いつもなら、二人でしっかりと手をつないでいるのに、今日はおばあさんだけが、つえをついて立っている。
(あっ、そうか)
 その時、急に思い出した。今日は、宝くじの発売日だったのだ。今ごろは渋谷からの帰りで、東京のどこかでバスにゆられているのだろう。
 おばあさんに近づいていくと、試食品のソーセージを食べているところだった。
(おばあさん)
 声をかけようとして、ハッとして立ち止まってしまった。おばあさんが、あまりにもおいしそうな顔をして、ソーセージを食べていたからだ。食べてしまうのをおしむかのように、ゆっくりゆっくりと口を動かしている。
 おばあさんは食べおわると、ようじをていねいにゴミ箱にすてて向こうへ歩き出した。
「やあねえ。あのおばあさん、毎日来るんだから」
 試食コーナーのそばをとおったとき、店員のおばさんが、顔をしかめてそばの人にいうのが聞こえた。
 その時、なぜか胸がキューンとしめつけられるような感じがした。まるで、自分のおばあちゃんが、そういわれたような気がしていた。
 そして、ぼくの家の二階の部屋のことを思い出した。そこは、今でも「おばあちゃんの部屋」ってよばれているけれど、去年、おばあちゃんがもと住んでいた町に戻ってしまってからは一度も使われていない。 ぼくはおとうさんと一緒に、お正月におばあちゃんの家に遊びに行ったけれど、どういうわけかおばあちゃんは一度もこちらに来たことはなかった。
(その部屋に、二人で引っ越しって来てもらうわけにはいかないのだろうか?)
 つえをつきながらゆっくりと歩いていくおばあさんの背中を見ながら、ぼくはそんなことを考えていた。

「あはははっ」
 いつものように、ドジな4コママンガの主人公をわらっていた。
(あっ、そうだ!)
 ふと思いついて、前に避難所のおじいさんが教えてくれた、宝くじの当選発表が載っているページをめくった。
 第348回全国宝くじ。
 この前、おじいさんが見せてくれた宝くじの発表だ。
(一等の番号は、……)
 ぼくは、じっと新聞をのぞきこんだ。
 34組378970
( えっ! まさか?)
 おじいさんが見せてくれた、あの宝くじの番号だ。
 一等賞金二千万円。おじいさんの夢が、とうとうかなったのだ。これで、二人は「避難所」をぬけだして、自分の家に戻ることができる。
 ぼくは新聞をにぎりしめたまま、すぐに部屋から玄関へとび出していった。
 きっと、二人はまだこのことを知らない。少しでも早く教えてあげたかった。
「どこへ行くの! もうすぐ朝ごはんよ」
 うしろから、おかあさんがどなっているのが聞こえてきた。
「あとで食べるから」
 ぼくはうしろにむかっていうと、外へかけだしていった。

 いつもなら歩いて十分はかかるのに、ずっと走ってきたから、今朝はあっという間に着いた。
 でも、一階のショッピングセンターの入り口には、まだシャッターが降りている。
 正面のエレベーターのボタンを押した。
 これもだめだ。ランプがつかない。まだ、動いていないようだ。
 あたりをキョロキョロしていると、非常階段の緑のサインが目に入った。
 かけよってノブに手をかけると、かぎはかかっていない。ぼくは重いドアを開けて、一気に非常階段をかけのぼり始めた。
 ビルの横に取り付けられたらせん階段を、グルグルまわりながらのぼっていく。息が切れて何度も立ち止まりそうになったけれど、なんとか五階までたどりついた。
 金属製のドアを開けて中へ入り、うす暗い廊下をつっぱしって、第三会議室へ。
(あれ?)
 ドアにはってあった「避難所」の紙がなくなっている。四すみのセロテープの跡だけがかすかに残っていた。
(とうとうはがれちゃったのかな)
 そう思って、ドアのノブに手をかけた。
(えっ?)
 かぎがかかっている。今までは、一度もそういうことはなかった。
 ドンドンドン、ドンドンドン。
 ドアを、何度もおもいっきりノックした。
 でも、とうとう中からは返事がなかった。

 三階の市役所の出張所まで下りていったが、そこもまだ閉まっていた。
 正面の時計は、まだ八時二十分をすぎたところだ。
(何時に開くのだろう?)
 ぼくは、足踏みするような思いで、時間が早く過ぎるのを願った。
 八時四十五分になって、ようやく三階の区役所の出張所が開いた。
 ぼくは、すぐに窓口に駆け寄った。
「あのー、五階の……、会議室にいた……」
 なんとか、二人のことを聞き出そうとした。
 でも、窓口のおじさんは、めんどうくさそうな顔をするだけで、何も教えてくれなかった。
「それより、学校はどうしたんだい?」
 壁の時計を見ると、とっくに学校が始まる時刻をすぎている。
 いじわるそうな顔をしたおじさんににらまれて、とうとうそれ以上は聞けなくなってしまった。
 出張所を出ると、もう一度今度はエレベーターで五階に上がってみた。
 いつのまにか、第三会議室のかぎはかかっていない。
 ドアを開けて中に入ってみた。
 でも、二人の「部屋の中の部屋」は、すっかりなくなっていた。テーブルやいすが何列もならべられて、きちんと会議室の形になっている。まるで、ずっと前からそうだったかのようだ。二人が住んでいたようすは、あとかたもなくなっていた。

(いったい、どこへ行ってしまったんだろう?)
 窓から外をながめながら、ぼくはぼんやり考えていた。外からは、びっくりするぐらい強い初夏の日差しがさしこんでいる。 
(急に行き先が決まって、出ていったのだろうか?)
(前に住んでいた所へ戻れたのだろうか?)
(それともあの区営住宅だろうか?)
 考えれば考えるほど、頭の中が混乱してくる。
 どこかに、ぼくにあてた手紙か何かがないだろうかと思って、「部屋」があった窓のあたりをさがしてみた。
 でも、何も手がかりはなかった。
 もしかすると、区役所の人たちに片づけられてしまったのかもしれない。
 その時、まだ右手に、新聞をにぎりしめたままだったことに気がついた。
 宝くじの当選発表のページを、またひろげてみた。
 一等 34組378970
 何度見直しても、おじいさんが見せてくれた宝くじの番号だ。
(そうだ!)
 この宝くじがあるかぎり、どこへ行っても、
(やり直したい)
って、いっていた二人の夢がかなうかもしれない。
 そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなるような気がした。
「大あたりーっ!」
 そっと、口の中でつぶやいてみた。
 いつものランニングシャツ姿で、その何十倍もの大声でどなっていたおじいさんの姿が目にうかんでくる。そして、その隣でおばあさんがニコニコしながら、大きな鐘をジャランジャランと力いっぱいならしているような気がするのだった。

     

 

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ソリタリー

2020-09-21 11:02:38 | 考察

 「ソリタリー」とは、孤独でもそれを自分で克服できる人のことで、他の人と協調して何かをするよりも、自分一人で工夫して物事をした方が成果が上がることが多いようです。
 私は典型的なソリタリーで、私の本質が「一人遊び」にあることは、今は亡き畏友の廣越たかし(児童文学作家)に出会って早々に看破されてしまいました。
 振り返ってみると、おびただしい数の一人遊び(いくつか例をあげると、自作自演の紙相撲、メンコの一枚一枚を擬人化していろいろな物語やスポーツを空想する遊び、自分でルールを決めて六角鉛筆をサイコロの代わりにしてやる競馬、野球、アメフト、スキージャンプなどのゲーム、授業中にコマや教科書を使ってやる空想ゲーム、まだパソコンやファミコンが実用化してなかった頃に自作したいろいろな電子ゲームなど)を考案し、授業中や通学の車内や自室や会社の就業中などの退屈な時間をやり過ごしていたのですが、創作活動もその延長上にあると思われます。
 このソリタリー性質は生得の要素もあるでしょうが、非常にいびつな生育環境(幼稚園の時から一人で遠くの学校(しかも公立の)に電車に乗って通っていました)によって形成されたものだと推察しています。
 幸い外資系の会社に入ったので、このソリタリーは評価されやすく、居心地も悪くありませんでした。
 マネージャーになって部下を持つようになると、この性質はマイナスに働いたのですが、幸い商品やビジネスをプランニングするのが仕事だったため、プラスに働いたことの方が多くありました。
 しかし、振り返ってみると、大勢部下がいた時よりも、少人数だったり一人もいなかった時の方が、いい仕事ができたようです。
 それでも、会社や家庭などの社会生活を営むようになると、ソリタリーはかなり抑圧されて影をひそめていました(学生時代は、いい成績さえ取っていれば親も教師も文句はないので、ソリタリー全開でした)。
 しかし、会社を離れ子どもたちも巣立つと、ソリタリーはむくむくと頭をもたげてきました。
 そのことは、創作や研究活動にはプラスに働いているのですが、活動範囲はどんどん縮小していって、家族と一緒でない場合は家から車で30分以内の場所で生活しています。

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宮沢賢治「序」注文の多い料理店所収

2020-09-20 09:04:12 | 作品論

 大正十二年十二月二十日に書かれた、賢治が生前に発行した唯一の童話集の序文です。
 ここに書かれているのは、賢治がどのように作品の発想を得て、それを作品に仕上げて、それらの作品を読者に読んでもらった時に何を願っているかが、非常に素直に書かれています。
 作品の発想は自分の周辺に広がっている自然や社会から得て、それらをできるだけそのままに素直に作品に仕上げ(あるいは書かざるを得なくなり)、読者にとってそれらが何らかの役に立つことを心から願っています。
 本来の児童文学者ならば、誰もがこのような姿勢で、創作に取り組むべきでしょう。
 しかし、現実の児童文学の世界を眺めてみると
「本を出したい」
「本を売りたい」
 そういった、本来ならば二次的な創作の動機を前面に出して執筆している児童文学の書き手がなんと多いことか。
 その一方で、この序文を読んでみると、これ自体が一篇の非常に優れた作品であることにも気づかざるを得ません。
 そして、「詩心」とか、「童話的資質」といった、努力だけではどうにもならない事にも、同時に気づかされてしまいます。
 それは、以下に引用する末尾の文章だけでも明らかなことでしょう。
「けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」
 

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宮川健郎「<子ども>の再発見」講座昭和文学史第3巻所収

2020-09-19 09:40:06 | 参考文献

 1959年にスタートしたと言われる(私はそれよりも早く少なくとも1950年代半ばには始まっているという立場をとっています)「現代児童文学」(一般的には2010年に完全に終焉したとしていますが、私はそれよりもずっと早く1990年代半ばには終焉していたという立場です)の特質である「散文性の獲得」、「変革の意志」、「子どもへの関心」のうちで、特に「子ども」を中心にまとめた論文です。
 特に新しい意見はないのですが、児童文学における「子ども」についてのいろいろな論が要領よくまとめられています。
 近代童話において小川未明らが主張した「童心」という観念の中の子ども、「無知」「感覚的」「従順」「真率」な子どもは、「現実の子ども」「真の子ども」「生きた子ども」ではないと、「現代児童文学論者」たちは主張しました。
 しかし、この「現実の子ども」などもまたひとつの観念であり、「子ども」という概念自体、近代(日本の場合は明治以降)に発見されたものにすぎないと、柄谷行人の「児童の発見」(「日本近代文学の起源」所収、その記事を参照してください)の中で批判されています(この論は、アリエスの「<子供>の誕生」に基づいて書かれたと言われています)。
 このように、児童文学における「子ども」の位置づけは、非常に流動的で相対的なものであると思われます。
 児童文学の創作においてよく問題になるのが、児童文学を書くのは「子どものためなのか」、それとも「作者の自己実現のためなのか」ということです。
 私自身の創作体験や同人誌活動などで実際に観察した他の書き手たちにおいては、これはどちらかひとつということではなく、両方を含んでいると思われます。
 ただし、その割合は書き手によって様々でしょう。
 私自身の場合は、創作活動は「自己実現のため」でもあり、「内なる子ども(過去の自分でもあり、今現在の自分の中に残っている子どもの部分でもあります)のため」でもあったと思います。
 実生活で自分の子どもたちを得てからは、「その子たちのため」であったり、「その子たちの姿を残すため(創作では写真やビデオではできない内面まで残すことができます)」だったと思われます。
 雑誌「日本児童文学2013年5-6月号」において、児童文学研究者の佐藤宗子は「一つの終焉、そのあとに」という文章(その記事を参照してください)で、「現代児童文学」が終焉した後の「<児童文学>は、大人にも子どもにも共有される、広義のエンターテインメントの一ジャンルになりつつあるのではないか。」と述べています。
 私は「女性のみの」という留保付きでその意見に賛成なのですが、そうしてみるとすでに児童文学において「子ども」とは何かという問い自体が意味を失っているのかもしれません。
 話は飛びますが、「現代児童文学」が1950年代半ばから1990年代半ばまでであった背景としては、現代日本史のひとつの区分である「55年体制確立からバブル崩壊まで」の日本の「工業化社会」時代と関係があると、私は考えています。
 おそらく、それには、「工業化社会」に伴う「資本家階級と労働者階級の対立」、「一億総中流化」、「専業主婦の出現」などが強く影響していると思われます。

 

抑圧と解放 戦中から戦後へ (講座 昭和文学史)
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