現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

庄野英二「一枚のはがき」愛のくさり所収

2019-09-30 09:19:44 | 参考文献
 作者は、「ロッテルダムの灯」でエッセイストクラブ賞を受賞した、エッセイの名手です。
 この作品でも、簡潔な文章で人間の本質を鋭くとらえています。
 作者が学生の時に、友人二人と四国の剣山を登ったときのことです。
 その前に、父の郷里の山里にある叔父の家に立ち寄ります。
 叔父さんは、大阪から来た甥とその友人たちを、鶏をつぶしたり、鰻を焼いたりして、下にもおかず歓待してくれます。
 さらには、山の途中まで三人の重い荷物をかついで運んでくれます。
 大阪へ帰ってしばらくして、一枚のはがきが、叔父から父親に届きます。
 三人の誰からもはがきが届かないという内容です。
 別に責めるわけでもなく、ただ「このごろの若い者はのんきだなあ」と、書いてありました。
 作者は、お礼のはがきを出さなかった友人たちをうらめしく思うとともに、自分自身も恥ずかしく感じます。
 私にも覚えがありますが、お世話になった人へのお礼のはがきや電話(今ならメールやラインかもしれませんが)をしそびれた時の気まずさはいつまでも忘れられません。
 それよりおかしいのが、「このごろの若い者」というフレーズです。
 作者は、私の父親と同年輩なのですが、いつの時代でも「このごろの若い者」は、その上の世代から見ると常識はずれの存在のようです。
 もっとも、ギリシャだか、ローマだかの遺跡からも、「このごろの若い者」を嘆く文章が出てきたそうですから、これは不変の原理なのかもしれません。
 ちなみに、作者の本業は学校の先生ですが、児童文学作家としても、「星の牧場」などの優れた作品があります。
 また、実弟の庄野潤三は芥川賞作家ですが、同様に「明夫と良二」などの優れた児童文学作品もあります。
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向田邦子「潰れた鶴」眠る盃所収

2019-09-28 09:17:02 | 参考文献
 しっかりとしたお嬢さんと、学校でも社会でもいつも誉められていた著者が、いい気になって他人の面倒ばかり見ていたら、いつも貧乏くじばかりひいて一人取り残され、婚期までのがしてしまったと、慨嘆しています。
 女は、しっかりしているなどとは言われずに、失敗してベソをかいているほうが可愛げがあって、幸せなのではないかと書きながら、少しも惨めに感じられないのは、読者が、著者が成功した脚本家で直木賞作家でもあることを十分承知しているからでしょう。
 いや、むしろこうした当時の女性の幸せを逃していることアピールは、親近感をいだかせる効果があったかもしれません。
 そう思わせるほど、作者の文章はうまいのです。
 いや、うますぎるのかもしれません。
 読者が期待する言葉をピシャリピシャリと、精密機械のように的確に書いています。
 「あざとい」という言葉は、否定的な文脈で使われることが多いのですが、作者の文章は、本当にあざといぐらいうまいのです。
 今まで、数々の美しい文章や迫力のある文章や滋味のある文章や上手な文章を読んできましたが、うまい文章では、作者は一、二を争う書き手でしょう。
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向田邦子「字のない葉書」眠る盃所収

2019-09-26 09:05:49 | 参考文献
 人気テレビドラマの脚本家であるとともに直木賞作家の著者は、稀代のエッセイの名手ですが、特にその中にたびたび登場する父親像は秀逸です。
 時には暴力も振るうような暴君で、典型的な戦前の亭主関白なカミナリ親父なのですが、その一方で家族、特に子どもたちへの愛情にあふれています。
 この人物像は著者の代表作の一つである「あ・うん」に登場する父親にも生かされていて、そのためか、エッセイを読んでいるとテレビドラマでその役を演じたフランキー堺の姿が浮かんできてしまいます。
 「字のない葉書」とは、敗戦間際に3月10日の東京空襲で命拾いして、幼くて不憫なのでそれまで手元に残していた著者の下の妹(上の妹はとうに疎開しています)も甲府に疎開に送り出した時に持たせた葉書の事です。
 父親がおびただしい葉書のすべてに自分あての宛名を書いて、まだ字が書けない幼い妹に、「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい」と、持たせたのです。
 最初は紙いっぱいはみ出すほどの威勢のいい赤鉛筆の大マルのはがきが届いた(地元の婦人会が赤飯やボタ餅で歓待してくれたので、南瓜のツルまで食べるほどの食糧難だった東京から行った妹はとても嬉しかったのでしょう)ものの、翌日からマルが急激に小さくなり、それがやがてバツになり、それも届かなくなってしまいます。
 三月目に母親が迎えに行った時、百日咳を患っていた妹は、虱だらけの頭で三畳の布団部屋に寝かされていました。
 妹を迎えるために、著者と弟は、普段は父親にうるさく管理されている家庭菜園(戦中は食べ物がないので庭をつぶして野菜を植えていたのです)の南瓜をすべて収穫して、客間に並べて待っています。 
 夜遅くに妹が帰ってきたとき、父親は裸足で家を飛び出して、痩せた妹の肩を抱いて声を上げて泣きました。
 ここには、父親の子どもに対する愛情の、一つの理想形があると思います。
 私は、二人の息子たち(もうとっくに成人していますが)を一度も叩いた(たとえおしりでも)ことはありませんが、この時の著者の父親のような愛情をみせたことがあるかどうかは自信がありません。

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ウォーレン・フレンチ「いんちきな世界ときれいな世界」サリンジャー研究所収

2019-09-24 10:45:53 | 参考文献
 タイトルの「いんちきな」は原文ではphonyであり、「きれいな」はniceです。
 日本語訳は、著者の意図通りに訳しているようなので問題ないのですが、niceに関しては、サリンジャーが使っている本来の意味では、客観的な「きれいな」ではなく、主観的な「(自分の)好きな」の方が適切だと思われます。
 そのため、著者は、この論文において、客観と主観を混同していて、サリンジャー作品を論理的に読んでいるようで、実はかなり間違った読み方をしています。
 つまり、サリンジャーの描くniceな世界は、あくまでもサリンジャー及び登場人物の主観によるもので、そのために社会における既成の(経済活動や国家や宗教などが求め、サリンジャーや登場人物にとってはphonyな)価値観と対立して(多くの場合は敗れて)しまうのです。
 そして、それがゆえに、サリンジャー作品は、同じ問題(niceな自分の世界とphonyな社会との対立)に悩む多くの若い世代に共感を得たのです。
 これは、現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さ、社会への不適合など)に直面した高度成長期(アメリカでは戦後から1950年代にかけて、日本では1960年代から1970年代にかけて、発展途上国では現在も)以降の若い世代にとっては非常に深刻な問題であり、それゆえ現在でもサリンジャー作品が世界中で読まれているのです。
 このniceな世界とphonyな世界の対立は、児童文学にとっても重要なテーマです。
 児童文学のことばに直すと、「子どもの論理」と「大人の論理」の対立ということになります。
 本来の児童文学者は、つねに「子どもの論理」の側に立っていなければならないのですが、この基本的な事柄ですら全く忘れられてしまっている(あるいは知らない)児童文学作家が大半なのが現状です。
 この論文では、サリンジャー論をどの作品からスタートするについて、著者の独自性を主張しています。
 つまり、一般的な「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(代表作であり、唯一の長編)、「バナナ魚にはもってこいの日」(グラス家サーガの第一作であり、その中心人物のシーモァがいきなり自殺してしまいます)、「若い人」(デビュー作の短編)、「エズメのために ― 愛と背徳をこめて」(一番の傑作と言われ、人気が高い)ではなく、「コネチカットのグラグラカカ父さん」を選んだことです。
 その一番の理由として、niceな世界がphonyな世界に敗れた後の作品だからだとしています。
 やや奇をてらいすぎている感じがしますが、この作品がサリンジャーの唯一の映画化された作品であり、その脚本が商業的成功(まさにphonyな世界ですね)のために、いかに改悪されたかが詳述されていて、その後サリンジャーがいかなる映画化の話も断固として拒絶した理由が分かって、参考になりました。
 それにしても、映画化の話に飛びついて、どんなに改悪されても唯々諾々と受け入れて、さらには喜んでチョイ役で出演までしてしまうphonyな児童文学作家がいることを考えると、サリンジャーの姿勢には清々しささえ感じます。




 




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佐藤幸雄、今井正人、佐藤アヤ子「作品のアウトライン」J.D.サリンジャー文学の研究所収

2019-09-23 09:47:28 | 参考文献
 サリンジャーの全37作品のあらすじがまとめられているので、後続の論文を読んでいる時に「作品名」が出てきても、いちいち作品を読み返さなくてもいいので便利です。
 特に、長編の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」については、全26章の簡単なあらすじまでついているので、論文で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の文章が引用されてもどの章だったか見当がつくので、原文を探す時にすごく便利です。
 ほとんどの作品のあらすじは、できるだけ担当者の私見が入らないような客観的な書き方がされています。
 ただし、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、「フラニー」、「ズーイ」、「ハプワース16、一九二四」に関しては、担当の佐藤アヤ子氏の私見がかなり含まれているので、実際の作品を読む前にこれを読むと、先入観なしに作品を読むチャンスを失うという「落とし穴」にはまる可能性があります。
 特に、「ズーイ」と「ハプワース16、一九二四」は、物語を読むのに慣れたコモンリーダーと呼ばれる通常の読者にはかなり難解な部分がある(ストーリー性がほとんどありません)ので、佐藤アヤ子氏の私見に引きずられてしまうかもしれません。
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古田足日「宿題ひきうけ株式会社」

2019-09-23 08:32:18 | 参考文献
 作品論ではなく、作者と作品の関係について考えてみました。
 この作品は1966年2月に出版され、翌年の日本児童文学者協会賞を受賞した作者の代表作のひとつです。
 しかし、話を複雑にしているのは、1996年に新版が出ていることです。
 これは、作中に引用していた宇野浩二の「春を告げる鳥」の引用およびそれに対する作中人物の感想が「アイヌ民族差別だ」という抗議を1995年に受けて、作者のオリジナル作品とその感想に差し替えたのです(宇野の作品は当時広く読まれていて、私自身も子どものころに読んでいました。また、作中の子どもたちに訴えかけたであろうこの作品の抒情性に、作者のオリジナル作品は引用としてはやたら長いだけで遠く及びません。さらに、作者の引用は宇野の作品の骨子を作者自身の言葉でまとめたもので、元の宇野作品は作者の引用ほどアイヌ民族に対して差別的ではありません)。
 また、それに関連して、「やばん」ということについて、新しい(1996年現在の)作者の考えに書き改めています。
 これらの行為は、作家として非常に危険なことだったように思います。
 この作品は、あくまで1966年当時(実際には出版の前に雑誌に連載されているので、時代設定は60年代前半と思われます)の状況の中で成立するものであり、作者の「アイヌ民族差別」に対する「無知(作者自身のあとがきの言葉)」も含めてそのままの形で残し、もし過ちを認めるのであれば、なぜそのようなことになったかを自分自身であとがきなどでもっと詳しく検証するべきだった(1926年発表の宇野作品の歴史的評価も含めて)と思われます。
 それが、単なる創作者でなく児童文学の評論家でもある作者の責務だったように思えます。
 それを、1996年現在の認識で書き直したので、この作品の歴史的価値が大幅に損なわれてしまいました。
 この作品は、良くも悪くも70年安保の挫折前の革新側の思想に基づいて書かれているわけで、それがソ連崩壊やバブル崩壊後の1996年に書き直して提出されても、すでに立脚点が違うのですから作品として成立しないのではないでしょうか。
 例えば、作品の背景にある学歴社会、組合運動、貧困問題、学校、子ども社会、教養主義、資本主義と共産主義の対立、職場の電子化などは、そして作者が新版で隠蔽してしまったマイノリティへの差別意識も、三十年の月日が大きく変えてしまっています。
 それに、39歳だった1966年の作者と、1996年当時69歳だった作者では、経験も考え方も違うはずで、その両者が書いたものをつぎはぎされても(旧版と新版を読み比べてみましたが、「春を告げる鳥」や「やばん」に関連する部分以外にもいろいろな個所(例えば旧版にはない日本軍による「南京事件」への批判など)で細部を書き直しています)、読者は困惑するだけです。
 私は70年安保挫折後の70年代に旧版を読みましたが、その時点でもあまりにも楽観的な組合運動や、学級会や学校新聞などによる疑似民主主義、そしてなにより「子どもの論理」(宿題ひきうけ株式会社)が「(当時の革新勢力の)大人の論理」(試験・宿題なくそう組合)に屈服させられるラストに、強い違和感は覚えましたが、「アイヌ民族差別」は気づきませんでした(というよりも、その部分の印象が残らなかったという方が正しいでしょう。私自身も作者以上に「アイヌ民族差別」に「無知」でした)。
 「ちびくろサンボ」問題(その記事を参照してください)や「ちびくろサンボ」を絶賛した「子どもと文学」の問題(関連する記事(例えば石井直人の「現代児童文学の条件」についての記事など)を参照してください)でも述べましたが、作品や論文はその時代背景を抜きには評価することは不可能だと思っています。
 この作品をこれから読まれる方は、ぜひ新旧両方の版を読まれることをお勧めします(作者と理論社は、旧版の流通在庫を回収し、図書館にも新版に買い替えるよう依頼していますが、もちろん旧版は図書館や古本として今でも残っていて読むことができます)。

新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)
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理論社


宿題ひきうけ株式会社 (1979年)
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理論社
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ウォーレン・フレンチ「「デーヴィッド・カパーフィールド式のくだらぬ話」」サリンジャー研究所収

2019-09-22 10:39:44 | 参考文献
 この風変わりなタイトルは、サリンジャー・ファンならばすぐにピンとくると思うのですが、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の冒頭の部分での、主人公ホールデン・コールフィールドの語り出しから来ています。
 この言葉は、過去の経歴や家柄でなく、今のありのままのホールデン(若干、回想シーンはありますが)を描こうとしようとするサリンジャーの決意表明のようなもので、当時(現在でもそうかもしれませんが)の若い読者たちを作品世界に引き入れるのに絶大な効果がありました。
 作者は、それを承知でサリンジャーの来歴について書いているので、自分で調査したのではなく本人または研究者たちによってすでに公開されている情報を、要領よく、しかしかなり徹底して集めてまとめています。
 そのため、その後のサリンジャーの来歴や年譜を載せた本には、ここからの情報だと思われるものが多いです。
 著者は、ここでは自分自身の意見はできるだけ避けているのですが、1963年現在のサリンジャーの作家としての姿勢に対しては、かなり明確に論評しています。
 まず、有名な隠遁生活(外部の人たちとの接触を避けて、ごく親しい自分の理解者(この当時は離婚前なので家族も含まれます)とだけ交流して、執筆に集中しています)に対しては、その経過(親しく付き合っていた近隣の人たちに、約束を裏切られました)への同情も含めて、作家のプライバシーの保護には理解を示しています。
 しかし、サリンジャーが、自分の作品の脚本化を拒んでいることと、過去の雑誌への発表作品の単行本化やアンソロジーへの転載を拒んでいることには批判的です。
 特に、過去の発表作品の批評まで拒んでいることに対しては、「作家が作品の発表に同意し、金を受け取ったからには、彼は『読者が作品について、どんな賞賛、どんな悪口雑言を言いたがろうと、それを甘んじて受けなくてはならない』」と、フォークナーの言葉を引用して、強く非難しています。
 この言葉は、文学作品を商品として考えた場合には至極もっともなのですが、サリンジャー作品の創作過程を考えると、そう単純に割り切るのもどうかなと思います。
 サリンジャーの場合、最初の作品の雑誌掲載が、クラスに参加していたコロンビア大学のホイット・バーネット教授の編集する「ストーリー」誌であり、その作品自体がクラスの提出物に手を加えたものであったことから、雑誌掲載作品は完成作品でなく試作品であるという認識を持っていたのではないでしょうか。
 それは、初めての雑誌掲載が21歳の学生の時にあっさりと行われ、その後も順調に作品が掲載されたこともあり、普通の作家よりも雑誌掲載の作品がお金をもらった商品であることへの自覚が足りなかったのではないかと思います。
 掲載誌が、最終的には高額の印税がもらえる「ニューヨーカー」のような高級誌になったとしてでもです。
 さすがに、出版された作品(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、自選短編集「九つの物語」所収の9作、「フラニーとズーイ」所収の2作、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」所収の2作)については、サリンジャーも商品と認めて、不服ながらも批判を受け入れています。
 実際、初期の短編の多くは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」やいわゆるグラス家サーガのための習作とみなせる作品が多く、おそらくサリンジャー自身は発表後も加筆推敲を続けていたの思われます。
 それは、文学作品を、商品(つまりは完成品)と考えるか、(未完の)芸術作品と考えるかの違いで、多くの作家に共通した一種の自己矛盾だと思われます。
 例えば、宮沢賢治の膨大な作品群のうちで、生前に発表ないしは出版されたものは、童話集「注文多い料理店」と詩集「春と修羅」などだけで、大半の作品は未発表です。
 また、発表された作品も含めて多くの作品が、亡くなる直前まで加筆推敲されていました。
 はたして、どの原稿が完成形(あるいはは完成形に近い)かは、研究者によっても意見が異なる場合があります。
 私は、作品は商品である前に芸術であるべきだと考える立場なので、サリンジャーや賢治の考え方の方に多く共感しています。









 
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ウォーレン・フレンチ「著者まえがきと感謝のことば」サリンジャー研究所収

2019-09-21 20:15:30 | 参考文献
 1963年に出版された、非常に有名なサリンジャーについての論文集で、多くの後継本で引用されています。
 興味深いのは、この論文集が、「何が書かれたか」ではなく、「どのように書かれたか」について分析していることです。
 つまり、レトリック(修辞)について作品を分析するのですから、サリンジャーのような作品を書きたい人(かつて私もそうでした)には非常に参考になりますし、いわゆる伝記本などのようにルポライターのような人たちには全く書けないものです。
 私はサリンジャーの作品を原書で読むことはできますが、そのレトリックを分析できるほどの英語の素養はないので、細かなニュアンスは翻訳書に頼らずを得ません。
 そういった意味でも、この本はサリンジャー作品の真に芸術的な価値を知る上で必須の本です。
 なお、感謝のことばによると、サリンジャー作品の新の読者である現役の大学生や伝記的文献的な研究者の協力も得ているようなので、まさに鬼に金棒(死語かな?)です。
 この本が対象としているサリンジャー作品は、1965年発表の「ハプワース16、一九二四」以外のすべての作品です。
 この本の改訂版は1976年に出ているそうですが、1979年出版の日本版の訳者あとがきによると、年表などのわずかな部分が改訂されているだけで、「ハプワース16、一九二四」についての分析はないそうです。
 著者の意図はわからないのですが、例によって「ハプワース16、一九二四」は、ここでも継子扱い(差別用語ですみません)のようです。
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黒井千次「父という時計」老いのかたち所収

2019-09-21 12:14:20 | 参考文献
 2005年に読売新聞の夕刊に連載が始まった、私も愛読させていただいている「時のかくれん坊」という随筆の、記念すべき第一作です。
 その時、筆者は73歳ぐらいではなかったかと推察しますので、「老い」という未知の領域へ差し掛かった時に、その「老い」について著者の父上(亡くなられたのが90歳のようですので、当時としては非常にご長寿です)を基準(著者の場合は30歳差)に考えられているのが、自分の経験からしても非常に興味深いです。
 私の場合は、82歳で亡くなった父と37歳差なのですが、1999年に亡くなった時は、自分が基準にすべき残された37年という年月がずいぶん長く感じられたのですが、それから20年以上が経ってしまうと残された時間が非常に貴重で愛おしく感じられます。
 私自身も、身体的精神的な衰えは既に実感しているのですが、著者が感じたような本格的な「老い」の時間はこれからです。
 そんな時に、人生の先輩である著者の、非常に自覚的であり客観的でもある「老い」についての考えや描写に接することは、これから「老い」を生きる上で、おおいに勉強になります。
 まあ、そう大げさに考えないでも、この随筆のような滋味のある文章に接する機会は、最近は新しく書かれたものではほとんど絶無ですので、それだけでも非常にありがたいです。
 余談になりますが、2018年の12月に、帝国ホテルで開かれたある文学賞(児童文学部門もあって、友人が受賞したので招待されていました)の受賞パーティで、著者と偶然お目にかかる機会があり(その文学賞の過去の受賞者のなので招待されていたようです)、少しお話しできました。
 パーティの途中で退席した時に、タクシー乗り場で、一人でタクシーの後部座席に乗り込もうとして、苦労されている著者にでくわしてしまいました。
 思わず手をお貸ししようとも思ったのですが、そばのドアマンが平気な様子なので、遠慮してしばらく様子を見守っておりました。
 しばらく時間がかかったものの、なんとか著者が一人で乗り込んで、タクシーは走り去っていきました。
 おそらく、著者は、随筆に書かれているとおりに、そしてこの時のように、できるだけ他の人の手を借りずに、「老い」の生活を立派に営んでいらっしゃるのだなあと、励まされられる思いが非常にしました。
 おしゃれなスーツをダンディに着こなし、立ち姿の美しいその時86歳の著者は、「老い」の一つの理想形なのかもしれません。
 著者と談笑している時に、まわりでコメツキバッタのようにへこへこしていた、そのくせこの随筆も著者の当時近刊だった小説も読んでいないのがバレバレの、その出版社の編集者たちの醜い姿と対照的だったせいもありますが。

 
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繁尾 久・佐藤アヤ子「はしがき」J.D.サリンジャー文学の研究所収

2019-09-21 11:25:57 | 参考文献
 1983年に出版されたサリンジャーについての論文集のはしがきです。
 最後の「ハプワース16、一九二四」が発表された1965年から18年もたっているのに、少なくとも日本では当時もサリンジャーの人気は衰えていなかったようです。
 もっとも、亡くなった2010年以降にはまた出版ブームが起きていますから、いつまでサリンジャーが読まれ続けるのかは、非常に興味深い現象です。
 さて、このはしがきを見ると、すでにこの時点で夥しい論文が世界中で書かれているようですが、それらを渉猟する出発点としてもこの論文集は有効なようです。
 その一方で、サリンジャー研究で頭の痛い、日本での作品名や登場人物名などの不統一は、ここでも匙を投げています。
 いずれ、このブログで、マージェリー・シャープのミス・ビアンカ・シリーズについてまとめたように(その記事を参照してください)、作品名や登場人物名などについてのまとめもやってみたいと思っていますが、いつになることやら私にもわかりません。
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サキ「ピザンチン風オムレツ」サキ短編集所収

2019-09-21 09:58:19 | 作品論
 自称社会主義者(かつての日本では、「心情左派」と呼ばれていました)のブルジョアの女主人(そのため、召使いや料理人は組合員だけを雇っています)が、賓客(シリアの大公)を迎えるパーティで、召使たちの組合によるストライキに翻弄されて、おそらく精神疾患に罹ってしまいます。
 まず、スト破りの料理人を大公の好物のピザンチン風オムレツのために雇ったために、反発した召使たちの組合のストライキのために身支度ができなくなります。
 やむなくその料理人を解雇したら、今度はその男が属する料理人の組合が反発してストライキをして、晩餐を用意できなくなります。
 口先だけで行動の伴わない金持ちの社会主義者を両断し、本当は保守主義者のくせに生活のためだけのご都合主義的な組合員たちの滑稽さも、返す刀で鮮やかに切り捨てています。
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ルイーゼロッテ・エンダーレ「四つのステーション 付、病人のステーション(ルガーノ)」子どもと子どもの本のために所収

2019-09-21 08:06:50 | 参考文献
 ケストナーの簡単な伝記です。
 といっても、生前に発表されたもので、付録の「病人のステーション」のルガーノはケストナーが静養していたサナトリウムのあった場所ですが、この時は無事に回復しています。
 「四つのステーション」とは、ドイツのドレースデン、ライプチヒ、ベルリン、ミュンヘンのことです。
 ケストナーは、ドレースデンで生まれ、ライプチヒの大学で学んで作家としてデビューし、ベルリンでナチスに焚書(他の記事を参照してください)と執筆禁止(他の記事を参照してください)をされるまで活動(彼の代表作のほとんどはこの時期に書かれました)し、ミュンヘンで戦後の活動を再開します。
 ドレースデンの部分を読むと、「エーミールと探偵たち」のエーミール・ティッシュバインや「飛ぶ教室」のマルチン・ターラーの中にケストナー自身がいることがよくわかります。
 母親思いの優等生で、貧しいけれど明るく生きている少年像が、彼自身であり、また彼の理想なのでしょう。
 そのあたりは、彼自身が書いた「わたしが子どもだったころ」に、より詳細に描かれています。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
クリエーター情報なし
岩波書店
 
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天野夏美/作 はまのゆか/絵「いわたくんちのおばあちゃん」

2019-09-20 08:02:41 | 作品論
 四年生のぼくは、六年のいわたくんと仲良しです。
 ぼくたちの学校は、原爆が爆発したところから一番近い小学校です。
 いわたくんのおばあちゃんは、絶対に家族と一緒に写真をとりません。
 ぼくは、いわたくんのおばあちゃんが、なんで一緒に写真をとらないのか知っています。
 それは、いわたくんのおかあさんが、「平和学習」の時間に理由を説明してくれたからです。
 いわたくんのおばあちゃんは、原爆が投下された1945年8月6日の直前に、両親と当時16才だったおばあちゃんも含めて四人姉妹全員で、記念写真を写真屋さんに撮ってもらいました。
 空襲を避けるための一家の疎開が間近に予定されていたので、焼けてしまうかもしれない家の中で最後の記念に撮ってもらったものです。
 しかし、原爆のために、いわたくんのおばあちゃんを除いて、家族全員が死んでしまいました。
 記念写真は、その後に写真屋さんからもらったので、今も残っています。
 おばあちゃんは、一緒に写った家族がみんな死んでしまったあの八月が忘れられなくて、ずっと家族と一緒にいたくて、孫のいわたくんたち今の家族と一緒に写真を撮らないのです。
 ぼくはこの話を聞いて、「大人になっても戦争はしない」と誓います。
 読み始めた時には、四年生が主人公の割には文章や本の作りが幼い子向けの感じがして気になったのですが、だんだんに作品世界に引き込まれました。
 広島弁を生かした淡々とした語り口が、静かに原爆や戦争の愚かさを告発しています。
 そして、それをたんなる過去の出来事の糾弾ではなく、未来への平和の誓いにつなげているのが特に良かった点だと思います。
 絵も優しいのんびりしたタッチで、未来への希望をうまく表現しています。
 巻末の実際の記念写真が、作品中の写真の絵と全く同じ雰囲気で、「事実」だけの持つ迫力を伝えてくれています。
 この本は2006年8月6日の原爆の日に発行されたものですが、こういった原爆体験を語る地道なボランティア活動を続けているいわたくんのおかあさん、作者、画家、出版社に敬意を表したいと思います。
 2012年10月に行われた日本児童文学学会第51回研究大会(その記事を参照してください)のラウンドテーブル「<記憶>の伝達を考える――「戦争児童文学」という枠からの脱出――(その記事を参照してください)」で、「記憶の更新」「次の世代に伝える工夫」が大事だということが話されましたが、この作品はまさにそれらの条件をクリアする新しい「戦争児童文学」だと思います。

いわたくんちのおばあちゃん
クリエーター情報なし
主婦の友社
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長崎夏海「星のふる よる」

2019-09-19 07:52:57 | 作品論
 一年生のかりんと一つ年上で同じ団地に越してきた少し不良っぽい(と言ってもまだ小学二年生ですけれど)カズくん(作者は不良っぽい男の子が好きですし、描くのもうまいです)との心の交流を描いた作品です。
 低学年向きの作品ですので紙数も限られていて、「星が瞬くときに「しゃらん」と鳴ったような気がした」、「黒い古傘に穴をあけてそこから漏れてくる太陽の光を昼間の星とする」、「「東京の空なんて(スモッグで汚れていて星が少ししか見えないから)うそなんだぜ」というカズくんに対して、「見えていないだけで、この中には、沢山の星が光っているんだ」と気がつくかりん」といった、少ないけれど作者ならではの優れたアイデアをつないで、都会に住むそれぞれは一見孤独に見える子どもたちの結びつきや、働くことの意味、さらに言えば長崎のジェンダー観までが描かれています。
 作者は、「児童文学の魅力 いま読む100冊ー日本編(その記事を参照してください)」にも入っていた「A DAY」や日本児童文学者協会賞を受賞した「トゥインクル」など学校をドロップアウトしかけている中学生たちを描くのが得意ですが、(「不良を描けばいい児童文学になるのかよ」と作者にかみついた1990年ごろがなつかしいです。)、最近は低学年ものの作品が多いようです。
 これには、児童文学界の出版事情があります。
 目黒強の論文の記事にも書きましたが、最近の小学校高学年や中学生の読書傾向では、伝記は相変わらず強いものの(ただし、男子はゲームの影響で三国志や戦国武将に偏っています)、世界名作やいわゆる「現代児童文学」はさっぱり読まれず、男子は「ズッコケ」や「ゾロリ」(中学生はライトノベル)、女子は児童文庫の書き下ろしラブコメやミステリーものなどが大半を占めています。
 「現代児童文学」の書き手にとっては、低学年向け作品は最後のフロンティアなのです。
 彼らの年代では、自分で買うよりも、媒介者(親、教師、図書館の司書など)から手渡されることが多いでしょう。
 そのため、まだ「現代児童文学」が参入できるマーケットがあるのです(挿絵が多いので、作者の印税は少ないですが)。
 私が本を出していた80年代や90年代でも、編集者からは「できるだけ低学年向けに」「女の子向きに」と口を酸っぱくして要求されていました。
 これは、様々なエンターテインメント(本などはごく小さなマーケットシェアしか占めてはいなくて、ゲーム、アニメ、コミックス、音楽、映画、そしてSNSなどが、小学校高学年以上の子どもの使うお金の大半でしょう)があふれている現代では、ビジネスを考えるとやむを得ないことかもしれませんが、ビジネスでない領域で作者の新しい思春期物を読みたいなと思っています。

星のふるよる (おはなしボンボン)
クリエーター情報なし
ポプラ社
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新井けいこ「めっちゃ好きやねん」

2019-09-16 09:21:00 | 作品論
 神奈川県から大阪へ転校してきた男の子の奮闘記です。
 転校の経験のある子なら、誰もが新しい学校に慣れるまでに大変な思いをしたことでしょう。
 ましてや、コテコテの関西弁の飛び交う大阪では、まるで外国に来たようです。
 私にも経験があるのですが、大阪では普通の人でも、漫才のボケやツッコミやノリツッコミまで、鮮やかに使いこなせるのです。
 それは、この作品にもあるように、幼稚園や小学校のころから、毎日舞台稽古をやっているような日常会話で鍛えられるのでしょう。
 この作品の主人公は、そんな雰囲気になじめなかったり、無理になじもうとしてかえって浮いてしまったりして苦労します。
 最後には、自分らしさを出しながらだんだん周囲になじんでいく姿が、自然なタッチで描かれています。
 それにしても、作品に出てくる大阪の食べ物(特に友だちのうちの天ぷらがたくさん入ったうどん)のなんとおいしそうなこと。
 思わず、食べに行きたくなってしまいます。

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