現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

J.D.サリンジャー「イレイヌ」若者たち所収

2018-11-08 18:19:45 | 参考文献
 この短編集中では、最も評価がしにくい作品でしょう。
 主人公のイレイヌは、知的障害がある(八年制の小学校を九年半かかって卒業していますが、実際は小学校低学年程度の知性しかないようです)絶世の美少女(文中ではラプンツェル(グリム童話に出てくる長い金髪で有名な美女(ディスニーのアニメでお馴染みな人の方が多いことでしょう)と形容されています)です。
 イレイヌは知的障害があるだけでなく、無教養な(亡くなった夫の保険金で暮らせるので、働かずに毎日映画だけを見て暮らしている)母と祖母に育てられ、こういった子どもたちに無理解な小学校の校長たちによって適切な教育を受けることもできませんでした。
 彼女は小学校卒業後に、映画館の案内係の男にナンパされて婚約しますが、その結婚式の最中に両家の母親が映画スターのことで殴り合いのけんかをして、あっさり破局してしまいます。
 そうした不条理ともいえる世界を、終始外部に対して無感動な(例外的に彼女が感動するのはミッキーマウスの映画です)イレイヌを中心に描いています。
 こうした極端な設定とストーリーによって、サリンジャーは人間の内部にある本質的な愚かさを描き出しています。
 さらに、イレイヌをラプンツェル(グリム童話の初期形では、助け出しに来た王子と毎夜性交渉をして妊娠します)と例えたところに、作者が性的な意味を込めたと感じざるを得ません。
 この作品では、直接的な性的表現はありませんが、彼との初めてのデートで行ったビーチで、イレイヌが急に不安に襲われるシーンがあって、その後の彼との性的な関係を暗示しています。

 
サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
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荒地出版社
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三田完「黄金街」黄金街所収

2018-11-08 16:31:30 | 参考文献
 表題作なので少しは期待して読みましたが、あまりにひどいのでびっくりしました。
 新宿のゴールデン街でスナックを営む主人公は、元カリスマ書店員です。
 他の店員から浮いているカリスマ書店員と創業者だという老人との関係も、あまりに表面的で薄っぺらく苦笑を禁じえません。
 特に、主人公が老人ために「こころ」の入った漱石全集の巻を古書店で探すあたりは、「金持ちなんだから漱石全集ぐらい新刊で買うか、古い版のが欲しければアマゾンで好きなの買えよ」と、突っ込みを入れたくなります。
 伝説の流しの老人が死の直前に歌うフォーククルセダーズの古いフォークソングに感激するスナックの常連とくると、もうベタすぎて読むに堪えません。
 今の小説誌にはこんなのが載っているのかと思うと、児童文学の同人誌などの方が下手なりに真剣な分だけまだ評価したくなります。

黄金街
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講談社
 
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内海 健「双極Ⅱ型障害という病」

2018-11-07 09:39:24 | 参考文献
 2013年に出版された、内海がその7年前に発表した「うつ病新時代」(その記事を参照してください)の改訂版です。
 旧版がこの種の専門書としては異例の再版を重ねたことと、「双極Ⅱ型障害」(軽躁とうつを反復する気分障害)がますます社会においても注目を集めるようになったこともあって、改訂版として出版されました。
 旧版では「治療覚書」となっていた第四章は、改訂版では「治療の指針」としてより具体的で新しい情報に書き換えられていますが、内海自身も認めているように「研究費の獲得しやすい」薬物療法が中心で、同じぐらい有効であると考えられている「適度な作業や運動」による療法についてはほとんど述べられていません。
 また、すでに確立されていると思われる光トポグラフィー検査による診断に、全く触れていないのも物足りません。
 旧版では「躁と鬱―その根源に向けて」となっていた第六章は、改訂版では「混合状態―交錯する躁と鬱」として症例も追加されて、より躁と鬱が循環するのではなく混合する(あるいは速い波で反復する)ことが明確化されています。
 全体として、期待していたほど新しい情報はなく、特に旧版が出た後に起こったリーマンショック(2008年)や東日本大震災と福島第一原発事故(2011年)などの社会現象と双極Ⅱ型うつ病の関連についての考察がぜんぜんなくて残念でした。
 やはりこのあたりは、医者や医学研究者ではなく、社会学への視点も持った文学者の仕事なのかなとも思いました。

双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代-
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勉誠出版
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内海 健、高田知二「インタビュー 双極Ⅱ型」うつ病論 双極Ⅱ型とその周辺所収

2018-11-07 09:37:31 | 参考文献
「うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」(その記事を参照してください)という本で、双極Ⅱ型の総合的な論文を初めて書いた内海 健に、同業者の高田知二がインタビューしています。
 主として双極Ⅱ型の臨床面での現状が語られていますが、内海の本から二年がたっていますので若干の進展(特に薬物療法において)は見られますが、相変わらず正しい診断は難しいようで、うつ病だけでなく統合失調症や発達障害と誤診されることも多いようです。
 患者側としては、一人の医師の診断に頼るのではなく、セカンドオピニオン(場合によってはもっと多くの)が重要なようです。
 また、この分野ですでに実用化されている光トポグラフィー検査による診断にまったく触れていないのは、まだこの時期には一般化していなかったのかもしれません。
 双極Ⅱ型障害の人物を作品の中で描くときには、決めつけになって読者に誤解を与えないようにしなければならないなと肝に銘じる必要があります。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
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批評社
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古田足日「安藤美紀夫の仕事をふり返る」日本児童文学1990年9月号所収

2018-11-07 08:38:11 | 参考文献
 「安藤美紀夫 追悼」の特集の中の論文です。
 副題の「子どもの人権と子どもの論理」が示すように、「現代児童文学」論者(つまり古田)側にかなり引き寄せた論になっています。
 弔辞や他の媒体に発表した文章をそのまま引用したり、古田が当時大学で担当して苦労していた「児童文化」に関する自分の意見の表明があったりして、論文としてのまとまりはあまり良くありません。
 古田のあげた安藤の仕事を整理すると、以下のようになります。
1.児童文学の創作
2.イタリアを中心とするラテン系児童文学の翻訳
3.2の研究を含む児童文学論
4.後進の育成
5.日本女子大学の教師としての活動
6.日本児童文学者協会での仕事
7.地域における児童文学、児童文化の活動
8.児童文化論、子ども論
1における代表作は、1972年に発表されて翌年の児童文学の賞を総なめにした「でんでんむしの競馬」でしょう(これについては、別の記事で詳しく述べています。なお、安藤の「風の十字路」に関する記事もあります)。
2における重要な作品は、イターロ・カルヴィーノの「マルコヴァルドさんの四季」でしょう(古田も述べていますが、「でんでんむしの競馬」にはこの作品の影響が見られます。これについても、別の記事で詳しく述べています)
3におけるもっとも重要な仕事は、「世界児童文学ノート」でしょう(古今の世界児童文学について英米児童文学に偏らずに論じられる児童文学者は安藤以外にはいませんでしたし、その後も今に至るまで現れていません)。
4においては、村中李衣をはじめとした日本女子大学出身の作家や研究者を輩出しました。
5は4とも関係しますが、多くの教え子たち(私の日本女子大生だった友人たちも含まれています)に敬愛される教師だったようです。
6.現在の児童文学作家の互助会のようになった姿からは想像できませんが、かつての日本児童文学者協会は革新勢力の一翼を担っていました。
7.古田が紹介しているように、地元の東大和市の児童文学活動や図書館、児童館の建設などに、先頭に立って活躍していたようです。
8.大学での講座の関係もあって、この分野での研究に関しても何冊もの著作があります。
 以上のように、安藤の活動は非常に広範な分野にわたっていましたので、とかく社会主義リアリズム(古田をはじめとした「少年文学宣言」のグループを中心にして)や英米児童文学至上主義(石井桃子たちの「子どもと文学」グループを中心にして)に偏りがちだった日本の児童文学に新たな視点を与えるものでした。
 もし安藤がもっと長生きしていれば、日本の児童文学の流れは、かなり違ったものになっていたかもしれません。

日本児童文学 2013年 12月号 [雑誌]
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小峰書店
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朝倉かすみ「てらさふ」

2018-11-01 08:15:56 | 参考文献
 女子中学生(途中で高校生になります)の二人組が、チームを組んで芥川賞作家になる話です。
 美人の最年少受賞者(かなり綿矢りさを意識しています)、ゴーストライター、盗作など、現在話題になっているようなネタをうまく組み合わせています。
 三十年以上前に書かれた地方の同人誌の会員の未発表作を、美少女の高校一年生という作家のキャラクターだけで、芥川賞を取らせてしまうのは、現在の文芸誌や賞の実態を笑い飛ばすようで痛快なのですが、最後はお決まりの三角関係のもつれによるチーム解散では、いくらエンターテインメント作品だとしても、たわいなさすぎます。
 児童文学の世界でも、作者のキャラクターが先行して出版されるのはよくある話なのですが、こういった作品にはもっと業界や作家たちを敵に回すような毒が必要です。
 作者やこの作品自体が、笑い飛ばしているはずの出版業界に深く絡め取られているのに、どこまで自覚的なのか疑問に思いました。

 
てらさふ
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文藝春秋
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椎名誠「新橋烏森口青春篇」

2018-10-31 09:47:23 | 参考文献
 「哀愁の町に霧が降るのだ」と「銀座のカラス」(その記事を参照してください)と並ぶ自伝的青春小説三部作の真ん中に当たる作品です。
 前作が執筆当時の作者自身も出てくるエッセイ風の作品だったの対して、この作品は、まだ主人公も含めて実名で書かれているものの、完全に私小説として書かれていて、フィクション度は高くなっています。
 これに続く「銀座のカラス」が、新しい雑誌の立ち上げを中心とした中小企業小説(もちろん、作者得意の友情や恋や酒や喧嘩などもたっぷり登場しますが)だったのに対して、会社員に成り立ての主人公(作者)の青春小説的要素(女性への憧れや、友情、酒、ばくちなど)がより濃く現れていて、作品としてのまとまりは一番高いと思われます。
 なお、この作品は単行本発行直後にNHKでドラマ化されて、その後有名になる若手俳優(緒方直人、布施博、木戸真亜子など)が多数出演して、作品世界がより魅力的に描かれていました。

新橋烏森口青春篇 (小学館文庫)
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小学館
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大野裕「こころが晴れるノート うつと不安の認知療法自習帳」

2018-10-31 08:49:47 | 参考文献
 同じ著者の「はじめての認知療法」の記事でも紹介しましたが、うつや不安に対する療法として、薬物療法と同等以上の効果があり、薬物療法と併用することによってさらに効果が得られる「認知療法(認知行動療法)」を、医療機関やカウンセリング施設にかからずに、自分でマスターできる自習帳です。
 現在では、認知療法は日本でも広く知られるようになり、同種の本もいろいろと出版されていますが、この本はそれ以前(2003年刊行)に出版された初めての自習帳です。
 この本の各モジュール、ストレスに気づこう(ストレスチェック)、問題をはっきりさせよう(問題リスト)、バランスのよい考え方をしよう(コラム法)、問題を解決しよう(問題解決技法)、人間関係を改善しよう(アサーション)、スキーマに挑戦しよう(スキーマの改善)を順に自習してマスターできれば、読者の生活はかなり改善されます。
 特に、コラム法と問題解決技法は、「うつや不安」に悩んでいない人にも有益で、仕事、家庭生活、勉強などに幅広く応用できます。
 ただし、この分野は日進月歩なので、新しい本(同じ著者ならば「はじめての認知療法」(その記事を参照してください)など)も合わせて読むことをお勧めします。
 特に、コラム法のシートは、問題解決技法と結びつけるために改善されています。

こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳
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創元社


はじめての認知療法 (講談社現代新書)
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講談社


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高岡 健「総論:メランコリーの彼岸へ」うつ病論 双極Ⅱ型とその周辺所収

2018-10-30 08:59:30 | 参考文献
 従来普遍的と思われていたメランコリー(単極)うつ病が、単にある時代(日本では主に戦後の高度成長期)に固有の特殊型にすぎなくて、新しい時代(バブル経済崩壊後の1990年代以降)には、新しい相貌を伴った(躁)うつ病が表れていると述べています。
 そして、新しい(躁)うつ病の特徴として、軽症化、混合状態、非定型化をあげています。
 軽症化は、従来入院を必要としていたうつ病が、外来治療だけで対応が可能になったことをさし、その原因として企業などの旧来の共同体(学校や地域などもそれに含まれるでしょう)が個人の保護機能を放棄した(バブル崩壊後のリストラや、就職氷河期、非正規雇用、学校や自治会やPTA活動の形骸化などが、それにあたると思われます)ために、自己関係づけが困難になり、その結果として浮遊化した自己意識が行き場を求める過程で生じたものとしています。
 そのため、個々の障害は軽症化していますが、発症する人の数は飛躍的に増大したと思われます。
 双極Ⅱ型において典型的な躁うつ混合状態は、過去にさかのぼっても存在していたのですが、メランコリー(単極)うつ病が全盛の時代にはその陰に隠れてあまり議論されなかっただけだとしています。
 そして、情動労働(肉体と頭脳だけでなく感情を使う労働のこと)が多い現代では、もともと共同体への帰属意識が低く、個人は自分と直接的に向かい合わざるを得ないので、その葛藤が躁うつ状態の交代や混合を生み出しているとしています。
 非定型化は、会社や家などへの適応をしなくなった個人が、特定の他者との関わりを自己に引き寄せたり、世界との関わりを自己に引き寄せたりして、発症するうつ病だとしています。
 簡潔にそれぞれの歴史なども踏まえてまとめられてますが、文章や用語が難しく(上記ではかなり易しく書き直したつもりです)専門家以外は非常に読みにくい文章になっています。
 これらの障害が、被害者および加害者のどちらか及び双方に関係するいろいろな子どもたちや若い世代における社会問題(いじめ、不登校、引きこもり、セクハラやパワハラなどのハラスメント、ストーカー、拒食、過食、睡眠障害、自傷、自殺、薬物依存など)は、単に自己責任が問われるべきものではなく、社会全体のゆがみがそこに現れていると見るべきでしょう。
 それは、企業や学校や地域社会などを強化して、かつてのように個人を強力に組織化してその見返りとして保護機能を発揮すればよいというような単純なものではありません。
 新しい時代には、それに見合った新しい組織と個人の関係や、個人同士の関係を構築しなければならないでしょう。

うつ病論―双極2型障害とその周辺 (メンタルヘルス・ライブラリー)
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批評社
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大野裕「はじめての認知療法」

2018-10-30 08:54:29 | 参考文献
 うつや不安などに有効な治療法(薬物療法と同等またはそれ以上に有効で、薬物療法との併用も可能)である認知療法(最近使われているこの言い方は認知症の治療法だと勘違いされるので、本来の「認知行動療法」を使う方が好ましいと思われます)を、この分野の日本における第一人者である筆者が、やさしく解説しています。
 認知療法が何かから始まって、活動記録表、問題リスト、問題解決技法、注意転換法、腹式呼吸、漸進的筋弛緩法、アサーション、コラム法、スキーマなどの、有効なツールや概念が紹介されています。
 特に、コラム法と問題解決技法は、患者だけでなく一般の人にも有効なツールなので、身に着けると確実に生活の質を改善できます。
 これらを身に着けるには、同じ筆者の「こころが晴れるノート うつと不安の認知療法自習帳」(その記事を参照してください)の方が使い易いでしょう。
 ただし、問題解決技法とコラム法を結びつけるために、「こころが晴れるノート うつと不安の認知療法自習帳」(2003年発行)の「七つのコラム」に対して、「はじめての認知療法」(2011年発行)の「コラム法」は、八番目のコラム(「残された課題」)が追加されていて、改善されています。

はじめての認知療法 (講談社現代新書)
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講談社


こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳
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創元社
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礒田道史「武士の家計簿」

2018-10-29 16:32:32 | 参考文献
 ベストセラーになり映画化もされた歴史啓蒙書です。
 この作者の優れた点は、単なる歴史の紹介ではなく、現代の様々な問題点をふまえた上で、新しい歴史上の発見を紹介していることです。
 また、古文書を平易な現代語に訳しているので、一般読者にもすごく読みやすくなっています。
 ただし、読者に分かりやすく興味も持てるように書いているので、多数の読者を獲得した反面、論文としての厳密さや現代の問題点を批判する力には限界があるように思われます。
 この葛藤は、児童文学を創作する上で、多くの読者に受けるように書くことと、創作者としてのオリジナリティを獲得することとのジレンマに共通しています。

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)
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新潮社
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内海 健「うつ病新時代 双極Ⅱ型障害という病」

2018-10-24 12:46:05 | 参考文献
 2006年8月に発行された新しい気分障害である双極Ⅱ型障害(軽躁状態とうつ状態が繰り返しあるいは混合して現れる障害です)について、臨床と並行して、気分障害史にも言及して解説した本です。
 ポストモダンに生きる我々がいろいろな生きづらさに直面した時に発症するのは、旧来のうつ病(メランコリー)ではなく、このポストメランコリーの病気なのです。
 まだ臨床医の多くもこの病気を正しく理解していなくて、多くの患者がうつ病と誤診されています(私自身も、2003年に同様の誤診をされた苦い経験を持っています)。
 今の子どもたちや若い世代を取り巻くいろいろな問題(いじめ、セクハラやパワハラなどのハラスメント、ネグレクト、虐待、ひきこもり、登校拒否、拒食、過食、自傷、自殺、薬物依存、犯罪など)の背景の多くに、当事者やその親や教師や上司などの内部にこの双極Ⅱ型障害が潜んでいることが多いと思われます。
 また、この障害は、個人の責任ではなく、社会のひずみが生んだ「公害」なのです。
 そのため、社会全体を改革しない限り、この障害ならびにそれに基づく問題は、マクロ的には解決できないと思っています。
 私は、これからこのような子どもたちや若い世代の問題を取り上げた創作(児童文学ではなく一般文学になると思われます)に力を入れていこうとしていますが、その背景を正しく理解するためにこの本はおおいに役立ちました。
 ただし、この本は内容や文章がやや難しく、筆者もあとがきで弁明していますが、「精神科医からのメッセージ」というシリーズ名にはふさわしくなく、「精神科医へのメッセージ」といった趣です。

うつ病新時代―双極2型障害という病 (精神科医からのメッセージ)
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よしもとばなな「天使」さきちゃんたちの夜所収

2018-10-12 08:07:21 | 参考文献
 10歳ぐらい年上のバツイチのレストランのオーナーシェフに一目ぼれされて、天使と呼ばれているさきちゃんの話です。
 男はさきちゃんの部屋に毎日訪れるのに肉体関係は一度もなく、ここでも男の性は見事に漂白されています。
 この話でも保育園でバイトをしていた女の子が、経済的に余裕のある男に出会うという、現在の若い女の子の恋愛願望をあっさりかなえています。
 ここまでくると、「なんでもあなたはこのままでいいよ。今に白馬の王子様が現れるよ」というよしもと教の教祖のご託宣を、信者たちが謹んで拝読している図が浮かんできて、苦笑を禁じ得ません。

さきちゃんたちの夜
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新潮社
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宮下奈都「羊と鋼の森」

2018-10-10 09:12:41 | 参考文献
 2016年の本屋大賞を受賞した作品です。
 同じ本屋大賞を受賞した「蜜蜂と遠雷」(その記事を参照してください)を読んだときにも感じたのですが、本屋大賞のL文学(女性作家が女性読者のために女性を主人公にした文学の事で、最近ではそれに女性研究者、女性編集者、女性司書、女性書店員なども加わって完全に閉じた世界になっています)の優位性がますます加速されているようです。
 この作品では、主人公は若い男性なのですが、恐ろしいほど性的には脱色されていて、女性読者が大好きな中性的男子です。
 一応、主人公がほのかな好意を持っていると思われる、双子の美少女ピアニストも登場するのですが、恋愛とも呼べない淡い関係です。
 主人公は北海道の森の中で育ったという設定なのですが、それ以前にまったく若い男性らしさがない(食欲、性欲、自意識などがほとんど排除されているので、この世代の生きた男性には思えません)ので、ファンタジーか少女マンガの中の登場人物のようです。
 ストーリーは、ほとんど調律師になるための修業、資質、会社の同僚たちとの関係、双子姉妹との関係(彼女たちは恋愛や友情の対象ではなく、同じ道(一人はピアニストを、一人は調律師を目指すことになります)を目指す同志のようです)だけに集約されているので、文庫本の解説を書いている佐藤多佳子(彼女も「一瞬の風になれ」(その記事を参照してください)で本屋大賞を受賞しています)によると一種の職業小説なのだそうですが、彼女たちの作品に共通しているのはある職業についてはよく調べて(この作品でも、調律師やピアニストに取材していますし、彼女自身が長くピアノを弾いていて調律師のお世話になっているようです)書いているのですが、肝心の「働くこと」(特に企業に勤めている会社員として)の経験や取材が希薄なので、その職業特有の部分は詳しくても、より本質的な生きていくために必要な糧を得るための「働く」という行為は、ほとんど描けていません。
 もちろん、この作品はエンターテインメントなのですから、大多数の読者の日常である「働く」毎日を忘れさせるためにあえて書かないという選択もあるでしょうが、どこかほとんどのテレビドラマに感じるような嘘っぽさを感じさせられてしまいます。
 嘘ならば嘘で、「蜜蜂と遠雷」のような圧倒的な表現力で楽しませてくれるならばいいのですが、この作品では描写(風景、状況、心理など)がどれも紋切り調(一見美しい感じに書いているのですが、パターン化されていてつまらない)なので、読んでいて物足りません(あるいは、このあたりも彼女のマジョリティの読者である、若い女性たちの読解力に合わせているのかもしれませんが)。
 特に、ピアノを演奏するシーンが何度も出てくるのですが、表現が単調なのでどれも曲想がぜんぜん浮かんできません。
 その点でも、「蜜蜂と遠雷」には遠く及びません。
 佐藤(児童文学作家でもあります)によると、この作品は一種の成長物語(他の記事で繰り返し述べていますが、現代児童文学の特徴の一つです)だそうですが、調律師としての成長は描けていますが、一人の人間としての成長はまるで描けていません。


羊と鋼の森 (文春文庫)
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文藝春秋

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辻原登「チパシリ」父、断章所収

2018-10-04 09:01:35 | 参考文献
 チパシリとは、アイヌ語で「われらが見つけた土地」という意味で、網走の語源になっています。
 この小説は、戦前、戦中の北日本を舞台に、盛岡刑務所、青森刑務所、そして厳重な網走刑務所、最後には札幌刑務所を次々と脱獄した、脱獄王椿早苗が絞首刑になるまでを描いています。
 椿は体中の関節を外せて、どんな狭い所からも脱出してしまいます。
 そんな椿が、最後には民家の便所から脱出できず雪隠詰めにあって捕まり、絞首刑になったのは皮肉なラストです。
 辻原の関心のある犯罪や刑務所に関する知識が、作品のリアリティを支えています。
 こういった博覧強記なおじさん(辻原のこと)からお話を聞くような物語は、児童文学の世界でももっとあってもいいかもしれません。

父、断章
クリエーター情報なし
新潮社
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