現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮沢清六「兄、宮沢賢治の生涯」角川文庫版「注文の多い料理店」解説

2018-08-19 09:27:04 | 参考文献
 賢治の六歳年下の弟による評伝です。
 肉親が書いたにもかかわらず、感傷的にならずに淡々と賢治の誕生から臨終までを描いています。
 賢治の生涯については様々な形で書かれていますが、近親者でしか知ることのできないエピソードも描かれていて興味深い内容です。
 文中にも書かれているように、著者は生前からの賢治の理解者であり協力者(賢治の原稿を「婦人画報」に持ち込んだのも筆者です)であり、死後は賢治の膨大な原稿の散逸を防ぐとともに、様々な全集などの編纂にも関わりました。
 生前はほとんど無名であった賢治が、死後日本の児童文学者の中でも最も著名な作家になったのは、賢治作品自身の魅力はもちろんですが、筆者の献身的な努力も大きく貢献したと思われます。
 他の記事にも書きましたが、1974年3月14日に、友人たち(早稲田大学児童文学研究会宮沢賢治分科会のメンバー)と賢治の生家で著者にお話をうかがう機会を得ました。
 大勢で押しかけた若い学生たち(当時の賢治研究の第一人者であった続橋達雄先生の紹介はありましたが)にも、丁寧に対応してくださり、賢治の想い出話を語っていただいた帰りには、この復刻版の「注文の多い料理店」(角川文庫)を記念にいただきました。

兄のトランク (ちくま文庫)
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筑摩書房
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山下祐介「東京の震災論/東北の震災論――福島第一原発事故をめぐって」辺境からはじまる東京/東北論所収

2018-08-19 08:56:55 | 参考文献
 東北(他の地方も同様としています)が、いかに東京に搾取されてきたかを語ることから論が始まります。
 そして、福島第一原発事故をめぐる東京と東北での、受け取り方やアクションの違いについて述べられます。
 さらに、様々な東北で行われている事業(公共のも、企業が行うものも)が、疑似原発として同じ構造のもとに行われているとしています。
 その究極の姿として、東京自身がひとつの疑似原発であり、その拠る所の脆弱性を指摘しています。
 逆に、原発が疑似東京であったことが、今回の事故を引き起こしたと結論付けています。
 全体としてうなづける点も多いのですが、論の進め方に問題点が多いと思いました。
 一般的な論文と違って、先行する論文や立場の違う意見の紹介がほとんどなく、かなり主観的に書かれていて、説得力に乏しい感じがしました。
 また、政治的にやや偏った立場で書かれているので、客観性に欠けています。
 筆者の政治的立場を全くなくして文章を書くことは不可能ですが、こういう書き方の論文を巻頭にすえると、それだけでこれ以上読み進めたくないと思う読者も多いことでしょう。
 最後に、この本は編者の小熊英二に惹かれて手にしたのですが(実際にその名前で検索してこの本を知りました)、小熊は巻末で赤坂憲雄と対談しているだけだったのでがっかりしました。
 小熊も偉くなって(年を取って)自分で論文を書かなくなったのかと思うと、かつての「1968」などの大作の愛読者からすると、少し寂しい気がしました。

「辺境」からはじまる―東京/東北論―
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明石書店
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青山文平「つまをめとらば」つまをめとらば所収

2018-08-16 08:40:10 | 参考文献
 直木賞を受賞した短編集の表題作です。
 ひょんなことから二人暮らしを始めた、幼馴染ですでに隠居している老武士たちの姿を描いています。
 この作品でも、算学、戯作、身分を超えた男女関係などに関する作者の薀蓄が語られ、面白い読み物になっています。
 短編集を通して、全体はおおらかな女性讃歌になっていますが、その一方で江戸末期の下級武士の生活も描かれています。
 もちろん歴史小説なのですから作品世界で遊ぶだけでいいのかもしれませんが、それを現代に書くのならば、たんなる読者(高齢者が多いでしょう)の暇つぶしとしての読み物であるだけでなく、現代の様々な問題(高齢者社会、格差社会、女性の社会進出への障壁など)にも、作者の視線を照射してもらいたい気がしました。

つまをめとらば
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文藝春秋
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吉村萬壱「行列」虚ろまんてぃっく所収

2018-08-15 08:25:32 | 参考文献
 他の誰の作品にも似ていない、強烈な個性を持った短編です。
 エロとグロの塊のような作品なので、そのまま児童文学の創作の参考にはなりませんが、ここに書かれたような強烈なイメージを持った作品は、没個性的な作品ばかりの今の児童文学だからこそ必要なのかもしれません。

虚ろまんてぃっく (文春e-book)
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文藝春秋
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青山文平「ひともうらやむ」つまをめとらば所収

2018-08-14 09:52:31 | 参考文献
 第154回直木賞を受賞した短編集の巻頭作です。
 幕末の地方の藩における友人夫婦の刃傷事件に巻き込まれて、武士を捨てて釣り道具の職人になった男の話です。
 最近のエンターテインメント作品の傾向なのか、この作品も描写や文章力で読ませるのではなく知識の披瀝や状況の説明でストーリーを展開していきます。
 確かに物語に必要な情報は効率よく読者に伝達されているのですが、文学性や滋味などは望むべくもなく、人物像も紋切り型で物足りませんでした。
 このような作品が評価され、多くの読者にも読まれているとしたら、児童文学の世界だけでなく、文学全体が大きく変質しているのでしょう。

つまをめとらば
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文藝春秋
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大塚英志「方程式でプロットがみるみる作れる」物語の体操所収

2018-08-13 08:23:13 | 参考文献
 ここでは、大塚は八十年代に人気のあった小説やコミックスがそれぞれ物語の構造が同一で古典的なものであったことを、蓮實重彦の「小説を遠く離れて」などを引用して述べています。
 そして、それらは、プロップの「昔話の形態学」やミッシェル・シモンセンの「フランスの民話」で分析されているように非常に起源が古く、「七つの登場人物」に分類できる「三十一の機能」を持つことを示しています。
 そして、この方程式通りに書くと「エンターテインメント」が、何らかの方法でこの方程式を解体して書くと「純文学」ができあがります。
 ほとんどの書き手は、この方程式を意識しないで書いていると思われます。
 エンターテインメントの書き手になりたいのならば、もっと意識してみるといいかもしれません。
 純文学の書き手の場合には、方法論よりも何を書きたいかが優先されることが多いと思います。
 ただ、どのように描くかを考える時に、この方程式を頭に入れておくと有効と思われます。

 
物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン (朝日文庫)
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朝日新聞社
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吉村萬壱「夏の友」虚ろまんてぃっく所収

2018-08-12 08:26:32 | 参考文献
 「夏の友」とは、夏休みの宿題のドリルのことです。
 題名だけでなく、小学校五年の夏休みを父方の実家で過ごした思い出を描いた前半は、まるで70年代か80年代ごろの「現代児童文学」の作品のようです。
 緻密な子ども時代の記憶や個性的な登場人物の描き方は、やや性的な表現はあるものの毒にも薬にもならない作品が多い現在の児童文学作品より、今の子どもたちにとっても面白いかもしれません。
 後半の大人になった主人公が出てくるようになると、吉村独特のエロとグロが満載の独自の作品世界が広がります。
 でも、こういった世界をストレートに描くより、それを内包しつつ抑えた表現で描いた前半の方が、一般的な読者には受け入れやすいのではないかと思いました。

 
虚ろまんてぃっく (文春e-book)
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文藝春秋
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黒川博行「疫病神」

2018-08-06 07:49:20 | 参考文献
 2014年上半期の直木賞を受賞した「破門」のシリーズ第一作です。
 17年も前に書かれた作品で、この作品の名前を取って「疫病神」シリーズと呼ばれていて、「破門」が5作目ですから非常に間隔を置いて書かれています。
 もっとも、黒川はいろいろなシリーズを並行して書いているので、寡作なわけではありません。
 典型的なノワール小説ですが、阪神淡路大震災後の関西地方の荒涼した背景がうまく利用されています。
 極道やそのシノギ、それに博打などのシーンは非常にリアリティがあり、作者の来歴は知りませんが、かなり元手がかかっている感じがします。
 主役がカタギ(一応建設コンサルタントを名乗っている)で、相棒がバリバリの極道なのが作品のバランスをうまく取っています。
 暴力や犯罪まがいのシーンが頻出しますが、主人公だけでなく極道の相棒も憎めないところがあるのが魅力になっているのでしょう。
 ストーリーのテンポがいいし、会話もうまいので、一級のエンターテインメントになっています。
 児童文学でも、どうせエンターテインメントを書くなら、このくらいはじけたものが欲しいです。

疫病神 (新潮文庫)
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新潮社
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黒川博行「破門」

2018-08-05 08:17:54 | 参考文献
 2014年上半期の直木賞を取った作品です。
 1997年にスタートした「疫病神」シリーズの第五作です。
 カタギの主人公と極道の相棒のはちゃめちゃストーリーは、17年にわたって書き続けられてきましたが、この作品の最後に題名通りに極道が組を破門されて完結したようだったのですが、直木賞を取って売れ行きが戻ったので、その後も連載は続いて、第六作、第七作も出版されています。
 シリーズの作品には出来不出来があり、かならずしも「破門」が一番いい作品ではありませんが、これまでに何度も直木賞の受賞を逃しているので、シリーズ全体の評価としておくられたのでしょう。
 また、直木賞の審査員が、作者と同世代の人間が増えたのもプラスに働いたでしょう。
 「疫病神」シリーズは、カタギと極道にコンビを組ませることによって、合法と非合法のバランスが取れていて、単なるやくざ物の作品になっていないところが魅力になっています。
 しかし、第五作になるとさすがにマンネリ化は目立ちますし、作品の中での時間経過(主人公は3-4才しか年を取っていません)と17年という実時間の経過のギャップも目立ちます。
 そこで、作者は登場人物の年齢設定はそのままに、強引に作品世界の時間を2011年の大阪府暴力団排除条例が施行後にスキップさせています。
 このあたりはエンターテインメント作品ならではのご都合主義なのですが、極道(その周辺にいるカタギの主人公も)のシノギ(金儲け手段の事です)が厳しくなったことを作品の背景とするとともに、シリーズを終了させるための伏線なのでしょう。
 もっとも、直木賞を受賞したことで人気も売上げも大幅に上がったので、作者はこのコンビを復活させました。
 かの有名なシャーロック・ホームズも、読者の熱烈な要望で、ライヘンバッハの滝つぼから生還しています。

破門 (単行本)
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KADOKAWA/角川書店
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黒川博行「勁草」

2018-08-03 16:49:22 | 参考文献
 特殊詐欺という非常に今日的な犯罪を題材にして、犯罪者側(「受け子」と呼ばれる詐欺の被害者からお金を受け取るグループのリーダー)と捜査側の両方から描いています。
 いつもながら作者の犯罪に対する知識はたいしたもので、かつてはオレオレ詐欺と呼ばれていた特殊詐欺について、犯罪者側の内部組織(金主、名簿屋、道具屋、掛け子、受け子、ケツ持ちのヤクザなど)も、警察の捜査担当部隊も、すごくリアルに描かれています。
 しかし、作者の代表作の「疫病神」シリーズ(それらの記事を参照してください)ほど引き込まれないのは、主人公たち(犯罪者はもちろん警察側も)に「疫病神」シリーズの主人公たちのような魅力がないせいでしょう。

勁草 (徳間文庫)
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徳間書店
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大江健三郎「家としての日記」静かな生活所収

2018-08-01 18:13:42 | 参考文献
 主人公のマーちゃんが、障碍者の兄のイーヨーの運動(その理由が彼の性的衝動を抑えるためという、みもふたもないものなのですが)のために、父が所属しているスポーツクラブへ水泳の練習に連れて行きます。
 そこで知り合った水泳選手の若者との一連の事件を描いています。
 どこまでが実際に作者の家族のまわりでおきた事なのかはわかりませんが、にわかには信じがたいことの連続ではっきりいって読むのがけっこうつらいです。
 作品内で、この若者は明確な犯罪を二回(作家の友人の作曲家に対する傷害(ろっ骨を三本骨折)とマーちゃんに対するセクハラと婦女暴行未遂)も犯しながら、警察沙汰にならずにスポーツクラブの出入り禁止になるだけでうやむやにされているのは、作者も含めてここに描かれているのが奇妙に歪んだ世界だというのが率直な感想です。
 しかも、この若者は、以前に男性中学教師と、彼と愛人関係にあった女性(しかも若者のすごく年上の婚約者)の死に関係があったことがほのめかされています
 さらに、この若者は、多額の女性の死亡保険金(それでポルシェを買ったようです)を受け取り、現在は中学教師の妻と同棲中なようなのです。
 もっとも、いくら父親が著名な作家だからとはいえ、障碍者のイーヨーが民間のスポーツクラブに出入りできるのは、よほど特殊な人たちで構成されるクラブなのでしょう。
 私は、この十年間にいろいろなスポーツクラブに入っていますが、残念ながら障碍者の会員の方は一度も見たことがありません。
 営利を目的とする普通の民間のスポーツクラブでは、障碍者の人たちも利用できるような施設や人員の配置は難しいでしょうし、他の会員たちの理解を得ることも困難でしょう。
 一方で、公営のスポーツ施設(特にプール)では、障碍者の子どもたち(といっても多くの場合は成人しているようですが)を連れた親たちの姿を良く見かけました。
 おそらく、障碍者の運動不足による肥満防止のために、水泳は有効だからだと思われます。
 そういった意味でも、この小説で描かれた世界は、特権的な立場の作家とその障碍者の息子といった、非常に特殊な状況の作品ととらえられてしまう危険があり、それに対して作者が無邪気なまでに無頓着なのには驚かされまず。


静かな生活 (講談社文芸文庫)
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講談社

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妙木 忍「秘宝館という文化装置」

2018-08-01 08:59:19 | 参考文献
 秘宝館というのは、温泉地などにある性愛をテーマにしたテーマパークです。
 しかし、この本は、秘宝館を性的興味で紹介しているのではなく、一種の文化装置として、どのように生まれ、隆盛し、やがて廃れていったかを、社会科学的に分析しています。
 筆者は、「ジェンダー論」を専門とする若い女性の研究者です。
 といっても、この本では「ジェンダー論」によって、秘宝館の是非を問うのではなく、どのような社会の変化(特に、余暇や観光、女性の社会進出など)によって盛衰したかを考察しているます。
 本書では、展示自体の意味(例えば、医学的模型、性信仰、観客参加型のアトラクション)などにも触れていますが、私はそういった点にはあまり関心はなく(時代とともに蝋人形などの静的展示から顧客参加型のアトラクションに変化していった点には興味があって、「物語消費」が本やマンガのような静的なものから、ビデオゲームやカードゲームのようなユーザー参加型へ変化したこととの類似点を感じています)、社会の変化に対する秘宝館の変遷が、私の専門としている「現代児童文学」のそれと類似している点に大いに興味を持ちました。
 秘宝館は1972年に生まれて、最盛期の1980年代には全国の温泉地などに20以上の施設が存在し。この本が出版された2014年では3館存在していましたが、その後さらに閉館が続き現在では熱海秘宝館が残るのみです。
 秘宝館といえば、すけべな年配の男性客の物と思われがちですが、当初から女性客を想定して作られ、事実、最盛期を支えたのは、女性の団体客でした。
 秘宝館という言葉の響きとは裏腹に、一人でこっそり楽しむものではなく、おおぜいでわいわい騒ぎながら見学されたようです。
 ただし、最近は団体旅行の減少により、若いカップルが観客の中心になっています。
 残念ながら、私自身は秘宝館へ行ったことがないのですが、子どもたちが小さいころに、熱海後楽園ホテルの遊園地へ毎夏遊びに行っていたので、近くの山にある熱海秘宝館(熱海後楽園ホテル(現在は東京ドームグループ)の所有で、現存する最後の秘宝館)の存在は知っていました。
 著者によると、「観光が大衆化した時代(注:大阪万博後の1970年代)に秘宝館は生まれ、観光が女性化した時代(注:女性の社会進出が一般化した1980年代)に秘宝館は流行し、観光が個人化した時代(注:バブル崩壊後の1990年代以降)に秘宝館は衰退したといえるかもしれない」とのことです。
 これは、「現代児童文学」が1970年代にビジネスとして成立し、1980年代にL文学(女性作家による女性読者のための女性主人公の文学)も含めて隆盛し、子どもたちの「物語消費」が多様化(テレビゲーム、カードゲーム、ライトノベル、アニメ、コミックスなど)した1990代以降に衰退したこととピタリと重なります。
 唯一違うのは、「物語消費」の多様化が主として男性読者に大きな影響を与えたことと、女性読者の多世代化(アラサー、アラフォーはおろか、アラフィフ、アラカンまでひろがっています)によって、「現代児童文学」は終焉しましたが、広義の児童文学はL文学として生き延びていることです。
 しかし、これも2010年代に入ってからのスマホの隆盛(若年層では女性の方が普及率が高い)により、今後は少なくとも「紙の児童文学」は衰退していくことが予想されています。
 以上のように、「秘宝館」と「現代児童文学」、そのどちらもが、女性の社会進出や彼女たちが自由にできるお金や時間の消費形態などと密接に関係していることは、非常に興味深いです。


秘宝館という文化装置
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青弓社

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宮本輝「泥の河」蛍川・泥の河所収

2018-07-31 16:10:11 | 参考文献
 昭和三十年の大阪の河口で、大衆食堂を営む夫婦の一人息子(小学校二年生)と、橋のたもとに留るようになった廓船(一家の家でもあり、母親が売春をする場所でもあります)の姉弟(学校には通っていませんが、四年生と二年生ぐらい)とのつかの間の出会いと別れを描いています。
 作者は、1977年に発表されたこの作品で、太宰治賞を受賞してデビューを果たします。
 少年たちの交流に、戦争で命拾いしてきた大人たちの生や死をからませて、生きていくことの意味を考えさせられます。
 この小説自体も、非常に巧み(あるいはあざといとさえ言えますが)に書かれた優れた小説ですが、それ以上に1981年に公開された小栗康平監督の映画の原作としての方が有名でしょう。
 キネマ旬報の第一位を初めとしていろいろな映画賞を総なめにした映画では、子役たちのごく自然な演技を、大衆食堂を営む夫婦を演じた田村高廣と藤田弓子を初めとした芸達者ぞろいの俳優陣が支えて、モノクロの映像の中に昭和30年の大阪を鮮やかに再現していました。
 特に、客を迎えいれた廓船の闇の中に浮かんだ加賀まりこの顔の妖艶な美しさと、去っていく廓船を主人公の少年が川岸や橋を走りながらいつまでも追いかけていたラストシーンは、今でも鮮やかに記憶に残っています。

泥の河
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池井戸潤「下町ロケット2 ガウディ計画」

2018-07-31 08:27:00 | 参考文献
 東京の大田区の町工場(着実に成長しているので、もう中小企業というよりは中堅企業になっています)を舞台にした人気シリーズの二作目で、テレビドラマ(シリーズの後半)にもなりました。
 ここでもモノづくりや働くことの意義を、エンターテインメントの面白さでくるんで、うまくまとめ上げています。
 良い側と悪い側が最初からはっきりしていて、良い側が様々な困難に直面するのはお約束どおりなのですが、最後には水戸黄門ばりの勧善懲悪でめでたしめでたしの大団円を迎えます。
 ただし、今回は悪い側(一部の人だけ)にもラストで救いの手を差し伸べているのですが、あまりに安易で筆が滑った感じです。

下町ロケット2 ガウディ計画
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小学館
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井田真木子「プロレス少女伝説」

2018-07-30 08:30:37 | 参考文献
 クラッシュギャルズを中心とした、1980年代の第三次女子プロレスブームを描いたドキュメンタリーです。
 女子プロレスが、外国から輸入された男子プロレスと違って、女相撲をルーツに持つ特殊な芸能であることを指摘している点は、1970年代のビューティペアを中心とした第二次女子プロレスブーム(ちなみに第一次はマッハ文朱の頃です)においてもプロレスと歌を混合した興行をしていたこともふまえると、うなずけるものでした。
 しかし、男子プロレスも、力道山らによってアメリカから輸入されたもの以外に、木村政彦たちのプロ柔道や、ボクシングと柔道や空手による異種格闘技戦などのルーツもあって、井田が言うような単純なものではなかったと思われます。
 また、クラッシュギャルズの出現が、従来の男性中心の観客からレスラーたちに過剰に感情移入する少女ファンに変わったという主張も、第二次ブームの時にビューティペアにあこがれる少女ファンが多数いたことを思い起こすと、女子プロレスのベースのファンはやはり男性で、スターが現れたブームの時に一過性の少女ファンが急増すると言った方が妥当なのではないでしょうか。
 また、このドキュメンタリーは、クラッシュギャルズで特に人気がありブームの中心にいた長与千種、女子柔道から転向した今で言うと総合格闘技を志向していたと思われる神取しのぶ、ゲストとしてではなく長期に巡業に帯同するアメリカ人女子プロレスラー、中国未帰還者三世の女子プロレスラーの合計四人に対する取材から構成されているのですが、それぞれが女子プロレスに対して大きな問題意識を抱えながら関わっていただけに、それぞれの問題が中途半端に描かれて全体としては未消化に終わった感が強いです。
 また、作者がフリーランスとはいえ女子プロレス雑誌に記事を書いていた人間なので、体制内ジャーナリズムの匂いもして、興行サイドに対する批判も具体性に乏しくて物足りませんでした。

プロレス少女伝説 (文春文庫)
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文藝春秋
 
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