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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

堀江敏幸「いつか王子駅で」

2025-05-05 08:48:51 | 参考文献

 2001年に「熊の敷石」で第124回芥川賞を受賞した作者の、初の長編作品です(それまでは短編集しか出していませんでした)。
 といっても、この作品も、一章から七章までは「書斎の競馬」という雑誌に掲載された連作短編で、八章から十一章までを追加したものなので、連作短編集的な味わいもあります。
 専門のフランス文学だけでなく日本文学にも造詣が深い作者は、昔ながらの「文士」的な雰囲気があり、若い(この作品を書いた時は三十代半ば)のに老成した印象を受けます。
 文章も擬古的で滋味があって、伝統的な文学ファンには魅力があることでしょう。
 出てくる人物は魅力がありますがすべて善人ばかりで、「なずな」の記事にも書きましたがユートピア小説の趣があります。
 作者の古風な(あるいはそれを装った)作品群は、時には鼻につくこともあるのですが、この作品には初めて読んだ時から児童文学に通ずるものを感じて、作者の中では一番好きな作品です。
 それは、主人公が家庭教師をしている中学生の女の子(その親が彼の住んでいる部屋の大家でもあるのですが)が非常によく書けていて、日本のどの児童文学作品に登場する女の子たちよりも生き生きと魅力的に描かれている点にあります。
 彼女は、主に後半の書き足された部分に出てくるので、この作品を長編として成立させているのは彼女を創造できたおかげだったかもしれません。
 この作品には、彼女の外に、主に前半活躍する主人公いきつけの小料理屋の女将も魅力的に描かれていて、主人公にとって対照的な二人のミューズになっています。
 この作品を好ましく思っているのには、個人的な理由もあります。
 まず、舞台になっている北区の「王子」は、私の育った足立区の「千住」と非常に近く、自転車でよく遊びにいっていました。
 また、曾祖母が住んでいたり、祖父が晩年に入院した病院があったりと、個人的になじみ深い場所でもあります。
 作品に頻出する都電荒川線も、学生時代に時々大学に通うのに使ったりしていて懐かしい路線です。
 もう一つの理由は競馬です。
 この作品が競馬関連の雑誌に連載されていたこともあり、タカエノカオリ(1974年の桜花賞馬で、前述した小料理屋「かおり」の名前の由来)を初めとして、ニットウチドリ(1973年の桜花賞馬)、テスコガビー(1975年の桜花賞(大差勝ち)とオークス(八馬身差勝ち)の二冠馬。当時は秋華賞はおろかエリザベス女王杯もない時代なので牝馬としてはパーフェクトな成績で、戦前のクリフジや最近のウォッカやアーモンドアイなどと並び称されるような最強の牝馬)、キタノカチドキ(1974年の皐月賞と菊花賞の二冠馬)、そして今では懐かしいフレーズになった「三強」(この三頭が一着から三着を占めた1977年の有馬記念は、史上最高のレースと言われています)のテンポイント(1977年春の天皇賞と有馬記念の勝ち馬)、トウショウボーイ(1976年の皐月賞と有馬記念、1977年の宝塚記念の勝ち馬)、グリーングラス(1976年の菊花賞と1978年春の天皇賞と1979年の有馬記念の勝ち馬)などの懐かしい馬名が頻出します。
 作者は私より十歳も若いのに、1970年代の競馬に精通しているので、私に限らず古い競馬ファンにはたまらない作品になっています。
 私が競馬に熱中していたのは、タニノムーティエ(1970年の皐月賞とダービーの二冠馬)のダービーからテンポイントの死(1978年1月22日の日経新春杯で小雪舞う中66.5キロという今では信じられないような過酷な負担重量(その後JRAではどんなハンデ戦でもこのような馬鹿げた負担重量にはしないようになりました)のために骨折し、JRAの総力を挙げての治療と子どもたちも含めた全国のファンの願いもむなしく3月5日に亡くなりました)までなので、この作品で取り上げられている名馬たちはまさにジャストフィットしています。
 それにしても、優駿(JRAの機関誌で今のように通俗化していませんでした)1978年2月号の表紙(毎年2月号の表紙は前年の年度代表馬の全身をとらえた写真でした)のテンポイントは、信じられないほど美しく、まさに神が舞い降りたようでした。

いつか王子駅で (新潮文庫)
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新潮社
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J.D.サリンジャー「ブルー・メロディ」倒錯の森所収

2025-05-01 09:42:08 | 参考文献

 二十歳の時に初めてこの作品を読んだ時、こんなにかっこいい短編は今まで読んだことがないと思いました。
 その感想は、五十年たった今、読み直しても少しも変わりません。
 まず、これほど完璧な「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」的な作品は、他にはないでしょう。
 二人(ラドフォドとペギィ。11歳?)が出会うシーン(ペギィが噛みかけのガムを首の後ろのくぼみにさし込むところが格好良かったので、ラドフォドが声をかけました)。
 二人を強く結びつけた完璧な音楽的センス(ラドフォドが前から友だちだった酒場の黒人ジャズピアニストの演奏と、途中から彼の店へやってきた姪のジャズシンガーの歌声に対する二人の反応に対する描写は、音楽ファンなら誰でもしびれることでしょう)。
 二人の婚約(?)(ペギィが、ちょっと怪我しただけ(あるいはしていない)の額に、ラドフォドをだましてキスさせて、それで婚約が成立したと宣言します)。
 二人の別れと再会。
 こうした「ア・ボーイ・ミツ・ア・ガール」的ストーリーの中に、1927年当時の南部(テネシー州)の黒人差別(病院をたらいまわしにされて、黒人ジャズシンガーは急性虫垂炎で死にます)、二人が再会した1942年の雰囲気(第二次世界大戦中で、インターン(医者になろうとしたきっかけは黒人ジャズシンガーの死が影響しているかもしれません)のラドフォドは陸軍に召集されるところで、ペギィは海軍の航空兵と結婚しています)、1944年の戦地での様子(語り手(サリンジャーの分身でしょう)がラドフォドからこの話を聞きます)などが、簡潔にしかし印象的に描き出されています。
 だいたい「ブルー・メロディ」というタイトル自体が、すごくかっこいいですよね。
 ほとんどの創作を始める人が同様だと思いますが、私も好きな作家の模倣からスタートしました。
 私の場合の模倣する対象は、アラン・シリトー(「長距離ランナーの孤独」など)、ペイトン(「卒業の夏」など)と並んで、サリンジャーでした。
 サリンジャーの作品で、「笑い男」(その記事を参照してください)と並んで真っ先に模倣したのが、この「ブルー・メロディ」でした。
 その「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」的短編は、当時の雑誌「日本児童文学」の創作コンクールの選者の人たちはすごく褒めてくれたのですが、もちろんその出来が本家に遠く及ばなかったことは言うまでもありません。

 

 

 

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椎名誠「黄金時代」

2025-04-24 09:23:09 | 参考文献

 作者の夥しい作品群の中では、純文学的な位置を占める作品です。
 中学三年から写真大学に入学したあたりまでの5、6年間を、作者の最大の武器である緻密な記憶力で描き出しています。
 作者のこの時代については、いろいろなエッセイやユーモア小説で度々描かれているので、エピソード自体にはあまり新鮮味はないのですが、それをストイックなまでに自意識をむき出しにして書いているのが他の作品にはない魅力になっています。
 主人公の年齢で言えば、この作品は児童文学ならばヤングアダルト物にあたります。
 そういった作品のにつきものの恋愛や性体験なども出てくるのですが、そうしたものよりも喧嘩や肉体労働が物語の中心になっているのは、作者の青春が軟派よりも硬派的な要素が強かったことによるのでしょう。
 酒や煙草を日常的にのんでいて、喧嘩に明け暮れているのに、主人公(作者)に崩れたものを感じないのは、それと並行して肉体労働や自分のやりたいこと(写真など)に真摯に向き合う姿がしっかりと描かれているからでしょう。
 こうした青春時代は、作者のその後の活躍の土台になっていて、いろいろな作品で多くの読者を引きつけているのだと思われます。

黄金時代 (文春文庫)
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文藝春秋
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夏目漱石「坊ちゃん」

2025-04-22 09:07:05 | 参考文献

 児童文学の世界でよく言われる言葉に、「日本の児童文学は一人のトム・ソーヤーも生み出せなかった」というのがあります。
 つまり、その時代を代表するような魅力的な子ども像が、日本の児童文学では一人も描かれなかったことを意味します。
 これは、1950年代に現代児童文学がスタートするときに、小川未明らの近代童話を批判するときの常とう句でしたが、私はその現代児童文学もまた、一人のトム・ソーヤーを生み出せなかったと思っています。
 その一方で、狭義の児童文学では確かにそうですが、範囲を日本文学全体に広げれば一人だけいると思っています
 それが、「坊ちゃん」です。
 彼は二十三才という設定ですが、これは数えの年齢なので、満年齢で言えば二十一歳ぐらい(今で言えば大学生ぐらい)でしょう。
 それに、冒頭に子ども時代の思い出も語られていますので、児童文学のヤングアダルト物にあたります。
 また、漱石の他の作品より平易な文章で大衆向けに書かれているので、今ならエンターテインメント作品です。
 坊ちゃんだけでなく、赤シャツにしろ、野だいこにしろ、山嵐にしろ、キャラクターがたっている点からいっても、現代でも十分に通用するエンターテインメント的要素を備えています。
 久しぶりに読み返してみても、百年以上も前に書かれた作品とは思えないほど生き生きとしていて、少しも古びていません。
 もちろん、軍国的だったり、差別用語がつかわれていたり、天誅という名の暴力が肯定されたりなど、現代にはそぐわない点もありますが、それらは日露戦争当時の明治時代という歴史背景を考慮しなければなりません。
 狭義の児童文学の世界に閉じこもっている今の日本の児童文学界ではあまり議論されないでしょうが、「日本のトム・ソーヤー」をうんぬんするよりは、「第二の坊ちゃん」をいかにして生み出すかを考える方がずっと建設的だと思います。

坊っちゃん (新潮文庫)
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新潮社
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大石真「風信器」大石真児童文学全集1所収

2025-04-21 08:24:19 | 参考文献

 1953年9月の童苑9号(早大童話会20周年記念号)に発表され、その年の日本児童文学者協会新人賞を受賞しています。
 ちょうどその年に、早大童話会の後輩たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が少年文学宣言(正確には「少年文学の旗の下に!」、詳しくはその記事を参照してください)を発表し、それまでの「近代童話」を批判して、「現代児童文学」を確立する原動力になった論争がスタートしています。
 この作品は、その中で彼らに否定されたジャンルのひとつである「生活童話」に属していると思われます。
 ここでは、近代的不幸のひとつである「貧困」(高度成長期を経ていったんは克服された「貧困」は、21世紀になって格差社会による不幸として、再び現代の子どもたちを苦しめています)が、弘という少年がお昼の弁当を持ってくることができずに、水だけでがまんしたり、他の子の弁当を盗んだりしていたことにより、描かれています。
 しかし、主人公の少年は、そのことに対してじっと見守るだけで行動を起こせません。
 やがて、北海道へ去っていく弘のことを思い起こすだけです。
 この二人の少年の暗黙の心のつながりを、「風信器(風向や風力を示す機械で昔の学校には設置されていました)」に象徴させて、いい意味でも悪い意味でも非常に文学的な作品です。
 おそらく1953年当時の児童文学界の主流で、「三種の神器」とまで言われていた小川未明、浜田広介、坪田譲治などの大家たちに、「有望な新人」として当時28歳だった大石は認められたのでしょう。
 「現代児童文学」の立場から言えば、「散文性に乏しい短編」であり、「子どもの読者が不在」で、「変革の意志に欠けている」といった、否定されるべき種類の作品なのかもしれません。
 しかし、大石はその後、より「現代児童文学」的な「教室203号」(その記事を参照してください)や、エンターテインメントの先駆けになる「チョコレート戦争」(その記事を参照してください)などを世に送り出して、「現代児童文学」と「近代童話」の狭間に揺れながら、多彩な作家生活をおくることになります。

大石真児童文学全集 1 風信器
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ポプラ社
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椎名誠「犬の系譜」

2025-04-20 09:05:35 | 参考文献

 1987年の一年間、小説現代に連載され、翌年単行本になって、吉川英治文学新人賞を受賞した作品です。
 夥しい数が出版されている作者の本の中で、最も児童文学的な作品です。
 小学校三年から六年までの間に飼っていた三代の犬の系譜をたどる形にはなっていますが、作者と犬たちとの交流はそれほど話の中心ではなく、その時代の家族とその周辺の変遷が、非常に緻密に描かれています。
 世田谷から千葉の漁村(浦安あたりと思われます)への都落ち(本人と幼い弟は自覚していませんが、両親や年長の兄弟たちははっきりと意識しています)、父の死、長兄の結婚(父の死と結婚以来、長兄は家長としての責任を負うようになります)、家事を一手に引き受けるようになった素朴で優しい兄嫁の登場、それらに伴う母の変化(踊りを中心にして非常に社交的になっていきます)、姉の独立、無職で一家の雑用(その中には主人公たちの部屋の増築なども含まれています)を引き受ける母の弟の活躍、次兄の睡眠薬自殺未遂とその後遺症による精神病院への入院といった波乱万丈の四年間が、当時の漁村の風物や暮らしや人々を背景にして、克明に描かれています。
 他の記事で繰り返し書いてきましたが、子ども時代の鮮明な記憶は、多くの児童文学者(代表的な例をあげれば、ケストナーや神沢利子など)に共通した非常に大事な資質ですが、そういった意味では、作者は児童文学者としても優れていると言えます(もともと、青春時代の些末な出来事を面白おかしく書いたスーパーエッセイでデビューしたのですから、当然と言えば当然なのですが)。
 実際、作者には、「黄金時代」や「岳物語」などの同様の系列と考えられる作品群があります。

犬の系譜 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ
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クリーク・アンド・リバー社
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庄野潤三「プールサイド小景」プールサイド小景・静物所収

2025-04-14 13:54:07 | 参考文献

 第三十二回芥川賞受賞作で、作者の出世作です。
 現在と違って、もともとの芥川賞は、この作品のような才能ある新人作家の短編におくられるものだったのです。
 女子選手が練習している私立の学校のプールで、端のコースで小学生の二人の息子に水泳を教えていた夫(この学校のOBでコーチとも知り合いとはいえ、今では考えられない牧歌的な風景です)を、妻が夕方の犬の散歩がてらに迎えに来て、四人で一緒に帰るシーンから始まります。
 このホームドラマ(死語か?)的な家族が、実は危機的な状況に陥っていたのです。
 夫が給料六か月分ぐらいの会社のお金を使いこんで、解雇されたところでした。
 使い込みの理由はどうやらバー通いらしいのですが、そこには見知らぬ女の影があることも妻は気づいています。
 日常のすぐそばにある底知れぬ落とし穴。
 この危機をきっかけに、夫と妻、それぞれの人生観が語られます。
 この作品で作者が語った仕事観やジェンダー観は現在ではかなり古風なものですが、こうした陥穽がすべての家族のすぐそばにあることは現代でも変わりません。

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)
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新潮社
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吉川英治「宮本武蔵」

2025-04-12 09:30:57 | 参考文献

 戦前の大衆小説の金字塔的作品です。
 朝日新聞に四年にわたって連載された大河小説(文庫本で八冊)です。
 今では信じられないことですが、朝日新聞の発行部数を大幅に伸ばし、自宅で新聞を取っていない人たちは、毎朝、職場で朝刊を奪い合って読んだと言われるほど人気がありました。
 名もない田舎の郷士のせがれが、いろいろな人たちと触れ合う(剣による果し合いだけでなく、禅や芸術とも出会います)中で、剣禅一如の境地を求める姿に、太平洋戦争前の暗い世相の中で、人々に自分生き方を考えさせたようです。
 文芸評論家の尾崎秀樹は、「大衆小説とはロマンを求める小説」と定義しています(その記事を参照してください)が、この小説はまさにその王道を行く作品だと言えます。
 ただ、そのロマンは、「男のロマン」(天下無双の剣豪で、登場する女性たち(お通、朱美、吉野太夫、お鶴など)にもやたらともてます)と言えるかもしれないので、女性読者が多数派の現代の読者には向かないでしょう。
 また、ジェンダー観が古いだけでなく、教養主義(その記事を参照してください)真っ盛りの時代なので、歴史や古典文学や宗教などの作者の広範な知識が作品内で披露されるので、現代の読者に読みこなすのは難しいかもしれません。
 なにしろ、大衆小説家として文壇からは差別(芸術院会員にはなれませんでした)されながら、大衆の圧倒的な支持を背景に文化勲章まで取った大家の作品なのですから。
 個人的には、剣を追求して、吉岡一門などと戦っていた前半は夢中になれたのですが、剣や武蔵個人から離れて枝葉末節の部分が多く、まだ若いのに武蔵がどんどん老成していく後半は好きになれませんでした。
 特に、クライマックスの船島(俗に小次郎の別名から巌流島と呼ばれています)での佐々木小次郎との決闘のシーンは、主な登場人物をすべて集めた大団円になっていて、決闘の部分があっさりしすぎて物足りませんでした。
 

 

 

 

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柄谷行人「児童の発見」日本近代文学の起源所収

2025-04-09 09:13:26 | 参考文献

 小川未明たちの「近代童話」が「子ども不在」であったと批判した「現代児童文学論者」が主張した「真の子ども」「現実の子ども」「生きた子ども」もまた一つの観念にすぎず、「子ども」(文中の用語では「児童」)という概念自体が近代になって発見された概念にすぎないと批判し、「現代児童文学論者」に大きな衝撃を与えました。
 アリエスの「<子ども>の誕生」に基づいて書かれていると言われていますが、内容は明治以来の日本の状況に合わせてあります。
 日本の「児童文学」の確立が西欧より遅れたのは、「文学」自体の確立が西欧から遅れたのだからだと述べていますが、それは日本の「近代」が明治期以降に移入されたものであって西欧より百年ほど遅れていたのですから、自明のことでしょう。
 「児童」を「風景」と同様に、疑いなく存在するがそれは見いだされたものであるという指摘は、現代児童文学者たちを「児童」という縛りから解放するのに有益でしたが、大半の「現代児童文学」の書き手はそれには無自覚で(柄谷やアリエスの指摘を、間接的にも読まなかったと思われます)、観念にすぎない「児童像」を追及し続けてていたように思えます。
 ただ、現在の子どもと大人(特に女性)に共有される一種のエンターテインメントとなった「児童文学」では、皮肉にもその「子ども」という縛りからは解き放たれているのかもしれません。
 しかし、その代わりに、「売れる本」という新しい観念に縛られているのでしょう。
 また、現在の年齢で横並びの学校制度にならうように、「低学年向け」とか「高学年から」と限定されて出版している児童書の出版社にはその固定化した「子ども」像が今でも見られますし、それに影響されて観念的な学年別の「児童」像に縛られて創作している「児童文学作家」が依然として数多くいることも事実です。

日本近代文学の起源 原本 (講談社文芸文庫)
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講談社
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瀬田貞二「幼い子の文学」

2025-04-01 09:05:21 | 参考文献

 著者が、1976年6月から一年の予定で行った児童図書講座で、二十数名の児童図書館員を前にして話された各回一時間半の講演(残念ながら著者の病気のために六回だけで打ち切りになってしまいました)をまとめて、著者の没後に出版された本です。
 各回はそれぞれ、生きて帰りし物語、なぞなぞの魅力、童歌という宝庫、詩としての童謡、幼年物語の源流、幼年物語の展開、となっていて、それぞれ豊富な実例とともに興味深い内容が語られます。
 児童文学のもっとも源流に位置する幼年童話や絵本の構造や歴史について、主に日本と英米の本を中心にしてまとめられています。
 もし最後までこの口座が行われ著者自身の手でその内容がまとめられていたら、幼年童話に関するもっとも重要な本になっていたことでしょう。
 この本に掲載されている分だけでも、児童図書館員はもちろん、読み聞かせをされている方々や、幼年童話や絵本を実作されている人々にとっても、必読の本だと思われます。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
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中央公論新社
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石井直人「現代児童文学の条件」(「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」)所収

2025-03-31 05:43:12 | 参考文献

 1998年に出た日本児童文学学会編の「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」の巻頭を飾る「総論」の論文です。
 ここでいう現代児童文学とは、1950年代に始まって1990年代に終焉(または変質)したといわれる狭義の現代児童文学(他の記事を参照してください)ではなく、(同時代の)という意味の広義の現代児童文学です。
 論文は、以下の四部構成になっています。
1.「幸福な一致」
2.子ども読者――読書のユートピア
3.子ども読者論の変奏
4.楕円構造――児童と文学という二つの中心
 1では、現代児童文学の出発時にさかのぼり、作者の認識と読者の認識、さらには批評までが一致していた幸福な時代について、松谷みよ子の「龍の子太郎」を中心に述べています。
 2では、著者が戦後児童文学の批評における最大の書物とする「子どもと文学」を中心に、「子ども読者」の創造と読書のユートピア時代について語られています。
 3では、1978年の本田和子の「タブーは破られたか」、1979年の今江祥智の「もう一つの青春」、1980年の柄谷行人の「児童の発見」という三つのエッセイをもとに、「児童文学のタブーの崩壊」、「児童文学と一般文学の互いの越境」、「子ども論」などを中心に、「子どもと文学」が提示した「子ども読者論」がどのように変化し、現代児童文学が変遷していったかを考察しています。
 4では、児童文学が「児童」と「文学」という二つの中心を持つための特殊性と、それゆえの矛盾や葛藤を持つものであるかが示されています。
 全体を通して、「総論」らしく現代児童文学の概観について、文学論、読者論、児童論、心理学、哲学などの知見をちりばめてアカデミックに書かれていて、注に掲げられていた論文や文献も含めて読みこなすのにはかなりの時間がかかりましたが、非常に勉強になりました。
 

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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東京書籍
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瀬田貞二「宮沢賢治」子どもと文学所収

2025-03-30 11:48:20 | 参考文献

 「子どもと文学」の他の論文とかなり趣が異なり、冒頭にグループ(「ISUMI会」といいます)で話し合いがもたれた時の実際の様子が紹介されています。
 この時の題材は「なめとこ山の熊」なのですが、そのやりとりを読んでいて懐かしい気持ちになりました。
 私も、大学一年の秋に、児童文学研究会の尊敬できる先輩(どういう経緯だったのかわかりませんが、私よりもかなり年長で、未成年だった私から見ると、立派な大人のように感じられました)に誘われて、児童文学研究会の分科会としてできたばかりの、「宮沢賢治研究会」という読書会に参加しました。
 それから、二年の間参加した毎週の読書会は非常に楽しいものでした。
 今振り返ってみると、参加していたメンバーの文学的な素質もかなり高かった(その後文学系の大学の教授になった女性が二名含まれていました)のですが、やはり非常に多様な作品(しかも、大半が読書会向きの短編)を持つ「賢治」でなければ、ただ作品を読んで感想を言い合うだけのあのような読書会を毎週続けることはできなかったでしょう(もちろん、読書会の後の飲み会やメンバーとの旅行も楽しかったのですが)。
 他の記事にも書きましたが、先輩はどういうコネを持っていたのか、当時の賢治研究の第一人者であった続橋達雄先生にお話を聞く機会を設けてくれ、会で花巻へ賢治詣での旅行(賢治のお墓、羅須地人協会、イギリス海岸、花巻温泉郷など)に行った際には、続橋先生のご紹介で、賢治の生家をお訪ねして、弟の清六氏(賢治の作品が世の中に広まることに多大な貢献がありました。その記事を参照してください)から生前の賢治のお話をうかがったりできました。
 その後の著者の文章は、評論というよりは、賢治の評伝に近く、賢治の童話創作の時期を前期(習作期)、中期(創作意欲にあふれ、一日に原稿用紙百枚書いたという言い伝えがあり、ほとんどの童話の原型ができあがった時期)、後期(完成期)に分けて、時代ごとに主な作品とその特徴や創作の背景を解説しています。
 著者が指摘している賢治作品の主な特長は以下の通りです。
「構成がしっかりしている」
「単純で、くっきりと、眼に見えるように描いている」
「方言や擬声音、擬態音をうまくとりいれ、文章全体に張りのあるリズムをひびかせる」
「四四調のようなテンポの均一な、踊りのようなリズム」
「日本人には不向きと言われているユーモア」
「ゆたかな空想力」
 こうした「賢治作品」の特長を育んだものとして、著者は以下のものをあげています。
「素質が狂気に近いほどに並はずれた空想力にめぐまれたこと(こればかりは他の人にはまねできません)」
「郷土の自然」
「郷土の民俗」
「宗教(特に法華経)」
「教養(社会科学、文学、語学、音楽)(著者は無視していますが、自然科学の教養も他の作家にない賢治作品の大きな特徴です)
 全体を通して、著者自身の賢治の評価はベタほめに近く、むしろ「賢治」を利用して、既成の童話界(「赤い鳥」、小川未明、浜田広介など)を批判するために書いているような感もあります。
 また、当時(1950年代)の賢治作品の評価が「大人のためのもの」に傾いていると、著者たちは認識していたようで、自分たちの実体験(彼らの子どもたちの感想)も加えて、繰り返し賢治作品は本来「子ども(作品によっては低学年の子どもたちも)のために書かれたもの」で、その上で「純真な心意の所有者」の大人たちも楽しめるものだということを強調しています。
 この文章が書かれてから七十年近くがたち、子ども読者(大人読者も同様ですが)の本に対する受容力は大幅に低下しているので、現在では、当時の著者たちの認識より二、三年はプラスしないと、読むのは難しいかなという気はします。

子どもと文学
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福音館書店
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司馬遼太郎「竜馬がゆく」

2025-03-23 12:41:50 | 参考文献

 1962年から1966年まで、産経新聞の夕刊に連載された歴史小説です。

 幕末の志士、坂本龍馬の生い立ちからその死までを描いています。

 薩長連合や大政奉還などの実質的な演出者であった、龍馬の魅力を余すところなく描いています。

 出身の土佐藩では政治に参画できない郷士の身分ながら、脱藩してからは勝海舟のような幕府の高官、他藩の藩主、薩摩の西郷吉之助、長州の桂小五郎などの幕末の大物から絶大な信頼を得て、新しい日本を生み出した坂本龍馬の生涯を全五巻(文庫本では八巻)で描いた大長編小説です。

 出版当時大ベストセラーになって何度もテレビドラマにもなり、現在の日本人の坂本龍馬観は、ほとんどこの作品で形作られました。

 名誉や栄達を求めず日本と日本人のために尽くした坂本龍馬は、日本人が愛する偉人のNo.1でしょう。

 特に、上は殿様から下は庶民まで、男女を問わずに愛される龍馬像が、この作品の最大の魅力でしょう。

 

 

 

 

 

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村上春樹「こんなに面白い話だったんだ!」新潮社文庫版「フラニーとズーイ」所収

2025-03-18 14:21:16 | 参考文献

 2014年に、著者の新訳として出版されたサリンジャーの「フラニーとズーイ」(その記事を参照してください)の付録(サリンジャーが自分の作品の本に「まえがき」や「あとがき」を付けることを許さなかったからです)として書かれた文章です。
 「フラニーとズーイ」の成立事情の部分は、紙数の関係で割愛されていますが、新潮社のホームページからダウンロードできます。
 タイトルにありますように、10代で初めて読んだ時には分からなかった作品の魅力(特に「ズーイ」の部分)が、今回ようやく理解でき、この作品が(サリンジャーの作品としては「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)とともに)20世紀のアメリカ文学の古典であると主張しています。
 今回なぜそうなったかの原因としては、その間(45年)の人生経験と翻訳のために原文を読んだことをあげています。
 著者の意見は、おおむね肯定できます。
 「ズーイ」の宗教的あるいは哲学的な内容や、世俗的な社会への否定的な考え方は、これから社会にできる若い世代の人たちには理解しにくいものだと思われます。
 また、サリンジャー独特の文体や語り口は、なかなか翻訳では伝えることができない(著者も十分にできなかったと謙遜していますが)もので、それは単なる言語の違いだけでなく、1950年代のアメリカ(特に若い世代)の風俗や話し言葉とは切り離せないからです。 
 また、この作品が、「ニューヨーカー」誌にふさわしいスタイリッシュな短編から、より精神的な文学への過渡期にあったという「フラニーとズーイ」の成立事情の部分の説明も、読者には分かりやすい物です。
 著者は、この作品をサリンジャー文学の頂点(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は別として)と位置付け、その後の作品(「シーモア ― 序論」(その記事を参照してください)と「ハプワース16,一九二四」(その記事を参照してください)しかありませんが)については、「その文体はどんどん煮詰まり、テーマは純化され、彼の物語はかつての自由闊達な動きを急速に失っていく。そして彼の書くものは、読者から避けがたく乖離していくことになる。」と否定的です。
 しかし、それは、サリンジャーとは逆にどんどんスタイリッシュな作品に近づいて純文学からは遠ざかっている著者の視点であり、「読者から避けがたく乖離していく」のは作家だけのせいではなく、どんどんエンターテインメント作品へ向かっている読者の方により大きな原因があると思っています。
 そのため、読者を意識した純文学作家(著者だけに限りませんが)は、どんどんエンターテインメント作品へ近づいていて、かつては中間小説と揶揄された分野でしか作品を発表できないのが現状ではないでしょうか。

 

 

 

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本田和子「タブーは破られたか」日本児童文学1978年5月号所収

2025-03-14 08:34:38 | 参考文献

 「タブーの崩壊」を特集した日本児童文学1978年5月号の巻頭論文です。
 日本児童文学のバックナンバーは入手が比較的容易ですし、「現代児童文学論集4」にも収録されていますので、簡単に読むことができます。
 刺激的なタイトルのせいもあって児童文学論の世界では非常に有名で、その後のいろいろな研究者の論文にもよく引用されています。
 この号でタブーの崩壊を取り上げたのは、それまで日本の児童文学で取り上げられなかった人間の陰の部分である「性・自殺・家出・離婚」などを取り上げた作品(例えば、岩瀬成子「朝はだんだん見えてくる」、末吉暁子「星に帰った少女」(その記事を参照してください)、今江祥智「優しさごっこ」など)がそのころに発表されたことが背景にあります。
 しかし、本田の論文では、「タブー」の中でも「離婚児童文学」だけを論じていて、取り上げた作品もこの分野では定番のワジム・フロロフの「愛について」(1966年に発表されたソ連の作品です。内容についてはこのブログの「愛について」の記事を参照してください)と今江祥智の「優しさごっこ」だけです。
 児童学や心理学の知見をふんだんにちりばめて、アカデミックな用語を多用して格調高く書かれていますが、要は日本の児童文学において、もともと「性・自殺・家出・離婚」などはタブー(言葉に厳格な本田は本来の意味である「聖なる禁止」という意味で使っています)ではなく、「覆い隠しておきたい「不浄域」として位置づいていたのではないか。そして、それゆえに、より意識的な制限に基づくものだったと思われるのである。」と主張しています。
 つまり刺激的なタイトルは疑問形であったわけで、答えは現代日本児童文学にはタブーはもともと存在しなかったということです。
 しかし、この論文がユニークで歴史的価値を持っている理由は、その部分ではありません。
「性・自殺・家出・離婚」など取り上げた作品群が、作者のもくろみ(例えば、この論文では、「離婚児童文学」の分野では古典的な作品である「ふたりのロッテ」(その記事を参照してください)の作者のケストナーの有名なことば、「世間には、両親が別れたために不幸な子どもがたくさんいる。しかし、両親が別れないために不幸な子どもも、同じだけいるのだ……」や今江祥智のことば、「この世間に数多いああした子どもと両親のことを考えて創作した」を紹介しています)を超えて、より多くの一般の子どもたちにとっても、「彼らの成長にかかわる通過儀礼として、機能していると考えられないだろうか」と、この問題を読者論として捉え直した点にあります。
「子どもの文学を、彼らの意識的な生活のレベルに対応させ、その次元での効用を考えるのは短絡的に過ぎる。物語とかかわりを持つのが彼らの内的世界であれば、当然、その作用は無意識のレベルに大きい。無意識は、内に広がる未踏の暗がりであり、意識的な生を昼の世界と見るなら、無意識は夜の世界に属している。物語は、存在の夜の部分に働きかけることで、昼の生活を補填するものとして位置づくのだ。子どもの文学と言えども、もちろん、例外ではない。
 児童文学が、人間の陰の部分からも目を逸らさなくなった、という最近の現象は、この自明の理が、漸く浸透し始めたことのあかしではないか。そして、その動きは、「論」としてよりもむしろ、「作品の出現と読み手の出会い」という、具体的な形で、現れている。成長困難な文化状況の中で、読み手たちの内的要請は、これらがダークサイドにかかわる物語に向けて、従来とは比較にならないほどに、著しい高まりを見せ始めているのである。」
 以上の最後のまとめ部分は、その後の80年代における人間の陰の部分を描いた多様な児童文学作品の出現を予見するものでした。
 しかし、この論文が描かれてから五十年近くが経過した現在、「子どもたちが成長困難な文化状況」はますます深刻になっているにもかかわらず、商業主義にからめ捕られている現在の児童文学の出版状況は、この「読み手たちの内的要請」に全く応えられていないのが実情です。

多様化の時代に (現代児童文学論集)
クリエーター情報なし
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