現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

のだめカンタービレ 最終楽章

2022-08-27 12:27:35 | 映画

 2009年(前編)、2010年(後編)公開の日本映画で、大ヒットしました。

 人気コミックスのテレビドラマ化(これもまた高視聴率を記録しています)をベースに、その後のヨーロッパでののだめ(野田恵)と千秋先輩の恋の行方を二人の音楽修行とともに描いています。

 大半をヨーロッパロケで描いている、現在では考えられない豪華版の撮影です。

 たくさん登場する外国人のセリフも日本語に吹き替えているのが、ご愛敬です。

 テレビドラマと同様に、原作のコミックスのギャグ漫画風のタッチが生かされています。

 ストーリー自体は、他愛のないラブコメディなのですが、随所に演奏シーンが散りばめられていて、クラシックの名曲の数々を堪能できるところが、テレビドラマと同様にこの映画のミソです。

 主演の上野樹里と玉木宏は、コミカルな演技も巧みにこなして、人気を不動のものにしました。

 

 

 

 

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笹山敬輔「ドリフターズとその時代」

2022-08-16 20:38:34 | 参考文献

 1970年代から1980年代にかけて、圧倒的な人気を誇ったドリフターズについて考察した本です。

 特に、最高50パーセント以上の視聴率を誇った「8時だョ!全員集合」の人気の秘密については、舞台美術や公開放送の様子まで含めて、詳しく論じています。

 メンバーの中では、特にリーダーのいかりや長介と後期のスターだった志村けんにフォーカスしていて、二人の愛憎の関係を詳しく述べています。

 非常に大量の資料を渉猟した労作なのですが、そこから浮かんでくるドリフターズやメンバーの像は、ファンでなかった門外漢(ドリフの番組は自分からは積極的に見たことはなく、家族などが見ているのを横目で眺めた程度)の私が想像していたものから大きく離れたものではなく、わりと平凡な結末でした。

 ようは、ドリフターズは、彼らの先輩であるクレイジーキャッツのような個々の才能による成功ではなく、いかりやの強いリーダーシップのもとにつどったメンバーが、音楽のバンド(もともとは彼らはコミック・バンドでした)のようにアンサンブルで笑いを確立したもので、「8時だョ!全員集合」の成功は、コント55号のようなハプニングやアドリブではなく、徹底した稽古や準備で練り上げたもの(毎週三日を費やしていました)でした。

 当時のテレビの状況(高い視聴率とそれに伴う潤沢な製作費)が、ドリフターズのスタイルとマッチして、あのような大掛かりなセットを用いた公開生放送のスタイルの成功を生み出したのでした。

 ドリフターズは良くも悪くも大衆そのもので、その娯楽の提供に徹していて、大衆を方向づけするようなものではありませんでした。

 著者はドリフターズをかなり過大評価しているようで、宝塚や大劇場を生み出した阪急の小林一三をたびたび引き合いに出したり、特に、志村けんを繰り返し「喜劇王」と持ち上げているのには、かなり違和感がありました。

 

 

 

 

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ジュラシックワールド 新たなる支配者

2022-08-14 17:09:39 | 映画

 2022年公開のアメリカ映画です。

 「ジュラシックワールド」三部作の完結編であるだけでなく、前シリーズの「ジュラシックパーク」も含めた全六作品の終結でもあります。

 そのため、両シリーズで活躍した主な登場人物は全て集結するというオールスターキャストなので、懐かしさも覚えますが、ストーリー的にはやや散漫な感じもします。

 「ワールド」組のオーウェンとクレアは、遺伝子操作で生み出されたメイジーを親代わりに育てていましたが、彼女とヴェロキラプトルの子供が誘拐され、それを追跡します。

 「パーク」組のアランとエリーは、遺伝子操作されて巨大化したイナゴの謎を追っていますが、そこでイアンとも合流します。

 別々に行動していた二つのグループが途中で合流して、共通の敵であるバイオシン社のCEOと対決します。

 この作品では、恐竜は初めから人類と共生するものとして扱われています。

 そのため、「ジュラシック・パーク」のような新しい発見の驚きや恐怖などはありません。

 恐竜と人間、恐竜同士の戦いもありますが、それらは言ってみればテーマパークのアトラクションのようなものです。

 瞬間的なスリルはあっても、心底からの恐怖や驚きというようなものは、この映画からは失われてしまいました。

 主な登場人物が一堂に会しての同窓会的ななつかしさは感じられますが、このシリーズ全体の大団円的な感動はありませんでした

 

 

 

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TAXi3

2022-08-14 16:38:48 | 映画

 2002年公開の人気シリーズの第三作です。

 今回も、プジョーの改造車のタクシーを中心に、カーアクションがたっぷり楽しめます。

 スピード狂のタクシー運転手、その可愛い恋人、彼女の父親の変人の将軍、お調子者の刑事、その恋人の長身のドイツ人のデカ長、変人の署長などのおなじみのメンバーによるおしゃれな会話が楽しめます。

 今度の事件はサンタ強盗ですが、それよりも、二人の恋人の妊娠、出産が中心になったドタバタコメディになっています。

 今回の怪しい外国人は、第一作のドイツ人、第二作の日本人についで、時代を反映してか中国人になっています。

 

 

 

 

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TAXi2

2022-08-14 16:37:55 | 映画

 2000年公開の、人気映画シリーズの第二作です。
 今回も、リュック・ベンソン監督作品ならではの、スタイリッシュな映像と音楽と会話が楽しめます。
 最大の魅力であるスピード感あふれるカー・アクションは健在ですが、今回はスケールアップを意識してかかなりCGを使っていて、かえって興ざめの部分もあります。
 このあたりが、シリーズ物の難しさでしょう。
 今回も、ストーリー自体は、日本の防衛庁長官誘拐をめぐる、日本のヤクザや忍者(?)とフランスの警察や軍隊の攻防を中心とした他愛ないドタバタコメディですが、スピード狂の無免許タクシー運転手を中心に、彼のかわいい恋人、その父親の変人将軍、マザコン刑事、彼が憧れる長身のドイツ人のデカ長の女性、変人の警察署長などのおしゃれなやりとりは、相変わらず楽しめます。
 今回はマルセイユだけでなくパリも出てくるので、フランスの観光案内にもなっています。
 日本人の目から見るとかなり怪しい日本人が多数登場しますが、出てくるフランス人たちはもっと怪しいので、文句は言えません。
 そう言えば、第一作の銀行強盗たちはドイツ人だったのですが、彼らもドイツ人から見ればかなり怪しかったのでしょう。


 

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TAXi

2022-08-14 16:36:08 | 映画

 1998年公開のフランス映画です。
 リュック・ベンソン監督ならでは、スタイリッシュな映像と音楽と会話が楽しめます。
 なんと言っても、この映画の魅力は、CGだけに頼らないスピード感あふれるカー・アクションでしょう。
 冒頭のピザ配達のスクーターによる疾走シーンから、プジョーの改造車のタクシーの爆走まで、マルセイユを舞台に迫力あるカー・アクションの連続です。
 ストーリー自体は連続銀行強盗とマルセイユ警察の攻防を中心とした他愛ないドタバタコメディですが、スピード狂の無免許(!?)タクシー運転手を中心に、彼のかわいい恋人、マザコン刑事、そのチャーミングな母親、刑事が憧れる長身のドイツ人のデカ長の女性、変人の警察署長などのおしゃれなやりとりは、結構楽しめます。
 また、陽光あふれるマルセイユの街のあちこちが紹介されますので、南フランスへ行ってみたくなるのもこの作品の魅力の一つでしょう。


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奥さまは魔女

2022-08-14 16:26:17 | 映画

 2005年公開のアメリカのロマンチック・コメディです。

 人気テレビシリーズだった同名作のリメイクを作る際に、奥さま役に選ばれたのが本当の魔女だったという、かなり凝った作りになっています。

 ストーリー自体は、主演の二人の恋をかなりドタバタで描いた他愛のないものですが、主演のニコール・キッドマンは、この魔女の奥さまをかなり魅力的に演じています。

 お話の中に、テレビシリーズで使われていたギャグや登場人物が頻出するので、それを見ていない人たち(特に若い人たち)にはあまり親切な映画とは言えないでしょう。

 

 

 

 

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リンダ・ニューベリー「おもちゃ屋のねこ」

2022-08-14 15:59:54 | 作品論

 2009年にイギリスで書かれた、不思議な味わいを持った中編です。

 主人公のハティは小学生ぐらいの女の子です。

 ハティは、放課後、おかあさんが仕事を終えるまでの間、大叔父さんのやっているおもちゃ屋「テディとメイ」の手伝いをしています。

 テオ(テディ)おじさんは、メイ大叔母さんが亡くなった後、一人でお店をやっているのです。

 そんな「テディとメイ」に一匹の猫クルリンがやってきて、居ついてしまいます。

 それ以来、お店は、おおにぎわいになります。

 そうです。

 クルリンは、まさに福をよぶ招き猫だったのです。

 その猫を中心に、いくつかの小さな事件(怪しい老年のカップルが、お店に謎の箱を置いていきます。ハティがクルリンを家にもらったために、お店の商売がうまくいかなくなります)が起こり、やがて収まるところに収まってハッピーエンドを迎えます。

 登場人物はみんないい人ばかりなのですが、中でもテオおじさんが魅力的です。

 商売は下手(お金を取りはぐれてばかりです)なのですが、おもちゃと子どもたちが大好きで、こんなテオおじさんだからこそ、クルリンのような福をよぶ猫が居ついたのでしょう。

 この作品はファンタジーではないのですが、不思議な魅力に富んでいます。

 

 

 

 

 

 

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ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」

2022-08-13 17:28:45 | 参考文献

 著者の中学生の息子(父親はアイルランド人)が通うイギリス南部の中学校を舞台にしたエッセイ集(その記事を参照してください)の第二弾です。

 題名は、日本人(イエロー)とアイルランド人(ホワイト)の血をひいていて、思春期のメランコリックな気分(ブルー)もあらわした、主人公の走り書きに基づいています。

 このエッセイは、新潮社の波という雑誌に連載されていたものですが、主人公の息子が元底辺中学校(著者がそう呼んでいます)に順応していくように、著者もこの連載に順応して、どんどん読みやすくなっています。

 イギリス南部の選挙では労働党が勝つようなリベラルな土地の様子とともに、帰省時に孫と触れ合う著者の父親の様子などが、闊達な筆さばきで描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

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ブレイディみかこ「子どもたちの階級闘争」

2022-08-13 17:23:49 | 参考文献

 著者が、保育士の資格を得るためにボランティアで勤め、資格取得して他の保育施設に勤めたのち(そこがつぶれた)に戻ってきた、著者が底辺託児所(または緊縮託児所)と呼んでいる無料託児所について書いたブログなどをまとめた本です。

 構成が変則で、前半が時代からすると後の緊縮託児所時代(保守党政権の緊縮財政により、低所得者層向けのいろいろなプログラムが廃止され、託児所がある場所のサービス(低価格のボリュームたっぷりのランチなども含めて)が大幅に縮小され、託児所に通う子どもたちの保護者も、低所得(あるいは無職)の白人のイギリス人ではなく、移民の子供たちが中心(英語習得のためのコースは残ったため、保護者たちがそこに通っています)で、後半が時代からすると前の底辺託児所時代(労働党政権による手厚い福祉プログラムにより、低所得(あるいは無職)の白人のイギリス人の子供たちが通っています)のものです。

 どちらも、イギリス社会の底辺で暮らす人たち(子どもたちだけでなくその保護者も)の様子が生き生きと描き出されています。

 ただ、題材は生々しいのですが、著者の描き出し方は、のちの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(その記事を参照してください)などと比較すると、まだ完成度が低かったようです。

 

 

 

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森 忠明「末弱記者」

2022-08-13 11:33:53 | 作品論

 作者にとっては、数十年ぶりの新刊です。

 掲載されている作品と発表年度は、以下の通りです。

 末弱記者 2021年

 兄よ銃をとれ 1990年

 三月の湖 1992年

 花笛 1992年

 わせだだいがく 1993年

 死にっかす 1994年

 迫田明の美しい十代 2006年

 どれも作者らしい、人生の負の部分に目を向けた短編になっています。

 その他に、2010年代に発表された詩が三編、合わせて掲載されています。

 作者は、この数十年の間、ほとんど現役を退いているわけですが、それでもこうして本を出そうという熱烈なファン(お弟子?)はいるわけで、また、その本を買う一定数の読者(私自身も含めて)が存在するのです。

 作者やその作品に関しては、関連する記事を参照してください。

 

 

 

 

 

 

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大塚英志「キャラクター小説とは何か」キャラクター小説の作り方所収

2022-08-13 11:05:40 | 参考文献

 大塚は、角川スニーカー文庫で出版される小説を「キャラクター小説」と呼びたいと言います。
 そして、「キャラクター小説」を以下のように定義します。
1.自然主義リアリズムによる小説ではなく、アニメやコミックのような全く別種の原理の上に成立している。
2.「作者の反映としての私」は存在せず、「キャラクター」という生身ではないものの中に「私」が宿っている。
 この「キャラクター小説」という言葉は編集者などには「しょせんキャラクター商品じゃん」自虐的な隠語として使われていたようですが、大塚は積極的に自らが作っている小説を捉えていこうとしています。
 ただし、現状ではカバーイラストの付属品としての小説でしかない低レベルの作品(ビックリマンチョコのような、食玩が主体で食べられずに捨てられてしまうお菓子のようなもの)も存在しているようで、自立した一つの小説分野としての「キャラクター小説をめざそう」としています。
 このような「キャラクター小説」の起源を80年代の初めにアニメの「ルパン三世」のような小説をめざした新井素子に求め、コバルト文庫が少女マンガ家の折原みとなどが自分でイラストも手掛けるようになって自然主義リアリズムから移行したり、アニメ絵を採用した角川スニーカー文庫が創刊される流れにつながったと述べています。
 しかし、このような大塚の願いとは裏腹に、この本が出てから十年以上がたった現在では、ライトノベルのレーベルが乱立して粗製乱造が加速化しているように思われます。

キャラクター小説の作り方
クリエーター情報なし
講談社
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