現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

L.A.コンフィデンシャル

2020-05-31 10:34:41 | 映画
1997年公開のアメリカ映画です。
 ロサンゼルス警察の組織絡みでの巨大な不正に、三人の違うタイプの刑事が挑戦する姿を描いています。
 この映画の最大の魅力は、三人の刑事のキャラが非常にたっていて、それがストーリーとよく絡んでいることです。
 ケヴィン・スペーイシーが演じるのは、ハリウッドでの刑事物ドラマの監修を生きがいにしている派手好みのスター刑事です。
 ラッセル・クロウが演じるのは、捜査のためなら暴力も辞さないたたき上げの刑事です。
 ガイ・ピアースが演じるのは、上昇志向の強い知性派の刑事です。
 こうした三人が、時には協力して、また時には敵対して、彼らの上司が牛耳っている巨大な不正に挑んでいきます。 
 公開時の評判は上々で、アカデミー賞にも9部門でノミネートされましたが、不運にも史上最多の11部門で受賞した「タイタニック」のあおりを食って、助演女優賞(キム・ベイジンガー)と脚色賞だけの受賞にとどまりました。


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桐野夏生「柔らかな頬」

2020-05-30 10:13:42 | 参考文献
 1999年に出版されて、第121回直木賞を受賞しました。
 北海道の支笏湖畔の別荘地から、忽然と姿を消した5歳の少女を探し続ける母親の話です。
 謎があって、推理があって、謎解きがあるといった一般的なミステリではなく、この事件に様々な形で関わった人々の人間模様を執拗に描いていく作品です。
 主人公である母親は、高校卒業後に北海道の海岸沿いの僻村から家出して、それ以来一度も家とは連絡をとらないことからも分かるように、かなり強烈な個性の持ち主です。
 彼女は野生的な女性の魅力をふんだんに持ち、勤め先の印刷の版下制作会社の社長と結婚して二人の子どもをもうけただけでなく、得意先の広告会社のエリートデザイナー(才色兼備の妻と二人の子どもを持ち、行方不明事件の舞台である別荘のオーナーでもあります)とも不倫関係にあります。
 彼女は、娘が行方不明になったことに罪の意識(娘がいなくなった日の明け方に、別荘内で男と関係を持って、子どもたちを捨ててもいいとまで思ってしまいます)のため、精神的にも肉体的にもあてどもなく漂流してしまいます(胡散臭い新興宗教の教祖に引っかかったり、テレビの行方不明事件情報番組に出演したり、毎年娘が誘拐された日の前後に北海道へ探しにいったりして、ついに四年後には夫ともう一人の娘を捨てて娘を探して北海道を流離います)。
 彼女を助けて一緒に探してくれる元刑事は、末期ガンで余命はあとわずかです。
 彼女の元不倫相手は、妻と離婚して、会社も辞め、初めた事業にも失敗して借金取りに追われています。
 彼もまた北海道まで流れてきて、ひょんなことから中年ホストになり、その後若い風俗嬢のヒモになります。
 その他の登場人物も非常にキャラが立っていて(謎の自殺を遂げる別荘地のオーナー、老女なのに異様に妖艶な彼の妻、元自衛隊員でロリコンの噂のある別荘の管理人、やり手の水商売人である隣の別荘のオーナー夫婦とそのダメ息子、待遇に不満のある駐在署員など)、それぞれが犯人だった場合の事件の結末が、夢や妄想の形で随所に挿入されていきます。
 どれも実現可能そうなのですが、それらのどれが真実なのか、それとも全部違うのかは最後まで明かされません。
 そういった意味では、この神隠しのような行方不明事件は、登場人物全員に与えられた一種の神罰(この言葉が強すぎるならば、運命と言ってもいいでしょう)なのかもしれません。




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チャップリンの殺人狂時代

2020-05-29 09:50:38 | 映画
 1947年のアメリカ映画です。
 1920年代にフランスに実在した殺人鬼をモデルにした映画化ということで、「市民ケーン」や「第三の男」で有名なオーソン・ウェルズの原案となっていますが、実質的には他の殺人鬼などの要素や独特のユーモアが加味された、チャップリンのオリジナルの作品です。
 最終的には15人も殺した罪で犯人は死刑になるのですが、映画中での殺人は2件だけで、家族への愛情や身寄りのない女性を助けたりと、犯人の人間的な部分を描くのに多くの時間を割いています。
 描かれた殺人も失敗の連続でユーモラスに描かれていて、残酷なシーンは全くありません。
 犯人は、30年以上働いていた銀行を不況で首になって、家族(体の不自由な妻と幼い息子)の生活を守るために、結婚詐欺と殺人を繰り返すようになります。
 1929年の世界大恐慌前後の騒然とした世情や、その後のナチスなどのファシズムの台頭を背景に、生きるために連続殺人を犯した男の悲喜劇を描いています。
 死刑執行直前に、犯人が吐く「一人を殺すと殺人者になるが、百万人を殺すと英雄になる」という有名なセリフは、家族の生活のために殺人を行った犯人と、国のためと称して戦争を起こした独裁者たちとどこが違うのかという、戦争への批判が込められています。
 この映画でのチャップリンは、チャーリー・チャップリンのチョビ髭にドタ靴のスタイルやスラップスティックな動きは捨てて、チャールズ・チャップリンとしてペーソスのある人情喜劇役者に徹しています。
 なお、この映画は、公開当時にアメリカの「赤狩り」にチャップリンが巻き込まれていたこともあって、アメリカでは興行的には大失敗(その他の国では評価されていました)で、本国で評価されるのはベトナム戦争が激化して平和運動が活発になった1960年代になってからでした。



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ファールボール

2020-05-27 09:07:17 | 作品
 ヒロシは、大小ふたつのかぎをはずして、アパートのドアをあけた。
 入り口が北向きなので、中は真っ暗だ。手探りでスイッチを捜して、玄関の電灯をつけた。三十ワットの蛍光灯が、ぼんやりと灯る。
 いつもの習慣で、ドアの内側の郵便受けに手をつっこんでみる。
 ガスの料金表、建売り住宅の広告、そして、スーパーの特売のちらし、……。
 いろいろなものが入っている。
(あっ!)
それらにまじって、赤や青に塗り分けられた、ひときわ派手な封筒が入っていた。表には、『コーラを飲んで、東京ドームへいこう!』と、大きな文字で書かれている。
(もしかして?)
 ヒロシは急にドキドキしてきた。
 ダイニングキッチンの椅子にランドセルを放り出して、ビリビリと封筒を破いた。
(やったあ!)
 当選したのだ。封筒の中には、「おめでとうございます」の手紙と一緒に、東京ドームでのジャイアンツ対ドラゴンズ戦の招待券が二枚入っていた。
 ヒロシがこの清涼飲料水メーカーのプレゼントに応募したのは、もう三週間も前のことだった。
『毎週、毎週、東京ドームの巨人戦に、百組二百名をペアでご招待』という広告につられて、ハガキを出してみたのだ。
 応募してからの数日は、
(チケットが送られてきていないか?)
と、学校から帰るとすぐに郵便受けを念入りにチェックしていた。
 でも、その期待は、毎日、裏切られた。郵便受けの中には、たくさん入ってくる広告のチラシやダイレクトメールだけしかなかったのだ。一週間たち、二週間たちするうちに、期待はしだいに薄れていった。今では、応募したことすら、ほとんど忘れかけていたほどだ。
 ヒロシはこのチケットで、久しぶりにとうさんと野球を見にいこうと思っていた。去年までは、とうさんと一緒に、野球場へよく行っていた。ホームグラウンドは、東京ドームだった。とうさんがファンなので、ヒロシもジャイアンツを応援するようになっていた。
 ジャイアンツのビジターの試合を追って、神宮球場や横浜スタヂアムへも行った。ときには、交流試合を見るために、パリーグの西武の本拠地である西武ドームやロッテの千葉マリンスタジアムにまで、足をのばすこともあった。
 でも、今シーズンは、まだ一度もとうさんと野球を見にいっていなかった。

 ご飯はおいしそうに炊けたし、味噌汁の用意もできている。今日の味噌汁の実は、とうさんの好きな豆腐と油揚げだ。
 あとはとうさんが途中で買ってくるおかずを並べれば、夕ご飯の支度は完了する。
 今日は火曜日。火曜と木曜だけは、とうさんも早く帰ってきて、一緒に夕ご飯を食べることになっていた。
 いつもとうさんは、乗り換え駅にある駅ビルの食料品売り場で、夕ご飯のおかずを買ってくる。
 飽きないように、(和、洋、中、洋、和、洋、中、洋)というローテーションを守っている。
 テレビの時報とともに、七時から始まるNHKのニュースのテーマ曲が流れてきた。とうさんはまだ帰ってこない。
(遅いなあ)
 ニュースを見たがるとうさんがいないので、BSの野球中継に切り替えた。ちょうどジャイアンツが攻撃中だった。
その回の表裏が終了して、テレビがCMに変わっても、とうさんは帰ってこなかった。
 ルルルー、ルルルー、……。
 七時半をまわったころ、ようやく電話がかかってきた。
「はい」
 急いでヒロシが出てみると、やっぱりとうさんからだった。
「えっ? うん。……。そう」
 ヒロシはそっと受話器を置いた。とうさんからの電話は、帰りが遅くなるから、一人で、外で食べるようにということだった。
 最近は、火曜や木曜でも、今日のように帰れないことが増えてきている。平日に一緒にご飯を食べられるのは、週に一回あるかないかだ。
 おとうさんが帰れない時は、ヒロシは外食することになっている。家の近くの定食屋やラーメン店に行くことが多い。
(ご飯を炊くんじゃなかったなあ)
と、ヒロシは思った。
 せっかく炊いたご飯が、また必要なくなってしまった。冷凍庫の中には、一人前ずつラップにくるんで冷凍したご飯がだいぶたまっている。
 ヒロシは家中の電気を消すと、戸締りして玄関を出た。

 家の近くの立花食堂のガラス戸を、ヒロシはいつものように元気よく開けた。
「らっしゃい」
 カウンタの中から、おじさんが声をかけてきた。
「こんばんは」
 ヒロシはおじさんたちにあいさつすると、テレビがよく見えるいつもの席に座った。
「ヒロちゃん。今日もおとうさん、遅いの?」
 コップの水を持ってきたおばさんが、少し心配そうな顔でたずねてくれた。すっかりおなじみになっているので、火、木は家で食べるはずなことを知っているのだ。
「うん。どうしても、お得意さんの接待に、顔を出さなきゃならないんだって。でも、九時半ごろには帰れるって」
 がっかりしているのを気づかせまいとして、ヒロシは明るい声で答えた。
「今日はなんにする?」
「うーんと」
 壁にはられたメニューを、あらためてながめた。四百五十円のモツ煮込み定食からいちばん高いステーキ定食まで、いろいろな定食が二十種類近くもならんでいる。
 でも、もう一年以上も毎週のように来ているので、ほとんど食べたことがあった。
(急に帰れなくなったとうさんがいけないんだから、今日はステーキ定食でも食べてやろうか?)
 だけど、ステーキ定食は千円もしてしまう。いつもはよほどのことがないかぎり、七百円以内の物をたのんでいる。
 さんざん迷ったあげくに、けっきょく五十円だけぜいたくすることにして、七百五十円の焼肉定食にすることにした。
 ヒロシは料理ができるのを待ちながら、ちょっとピントのくるった食堂のテレビでクイズ番組を見ていた。そして、とうさんが帰ってきたら、野球のチケットのことを話そうと思った。
「はーい、お待ち」
 おばさんが、焼肉定食を持ってきてくれた。
 皿からは、うまそうな湯気がたちのぼっている。
「あれっ、おばさん。サラダはたのまなかったよ」
 お盆の上に、定食には入っていない野菜サラダがのっていたのだ。
「いいのよ。ヒロちゃん、よく来てくれるから。サービス、サービス」
 おばさんはちょっと照れくさそうに笑いながら、テレビの画面をちょうど八時になって始まったバラエティ番組から、ヒロシの好きなBSのナイター中継に替えてくれた。
「いただきまーす」
 ヒロシは大きな声でいうと、勢いよく食べ始めた。

 その晩十時を過ぎても、とうさんは帰ってこなかった。
 いつもなら遅くなるときには、
「先に寝ているように」
と、とうさんから電話がはいる。
 でも、今日はその電話もなかった。
 九時から始まった映画が終わった。ラブシーンがたくさん出てくるアクション物だった。とうさんが一緒だったら、お互いに照れくさくてとても見られやしなかっただろう。
 ヒロシはリモコンで次々とチャンネルを切り換えながら、スポーツニュースのはしごを始めた。今日は大好きなジャイアンツの羽賀がホームランを打っているので、なかなか楽しかった。
 けっきょく羽賀のホームランを六回も見ることになったけれど、それでもとうさんは帰ってこなかった。

 とうとうあきらめて先に寝ようとしたとき、ようやく玄関のドアのところで音がした。時計の針は十二時をまわっている。
「おかえり」
 ヒロシは玄関までいって、とうさんを出迎えた。
「あれっ、ヒロシ。なんだ、こんな遅くまで。早く寝なきゃだめだろ」
 酔っ払っているようで、ろれつがすっかりまわらなくなっている。
「だって、電話がなかったから」
 ヒロシは少し不服そうに答えた。
「あれっ、そうだったかな」
 とうさんは赤い顔をして考えている。
「うん、なかった」
 もう一度はっきりといってやった。
「そうか。わりい、わりい。そりゃ、おとうさんが悪かったな」
 とうさんはふらふらしながらダイニングキッチンへ入っていくと、いすにドシンと腰をおろした。
「だいじょうぶ?」
 ヒロシが心配すると、
「ああ。ヒロちゃん、悪いけど、水をいっぱい」
 とうさんは酒臭い息をはきながら、片手でヒロシをおがんだ。
「うん」
 ヒロシがコップを渡すと、とうさんはグビグビとうまそうな音をたてて、水をいっきに飲みほした。
「ふーっ」
「おとうさん、もう寝ようよ」
「ああ」
 とうさんはヒロシが差し出した手にはつかまらずに、ふらふらと自分で寝室へ歩いていった。そして、ネクタイと背広を、もどかしそうにあたりに脱ぎ散らかすと、ワイシャツ姿のまま、ヒロシが敷いておいたふとんの上に横になった。
「おとうさん」
 ヒロシが声をかけた。野球のチケットのことを、話そうと思ったのだ。
 でも、とうさんは、すぐに大きないびきをかいて眠ってしまった。

 かあさんが病気で亡くなってから、もう二年近くがたっていた。ヒロシが四年生の時だった。
 ヒロシは、去年までのように時々かあさんを思い出して、涙が出てしまうようなことはなかった。とうさんと二人だけの生活にもすっかり慣れて、洗濯だって、掃除だって、一人でできるようになっている。
 ヒロシが心配なのは、とうさんなのだ。ここのところとうさんは、かえって前よりもさびしそうだった。白髪もすごく増えて、なんだか急に年をとったように見える。
 ヒロシと二人だけの生活が始まったころ、とうさんは本当に一所懸命だった。
 毎日、なんとかして、ヒロシと一緒に夕ご飯を食べようと、必ず七時までには帰ってきた。遅れてしまったときなど、おかずの入ったビニール袋をさげて、駅から走ってきたことさえあった。とうさんは何もいわなかったけれど、玄関のドアを開けたときにまだハアハアと息をはずませていたから、ヒロシにはわかってしまった。
 土曜日や日曜日には、いつもヒロシと遊んでくれた。もちろん、毎週、毎週、遊園地へ行ったり、野球見物をしたりというわけにはいかない。忙しいときには、近所の公園で一時間キャッチボールをするだけのこともあった。それでも、なんとか一緒にがんばっていこうとしていた。
 しかし、時間とともに二人の生活は、だんだん変わってしまっていた。
 とうさんの仕事はますます忙しくなり、夕食までに帰れない日が週一日になり、やがて二日になった。そして、遅くなったときには、必ずお酒を飲んでよっぱらっていた。
 今では、土曜日にもほとんど出勤するようになり、日曜日は昼近くまで寝ていることが多くなっている。
 もう半年近くも、ヒロシはとうさんとキャッチボールをやっていなかった。

 日曜日の夜、ヒロシは久しぶりに、とうさんと一緒に夕ご飯を食べていた。
「おとうさん。六月十二日の火曜日の夜、忙しくないかなあ」
 食後のお茶を飲んでいるときに、ヒロシは野球のチケットのことをようやく話すことができた。
「えっ、なんだい?」
「チケットが当たったんだ」
 ヒロシは、二枚のジャイアンツ戦のチケットを、とうさんに見せた。
「へーっ、すごいな」
 おとうさんも、興味をそそられたみたいだ。
「一緒に行けるかなあ」
 ヒロシは、遠慮がちに聞いてみた。
「うーん、ちょっとなあ」
 とうさんは、カバンから分厚い手帳を取り出してきた。
「あー、残念だなあ。その日は、名古屋まで日帰りの出張があるんだ。試合までに戻ってくるのは、ちょっと無理だなあ」
 とうさんはすまなさそうにいった。
「……」
「ヒロちゃん。悪いけど、クラスの友だちか誰かと、行ってくれないかな」
 とうさんにそういわれて、ヒロシは仕方なくうなずいた。

 その晩、ヒロシは自分の部屋で算数の宿題をやっていた。教科書の分数の計算が、今日はなかなかはかどらない。ついつい、ジャイアンツ戦のチケットのことを考えてしまう。とうさんと見に行かれないことが、まだ残念でならなかった。
(もっと早く、チケットが来ればなあ)
 そうすれば、とうさんも都合がついたかもしれない。
(誰を誘おうかなあ?)
 クラスの友だちを思い浮かべてみた。マコトにしようか、それともケイくんがいいかな。東京ドームのジャイアンツ戦ならば、誰を誘っても大喜びで来るだろう。
 でも、ヒロシは、やっぱりとうさんと行きたかった。
 ポンポン。
 部屋のふすまを軽くノックする音がした。
「なあに?」
 振り返ると、ふすまを開けてとうさんが入ってきた。
「ヒロちゃん。おとうさん、考えてみたんだけど、なんとか仕事を三時までにきりあげれば、ぎりぎり試合に間に合うかもしれない」
 とうさんは、少し照れくさそうな顔をしてそういった。

 ジャイアンツ戦の当日になった。
 ヒロシは四時少しすぎに、新宿のホームで総武線の電車を待っていた。
 東京ドームのある水道橋駅は、ここから七つ目。十五分ぐらいでつける。六時ちょうどのプレーボールだから、時間はたっぷりすぎるぐらいだ。
 まだラッシュ前なので、ホームに入ってきた電車はすいていた。車内のところどころには、ヒロシと同じように東京ドームへ行くらしい人たちも乗っている。
 ななめ前の家族連れもそうだった。
 三年生ぐらいの男の子は、首から大きな双眼鏡をぶらさげているし、妹のほうはジャイアンツのマーク入りのメガホンを持っている。
 父親もビデオカメラにメモリーカードを入れたり、ファインダーをのぞいたりしていた。母親の横の紙袋には、大きな赤い水筒が入っている。
 男の子が妹の頭を軽くこづいて、母親に叱られていた。そして、なぜかみんなで楽しそうに笑い出した。
(やっぱり双眼鏡を持ってくれば良かったかな)
 男の子が双眼鏡で車外のけしきをながめ始めたときに、ヒロシはそう思った。
 ヒロシがかあさんと最後に野球を見にいったのは、三年前、三年生のときだった。
 場所は所沢の西武の球場。もちろん、とうさんも一緒だった。
 西武線の電車の中で、ヒロシはちょうど今日、目の前にいる男の子と同じようにはしゃいでいたかもしれない。

「じゃあ、トルコは?」
 横にすわったとうさんがたずねた。
「えーっと」
 ヒロシはあわててヨーロッパとアジアの境目あたりの世界地図を、頭の中に思いうかべた。たしかトルコはヨーロッパの一番はじで、すぐ隣からはアジアになっていた。
「あっ、わかった。アンカラだ」
 ヒロシは得意そうに答えた。
「正解。それじゃ、ブルガリアは?」
「ソフィア」
 これはすぐに答えられた。東ヨーロッパの地名は得意なのだ。
「つぎは?」
 ヒロシは勢い込んで、とうさんに催促した。家を出てからずっと、世界の首都当てクイズを出してもらっていた。
「うーん、もう忘れたよ。降参」
 とうさんが笑いながらいった。
「えーっ、もっとやろうよ」
「じゃあ、今度は県庁所在地にしたら」
 かあさんが笑いながら、とうさんに助け舟を出した。
「うん、やって、やって」
 ヒロシはとうさんにせがんだ。
「もう疲れたよ。おかあさん、代わってくれよ」
 かあさんはクスクス笑っていた。

ジャイアンツの主砲、羽賀選手がフリーバッティングをしている。
 カーーン。
 かわいた気持ちのよい音をたてて、ボールは次々に外野席へ打ち込まれていく。
 ワーッ。
 そのたびにドーム全体に歓声がおこり、試合前の興奮がいっそう高まってくる。
 フェンスぎわでは、エースピッチャーの栗田投手が軽いランニングで体をほぐしていた。
「本日の先発投手をお知らせいたします。ジャイアンツのピッチャーは栗田、……」
 ウワーッ!
 一段と大きな歓声が、場内に巻き起こった。
 試合開始三十分前。東京ドームはすでに八分の入りだった。ヒロシのまわりも、とうさんの席を除いてはほとんどうまっている。
 羽賀選手のバッティング練習が終わった。ゆっくりとベンチへ引き上げて行く羽賀選手に、ヒロシは双眼鏡を合わせた。
 さんざん迷ったあげくに、入り口横の売店で双眼鏡を借りてきていた。
 招待券の席は一応内野席とはいえ、広すぎるほどの東京ドームの一番高いところにある。そこからはグラウンドの選手の顔は、肉眼ではぜんぜん見えなかった。

 六時ちょうどに、試合が始まった。
 ワーッ。
 東京ドームは、好ゲームを期待するファンの興奮に包まれている。
 でも、とうさんはまだやってこなかった。
 一回、二回、……。
 ゲームはどんどん進んでいく。
 初回に先取点をあげたドラゴンズが、試合を有利に進めている。ヒロシの応援しているジャイアンツは、なかなかチャンスがつかめなかった。
 三回になっても、まだとうさんは現れなかった。 
 心配になったヒロシは、イニングの合間ごとに、入り口までとうさんを捜しにいった。もしかすると、渡しておいたチケットをなくして、困っているのかもしれないと思ったからだ。ヒロシは携帯を持っていないから、とうさんからは連絡できない。
でも、入り口付近には、それらしい人の姿は見えなかった。よっぽどそこにあった公衆電話からとうさんのスマホへ電話しようとも思ったが、まだ仕事中かもしれないと思うとそれもできなかった。
 回をおうごとに、ヒロシはだんだんおなかがすいてきた。
 でも、双眼鏡の借賃のほかに保証料も取られていたし、試合開始前にはコーラも買っていたので、サイフにはもう百九十円しかなかった。これでは、いちばん安いアメリカンドッグも買えやしない。
(最後までとうさんが来なかったらどうしよう?)
 そんなことまで頭の中にちらついて、ヒロシはゲームどころではなくなってしまった。

 ようやくとうさんが現れたのは、五回裏のジャイアンツの攻撃中だった。
 得点は三対一と、相変わらずドラゴンズがリードしていた。
「ごめん、ごめん」
 とうさんは、顔の前で手を合わせてヒロシにあやまった。
 出張先の仕事が長びいて、座席予約していた新幹線に間に合わなかったのだ。これでも、東京駅からタクシーを飛ばしてきたらしい。
「めし食ったか?」
 ヒロシは黙って首を振った。
「なんだ。先に食べてても良かったのに」
「これ借りたら、お金が足りなくなっちゃったんだ」
 ヒロシは、とうさんに双眼鏡を差し出してみせた。
「そうかあ。悪かったなあ」
 とうさんはすぐに売店へ走っていって、「ドーム弁当」という大きな弁当をふたつと、生ビールとコーラのLを買ってきてくれた。
 おなかをすかせていた二人は、口もきかずに弁当をガツガツと食べ始めた。とうさんも、気ばかりせいて新幹線の中で何も食べていなかったらしい。

 試合の方は、そんな二人にはかまわずに、どんどん進んでいく。依然としてドラゴンズの先発投手が好調で、ジャイアンツはなかなか点が取れない。
「あーあ」
 観衆が大きなため息をついた。ツーアウトながら満塁のチャンスを迎えていたのに、四番の羽賀が内野フライに倒れてしまったのだ。
「残念だったねえ」
 ヒロシも、隣のおとうさんに話しかけた。
「そうだねえ」
 でも、おとうさんは、どこか上の空みたいだ。弁当を食べ終わってからも、なかなかゲームに気分を集中できないようだった。
「ちょっと電話をしてくる」
 おとうさんは、そういってスマホを取り出しながら立ち上がった。
(どうしたんだろう?)
 十分以上たって、おとうさんはようやく帰ってきた。もしかすると、仕事の途中だったのを、無理して来てくれたのかもしれない。そう思うと、ヒロシの方も、心の底からはゲームを楽しめなくなってしまった。

 ゲームは、終始ドラゴンズペースで進んでいた。八回の表を終わって六対一と、ジャイアンツは五点もリードされている。
 この回の先頭バッターは、四番の羽賀。
 でも、東京ドームの観衆には、早くもあきらめムードがただよっていた。中には、帰りかけて通路で振り返りながら見ている人もいる。きっと羽賀が凡退したら、そのまま帰ってしまうつもりなのだろう。
 ヒロシも大好きな羽賀選手の打席なのに、ついぼんやりとしてしまっていた。
 カーーン。
 歓声になりかかった声が、すぐにため息にかわった。
(ファールかな)
と、ヒロシは思っていた。
 アアーッ。
 まわりの人たちが大声を出した。
 顔をあげると、ファールボールがグングンきれながら、すぐそこまでせまっていた。
「あっ!」
 ヒロシは、思わず目をつぶってしまった。
「あぶない!」
 とうさんが大声を出して、ヒロシにおおいかぶさってきた。ワイシャツにしみこんだ汗の匂いに混じって、小さいころ同じふとんで寝たときのとうさんの匂いがした。
 ゴン。
 ボールの当たる鈍い音と同時に、
「ウッ!」
と、とうさんが短くうめく声が聞こえた。
 でも、とうさんは、すぐにヒロシに声をかけた。
「だいじょうぶかっ?」
 目を開けると、すぐそばに心配そうなとうさんの顔があった。
「うん」
「どこにも当たらなかったか?」
 とうさんは、まだ真剣な声を出していた。

「すみません。ボールが当たりませんでしたか?」
 係のおにいさんが、白い帽子をぬぎながらあやまっている。
「えっ? あっ、いてて」
 とうさんは、急に左腕を押さえて顔をしかめた。
「もし、あまりお痛みのようでしたら、医務室で応急手当てはできますけれど」
「うーん、まあ、いいや」
「そうですか。それで、ボールは?」
「えっ?」
 とうさんは、あわててあたりをキョロキョロし始めた。ヒロシやまわりの人たちも椅子の下などを捜したが、ボールはどこにも見当たらなかった。
 ワーッ。
 急に歓声が巻き起こった。
 あわててグラウンドを見ると、羽賀の打球が左中間の真ん中を抜けていくところだった。
 ゆうゆうとツーベースヒット。
 双眼鏡でのぞくと、羽賀は得意そうな顔をして、二塁ベース上でガッツポーズをきめている。
 羽賀のツーベースをきっかけに、試合は急に盛り上がっていった。
 その回は同点にこそならなかったものの、ジャイアンツが三点を返して、六対四と二点差にまで詰め寄っている。
「いい試合になってきたな」
 タンクをかついだおねえさんから新しく買った生ビールを、とうさんはグビグビと気持ちのいい音をたてて飲み始めた。
「うん、代打の山内がヒットだったら、もっと良かったのにねえ」
 ヒロシも、とうさんが買ってきてくれた鶏の唐揚げをかじりながら答えた。
「ああ。もうちょっとだったな。あれが抜けてたら、二塁ランナーの石塚は俊足だから、同点になっていたかもしれん。でも、つぎの回も羽賀までまわるから、うまくいけば逆転できるかもしれないぞ」
 とうさんはそういって、残っていた生ビールを一気に飲み干した。
 逆転の期待をしているのは、ヒロシたちばかりではない。げんきんなもので、二点差になったとたんに、帰りかけた人たちまでが席へ戻ってきている。

「あーあっ」
 とうさんが大きなため息をついた。
 ジャイアンツの最後のバッター山森が、ドラゴンズのクローザー(試合の最後を締めくくるピッチャー)の上村の速球で、セカンドフライに打ち取られたのだ。
 六対五。ドラゴンズが、なんとか一点差で逃げきってしまった。
「残念だったなあ」
 とうさんは席を立つのを、まだ名残惜しそうにしていた。
「悔しいねえ」
 ヒロシも腰をおろしたまま答えた。
 でも、最後にきて盛り上がったゲーム展開には、充分満足していた。ジャイアンツは、最終回も羽賀のタイムリーヒットで一点差にまで詰め寄ったのだ。
 それに、その一球一球のプレーを、とうさんと一緒に大声を出して思いきり応援できたのもうれしかった。
「よーし、行くか」
 とうさんはようやく立ち上がると、大きくひとつ伸びをした。
「うん」
 ヒロシも立ち上がると、家から持ってきたとうさんと自分の野球観戦用の小さなビニール座布団を、手提げ袋に入れようとした。
「あっ!」
 思わず声を出してしまった。
「どうした?」
 先に歩きだしかけたとうさんが振り返った。
「おとうさん、これ」
 ヒロシはそっと紙ぶくろを開いてみせた。
 中には硬式ボールがひとつ入っていた。
「えっ? ああ、さっきのファールボールだな」
「うん。気づかないうちに、紙ぶくろの中に入ってたんだ」
「ふーん。でも、うまいこと入ったもんだな」
 とうさんは、感心したようにボールを見ていた。
「どうしようか? 係の人に返したほうがいいかなあ?」
「いやあ、最近はファールボールももらえることになったんじゃないかな」
「そう?」
「いいから、もらっておけよ」
 とうさんは、急にニヤッと笑って付け加えた。
「もしほんとはもらえなくても、治療代の代わりだよ。」
 とうさんは、ワイシャツの袖をまくってみせた。さっきボールがあたったところが、青くあざになっている。
「そうだね、治療代だね」
 ヒロシもうなずいた。
「うん、そうだ。治療代だ」
「ふふふ」
 わざとまじめくさった顔をしてみせたとうさんが、ヒロシにはおかしかった。
「ははははは」
 とうさんも、おかしそうに大声で笑い出した。
 そして、ヒロシはいっしょに大きな声で笑いながら、このボールで今度の日曜日に、とうさんとキャッチボールをしたいなと思っていた。

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坪田譲治「ペルーの話」講談社版少年少女世界文学全集第49巻現代日本童話集所収

2020-05-24 10:10:24 | 作品論
 1935年(昭和10年)に、雑誌「赤い鳥」に発表された短編です。
 ペルーに日本移民を使ってできたインカ・ゴム会社で、林業監督をしていた山梨県出身の堀内伝重という人からの聞き語りです。
 第一次大戦後に、会社がゴム園を閉鎖した後で、初めてゴム園の見回りに行った時の話です。
 アマゾン上流の未開地域を、カノアという丸木舟で急流や段差を遡ったり、インディアン(文明化された先住民のことのようです)やケチュア土人(未開の先住民のことでしょう)やボリビア人(スペイン人や先住民との混血の子孫のことでしょう)と交流したり、チョンチョ蛮人(未開の先住民でしょう)に出会ったり、トラ(ジャガーのことでしょう)、のぶた(ペッカリーのことでしょう)、テナガザル、青シカなどを鉄砲で撃ったり、ピューマ、ワニ、ワシに遭遇したり、毒虫に刺されたりと、大冒険の連続です。
 現代と違って、戦前の子どもたちにとっては、外国(特に南米)は遠い遠い世界だったことでしょう。
 テレビやグラビア雑誌等のない時代に、「少年駅伝夫」の記事にも書きましたが、こうした世界のことを知る手段として、児童文学は貴重な働きをしていました。
 坪田譲治の語り口は、現代においても全然古びていませんし、非常に視覚的で、子どもたちの知的好奇心を満足させるしっかりとした文体を持っています。
 ただし、語り手の内容には、現在では差別的な内容も含まれていますし、不正確(やや誇張した部分もあるのではないでしょうか)な点もあります。
 特に、ピューマとトラ(ジャガー)の戦争の部分は、小原英雄「猛獣もし戦わば」(その記事を参照してください)によれば、生息地が異なるために両者の戦いの目撃例は非常に少ないとのことなので、語り手の創作(あるいは想像の産物)だと思われます。

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坪田譲治「お化けの世界」坪田譲治作品集1風の中の子供所収

2020-05-24 09:16:17 | 作品論
 1935年(昭和10年)の改造三月号に、山本有三の紹介で掲載されて好評を得て、作者が作家としての生活を軌道に載せた記念すべき作品です。
 作者は、請われて取締役に就任していた、父が作り兄が継いだ郷里の会社を1933年に追われて、ほぼ無一文で東京での生活(すでに四十代で、妻と三人の息子がいます)を再スタートしています。
 この作品では、実生活での会社とのトラブルを題材にして、父のトラブルの整理がなかなか終わらずに(刑事罰に問われたり、莫大な借金を背負ったりしそうでした)、東京に戻るに戻れない中途半端な状況(母は妹を連れて、先に東京へ戻っていました)に置かれた兄弟(小学六年生の善太と小学三年生の三平)の姿(特に弟の三平の視点を中心にして)を描いています。
 苦闘して自殺も考えていた父親の心境を反映して、三平の気持ちも次第に不安定になっていきます。
 特に、三平の死への関心と奇妙な憧れ(死んだほうが楽になる)をたくみな筆致で描いています。
 ラストで、三平の目には、教室の先生や生徒たちがお化けに見えてくる終わり方は、醜い大人の世界(いや大人だけではなく子どもの世界も)を鋭く捉えてていて秀逸です。
 発表誌からもわかるように、この作品は児童文学(当時の言葉で言えば童話)ではなく、一般文学として大人の読者に読まれたものです。
 そのため、善太と三平の視点だけでなく、父親の視点で書かれている部分もあります。
 読者にとっては、その方がトラブルの内容が具体的にわかって、作品を理解しやすくなっています。
 しかし、主人公の善太と三平は、作者の童話作品(例えば「魔法」(その記事を参照してください))にも登場するので、作者は大人と子どもの両方に向けて書いていたのだと思われます。 
 特に、父親と三平(大人と子どもの代表)だけでなく、その両方の気持ちを理解する善太の中間的な視点は、作品のバランス(大人と子ども)を取る上でうまく機能しています。
 こうした人生の負の部分を描いた作者の作品は、1950年代の現代児童文学出発時に、強く否定されました(関連する記事を参照してください)。
 しかし、1980年前後になって、そうした人生の負の部分を描いた作品(例えば、国松俊英「おかしな金曜日」、大石真「教室205号」、那須正幹「ぼくらは海へ」など(それらの記事を参照してください))が評価されるようになり、こうした奇妙な現代児童文学のタブーはなくなりました。
 そう考えてみると、児童文学が完全な形(人生の正の面も負の面も描く)であるためには、作者が描いたこうした作品にもっと着目する必要があるのではないでしょうか。
 特に、社会での様々な(経済的、世代間、教育機会など)格差が広がり、いろいろな大災害(地震、台風、感染症など)に襲われている現代では、大人だけでなく子どもも、人生の負の部分に真摯に向き合い、それを乗り越えていくような文学が求められています。



 
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桐野夏生「虫卵の配列」錆びる心所収

2020-05-24 09:09:26 | 参考文献
 1996年7月号の「オール讀物」に掲載された短編です。
 久しぶりに会った二人の女性の会話を中心に進められていきます。
 初めは小劇団の主宰者とファンの微笑ましい交流だったものが、次第に劇作上の関係に、そして主宰者の離婚も含めて深刻な恋愛話に発展します。
 そして、そのすべてが彼女の妄想だったことが分かるどんでん返しが鮮やかです。
 神の技としか思えない、虫の卵の秩序だった配列。
 それと同様な彼女の手紙と芝居の内容の一致。
 しかし、実際は、主宰者を崇拝するばかりに精神に異常をきたしたと思われる女性による妄想の産物だったのです。
 短い枚数の中で、必要な部分だけに刈り込まれた短編の切れ味はなかなかのものです。


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若草物語

2020-05-23 10:19:49 | 映画
 1949年公開のアメリカ映画です。
 児童文学の古典であるルイーザ・メイ・オルコットの原作の二度目の映画化です。
 日本で知られている「若草物語」は四姉妹の少女時代を描いたLittle Womenですが、この映画ではその続編部分(ジョーの作家修行、メグの結婚出産、ベスの死、エイミーとローリーの結婚などで、ジョーが今は亡きベスについて書いた本が出版されるまで)も含めて作られているので、私のような原作のファンは、かなり駆け足のような印象を受けます。
 しかし、優しく美人な長女メグ、男勝りで活発な次女ジョー、病弱で内気な三女ベス(映画では末っ子に変えてあります)、可愛くわがままな末っ子エイミー(映画では三女に変えてあります)の個性は、女優たちがはまり役なことも含めて、よく描かれています。
 原作もそうですが、映画でも原作者の分身であるジョーが主役で、この映画ではジューン・アリソンが演じていますが、エイミーは若い頃の世紀の美人女優エリザベス・テイラーが演じているので、やはり圧倒的に美しく華やかで、主役もかなり食われています。 


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桐野夏生「水の眠り 灰の夢」

2020-05-23 09:41:36 | 参考文献
 1995年に出版されたハードボイルド・ミステリーです。
 作者の出世作である「顔に降りかかる雨」や「天使に見捨てられた夜」の主役である女性探偵村野ミロの父親(両作にもチョイ役で登場します)の村善(村野善三)を主役にして、1963年の東京を舞台に、当時活躍していたトップ屋(週刊誌のトップ記事を書く会社に属さない遊軍的な記者)の生態を活写しています。
 当時大騒ぎされていた連続爆破事件の犯人「草加次郎」と、女子高校生の殺人事件の犯人探しを軸に、アイビー・ファッションや太陽族などの当時の風俗や、オリンピックを間近に控えた東京の猥雑な雰囲気を、ふんだんに盛り込んで描いています。
 作者は1951年金沢生まれなので、当時の風俗については、実感ではなく資料や取材によるものだと思われますが、大きな違和感なくまとめている手腕はさすがです。
 また、村善が調査探偵になるいきさつ、暴力団との関わり、村野ミロの出生の秘密なども描かれているので、先行二作の外伝的な趣もあります。
 この作品を書くためには、かなり大掛かりな資料の収集や整理が必要だったと思われるので、この作品あたりからは、アシスタントないしは出版社の協力があったものと推察されます。



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よしもとばなな「天使」さきちゃんたちの夜所収

2020-05-20 09:51:11 | 参考文献
 10歳ぐらい年上のバツイチのレストランのオーナーシェフに一目ぼれされて、天使と呼ばれているさきちゃんの話です。
 男はさきちゃんの部屋に毎日訪れるのに肉体関係は一度もなく、ここでも男の性は見事に漂白されています。
 この話でも保育園でバイトをしていた女の子が、経済的に余裕のある男に出会うという、現在の若い女の子の恋愛願望をあっさりかなえています。
 ここまでくると、「なんでもあなたはこのままでいいよ。今に白馬の王子様が現れるよ」というよしもと教の教祖のご託宣を、信者たちが謹んで拝読している図が浮かんできて、苦笑を禁じ得ません。

さきちゃんたちの夜
クリエーター情報なし
新潮社
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畑野智美「海の見える街」

2020-05-20 09:50:15 | 参考文献
 海辺の街の図書館や児童館が入っている市民センターで働く四人の男女の恋愛模様を描いたエンターテインメントです。
 この作品について文学論を展開するつもりはないのですが、商品としてどのように作られているかについて興味を持ちましたので、少し考察してみます。
 作者も出版社もはっきり意識として作っていると思うのですが、若い女性をターゲットにしたエンターテインメントしての以下のような要件を満たしています。
 まず、四人のキャラクターが、はっきりすぎるほどたっています。
 三十過ぎの独身で、女性関係だけでなく仕事でも少し困難に直面するとフリーズしてしまう、しかしやさしくてまじめな草食男子。
 二十代後半の独身でまじめな、漫画や本やアニメのオタク女子。
 一年間の派遣でこの町にやってきた、ルックスが派手で仕事嫌いな元ヤン女子。
 女子中学生専門の三十過ぎ独身のロリコン男子。
 表紙もアニメ調で、典型的なキャラクター小説です。
 おそらくコバルト文庫やX文庫を読んで育った若い女性をターゲットにしているのでしょう。
 次に、極端な背景設定があります。
 草食男子の母親は、一階を貸していたインド料理店のオーナーのインド人と、理由の説明もなく再婚します。
 オタク女子は、唐突に草食男子に告白したり、ロリコン男子に接近したりします。
 元ヤン女子は、ヤクザの元カレのDVから逃れてきました。
 ロリコン男子は、厳格な教員の両親に育てられて、高校時代に女子中学生によるツツモタセにひっかっかて、親に二百万円を払ってもらいました。
 それから、読み易さも抜群です。
 連作短編集なのですが、四編は四人それぞれの視点で書かれているのでそれぞれの背景がよくわかるように書かれています。
 文章は非常に平明で、しち面倒くさい心理描写などは独白で簡単に済ませています。
 込み入った部分は、エピソードを積み重ねるのではなく、一方的な説明で終わらせています。
 各短編の最後の部分に唐突な展開があり、次が読みたくなるような余韻を残しています。
 このあたりは、漫画やテレビの連続物でよく取られる手法です。
 それから、若い女性読者の好きな題材に徹していることもあげられます。
 各短編のタイトルは、「マメルリハ(草食男子の飼っている小型のインコです)」「ハナビ(オタク女子の飼っている亀の名前です)」「金魚すくい(ロリコン男子の過去に関係します)」「肉食うさぎ(元ヤン女子がうさぎを飼っています」と、すべて女性読者好みのペットにできる小動物です。
 一応職場を舞台にしていますが、基本的には女性読者の好物の「恋バナ」です。
 最後には、「白馬の王子様」的なハッピーエンドが用意されています。
 以上のように、この作品は若い女性が気晴らしに読む商品として、うまく作られていると思います。
 エンターテインメント作品なので、「リアリティがない」などといって、目くじらを立てることもないのですが、いくつかそれでも目に余る点がありました。
 まず、児童館の職員であるロリコン男子が、児童館に来た家出の女子中学生と姿を消してしまい、その後作品の中で全くフォローがないのは、作者としてあまりにも無責任すぎます。
 また、児童館や図書館の職場があまりにゆるくて、作者は最近のこういった職場に対して、どこまで実体験や取材をしたのか、疑問に思いました。
 確かに、地方公務員たちの仕事のゆるさは、私の経験でもかなりひどいものがありますが、ここまでゆるい職場はさすがにもうあまりないように思います。
 また、やる気も能力もない派遣の元ヤン女子への契約延長や正式職員への登用なども、現実にはあり得ません。
 リーマンショック以来の引き締めや平成の地方自治体の大合併で合理化が進み、図書館などの仕事も業務ごと民間へ委託するケースが増えています。
 まあ、これらは現実の職場に失望している女性読者たちへ、作者が一種の「ユートピア」をサービスしているかもしれません。
 「安定した公務員になりたい」とか、「安定した公務員の男性と結婚したい」とかいった、今の若い女性たちの願望を、作品世界の中で実現させてあげているのでしょう。
 しかし、そういう商品化の背景を理解したとしても、「特に努力しなくても楽な職場で働けて」、「いつか白馬にのった王子様が現れる」といったこの作品の世界観は、就活や非正規就労に疲れ、専業主婦に憧れる今の若い女性たちの、「女性の自立」からのジェンダー観の揺り戻しに媚びているようで、ニュー・スキーム(自立した男性と女性の対等な関係)に対する反動的な作品に思えてなりません。

 
海の見える街
クリエーター情報なし
講談社



 
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桐野夏生「ファイアボール・ブルース2」

2020-05-20 09:31:01 | 参考文献
 女子プロレスを題材にした作品の第二弾ですが、前作とは直接的なつながりはありません。
 小説すばるに1995年3月号から1996年6月号にかけて連載された、連作短篇集です。
 前作の主役だったストロング系の女子プロレスラーは脇役にまわり、前作の語り手だった彼女の付き人の前座プロレスラーを主役にして、女子プロレスの内幕によりフォーカスした内容になっています。
 入門志願者たち、人気女子レスラーへのファンによる脅迫(現在だったらストーカーでしょう)、リングネームの襲名によるレスラーとしての脱皮、レフリーとの関係、美人レスラーの過度の人気と周囲の嫉妬、レスラーとしての限界と引退など、様々なテーマについて、女子プロレスへの作者の愛惜を込めて描かれています。

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桐野夏生「ファイアボール・ブルース」

2020-05-20 09:15:26 | 参考文献
 1995年に出版された、女子プロレスを題材にした軽いタッチのミステリーです。
 女子プロレス史上最強のレスラーと言われる神取忍にインスパイアされたという、女性レスラーを主人公にしています。
 ミステリーそのものは軽いタッチのものなのですが、女子プロレスへの作者の愛情が随所に感じられて読後感は悪くないです。
 取材がよく行き届いて、前座レスラーも含めて登場人物の実在感がありますし、舞台になっているマイナー団体(作品中はPWPとなっているLLPW)だけでなく、メジャー団体(作品中はオール女子となっている全女)の雰囲気も、北斗晶をイメージさせるレスラーも含めてよく捉えられています。
 デビュー作の女性探偵村野ミロもそうでしたが、作者はマニッシュな女性主人公が好みのようですが、この作品では付き人の前座レスラーの視点で語ることによって、対象をより客体化することに成功しています。
 また、それに合わせて文体も若い女性の語り口調にしているので、ミステリーの軽さともマッチしています。
 創作経験のある人なら分かりますが、対象や語り手に合わせて文体を変えるのはなかなか難しい作業なので、そのあたりにも作者のエンターテインメント作家としての幅の広さが窺えます、

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チャップリンの黄金狂時代

2020-05-18 10:33:30 | 映画
 1925年公開のアメリカ映画です。
 当時アラスカで起こったゴールドラッシュに狂奔する人々を、痛烈に風刺しています。
 ストーリー自体は、最後に黄金を得て億万長者(死後ですね)になり、美女とも結ばれるハッピーエンドですが、それよりも特撮技術もそれほど発達していない時代に、観客を随所でハラハラさせる映像表現の方が魅力的です。
 特に、吹雪で山小屋に閉じ込められ、飢えて靴を食べるシーンが有名です。
 靴紐はスパゲッティのように巻いて食べ、靴に打たれていた釘は鶏の骨のようにしゃぶりながら、靴底をステーキのようにして食べる様子は、まさしく至芸です。
 また、短いシーンですが、二個のロールパンにフォークを刺して、まるで二本の足のようにして即興のダンスを演じてみせるシーンも、すごく動きが自然で可愛らしいです。
 オリジナルは無声映画ですが、私が見たのは、チャップリン自身が音楽とナレーションを付けた、1942年のバージョンのようです。


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モダン・タイムス

2020-05-18 10:17:03 | 映画
 1936年のチャップリン映画です。
 この映画は、世界恐慌後のアメリカにおける、非人道的なオートメーション社会(ここでは工場ですが、ご存知のように、現在ではオフィスや家庭にも広がっています。今流行のテレワークも、三十年前からそれをやっていた外資系の会社員としての経験から言うと、日本の住宅事情では会社と家庭の境目が曖昧になって、二十四時間精神的に会社に縛られる非人道的なものです)、格差社会や家庭崩壊(これらも今の日本にあてはまります)、組合への弾圧など、社会批判で有名ですが、今回見直してみると、やはりチャップリンらしい身体表現の素晴らしさに惹かれます。
 有名な目隠しで危険な場所で滑るローラースケートやいろいろなダンス、それにスラップスティック・コメディ特有の動きなど、どれをとっても一級品です。
 また、この映画は、チャップリンとしては無声映画からトーキーへの過渡期にあたるので、彼のセリフは一つもありませんが、有名な即興歌の「ティティナ」で美声(チャップリンは声が良かったので、同じ無声映画時代の大スターのキートンと違って、トーキーになってからも生き残れたと言われています)を聴かせてくれます。


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