現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

10月30日(月)のつぶやき

2017-10-31 05:48:04 | ツイッター
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マージョリー・ワインマン・シャーマット「しょうたいじょう」ソフィーとガッシー所収

2017-10-30 10:16:01 | 作品論
 ソフィーがパーティを企画します。
 ガッシーは、招待状のあて名を書くのを手伝います。
 しかし、あて名のリストにガッシーの名前がありません。
 ガッシーは、ソフィーに遠まわしに自分の名前が抜けていることをさとらせようとしますが、ソフィーはなかなか気づいてくれません。 
 むくれて家に帰ったガッシーに、「とくべつだいじなおきゃく」としての特別な招待状が、ソフィーからすでに届いていました。
 仲良しの女の子同士が、お互いにからかったりじゃれあったりする様子が、ややあざとい感じがするほどうまく描かれています。
 でも、スマホのラインなどで常に連絡を取り合っている今の女の子たちには、招待状自体がピンとこないかもしれませんが。

ソフィーとガッシー
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古田足日「日本児童文学・現在の問題 ― リアリズムを中心に」児童文学の旗所収

2017-10-30 10:13:10 | 作品
 60年代初めのリアリズム作品を中心に、当時の課題について論じています。
 初めに、「子どもの家」同人による「つるのとぶ日」が取り上げられて、原爆を子どもたちに伝えるために「童話」を勉強したとする書き手たちの姿勢に対して、「童話」という手法では被爆の実感を象徴的に描いくことはできても、もっと散文的に書かないと戦争そのものやそれが現在の子どもたちとどのようにつながるかを描き出せないとしています。
 東京大空襲を描いた早乙女勝元「火の瞳」も実感に頼っていて、自分のうちにある子どもと対話して(これは「現代児童文学」の書き手固有の感覚で、私も本当の意味で創作をしていた80年代後半のころは、「内なる子ども」に向けて書いていました)、その子どもの可能性(人間存在の根源的な意味や変革の可能性など)まで引き出した作品を描かなければならないとしています。
 これらの作品は、現在では「戦争児童文学」とカテゴライズされていますが、当時はまだこの用語は一般化されていませんでした(関連する記事を参照してください)。
 著者は、この時期にリアリズム作品のある到達点に達したとして、山中恒「とべたら本こ」、吉田とし「巨人の風車」、早船ちよ「キューポラのある街」をあげています。
 「とべたら本こ」と「キューポラのある街」は、それまで子どもは大人から抑圧されている被害者だとする児童文学から、抜け出ようとしているとしています。
 ただし、「キューポラのある街」は子どもたちには分かりにくいシーンもあると指摘しています(当時の著者は、児童文学の読者を中学下級以下としていたようです)。
 「とべたら本こ」も、現状で生き抜くことを描いていて、こうした現状を作り上げている権力への批判はないとその限界を示しています。
 「巨人の風車」は、そこで語られている夢のイメージを高く評価していますが、外国の事件を描いていて日本の子どもたちとの関わりは留保されているとしています。
 著者は、全体として実際の事件をもとに書かれた作品が多いとし、それを個人の実感だけを描くのではなく、もっと事実を調査して、その事件の運動体(例えば戦争)の法則と微小な個人の実感を統一する記録にまで高める必要があり、そのためにもよりフィクション化することを求めています。


児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
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古田足日「戦後の創作児童文学についてのメモ=‘60の胎動」児童文学の旗所収

2017-10-30 08:59:47 | 作品
 「日本児童文学」1966年5月号と8月号に発表された、1960年前後の児童文学の状況についての評論です。
 著者は、戦後児童文学の時代区分を、
「第一期はいわゆる良心的雑誌が児童文学運動の主体となった時期であり、敗戦の年からはじまり、1951年の「少年少女」廃刊に至るまでである。以降数年間を第二期とし、第三期のはじまりを昭和34年8月におく。」
としています。
 そして、1959年3月ごろからから1960年4月にかけて、評論と創作の両面で明瞭な変化があったとして、次のような事象をあげています。
 評論においては、佐藤忠男「少年の理想主義について」(その記事を参照してください)、古田足日「現代児童文学論」(その記事を参照してください)、石井桃子ほか「子どもと文学」(その記事を参照してください)のいわゆる「童話伝統批判」の重要な三評論が出そろっています。
 創作においては、中川季枝子「いやいやえん」、佐藤暁「だれも知らない小さな国」、柴田道子「谷間の底から」、早船ちよ「キューポラのある街」、いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」、山中恒「とべたら本こ」などがあげられていて、一般的に「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)のスタートとされている二つの小人物語も含まれています。
 著者も、第三期(「現代児童文学」のスタート)を1959年8月としている理由に「だれも知らない小さな国」の出版をあげていて、この作品がいかに今までの作品と違う新しさ(優れた散文性をもち、宮沢賢治を除くとそれまで日本になかったファンタジー(ファンタジーに関する著者の定義には「子どもと文学」の石井桃子によるものの影響がみられます)作品であり、戦中戦後を体験することではぐくまれていた「個人の尊厳」を描いているなど)を持っていたかを、ここでも繰り返し述べています。
 著者は、この時期の新しい作品を、西欧的近代の方法によったもの(「だれも知らない小さな国」、「木かげの家の小人たち」、他にいぬいとみこ「長い長いペンギンの話」など)、生活記録によるもの(「「谷間の底から」、他に「もんぺの子」同人による「山が泣いている」など」、日本的講談の発展したもの(「とべたら本こ」、他に同じ山中恒「サムライの子」など)の三つのタイプに分けています(こうしてみると、筆者のいうところの西欧的近代の方法によるものだけが、歴史の淘汰の中で現在まで生き残ったことがよくわかります)。
 これらの作品における以下のような表現の変化を、著者は「童話から小説へ」と呼んでいます。
1. 詩的文体から散文への変化
2. 子どもの関心、論理に沿ったフィクションの強化
3. 限定されたイメージと、そのイメージの論理的なつみあげ
 これらは、児童文学研究者の宮川健郎がまとめた「現代児童文学」の三つの問題意識に、大きな影響を与えていると思われます。
 その後、著者は、長い紙数を割いて、山中恒の作品が「赤毛のポチ」(出版されたのは「とべたら本こ」よりも後なのですが執筆は先です)の「楽天的な組合主義?」から、「とべたら本こ」の「人間のもっとも基本的な欲望、生存の欲求」へ変化していったかを論じています。
 その過程で、同じ「日本児童文学」に発表された先行論文(西本鴻介「社会状況と児童文学」、斉藤英夫「大衆児童文学の現況」など)の誤謬を鋭く指摘して、激しく糾弾しています。
 現在の「仲良しクラブ」的で論争のない「日本児童文学」誌からすると想像もできませんが、それはこの雑誌を機関誌としている日本児童文学者協会自体が、文学(あるいは政治)運動体から同業者互助組合に変化したことを考えると無理もありません。
 著者は、こうした山中恒の変化は、三作の執筆時期(1953年から1957年ごろにかけて)から考えると、60年安保闘争とは直接関係していないと考えています。
 そして、60年安保闘争の高揚と挫折、「団結すれば的な考え方と、自立の思想の芽生え」の衝突を反映した最初の作品として、小沢正「目をさませトラゴロウ」をあげています。
 
児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
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古田足日「今日的課題をめぐって=児童文学時評‘59」児童文学の旗所収

2017-10-30 08:46:03 | 参考文献
 「近代文学」1959年7月号から12月号に掲載された児童文学時評です。
 1959年は、一般的には「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)がスタートした記念すべき年と言われていますが、この時評を読む限りでは児童文学を取り巻く状況はいまだに混乱状態のようです。

7月号(児童文学及び児童文学者の変質)
 再話、読物ばかりで創作児童文学を書かない既成の児童文学作家、生け花でも習う感覚で「童話」を書き始めるしろうと(主婦)作家とそれを是として推進しようとしている日本児童文学者協会を批判しています。

8月号(通俗児童文学の底に)
 当時の通俗児童文学(今で言えばエンターテインメントにあたります)は古臭くて、同じ通俗でも少年マンガの方に新しさがあると批判しています。

9月号(安保条約と児童文学)
 児童文学者協会の総会に政治的な課題を持ち込もうとした筆者たちを批判した、雑誌「新潮」8月号に反論しています。
 雑誌や同人誌などに発表された作品の問題点を指摘しつつも、そこに新しい児童文学の可能性があることを示唆しています。

10月号(戦中戦後の体験と児童文学)
 「現代児童文学」の出発点の一つとされている佐藤さとる(当時は暁)「だれも知らない小さな国」を、その優れた散文性、戦争体験の象徴性、物語作りの方法の新しさなどを評価しつつも、その思想の脆弱性(実感にとどまっていて理論化されていない)を批判しています(ちなみに、「現代児童文学」のもうひとつの出発点とされるいぬいとみこ「木かげの家の小人たち」は、この時評を通して触れられていません)。
 やっと戦中戦後の体験の意味を考える作品が登場してきたとして、そのことを推進してこなかった児童文学者協会を批判しています。

11月号(作品中の自分)
 「だれも知らない小さな国」の評価(石井桃子、いぬいとみこ、鳥越信)を紹介しつつ、疎開児童文学の代表作と言われている柴田道子「谷間の底から」と比較して、作品の中に「自分」がいると評価しています。

12月号(『荒野の魂』と民族問題)
 アイヌ民族を描いた斉藤了一「荒野の魂」を、問題点を指摘しつつも、民族の課題に真正面から取り組んだ作品の登場を評価しています。

 全体的に、新しい児童文学の方向性についての論争や模索、児童文学者協会などを舞台にした従来の価値観を持った既成の児童文学者との主導権争いなどで、依然として混迷した状態が続いていることを示しています。
 そういった意味では、「現代児童文学」の方向性が定まったのは60年代に入ってからなのでしょう。
 私は、こうした混迷期まで含めて「現代児童文学」の時代だと考えているので、この論争が始まった1953年を「現代児童文学」のスタートとする立場です(その記事を参照してください)。

児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
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10月26日(木)のつぶやき

2017-10-27 05:54:33 | ツイッター
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宮川健郎「「箱舟」のなかでむかえる死 ― 那須正幹『ぼくらは海へ』からはじめて」

2017-10-26 20:05:22 | 参考文献
 「現代児童文学」が変質したタイミングを、児童文学研究者の石井直人は1978年とし、著者は1980年としています。
 どちらも、児童文学の「商品化の時代」(石井は那須正幹「それゆけズッコケ三人組」、著者は那須正幹「ズッコケ㊙大作戦」と矢玉四郎「はれときどきぶた」の出版をその理由としてあげています)と「タブーの崩壊(それまで「現代児童文学」ではタブーとされていた子どもの死、家庭崩壊、家出、性などを取り扱う作品が出現したことです)」(石井は国松俊英「おかしな金曜日」(その記事を参照してください)、著者は那須正幹「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)の出版をその理由としてあげています)を、「現代児童文学」が変質した点としていて、従来の「現代児童文学」が掲げていた「変革への意志」が変容したことを指摘しています。
 著者はそれに加えて、「子ども」という概念の歴史性が明らかになったことを、「現代児童文学」の変質の理由にあげています(柄谷行人「児童の発見」の発表とフィリップ・アリエス「<子供>の誕生」の翻訳化を理由としています)が、このことがどのようにその後の「現代児童文学」の作品群に影響を与えたかは明示されていません。
 著者は、ここでも「箱舟」というモチーフを使って、「ぼくらは海へ」を1969年に出版された大石真「教室205号」と比較して、児童文学の理想主義がこの時期に崩壊ないしは変質したと指摘しています。
 また、理想主義によるパターン化を脱却したオープンエンディング(結末を明示せずに読者にゆだねる)により、この作品が一種のユートピア文学(灰谷健次郎「我利馬の船出」や皿海達哉「海のメダカ」などを例にあげています)として読めることも示しています。
 そして、現代の子どもたちを取り巻く状況を従来の「現代児童文学」の方法では書き得なくなったとき、那須正幹は「ズッコケ三人組」シリーズのようなエンターテインメントの手法でそれらを描くために方向転換を図ったとしています。
 那須正幹のようなシリアスな作品(「ぼくらは海へ」や「屋根裏の遠い旅」など)とエンターテインメント作品(「ズッコケ三人組」シリーズなど)の両方を書く作家は、それぞれを区別して評価せずにトータルで評価すべきではないかと主張しています。
 この主張はもちろん正しいのですが、著者のアプローチはやや那須正幹という特定の作家の作品に沿った後追いのように思えます。
 むしろ、エンターテインメント手法の名手が那須正幹のもともとの特質であり、「児童文学の商品化」の時代においてそれが花開いたとみるべきでしょう。
 そういった意味では、「ぼくらは海へ」は「現代児童文学」作家としての那須正幹の限界であり、それと「ズッコケ三人組」シリーズの成功が、彼を主としてエンターテインメント作品の書き手になることへと転換させたのではないでしょうか。
 そして、この「商業主義化」の流れは、他の作家たちも巻き込んで児童文学界全体にどんどん広がっています。 
 それでも、出版バブルだった1980年代にはシリアスな作品も含めて多様な作品群が発表されたのですが、バブルが崩壊した1990年代に入るとその状況は一変して、しだいに商業主義的な作品しか出版されなくなってしまいます。
 このことが、「現代児童文学」を終焉させて、主として女性向け(子どもだけなく大人も)のエンターテインメントとしての現在の児童文学に変容させてしまったのです。

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酒井京子「紙芝居・共感の楽しさ素晴らしさ」いつ、何と出会うか—赤ちゃん絵本からヤングアダルト文学まで所収

2017-10-26 20:00:45 | 参考文献
 紙芝居について、絵本の読み聞かせとは違う独自性、特長、演じ方、歴史、海外への普及活動などの全般にわたる講演です。
 講師も語っているように、紙芝居は、一般的には絵本よりも下に見られ、絵本のように論じられることもほとんどないような状況でした。
 私のような文章至上主義者から見れば、絵本さえも児童文学よりも下に見ていましたので、紙芝居はほとんど視野に入っていませんでした。
 そのため、講演の内容はとても新鮮で、「子どもの本」全体を考えるために非常に参考になりました。
 また、個人的には、まだ街頭紙芝居屋さんがたくさんいたころに子ども時代をおくったのですが、講師と同様にそこで売られている駄菓子類が「不潔だ」という理由で禁止されていたので、子どもたちの人だかりの後ろからこっそりのぞく(紙芝居屋さんは駄菓子の販売だけが収入なので、本当は駄菓子を買った子たちしか見られないのですが、講師が述べていたように後ろから見ることには寛大でした)ことしかできませんでした。
 そんな自分が、なんだかみじめに感じられて、いつのまにかのぞくのもやめてしまった過去があるので、なんとなく紙芝居にはいいイメージは持っていませんでした。
 当時と違って、今の紙芝居は、図書館や児童館や幼稚園や学童クラブなどで演じられていて、内容も街頭紙芝居の時のように「それでは、明日もお楽しみに」と続き物にして、子どもたち(お客様)の興味をつなげていくようなものでなく、一場の芝居を観劇するような完結したもののようです。
 特徴的な点としては、裏に文字が書いてある(実際の紙芝居は引き抜いた紙を一番後ろに差し込むのですから、ひとつ次の画面のための文字が書いてあるのだと思います)ので、演者は観衆(今では子どもだけでなくお年寄りまでの広範な年代の人たちが対象のようです)に正対して(講師によると紙芝居舞台の左側に立つのがベストポジションのようです(紙芝居舞台も右利きの人用に作られているのですね))演じるので、演者は観衆の反応を見ながら演じられ、人と人のコミュニケーションを構築する(講師の言葉では「共感」)上ではより優れているようです。
 また、絵本は幼稚園などでは多人数を相手に「読み聞かせ」(この講座の絵本に関する講演では「読み語り」と言っていました(その記事を参照してください))する場合もありますが、基本は年長者(両親など)がまだ字になじみのない子どもたちに一対一で「一緒読み」(これも絵本の講演で使っていた用語です)をするのですが、紙芝居は基本的に一対多人数で行われるので、演者と観衆、さらには観衆同士の共感が大切になるようです。
 また、作品に対する演者の理解が非常に大切で、誤って解釈すると作者の作品に込めた願いが観衆に正しく伝わらないこともあるそうです。
 そういう意味では、演者は演出者も兼ねるわけで、絵本の読み聞かせよりも力量が問われるかもしれません。
 ただ、声色を使い分けたりして上手に演ずる必要はなく、自然体で演じて、演者と観衆のコミュニケーションを取る方が大事なようです。
 その他の特長としては、紙芝居舞台で画面を区切ったり、前の画面の紙を抜き取って後ろへ隠したりすることにより、観衆の集中力を増す効果が得られるそうです。
 中でも一番印象が残ったのは、画面を抜き取ることにより、物語が観衆たちのいる現実世界へ飛び出してくるというものです。
 児童文学や絵本では、ページを自分でめくる行為によって、子どもたちが物語世界へ没入していくというのが普通の感覚(今は弱くなってしまいましたが、私も子どものころは本(私の場合は物語とは限りませんでした)に没入して現実世界はまるで感じられなくなっていました)だと思うのですが、紙芝居は逆なようなので体験してみたくてたまらなくなりました。
 以上のように、紙芝居の場合は、児童文学や絵本のように自分からその世界へ入っていくものではなく、演者とともに観衆の方へ向かっていく、よりライブ感の強いもののようです。
 全体的には、講師がいかに紙芝居を愛しているかが感じられる講演で非常に好感が持てたのですが、ひとつだけ、講師が紙芝居に対して、かつての「現代児童文学」のようなタブー(子どもや人生にとっての負の部分)を設けているようなのは、紙芝居の可能性を限定しているようで気になりました。

おおきくおおきくおおきくなあれ (ひろがるせかい) (まついのりこ・かみしばいひろがるせかい)
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10月25日(水)のつぶやき

2017-10-26 05:46:03 | ツイッター
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本谷有希子「私は名前で呼んでる」嵐のピクニック所収

2017-10-25 20:35:10 | 参考文献
 広告代理店の女性部長が、部下と会議中に、突然カーテンのふくらみが気になりだします。
 シミュラクラ現象(点が三つ集まると、人の顔だと認識してしまう現象)ならぬ、「カーテンふくらみ現象」に陥ってしまい、過去に自分から去っていった男性たちや子どものころの「カーテンふくらみ現象」の思い出などどんどん妄想が膨らんでしまい、収拾がつかなる話です。
 ストーリーのない妄想だけの物語は、児童文学の世界では岩瀬成子の「わたしをさがして」が有名ですが、この本谷の短編は妄想のスケールが小さくて物足りません。

嵐のピクニック
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古田足日「「ふしぎの国」に旗はひるがえるか」児童文学の旗所収

2017-10-25 20:30:54 | 参考文献
 1970年に出版された著者の第三評論集の序章で、この文章自体は1964年に書かれています(評論集自体は、1960年代に書かれた著者の論文をまとめたものです)。
 ここでいう「ふしぎの国」は1964年当時の日本の状況であり(文中にルイス・キャロル「ふしぎの国アリス」が出てくるので、この言葉を選んだものと思われます)、「この日本の現在は非常識きわまりない世界である」という著者の認識を反映しています。
 そして、「旗」は弔旗のことで、「敗北の日本をいたむ弔旗」(戦争に負けた日に弔旗がかかげられなかったことを指します)、「三池、鶴見の死をいたむ弔旗」(三井三池炭鉱と国鉄鶴見線の事故で多数の死者が出ても、大企業の原理が優先されたことを指します)、「つらなる工場にひるがえる弔旗」(「大企業の原理」に対して、働く者たちの「人間の原理」が勝利することを意味します)の三本です。
 このタイトルでも明確なように、この児童文学評論は、著者の政治的な立場を明確にしたうえで展開されています。
 他の記事でも書きましたが、「現代児童文学」は、過去の児童文学の価値観を明確に否定する文学運動としてスタートしました。
 そして、そのうちのひとつである「少年文学宣言」(その記事を参照してください)派(早大童話会(宣言の直後に早大少年文学会に改名)のメンバーが中心)にとっては、文学運動であると同時に政治運動でもありました。
 そのため、この文章もまた、文学評論であるとともに政治評論でもあります。
 60年安保闘争の革新側の敗北による挫折感や、高度成長時代の社会の様々なひずみなどが、著者の評論の背景にあると思われます。
 この文章の中で、著者は「子ども」をほとんど「あるべき未来を享受すべき者」と等価に使っています。
 どうしたら、「「子ども」たちに「ふしぎでない」未来を手渡せるか、そのために児童文学者ができることは何か」という問いかけが、その根底にはあります。
 それは、ナチス弾圧下のエーリヒ・ケストナーが、児童文学や子どもたちに抱いていた思いに重なるものがあります。
 著者の思想の是非は別として、こうした確固たる理念を持って児童文学に取り組んでいる人間は、残念ながら現在では見当たりません。
 児童文学研究者の宮川健郎は、「現代児童文学」は「戦争」を描くために散文性が必要だったと述べていますが、他の記事にも書きましたが、「現代児童文学」が「戦争」を描くのはあくまでも手段の一つ(ここで言えば三本の弔旗のうちの一本)にすぎず、彼らが本当に描きたかったのは階級闘争とその勝利だったのです。

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宮川健郎「幼年童話」いつ、何と出会うか—赤ちゃん絵本からヤングアダルト文学まで所収

2017-10-25 20:21:27 | 参考文献
 内容自体は、ほとんどが講師の幼年文学に関するいくつかの論文と重複しているので、ここでも重複することを避けるために書きませんので、それらの記事を参照してください。
 絵本とヤングアダルト向け作品の隆盛に挟撃されて、児童文学の本来の読者である小学校高学年向けの児童文学作品の空洞化が問題だとする講師の指摘はその通りなのですが、それを幼年童話にまで適用して「絶滅危惧種」としているのは講師自身も書いているような「大げさ」です。
 例によって、出版点数の推移などの具体的なデータは示されずに、講師の印象で述べているのですが、実は幼年文学はここでも紹介されているようにいろいろな試みがされていますし、この講演当時(2009年)は、まだかつての「現代児童文学」の書き手にとっては残された少ない出版チャンスの分野だったのです
 ただし、その後2010年代からは、彼らの主戦場も幼年文学から絵本のテキストへ移りつつあるのは事実です。
 この「絶滅危惧種」に限らず、講師の講演や論文は、講師自身も認めているように、「「ひろすけ童話」の運命」、「「声」との別れ」、「口誦性」、「幼年童話が「俳句」になっている」、「深い言葉の耕し」など、講師自身の言葉で言えば「かっこつけ」のキャッチ―な表現が目立ちます。
 これは、受講者や読者を引きつけるためには効果的だと思うのですが、ともするとその意味する本質からミスリードする恐れがあります。
 この講演を要約すると、(タイトルが、「幼年文学」ではなく「幼年童話」になっていることでも明らかなように)、幼年文学は散文的表現の「現代児童文学」から詩的表現の「童話」へ回帰すべきだということになると思うのですが、論文自体は「現代児童文学」よりもさらに散文的に書かれるべきだと思います。
 講師は、その文才を論文で発揮しているのかもしれませんが、それならば評論だけではなく、実作でも発揮されたらどうでしょうか?
 さて、ここでも講師が強調している黙読に適した「現代児童文学」と音読に適した「童話」の違いは、非常に重要な問題です。
 講師が紹介しているような「口演童話」や「ストリーテリング」は、現在行われている「絵本」の「読み聞かせ」や紙芝居以上に、子どもたちを児童文学に結び付ける働きをする可能性があると思います。
 ビジュアルな要素が少ない(演者の姿かたちや表情などだけ)ので、子どもたちが言葉だけで物語世界を喚起させることのきっかけになるでしょう。
 現在の子どもたち(大人たちも同様ですが)の物語消費は、電子ゲームやアニメやカードゲームなどのよりビジュアルな媒体へ移っています。
 この状況において、「言葉」というより抽象性の高い媒体で物語世界を喚起させる力は、子どもたちにはますます失われていると思いますので、それらを向上させることが期待されます。
 ただし、何も小道具を持たずに、子どもたちを引きつけなければならないので、演者たちにとっては、かなりハードルが高いかもしれません。
 一方で、そうしたものに向いた幼年童話を作家たちが書くためには、講師が紹介した「浜田広介」が「声を出して読みながら自分の作品の推敲をして、音読した時の調子や響きを改善していた」というエピソードはヒントになるかもしれません。


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10月24日(火)のつぶやき

2017-10-25 05:51:00 | ツイッター
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グードルン・パウゼヴァング「会話」そこに僕らは居合わせた所収

2017-10-24 11:15:25 | 作品論
 1939年に11歳だった少女が語る両親の会話の記憶です。
 そこでは、ユダヤ人の害毒について語られていました。
 両親は、二人とも反ユダヤ主義者でしたが、非人道的なやり方には母は反対、父は消極的賛成の立場でした。
 父は戦死しましたが、そのおかげで直接ユダヤ人を殺すことには加担しないで済みました。
 主人公は、父が三、四十年後に生まれていた場合のことを想像します。
 そうすれば、人当たりが良く、家族に愛され、友人や同僚に慕われ、地域の人びとからも愛される人間になったに違いないと。
 おそらく、ここに語られた両親は、当時の平均的なドイツ人の夫婦だったのでしょう。
 個々には悪い人間ではなかったのに、体制の力に流されてしまい、結果としてナチスドイツの戦争犯罪に間接的に加担してしまった当時のドイツ人たち。
 これは決して他人事ではありません。
 戦争中の日本人も同様でしたし、現代においては注意していない同じ道をたどる恐れはあります。
 何事も大勢に流されずに、善悪を自分で判断していくことの大切さは今も変わりません。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
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みすず書房
 
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江面弘也「名馬を読む」

2017-10-24 11:14:05 | 参考文献
 中央競馬の顕彰馬32頭(野球で言えば殿堂入りの人たちのようなものです)のプロフィールを描いています。
 でも、名馬たちの名勝負物語を期待して読むと、少し肩透かしを食うかもしれません。
 筆者は、中央競馬会の機関誌である「優駿」(今は私が愛読していた70年代のころと違って、馬券の予想なども載せてかなり一般読者向けになっていますが)と言う雑誌の編集者出身ですし、この本の母胎になっているのも、その「優駿」への連載なので、名馬たちのレースそのものだけでなく、血統や、生産者や馬主や調教師や騎手といった関係者や、引退後の繁殖成績などにもかなりの紙数を割いています。
 もっとも、顕彰馬自体が、競走成績だけでなく繁殖成績や中央競馬への貢献(人気を盛り上げたアイドルホース(ハイセイコーやオグリキャップなど)や記録達成馬(その当時の賞金王(タケシバオーなど)や初の牝馬三冠(メジロラモーヌ)など)も考慮されているので、こうした紙面構成は当然かもしれません。
 そういった意味では、私のような競馬マニア(本当に熱中していたのは1969年から1978年までの9年間だけですが)向けの本なのかもしれません。
 ただし、筆者は1960年生まれなので、実際にレースでその馬たちを目にしたのは1970年代後半からのようで、それ以前の馬については筆者もあとがきで書いているように先行の類書から得た知識によるものなので、どれもどこかで読んでいたようで物足りませんでした。
 しかし、私が一番熱中していたわずか九年の間に活躍した、スピードシンボリ、タケシバオー、グランドマーチス、ハイセイコー、トウショウボーイ、テンポイント、マルゼンスキーと、7頭もの名馬たちが含まれていたので、その当時の熱中した気分が蘇って懐かしく読むことができました。

名馬を読む
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三賢社
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