現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

6月29日(木)のつぶやき

2017-06-30 04:47:20 | ツイッター
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色川武大「スリー、フォー、ファイブ、テン」怪しい来客簿所収

2017-06-29 11:48:45 | 参考文献
 戦前のボクシング(拳闘と言った方がしっくりするかもしれません)界のスーパースター、ピストン堀口(恒夫)の話です。
 戦中の全盛期には47連勝して、大相撲の双葉山の69連勝と並び称されて、そのころ快進撃をしていた日本軍(皇軍)のスポーツにおける象徴として、大人にも子どもにももてはやされていました。
 作者は、その全盛期よりも、不遇のまま36歳で鉄道事故死(自殺とも、殺人ともうわさされました)した戦後の没落時代(引退を撤回して現役復帰したものの、まわり(暴力団とも言われています)の食い物にされて無残な試合を続け、なかば強制的に再度引退させられました)に力点を置いて描いています。
 ピストン堀口は、その名の通りに、相手に打たれるのも構わずに前に突進して、ピストンのように左右の連打を打ち続ける典型的なファイタータイプのボクサーのようでした。
 こうした姿が、作戦や技術力よりも精神力を重視した日本軍に似ていて、大衆の人気を得たのでしょう。
 彼のようなファイタータイプのボクサーは戦後も日本では人気があり、白井義男についで日本で二番目の世界チャンピオン(たくさんの団体や階級がある現在とは、チャンピオンベルトの重みが違います)になった、その名もファイティング原田も同タイプの選手で人気がありました。
 2017年の世界タイトルマッチで、相手からダウンを奪い有効打も多かった村田涼太が不可解な判定負けをしました。
 ただ、私のようなオールドファンから見ると、なんで村田はもっとパンチを出さなかったのか、特にダウンを奪った直後にラッシュしなかったのかは、なんとももどかしい思いがしたのも事実でした。
 ピストン堀口は知りませんが、ファイティング原田ならば、いや具志堅用高でも、あの時ならば必ずラッシュして、相手をノックアウトしたに違いありません。

怪しい来客簿 (文春文庫)
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色川武大「また、電話する」怪しい来客簿所収

2017-06-29 11:46:13 | 参考文献
 急死した旧制中学時代のクラスメイトの話です。
 死んだ原因は、地下賭場で帰りのタクシーに乗る金まで失い、始発電車を待つ間に脳溢血を起こしたのです。
 その賭場は、作者が紹介した場所で、しかも当日もその友人に電話で誘われていたのに一緒に行かなかったのです。
 そのため、作者は友人の死に二重の負い目を感じています。
 しかし、友人の死をなかなか忘れられないのは、「また、電話する」というメモがまだ残っているだけでなく、それが「そっくり同時代を生きた、いうならば身内をはじめて失ったような悲しみ」であったことを自覚します。
 若い時にこの短編を読んだときは読み飛ばしていましたが、四十代になって初めて高校のクラスメイトを癌で失った時には、同じような感慨を抱きました。

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池井戸潤「ロスジェネの逆襲」

2017-06-29 09:24:09 | 参考文献
 2013年のドラマの人気を「あまちゃん」と二分した、「半沢直樹」の原作の続編です。
 ミーハーな私は、2013年もドラマは一つも見ていなかったのですが、この二作は途中からブームに便乗させてもらって、十分に楽しませてもらいました。
 さすがに池井戸はエンターテインメントの王道を心得ていて、この続編でも、偶然の多用、ご都合主義だけれども大胆なストーリー展開、荒唐無稽な設定、善玉悪玉の明確な役割分担、胸のすくようなラストでのどんでん返しなどを駆使して、堺雅人たち個性的な俳優陣の歌舞伎張りの大げさな芝居がなくても、十分に堪能させてもらいました(きっとこの本も、テレビか映画になるでしょうが)。
 もちろん実際の企業買収は、このような個人プレーで左右されるものではなく、大勢のスタッフによる膨大で地道な作業で行われる(私は外資系の会社にいたので、企業や部門の買収や売却は日常茶飯事でしたし、そのうちの一件は私自身も責任者の一人として関わりました)ものですが、そんな地味な世界をスリルあふれるエンターテインメントに変えてしまう手腕には感心しました。
 もう一つ気がついたことは、この作品が徹底的に描写(心理も場景も)を省いたいわゆる「小説」ではないことです。
 最初から最後まで、登場人物の行動と会話だけで描いているので、物語展開のテンポがいいのです。
 このことは、繰り返し他の記事で述べてきたように、70年代から80年代にかけて今は亡き安藤美紀夫が語っていた「児童文学はアクションとダイアローグの文学だ」という主張とぴったり重なります。
 つまり、この「現代児童文学」の特徴であった手法は、物語を展開する上で非常に適していたことが、「半沢直樹」ものによって改めて証明された気がしています。

ロスジェネの逆襲
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ダイヤモンド社
 
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道尾秀介「透明カメレオン」

2017-06-29 09:20:34 | 参考文献
 声はすごく魅力的なのだが容姿はまったく冴えない、ラジオのDJの初恋話を交えた、ユーモアミステリーです。
 軽妙な語り口とユーモアで非常に読みやすく、初恋話もハッピーエンドに終わるようで読み味もいいのですが、ミステリー自体はあまりにたわいがなくて拍子抜けしました。
 極端な登場人物のキャラクター設定、ご都合主義のストーリー展開、荒唐無稽な設定、ドタバタなアクションシーンなど、典型的なエンターテインメント手法で書かれている作品なので、あまり目くじらは立てたくありませんが、この作品も文章芸術からは大きく遠ざかった暇つぶし的読み物にすぎません。
 特に、ラストで読者の感動を誘うような登場人物のエピソードが連発されるのですが、全てモノローグで説明的に語られるので、文学としての感興はそそられません。
 この作品に限らず、最近のエンターテインメント作品は、描写やプロットの展開は二の次で、キャラクターとシチュエーションとエピソードを直截的に伝達することに終始していて、読者もそれらを「読みやすさ」として甘受しているようです。
 一般文学でもこういった作品が主流ですから、児童文学作品がそうなのは言うまでもありません。

透明カメレオン
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KADOKAWA/角川書店
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6月28日(水)のつぶやき

2017-06-29 04:50:14 | ツイッター
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色川武大「月は東に日は西に」怪しい来客簿所収

2017-06-28 09:30:11 | 参考文献
 劣等生(小学校のころから学校をさぼって浅草を一日中ふらつき、やっと入った旧制中学も無期停学になりました)を自認している作者なので、世の中にいる劣等的な存在に対しては常にシンパシーを感じています。
 まず登場するのは、戦後すぐのころ、人数合わせ的(多くのスター選手が、戦死したり戦地からまだ復員していなかったりしました)にプロ野球にいた選手で、信じられないようなエラー(二点リードの九回裏に、なんでもないレフトフライを落球して三人がホームインして、逆転サヨナラ負けを喫しました)がもとで、球界を去ります。
 次に登場するのは、もっと昔の戦前戦中のころ、あちこちの盛り場(野球場、国技館、浅草など)にいた派手な衣装を着て一人で大はしゃぎしている、掛け声屋と呼ばれた女性(おそらく精神に障害があったようです)です。
 後者は、噂では戦後九州あたりで乞食になって、野垂れ死にしてしまったようです。
 しかし、前者は、プロ野球をやめて社会人野球に移り、そこでは主将を任されて都市対抗野球に出場して活躍します。
 おそらく、作者は、後者の女性に自分の絶望的な未来な姿を見て、その一方で前者の野球選手に将来のかすかな希望を見出していたのでしょう。

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6月27日(火)のつぶやき

2017-06-28 04:46:12 | ツイッター
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色川武大「墓」怪しい来客簿所収

2017-06-27 14:23:48 | 参考文献
 亡くなった父方の叔父が、作者のもとを頻繁に訪れるようになったことから、話が始まります。
 この世と彼岸との境が不分明なのは、作者の独特の世界(持病のナルコレプシーの影響もあるかもしれません)なのですが、そこから、父や父方の祖父の話になり、亡くなった多くの親類縁者に話が広がります。
 その過程で、故郷の鱈子(架空の地名のようです)に関連した父の齟齬を通して、家系図や先祖代々の墓などがいかに意味のないものであるか、それよりもその時々の人々が確かに在ったことが重要なのだということが語られます。
 若いときに読んだときにはほとんど読み飛ばしていましたが、作者が死んだ年齢を超えて両親ともに亡くなった現在では、作者の言いたかったことが身に沁みるようになりました

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6月26日(月)のつぶやき

2017-06-27 04:46:08 | ツイッター
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色川武大「タップダンス」怪しい来客簿所収

2017-06-26 15:01:48 | 参考文献
 小学生のころに、学校をさぼって浅草の盛り場をうろついていた時に知り合った、二、三歳年上のタップダンサー志望の少年の想い出です。
 こうした世界に子どものころから入り浸っていた作者なので、有名無名のたくさんのタップダンサーの名前が出てきますが、その中で最も有名なのはフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのコンビでしょう。
 こうした世界に無知な私でも、さすがにこの二人の名前は知っていましたが、その名に特別な思い入れができたのは特殊な事情があります。
 イタリアの映画監督、フェデリコ・フェリーニの後期の作品に、「ジンジャーとフレッド」という映画があるのです。
 戦争直後のイタリアに、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのものまねをした男女のコンビがいたという設定です。
 その二人が、テレビのバラエティ番組(フェリーニ好みの様々な見世物が登場します)において、「あの人は今」的な扱いで、久しぶりに二人は再会します。
 ジンジャーを演じたのはジュリエッタ・マシーナ(「道」でジェルミソーナを演じたフェリーニの妻、他に「魂のジュリエッタ」、「カビリアの夜」にも主演しています。それらの記事を参照してください)で、フレッドを演じたのはイタリアの大俳優マルチェロ・マストロヤンニ(フェリーニの「8 1/2」「女の都」などにも主演しています)です。
 今では、ジンジャーの方は引退して幸福な家庭生活を送っている中年婦人、フレッドの方は酒に身をもちくずした初老の芸人です。
 この二人の再会を、名優二人が演じて、フェリーニが演出しているのですから、観る者は人生の多愁や悲哀をいやというほど味わざるを得ません。
 戦後、日本でイタリア映画が人気があったのは、同じ敗戦国として日本と似たような状況が描かれていたからでしょう。
 タップダンス、そして、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの人気は、戦前からのものですが、戦後に戦勝国アメリカの他の文化とともに、改めて敗戦国に一気に押し寄せた状況も、イタリアと日本では同じだったことでしょう。

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色川武大「ふうふう、ふうふう」怪しい来客簿所収

2017-06-26 14:19:42 | 参考文献
 戦後の混乱の中で、作者が博打と雑多な事柄(この中には乗馬クラブで馬場馬術を習うことや文学の同人誌活動をすることも含まれています)に打ち込んでいて、特定の巣(住処のこと)を持たずに道路や橋げたや二十四時間やっている飯屋の片隅などで、時々うとうとするだけで暮らしていた時代の話です。
 突然に、死んだ人たちが作者のもとを訪れ、現実と彼岸の境目があいまいになります。
 おそらく、極度の睡眠不足と疲労による幻覚なのでしょうが、作者が後にナルコレプシーを発症したことと何か関係があるかもしれません。
 こうした作用が作品に与える影響は、プラス(他人と違った独特の世界が見える)とマイナス(持続力がないので長いものを書くのには不向き。ただし、作者には娯楽小説の分野では麻雀放浪記という傑作長編があります)があったことでしょう。

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6月24日(土)のつぶやき

2017-06-25 04:46:55 | ツイッター
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藤沢周平「榎屋敷宵の春月」麦屋町昼下がり所収

2017-06-24 14:45:29 | 参考文献
 ふがいない夫を尻目に、藩の不正に立ち向かう武士の妻を描きます。
 小太刀の名手の彼女は、不正の黒幕の刺客を、死闘の末に倒します。
 江戸時代に本当にこんな女性が存在したかどうかは別にして、どの作品にも魅力的な女性が登場するのは作者の大きな美点の一つでしょう。

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藤沢周平「山姥橋夜五ツ」麦屋町昼下がり所収

2017-06-24 09:20:31 | 参考文献
 不条理な理由で家禄を減らされた下士の男が、藩主怪死などの謎に挑みます。
 こうした不遇な下級武士に対しては、作者はなみなみなるぬ愛情をそそぎますが、おそらく会社などで同じような経験を持つであろう多くの男性読者たちも共感を持っていたことでしょう。
 謎自体も謎解きも他愛ないものなのですが、この程度の方があまり頭を使わずに気楽に読むのには適しているのかもしれません。
 謎解き(というほどのものではありませんが)の方に紙数を割いたため、お約束の主人公のロマンス(事件に絡んで離縁していた妻との復縁)や斬り合うシーンは、この作品では物足りませんでした。

麦屋町昼下がり (文春文庫)
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