現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

コンタクト

2021-06-28 17:41:58 | 映画

 1997年のアメリカ映画です。

 かつて非常に人気のあったカール・セーガンの近未来SFを、当時としては最新のCGを使って映画化しました。

 高度の文明を持つ宇宙人の存在を、狂信的なほど追い求める天才科学者を、ジョディ・フォスターが熱演しています。

 原作の持つ宗教的だったり、哲学的だったりする雰囲気を良く伝えていますし、映像もすごくきれいなのですが、その分エンターテイメントとしては少々難しかったかもしれません。

 ストーリーが御都合主義だったり、変な日本が出てくるのは、ご愛敬でしょう。

 

 

 

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池井戸潤「下町ロケット2 ガウディ計画」

2021-06-26 12:03:45 | 参考文献

 東京の大田区の町工場(着実に成長しているので、もう中小企業というよりは中堅企業になっています)を舞台にした人気シリーズの二作目で、テレビドラマ(シリーズの後半)にもなりました。
 ここでもモノづくりや働くことの意義を、エンターテインメントの面白さでくるんで、うまくまとめ上げています。
 良い側と悪い側が最初からはっきりしていて、良い側が様々な困難に直面するのはお約束どおりなのですが、最後には水戸黄門ばりの勧善懲悪でめでたしめでたしの大団円を迎えます。
 ただし、今回は悪い側(一部の人だけ)にもラストで救いの手を差し伸べているのですが、あまりに安易で筆が滑った感じです。

下町ロケット2 ガウディ計画
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小学館
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池井戸潤「下町ロケット」

2021-06-26 12:02:30 | 参考文献

 2011年上半期の直木賞受賞作です。
 2015年にドラマ化されて大ヒットしました。
 大企業の横暴に対して、下町の中小企業がプライドをかけて戦う様子が書かれているので、読者には共感が得安い構図になっています。
 偶然の多用、デフォルメされた登場人物、ご都合主義のストーリ展開、大団円的なハッピーエンドなど、典型的なエンターテインメントの手法で書かれているのですが、主役の研究者を挫折した経験をもつ中小企業の社長の人物像がしっかり描かれているので、最後まで破綻なく読めます。
 しかも、水戸黄門的な勧善懲悪のストーリーなので、読むとスカッとしますし、ドラマ化にも向いていると思われます。
 ここに描かれたロケットエンジンのバルブシステムの技術や重要性がどのくらい正しい物なのかは、門外漢の私にはわかりませんが、少なくとも一般読者にはリアリティを持って読めると思います。
 児童文学の世界でも、かつてはこういった専門的な内容を含んだ作品はありましたが(砂田弘の「さらばハイウェイ」など)、お手軽なエンターテインメント作品全盛の現在では絶えて久しいです。

下町ロケット (小学館文庫)
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小学館
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ゴーストバスターズ

2021-06-22 14:45:17 | 映画

 1984年のアメリカ映画です。

 ビル・マーレイ、ダン・エイクロイド、ハロルド・ライミスという一流のコメディアンが主演した幽霊退治を描いたコメディです。

 エイクロイドとライミスは脚本も担当しています。

 幽霊退治業者という奇抜な設定としゃれた会話でけっこう笑えますし、CGも当時としてはよく出来ています。

 特に、ラストに登場する巨大化したマシュマロマンはかわいさと恐さが共存していて、一番印象に残っています。

 エイリアン・シリーズのシガニー・ウィーバーが一転してセクシーな演技を見せていますし、リック・モラニスがこうしたアメリカ映画には欠かせない眼鏡ちびキャラを演じています。

 レイ・パーカー・ジュニアが歌った主題歌も、世界的にヒットしました。

 

 

 

 

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インターステラー

2021-06-19 12:42:13 | 映画

 砂嵐が吹き荒れて食糧危機に陥った、近未来の地球(といっても出てくるのはアメリカだけですが)を舞台にしたSF映画です。
 SFといっても、「オデッセイ(その記事を参照してください)」のような科学技術的な映画(どこまで正確かはわかりませんが)ではなく、アクションシーン重視の娯楽映画です。
 荒唐無稽な設定(例えば、主人公は元飛行士の農夫ですが、特別な訓練もせずに突然地球の危機を救うために派遣される宇宙船のメンバーに選ばれます)、偶然の多用、デフォルメされた登場人物(ロボットも含めて)、ご都合主義のストーリー展開を駆使した典型的なエンターテインメントの手法で作られた作品です。
 オマージュなのか、監督は、彼が好きなのであろう過去の名作SF(ファンタジー)映画(「2001年宇宙の旅」、「未知との遭遇」、「エイリアン」、「スターウォーズ」、「フィールド・オブ・ドリームス」など)を連想させるシーンを連発させています。
 といっても、宇宙旅行の間に主人公が時空を超えてしまい、愛する娘と見た目の年齢が逆転してしまうことをうまく使っていて、父娘の愛情にホロリとさせられます。
 また、最近の同種の映画と同様に、音楽とSFX映像はすばらしく、三時間近い作品を飽きさせません。
 
 

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動物児童文学の分類

2021-06-14 14:04:02 | 考察

 児童文学において、動物文学は一つのジャンルを形成しています。
 それらにはいろいろなタイプがあって、以下のように分類できます。

1.ノンフィクション
 フィクションの部分はなく、動物の生態をそのまま描いています(ファーブル「昆虫記」、伊谷純一郎「高崎山のサル」など)。

2.ノンフィクション風物語
 一見、ノンフィクションのようですが、そこにフィクションを加えています(シートン「動物記」、椋鳩十や戸川幸雄の作品など)

3.動物主人公物語
 動物の生態はそのままですが、動物の視点で描かれています(ジャック・ロンドン「野生の呼び声」、シートンや椋鳩十や戸川幸雄の作品にもあります)。

4.動物の世界をファンタジーで描いた物語
 動物の生態はいかされていますが、様々なレベルの擬人化がなされています(アダムス「ウォーターシップダウンのうさぎたち」、マージェリー・シャープ「ミス・ビアンカ・シリーズ」、斉藤敦夫「冒険者たち」、宮沢賢治「よだかの星」、キップリング「ジャングルブック」、ポッター「ピーター・ラビット」シリーズ、ホワイト「シャーロットの贈り物」、いぬいとみこ「ながいながいペンギンの話」など)

5.動物が主人公のファンタジー
 動物を主人公にしていますが、まるで人間のように生活しています(ケネス・グレアム「たのしい川辺」、ミルン「くまのプーさん」(ぬいぐるみですが)、ボンド「くまのパディントン・シリーズ」、神沢利子「くまの子ウーフ」、ジョージ・オーウェル「動物農場」など)

 以上はかなり大雑把な分類ですが、擬人化度や動物の生態の厳密さなどにより、4や5はさらに細かく分けられます。
 新たに動物児童文学を創作する場合には、以上の先行作品を参考にして、自分の作品の世界観を構築するといいでしょう。


たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))
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岩波書店
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今野勉「宮沢賢治の真実」

2021-06-14 14:01:07 | 参考文献

 宮沢賢治全集を読み直して発見した、賢治の真実(著者はそう称しています)の姿について推理していく本です。
 初めに、彼自身がそれまでに抱いていた四人の賢治が示されます。
 一人目は、「生命の伝道者」で、思想家であり、実践者であり、夢想家であるとしています。
 二人目は、「農業を信じ、農業を愛し、農業に希望を託した人」で、農業と芸術の融合を夢見ていたとしています。
 三人目は、「野宿の人」で、幼いころからの野外での実体験が、賢治の身体性、感性、思想の根源を作り上げたとしています。
 四人目は、「子どものお絵描きのように詩を作る人」で、心に浮かんだ風景を次々に言葉にしていく(いわゆる心象スケッチです)としています。
 賢治の読者の多くは、これらには首肯するでしょう。
 この本では、五人目の賢治を探すことを目的しています。
 前記した四人以外の賢治としては、一般的には科学者や教育者としての賢治などがあげられることが多いでしょう。
 しかし、作者の挙げる五人目の賢治は、ずばり「恋愛する賢治」なのです。
 ここでいう「恋愛」の対象は、妹のとし子(これは従来から指摘されていることです)、とし子の花巻高等女学校時代の恋愛事件(新任の音楽教師と他の女学生との三角関係)、賢治の同性愛の相手(賢治にその傾向があることは周知のことですし、それに関する先行文献もあります)です。
 この本では、文語詩「猥れて嘲笑めるはた寒き」からスタートして、詩「マサニエロ」、とし子の恋愛事件(新聞(今でいえば文春のようにゴシップも取り扱っていた新興のローカル紙)にすっぱぬかれました)と後に彼女が当時のことを書いた自省録、賢治の同性愛、そしてこれらの「恋愛」の観点からの「春と修羅」や「永訣の朝」や「銀河鉄道の夜」などの新解釈が書かれています。
 全集の読み直しや多数の先行文献の調査などを経ての労作ですが、書き方が初めから結論ありきなのが気になりました。
 事実や先行文献をもとに論を順序立てて組み立ていくというよりは、直感的な推論や選考文献などの都合のいい部分のつまみ食い的な引用などに頼りすぎていて、論文というよりは(推理)読み物的な風合いです。
 確かに、作者が主張する観点から作品を眺めればそう読めないこともないのですが、それは作者自身も最初に指摘しているように非常に多面的な人物だった賢治のある一面にすぎないので、「真実」とうたうのは言いすぎではないでしょうか。
 しかし、作者が主張している解釈には新しい発見も多いようなので、第三者が裏付けを取る必要はあると思いました。

宮沢賢治の真実 : 修羅を生きた詩人
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新潮社


 

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石井直人「児童文学補完計画2-暴力」日本児童文学2015年9-10月号所収

2021-06-13 15:46:33 | 参考文献

 著者は、児童文学における二種類の暴力について書いています。
 ひとつは、児童文学の世界において描かれたいろいろな暴力(肉体的なものも精神的なものも含みます)です。
 その例として取り上げられた作品は、梨木香歩「西の魔女は死んだ」、S.E.ヒントン「アウトサイダーズ」(かつてのヤングアダルト物の代表作の一つです)、上橋菜穂子「獣の奏者」などです。
 もうひとつは、それを読むことによって、体調を崩してしまうほど暴力的なインパクトを持った児童文学作品です。
 その例としては、ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」とエドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊」などをあげています。
 以上のように、取り上げられたのはすべて評価の定まった作品(キャロルやポーは古典です)ばかりで、しかも特に新味のある論考はありませんでした。
 特に、後者に関しては、「鏡の国のアリス」は新井素子の、「アッシャー家の崩壊」は著者自身の、子ども時代の読書体験を紹介したにすぎません。
 極めて早熟で感受性も鋭かったであろう二人の経験を例に挙げても、コモンリーダーと呼ばれる一般の読者にはまるでピンとこないでしょう。
 また、なぜ「暴力」を2015年時点での児童文学(日本におけると限定してもいいでしょう)の補完計画として挙げたか、またそれらをどのように児童文学作品に反映するかについては、まったくと言っていいほど書かれていないので唖然とさせられました。
 

日本児童文学 2017年 04 月号 [雑誌]
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小峰書店
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児童文学における老人と子ども

2021-06-13 15:44:36 | 考察

 現代の日本では、高齢者社会が進んで、老人世代の人口が増加しています。
 しかし、その一方で核家族化も進んで、子どもと老人たち(ここでは後期高齢者である75歳以上のお年寄りをさしています。現実の子ども世代のおじいちゃんやおばあちゃんにあたる若い高齢者たちは、いろいろな形で子どもたちと交流があるでしょう)
 2010年代に入って、法改正の影響もあり、有料老人ホームなどの新しい老人介護施設が増えています。
 従来の老人ホームといえば、一部の裕福な人たちしか入れない入所に高額な一時金が必要な有料老人ホームか、辺鄙なところに作られる事の多かった特別養護老人ホーム(現在の特養は非常に入所が難しく、介護度の高い人でもなかなか入れません)しかありませんでした。
 しかし、現在ではそれらだけでは収容できない多くの高齢者のために、一時金が少ない(あるいはなしの)有料老人ホームなどが、住宅地と近接する形でたくさんつくられるようになりました。
 これは、介護の人員の確保の容易性と家族の訪問しやすさが必要なために、交通の便の良いところでしか新しい老人ホームが運営できないからです。
 現在では、老人ホームで利用者の脱走(徘徊)が起こるのは大問題なので、出入り口はオートロックになっていて、老人たちは外部から隔離されていることが多いです。
 なぜなら、この業界は慢性的に人手不足なので、いなくなった人をいちいち探していたらペイしないからです。
 しかし、こういった施設が増えるにつれて、周囲の理解をが得るために地域社会との交流を図る所も増えてきました。
 こういった機会を通して、老人たちと交流を持つ子どもたちもこれからはどんどん増えてくるでしょう。
 そして、新しい物語が生み出される土壌になる可能性を秘めていると思います。

死ぬまで安心な有料老人ホームの選び方 子も親も「老活!」時代 (講談社プラスアルファ新書)
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講談社

 

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古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」

2021-06-13 15:35:59 | 参考文献

 格差社会や世代格差に苦しめられているはずの若者たちが、実はかつてないほど幸福であるという著者の主張を、多方面から解析した本です。
 タイトルは非常にキャッチーなのですが、そこには巧妙なトリックがあります。
 まず「絶望の国」という惹句に関しては、この本では全く定義されていませんし、それに対する著者の批判もありません。
 次に「幸福な若者たち」というのは、たんに二十代の若者の生活満足度が高い(70.5%が満足)というだけで、それが幸福であるのかどうかの解析は行われていません。
 著者は今の若者が幸福な証拠として、ファストファッションやファストフードやスマホやゲーム機やコンビニがあることをあげていますが、そんなものはたんに時代の変遷を言っているだけで幸福とはなんの関係もありません。
 また、前の世代の若者との比較をしていますが、それも非常にステレオタイプ的な捉え方で説得力がありません。
 全体に漂うのは、著者の一般的な「若者たち」に対する優越感や差別意識です。
 これは、著者の他の本と共通しているのですが、「若者論」を語りながら、実は執筆当時は著者自身も二十代の若者であったにもかかわらず、そこに彼自身の姿がなく他人事なのです。
 東京大学の大学院に在籍中で、慶応大学の研究員でもあり、ベンチャー企業の役員でもある著者(どうやらルックスにも自信があるらしく、著書には必ず自分の写真がついています)は、自分が格差社会の勝ち組であることを十分に意識しているのでしょう。
 ですから、「若者」に二級市民(安くてクビにし易い中国の農民工のような存在)でも身近な世界に幸福を感じられるはずだと、簡単に切り捨てられるのです(もちろん著者自身は一級市民なわけです)。
 それにしても、タイトルといい、巻末の俳優の佐藤健との対談といい、著者は本を売るコツをよくつかんでいるようです(編集者のアイデアかもしれませんが)。
 さまざまな本やデータからたくさんの引用がされていて、著者が勉強家なことはよく分かりましたが、それぞれは著者にとって都合のいいつまみ食いにすぎず、それによって組み立てられたはずの著者自身の論は、冒頭の「はじめに」で述べたことからあまり深まっていません。
 また、フィールドワークと称して、生な「若者たち」のことばが紹介されていますが、取り上げ方が恣意的で説得力がありません。
 総じて内容は現状肯定的で反動的なのですが、それとバランスを取るように保守系の研究者や評論家を揶揄する文章をちりばめていて、どこからも文句が来ないように配慮しているのが、何とも優等生的な小心さを感じさせて苦笑を禁じ得ません。

絶望の国の幸福な若者たち
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講談社
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荒野の七人

2021-06-11 15:49:57 | 映画

 1960年公開のアメリカ映画です。

 黒沢明の名作「七人の侍」(その記事を参照してください)を、国境近くのメキシコの農村を舞台にした西部劇でリメイクしています。

 原作の持つ思想性や野武士に対抗する策略のおもしろさはなく、オールスター・キャストによる娯楽映画になっています。

 こうした映画(例えば「大脱走」(その記事を参照してください)など)を得意とするジョン・スタージェス監督が。ユル・ブリンナー、スティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームス・コバーンなどの大スターにそれぞれ見せ場を用意するのに、抜群の手腕を見せています。

 世界中で大ヒットしたので、次々と続編が作られました。

 

 

 

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アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング

2021-06-09 16:59:09 | 映画

 2018年公開のアメリカ映画です。

 ぽっちゃりした体型と容姿にコンプレックスを持っている主人公が、スポーツジムで頭をうってから、「自分は最高の美人」に見えるようになることによって引き起こされるドタバタコメディです。

 主人公は、自分に自信を持つことにより、あらゆることにポジティブになり、仕事も恋愛も成功します。

 最後は、再び頭をうって魔法が解け、また自信を失いますが、やがて自分自身を受け入れるようになるというありがちなハッピー・エンディングです。

 何かのショックで主人公が変身する話は、映画でも児童文学でもよくあるのですが、この作品では外見は変わらないで自分に対する評価だけが変わるという点が新しいかも知れません。

 自己評価の低い人が多い現代では、このようなポジティブ・シンキングの映画は受け入れやすいかも知れません。

 映画としての出来はいまいちですが、主役のエイミー・シューマーの迫力ある演技は一見の価値はあります。

 

 

 

 

 

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植村直己「北極圏一万二千キロ」

2021-06-07 16:34:58 | 参考文献

 前作の「極北を駆ける」(その記事を参照してください)で、一年間エスキモーの村に住み込んで、極地で生きる技術(犬ぞり、狩猟、生肉による食生活、言葉など)を習得した作者が、それを生かして、北極圏を、グリーンランドからカナダを経て、アラスカに至る一万二千キロに及ぶ犬ぞりによる単独行した記録です。

 作者の単独行の目的は、将来の犬ぞりによる南極横断の訓練のためなのですが、この単独行自体も過酷を極め、何度も命を落としそうになります。

 日本人の感覚では読むのにつらいシーン(そりを引けなくなった犬を見殺しにしたり、狩りをして獲物を得たりするなど)もあるのですが、作者自身はそりを引くハスキー犬との関係が一番辛かったようです。

 そういった意味では、この点に関しては、最後までエスキモーにはなれきれなかったようで、日本人(犬はペットである)とエスキモー(犬は運搬手段であり、使えなくなったら食料でもある)の感覚の間で葛藤します。

 いくら極地生活の技術的には、エスキモーを凌駕するようになっても、心情的には最後まで日本人のままだったようです。

 

 

 

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大脱走

2021-06-05 15:58:16 | 映画

 1963年公開のアメリカ映画です。

 戦闘シーンのない、捕虜収容所からの集団脱走を描いた異色の戦争映画です。

 残酷なシーンはまったくなく、シリアスなシーンもできるだけ簡略化して、大勢の捕虜をどのように脱走させるかに的を絞って、いろいろな難問を解決していって、観客の一種の知的な好奇心を満足させる、ある意味健全な娯楽映画に仕上がっています。

 結果的には、最後まで脱走に成功したのは数名にすぎず、大半が途中で捕まり、そのほとんどがゲシュタポに銃殺されるという悲劇的な結末なのですが、なぜかスポーツの好ゲームを見たときのような、不思議な爽快感が得られます。

 スティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、デビット・マッカラム、ジェームス・ガーナー、ジェームス・コバーンなど、当時日本でも人気のあった大スターたちが大勢出演しているので、それぞれに見せ場があり、彼らのファンがすべて満足できるよう、監督のジョン・スタージェスが絶妙のバランスを取っています。

 

 

 

 

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植村直己「極北に駆ける」

2021-06-04 09:00:11 | 参考文献

 冒険家の著者が、南極大陸単独横断を目指していた時に、その訓練の一環(犬橇技術の習得、アザラシなどの狩猟技術の習得、極地順化など)としてデンマーク領グリーンランドの北極圏にあるエスキモーの村に住み込んだ時(1972年から1973年にかけての一年間)の記録です。
 生活習慣のまったく違うエスキモーの村に、なんとか溶け込もうとする著者の必死の努力が伝わってきて、著者の本の中ではもっとも共感して読むことができます。
 食習慣(生肉(アザラシ、セイウチ、鯨など)を食べて、野菜はほとんど食べない)、男女関係(老若を問わないフリーセックス)、清潔感(風呂に入らない、一部屋しかない家の室内で大小便をするなど)、犬に対する考え方(そりを引かせる道具、使えなくなったら食料)などは、日本人とは大きなギャップがあって大変な苦労をしますが、彼らの見かけはほとんど当時の日本の田舎の人たち(著者も地方出身です)と変わらないこともあって、著者に白人には見せない親近感を抱いて、ほとんど全員がとても親切に彼を受け入れてくれ、読んでいる方も知らず知らずのうちに彼らに親近感を抱きます。
 その後、著者の極地探検は、だんだん習熟度が上がって準備も大がかりになっていきますが、この当時の探検は手作り感満載で一番共感を覚えます(といっても、この時も命の危険に何度も直面しているのですが)。

 

 

 

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