2012年10月30日に初版が発行された、小熊英二編著の「平成史」の巻頭論文です。
平成史とありますが、もちろん平成時代は現在進行だったのですから、正確にはバブルが崩壊した1991(平成3)年から東日本大震災と福島第一原発事故のあった2011(平成23)年までの20年間を対象としています。
この総説では、この二十年間とその前の時代を、やや性急な感じで概観しています。
小見出しをあげてみると、「工業化時代の想像力」「ポスト工業化」「福祉におけるポスト工業化社会のバリエーション」「移民と地方経済」「「日本型工業化社会の成立」「バブル期から九十年代へ」「政治の推移」「「中流崩壊」と「ゆとり教育」」「女性労働と少子化」「「格差」と「地方」」「現状認識の転換を」となります。
作者によると、戦後の日本の大きな変換点は、1955年(55年体制の成立と高度経済成長の始まり)と1991年(バブルの崩壊と55年体制の終焉)で、1973年ごろにオイルショックやドルショックによる小さな変換点があったとしています。
また、2011年(東日本大震災と福島第一原発事故)が大きな変換点になるかどうかは、これからの歴史を待たねばなりません。
そこで、この論文は、平成の前の時代にあたるバブル崩壊に至るまでと、その後の二十年間の平成時代について、駆け足で述べるとともに、この後に他の著者たち(一つだけは小熊自身)によって書かれる各論文の前振り的な役目を果たしています。
紙数が限られているため、論文には87個もの注が付けられていてたくさんの関連する本や論文が紹介されていますが、文中にはそれらからの引用はなく、小熊自身のことばで簡単にまとめられています。
小熊の文章は非常にロジカルでわかりやすいのですが、他の小熊の本(大部になることが多いです)と違って、引用による具体的な文章がないため、正確なニュアンスが小熊というフィルタを通すことによってこぼれ落ちてしまうことが多かったような気がします。
本の序文で「震災後の二〇一一年春に、河出書房新社から「平成史」を書かないかという依頼をうけた。私自身は、一人で一冊の本としてそれを書く気はない、若い研究者と共同で研究会をやりながら相互に知恵を高めあうプロジヱクトとしてならやってもよい、と答えた。
その後に分野決めと人選を行ない、ニ〇一一年八月から、各自二回の発表を行って相互批判する機会を作った。最初に基本アイデアを発表し、コメントを受けたあと、草槁を書いてさらに批判を受けるのだ。その分野の著者に依頼しただけで終わり、というありきたりの共著の書き方では、おもしろくないと思ったからである。参加者も意欲的で一年弱のあいたに議綸と内容が深まってていった。
またせっかくの機会なので、一回ごとに研究会の場所を変えることにした。各自一ヵ所ずつ、自分が知っている「おもしろそうな場所」を紹介し、社会見学も兼ねてそこで研究会を開いたのである。」と弁解していますが、やはり読者としては、小熊自身でじっくり書いてほしかったという気持ちはぬぐいきれません。
最後に、小熊は、平成史を見直す必要性について、以下のようにまとめています。
「「平成史」を一言で表現するなら、以下のようになろう。「平成」とは、一九七五年前後に確立した日本型工業社会が機能不全になるなかで、状況認識と価値観の転換を拒み、問題の「先延ばし」のために補助金と努力を費やしてきた時代であった。
この時期に行なわれた政策は、その多くが、日本型工業化社会の応急修理的な対応に終始した。問題の認識を誤り、外圧に押され、旧時代のコンセプトの政策で逆効果をもたらし、旧制度の穴ふさぎに金を注いで財政難を招き、切りやすい部分を切り捨てた。
老朽化した家屋の水漏れと応急修理のいたちごっこにも似たその对応のなかで、「漏れ落ちた人びと」が増え、格差意識と怒りが生まれ、ボピュリズムが発生している。それは必ずしも政策にかぎった現象ではなく、時代錯誤なジェンダー規範とその結果としての晩婚化・少子化もまた、|先廷ばし」の一例といえよう。だが「先延ばし」の限界は、もはや明らかである。
表面的には「若者がハンバ―ガーを食べている風景」は一九七〇年代と変わらず、八〇年代から「大きな変化は何も起こっていない」ようにみえる。だがそうした認識の根底にあるのは、社会構造変化の実情と、旧態依然の社会意識のギャップである。そのギャップを「先延ばし」にしているかぎり、認識から「漏れ落ちた入びと」は大する。震災と原発事故によって、多くの人びとが日本型工業化社会の限界を意識し始めたいまこそ、「平成史」を見直すことがもとめられている。」
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平成史 (河出ブックス) |
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河出書房新社 |