現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

蒲田行進曲

2020-09-23 08:55:38 | 映画

 

 

 1982年公開の日本映画です。

 もともとは、つかこうへいの戯曲で、1980年に紀伊國屋ホールで初演され、紀伊国屋演劇賞を受賞しています。

 さらに、小説化もされて、直木賞を受賞しています。

 スター俳優と売れない女優の恋と、妊娠した彼女を押し付けられた大部屋俳優の悲哀を巡って、三者間の入り組んだ愛憎を、つかこうへい独特の長ゼリフで語って、笑いと涙の世界を繰り広げます。

 映画化においては、主役の安や銀ちゃんにはスター俳優の起用も検討されたようですが、1982年のつかこうへい事務所の解散公演のキャストである平田満と風間杜夫になりました。

 彼らの持つ舞台俳優としての身体性が、映画でも遺憾なく発揮されて、映画を成功に導きました。

 ただし、小夏役には、初演以来一貫して演じていた根岸季衣ではなく、スター女優の松坂慶子が演じました。

 売れない女優役は美人の彼女には似合わない感じですが、体を張った体当たり演技(ヌードシーンもあります)で、映画に華やかさを添えました。

 映画は予想以上のヒットと評価を得て、日本アカデミー賞の作品賞、監督賞(深作欣二)、主演男優賞(平田満)、助演男優賞(風間杜夫)、主演女優賞(松坂慶子)を独占しました。

 私は、紀伊國屋ホールで初演を見ているのですが、その時の配役は、銀ちゃんは加藤健一、安は柄本明と、他の小劇団の座長クラスが演じていましたが、やはりつかこうへい事務所の看板俳優である風間杜夫と平田満の方がはまっている感じです。

 また、この映画のヒットのおかげで、つかこうへい事務症解散後の二人の仕事の場が広がったことは、二人のファンだった私としては、非常に嬉しいことでした。

 

 

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J.K.ローリング「ハリー・ポッターと賢者の石」

2020-09-23 08:53:36 | 作品論

 言わずと知れた世界的ベストセラーの第一作です。

 イギリスのファンタジーの伝統の上に、現代的なアイデアを盛り込んで「現代の魔法物語」という新しいジャンルを創出し、多くの追随者を生み出しました。

 魔法使い、空飛ぶ箒、魔法学校、寮生活、闇の魔法使いとの戦い、マグル(通常の人間)との共存、フクロウの郵便、クイデッチ(空中で行う団体球技)、幽霊、謎解きなど、普通の作品だったら10冊は書けそうなアイデアを、これでもかとてんこ盛りにして、読者を飽きさせません。

 ハードカバーで500ページもある長編も、本離れしているはずの子どもたちが嬉々として読んでいる姿を見ると、本離れの原因が読み手ではなく書き手側にあることがわかります。

 それも、日本だけでなく世界中の子ども達に受け入れられたことを考えると、面白い本は、古今東西の垣根を超えて普遍的であることもわかります。

 まだ日本で翻訳本が出版されないころ、シリーズのたぶん3冊目の発売日にたまたまアメリカに出張していて、空港や街のあちこちで分厚い本を抱えた子ども達や山積みになった本に出くわしたものでした。

 もちろん典型的なエンターテインメント作品なのですが、その一方で、主人公やその男女の友人との友情を描いた児童文学伝統の成長物語でもあります。

 また、作品の主な舞台が全寮制の学校であることも、児童文学の伝統(ケストナーの「飛ぶ教室」など)を踏襲していますが、男女共学にしている点が現代的で読者の幅を広げることに貢献しています。

 

 

 

 

 

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猪熊葉子「小川未明における「童話」の意味」日本児童文学概論所収

2020-09-23 08:47:42 | 参考文献

 1976年に出版された日本児童文学学会編の「日本児童文学概論」の第一章「児童文学とは何か」第二節「日本児童文学の特色」二「なぜ童話は幼い子どものものとしてつくられたか」に含まれている論文です。
 著者は、未明とその追随者たちによる近代童話が「子ども不在」であったと、以下のように批判しています。
「一九二六年、小説と童話を書き分ける苦しさを解消し、以後童話に専心することを宣言してから、未明の作品の世界は大きく変化した。かっての未明童話を特徴づけていた空想世界は徐々に姿を消し、代わって現実的な児童像が描かれ始めた。それとともに、未明の作品には濃厚な教訓奥が感じられるようになった。
 「わが特異な詩形」としての童話を書いている間、未明は子どもの贊美者であり得た。子どものもつ諸々の特性こそが、空想世界の支えであると感じられていたからである。しかし、いよいよ子どもを対象として作品を書く決意をした時、未明は現実の子どもと向き合わざるを得なくなった。そして未明は子どもたちが環境と調和して生きられるように「忠告」する必要を感じるようになる。なぜなら、現実の子どもを目の前にすれば、未明の観念のなかにあった子どものように「無知」「感覚的」「柔順」「真率」な子どもは存在しないことに気付かないわけにいかなかったからである。
 空想的な童話を書いている時期にも、教訓的な童話を書いている時期にも、未明は子どもの側に立って発想してはいなかったと言えよう。すでに見たように、未明は自らの内部を表現するために童話の空想世界を必要としたのであったし、「わが特異な詩形」を捨てて、「子どものために」書こうと努めるようになった時には、おとなの立場に立って,子どもに現実の中で調和的に生きる道を教示したのであったから。いずれにしても、未明は、子どもの眼で世界を見ることはしていなかったのである。
 未明の「童話」が根本的には「子ども不在」の文学であったにせよ、多くの追従者をもった。それは未明の「童話」が、それまでに存在しなかった独自の美をもった作品を生んだことにもよるが、一番大きな原因は、日本の近代のおとなの多くが、未明と同様、真の子どもの発見者でなかったことによるものである。そういうおとなたちにとっては、未明のような方法で作品をつくることが、一番やりやすいことだったからだ。こうして未明の「詩的・情的童話」は、ひとつの伝統を形成していった。」
 しかし、猪熊の示した「現実の子ども」「真の子ども」「生きた子ども」などもまたひとつの観念であり、「子ども」という概念自体、近代(日本の場合は明治以降)に発見されたものにすぎないと、柄谷行人の「児童の発見」(「日本近代文学の起源」所収、その記事を参照してください)の中で批判されました。
 この柄谷の指摘はアリエスの「<子ども>の誕生」の影響下に書かれたものと思われますが、当時の「現代児童文学論者」に大きな衝撃を与え、以降、「子ども」を絶対視していた「現代児童文学論」の見直しが図られるようになりました。
 そういう意味では、この猪熊の文章は、当時の「現代児童文学論者」の「子ども」に対する考えを端的に示すとともに、その限界を明示したことで重要であったと言えるでしょう。

日本児童文学概論
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