現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

過酷な現代においてユートピア童話が持つ意味

2018-10-16 09:14:24 | 考察
 児童文学には、ユートピア童話という分野があります。
 人間関係が濃密で、地域全体で子どもたちを育んでいるような環境を、作品の舞台にするのです。
 多くは高度成長時代やそれ以前といった時代設定、あるいは農村や漁村といった舞台設定、時にはその両方を備えている場合もあります。
 そこにおいて、現代では失われがちな人間関係や豊かな人間性を持った登場人物を使って、物語を展開するのです。
 それ自体は、人間関係や人間性が失われがちな、現代の、特に都会の生活に対するアンチテーゼの働きをしているので、ユートピア童話のすべてを否定しようとは思いません。
 しかし、そういった作品が同じ作者によって繰り返し描かれることは、過酷なユートピアではない現実社会からの逃避になってしまう恐れがあります。
 また、設定自体が作品のリアリティを保証してしまうので、文学としての大きな飛躍がありません。
 現実社会の問題点も描きながらユートピア童話を書くことは、より困難なことかもしれませんが、そういった状況における人間関係や人間性の復活を描き出すことができれば、より価値のあることなのではないでしょうか。

ユートピア (岩波文庫 赤202-1)
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岩波書店

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現代における少女小説の位置づけ

2018-10-15 08:45:39 | 考察
 他の記事でも書いたように、現在の児童文学の読者の大半は女性です。
 女性といっても、従来の読者だった子どもたちだけでなく、若い女性たちや最近では年配の女性たちも読者対象に含まれます。
 そのため、現在の児童文学の主流になっているエンターテインメント(女性向けとしては、ラブコメ、お手軽ファンタジー、ユーモア小説などがあげられます)だけでなく、50年代から90年代ぐらいまでは児童文学の主流であった「現代児童文学」(定義は他の記事を参照してください)のような純文学的作品も今でも商品として成立しています。
 そういった作品では、昔も今も、女の子たちの繊細な感覚をビビッドに描いたものが商品になりやすいようです。

少女小説事典
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東京堂出版
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雑誌連載における注意事項

2018-10-13 07:22:39 | 考察
 児童文学においても、作品が雑誌に連載されることがあります。
 現在は、児童文学の商業誌は「飛ぶ教室」などのわずかな雑誌になってしまっていますが、児童文学団体の機関紙や育児雑誌などに連載される機会は、まだまだあります。
 そして、連載終了後には一冊の本として出版される機会もあるようです。
 そうした場合における注意事項として、連載時の読まれ方と一冊にまとまった場合の読まれ方の両方を意識する必要があります。
 連載時には、必ずしも作品の初めから読まれるとは限られないので、どの号でもそれなりの小さな起承転結を持っていて、読者の興味(さかのぼってバックナンバーも読んでもらえるように)を満足させるものでなくてはなりません。
 紙面が許せば、前号までの簡単なあらすじが載せられれば、さらに読者に親切でしょう。
 その一方で、将来、一冊の本にまとめることを考えれば、その時に加筆訂正をするとしても、連載開始時に作品全体のシノプシスをまとめておくべきでしょう。
 理想を言えば、連載前に作品全体の第一稿を完成させて、それを各号の紙数に合わせて分割するとともに、各号に小さな山場を設けたいものです。
 
飛ぶ教室 44号 2016年冬 (金原瑞人編集号 えっ、詩? いや、短歌! それとも俳句?)
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光村図書出版
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児童文学における時間の概念

2018-10-10 08:21:47 | 考察
 一般文学の世界では、時間の経過を意図的にジャンプさせたり、遡行させたりする作品があります。
 特に、SFやファンタジーで、はこれらを巧みに使った魅力的な作品(例えば、ハインラインの「夏への扉」など)も多いと思います。
 しかし、児童文学では一般文学に比べて、その手法を使うことには注意が必要です。
 一般的に、子どもは大人に比べて時間の概念が不分明なので、児童文学(特に幼年童話や絵本)では過去の回想や時間を遡行した記述などは、不必要に読者を混乱させる場合もあります。
 もちろん、児童文学においても時間の概念をうまく使った優れた作品(例えば、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」など)はありますが、作者には読者の受容力に対する配慮が求められます。

時間SFの文法: 決定論/時間線の分岐/因果ループ
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青弓社



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老年児童文学

2018-10-09 14:25:19 | 考察
 最近の児童文学では、高齢者社会を反映してか、老人たちと子どもたちとの交流を描いた作品が増えています。
 これらの作品の中には、子どもたちだけでなくお年寄りが読んでも楽しいと思われる作品もあります。
 それを一歩進めて、最初から対象読者を老人にして児童文学を書いたらどうでしょうか。
 現状では、流通をどうするかなどの課題もありますが、そういった老年児童文学や絵本を、老人ホームなどで介護士さんやボランティアなどに読み聞かせをしてもらえたら、結構需要はあるのではないでしょうか。
 少子高齢化と本離れによって経営が苦しくなっている児童書の出版社にとっては、新しい有望なマーケットだと思います。

熟年のための童話セラピー―「末永く幸せに」暮らすヒント (ハヤカワ文庫NF)
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早川書房
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少女小説とキャラクター小説の関係

2018-10-06 08:49:11 | 考察
 吉屋信子の「花物語」以来、いつの時代も少女小説は児童文学において商業的には大きな位置を占めてきました。
 その存在は、児童文学の読者の大半が女性(本来の少女だけではなく、二十代の若い女性も、アラサーも、アラフォーも、アラフィフも、アラカンも含まれます)になった現在では、少女小説はますます大きくなっています。
 しかし、21世紀になったころから、この分野にも大きな変化が生まれています。
 従来の繊細な思春期の少女の感性をビビッドに描く作品やもっと手軽に読めるラブコメなどがかつてほどど売れなくなり、キャラクター小説(ストーリーや内容よりも、登場人物の個性が優先される小説です)の進出が目立ちます。
 これは、女性たちの世界でも、セーラームーンやプリキュアのようなコミックス、アニメ、ゲームなどの他のメディアが大きな影響力を持つようになり、従来型の少女小説ではなく、他のメディアと親和性の高いキャラクター小説のほうが売れるようになったのです。
 現に、メディアミックスで、他のメディアの作品が児童文学に移植されるケースもあります。
 こういった現象は、男の子たちの世界の方が先行していて、彼らがビデオゲーム、携帯ゲーム、アニメ、コミックスなどだけで物語消費をして、本を読まなくなってから久しいです。
 大人の世界でも女性のほうが男性よりも本を読むので、短期的には女の子たちが少女小説をまったく読まなくなるとは思えませんし、先ほど述べたように上には分厚い少女小説を読む習慣のある女性の年代層が健在なので、すぐに少女小説というジャンルはなくなりませんが、長期的には質的な変容と先細りは避けられないでしょう。

キャラクター小説の作り方 (星海社新書)
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講談社
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児童文学の時代設定はどうすべきか

2018-09-28 20:01:41 | 考察
 一般に、児童文学の作品を書く場合の時代設定は、特に歴史物や未来物として書く場合を除くと、漠然と「現在」に設定されることが多いと思われます。
 この「現在」という概念は、人によって非常にバラつきがあって、今年だけに限定されている場合も、二十年ぐらい前までの長い期間を含む場合もあります。
 私が二十代の時に児童文学を書き始めた時には、自分の「少年時代」は本当に地続きの「現在」、あるいはつい昨日のように近い「過去」の事として描くことができました。
 ですから、自分の「少年時代」を「現在」であると称しても、そんなに不都合はありませんでした。
 それが、三十代になって少年時代が過去へ遠ざかった時、作品の時代設定として取る道は二つありました。
 ひとつは、自分の少年時代(私の場合1960年代から1970年代にかけてでした)を時代設定として採用する方法です。
 もうひとつは、現在(1980年代でした)を舞台にして、自分の少年時代とは切り離して作品を描くことです。
 結論から言うと、私は後者を選びました。
 まだ子どもたちの新しい風俗についていけると思っていたことと、当時は子どもの成長が年々早くなっていると信じられていたので、自分の少年時代を少しアレンジして(中学時代の体験を小学生を主人公にして描くなど)書くと、現在の風俗によくマッチしたからです。
 その後、自分の子どもたちを得てからは、彼らやその友達の少年時代(1990年代から2000年代にかけてでした)に取材して、作品を書くことができました。
 その子どもたちも成人すると、なかなか「現在」にフィットした作品を描くのがつらくなってきました。
 子どもたちの新しい風俗も、体感としてはつかめなくなっています。
 この場合に、作品の「時代設定」として取る方法は二つあると思います。
 まずひとつめは、「現在」という概念を広げて、20年ないしは30年間は通用する普遍的なテーマやモチーフを選ぶことです。
 もうひとつは、自分自身もしくは子どもたちの少年時代に時代設定して、当時の風俗で作品を描くことです。
 この二つの方法は二元論ではなく、テーマやモチーフに合わせて使い分けることができると思っています。
 
1989年の因果 昭和から平成へ時代はどう変わったか (中公文庫)
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中央公論新社
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エンタ―テインメント作品の書き方

2018-09-15 10:21:32 | 考察
 児童文学のエンターテインメント作品には、それに適した書き方があります。
 いくら文章や会話や描写がすぐれていても、それだけでは優れたエンターテインメント作品にはなりません。
 いや、最近のエンターテインメント作品では、かえってそのために古い感じがして、読者から敬遠されるかもしれません。
 そこでは、大人のエンターテインメント作品と同様に、偶然の多用、荒唐無稽な設定、極端にデフォルメされたキャラクターなどが、スピーディなストーリー展開と読者の興味をつないでページをめくらせるために有効です。
 さらに最近では、ストーリーの一貫性よりも、個々のシーンがいかに読者にうけるかが重要になっています。
 一番大事な点は、作者がエンターテナーに徹して、芸術性、社会性などの文学に求められる他のエレメントを捨てて、消費財としていかに読者を楽しませることができるかに注力することです。

物語の世紀末―エンターテインメント批評宣言
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集英社
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黙読か、音読か

2018-09-14 08:43:31 | 考察
 絵本や幼年童話において、その本がどのように読まれるのかを想像してみることは有益なことです。
 これらの作品の読まれ方は、大きく分けて以下の三通りになると思われます。
 まず第一は、両親や教師などの大人が、幼い子に読んで聞かせる場合です。
 次に考えられるのは、子どもが自分自身で読む場合です。
 その時には、文字を目で追って黙読する場合と、実際に口に出して読んでみる音読の場合があるでしょう。
 こうして考えると、大人の読書と違って、情報が目から入ってくるだけでなく、耳からも入ってくる場合も多いことが分かります。
 そのため、これらの作品を書く場合には、作者自身が声に出して読んでみることをおすすめします。
 黙読して推敲した場合には気づかなかった、声に出した時の読みずらさや、音の響きの問題などに気がつくことでしょう。
 こういった作業を重ねて作品を完成させていかないと、優れた幼年文学を創造することは困難だと思われます。

 
読み聞かせわくわくハンドブック―家庭から学校まで
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一声社
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絵本や幼年文学の単純化

2018-09-13 08:36:53 | 考察
 最近の絵本や幼年文学の多くは、ますます単純化されて枚数や文字数が少なくなっています。
 この傾向は、三十年も前に安藤美紀夫が「日本語と「幼年童話」」という論文(その記事を参照してください)の中で警鐘を鳴らしていましたが、現状はさらに悪化を遂げています。
 その原因としては、読み手側の読解力の低下もありますが、それ以上に作り手側(出版社、作家、画家など)の事情によるところが大きいと思われます。
 短い作品の方が作成コストを下げられ、定価も下げられて売りやすいからです。
 そこには、出版社のビジネスや作家の生活がかかっているので、一概に批判ばかりはできませんが、作品の質の低下が起こるのは否めないでしょう。
 わかりやすい例で例えると、テレビにおけるお笑い芸人です。
 彼らは、俳優などの他のタレントと比較してギャラが安価なので使いやすく、たくさんの番組(バラエティ番組以外にも)出演しています。
 しかも、そこで彼らに求められているのは、彼ら独自のネタではなく、彼ら自身のキャラクターなのです。
 ネタを作りこむのはたくさんのエネルギー(つまりコスト)がかかりますし、「うける」とはかぎりません。
 そんなコストをかけるよりは、安直にタレントのキャラクターそのもの(デブ、ヤセ、ブス、チビ、ハゲ、アホ、ケチ、ゲス、過度な潔癖症、男女のスキャンダル、性的マイノリティなど、一般には負と思われているキャラクターの方が圧倒的に多いです)で笑いを取ろうとしています。
 この傾向は、児童文学(特にエンターテインメント作品)にも如実に表れていて、ストーリー展開や描写や文章よりも、個々のシーンが「いかにうけるか」や登場人物の「キャラクターがたっているか」などの方が重要視されています。
 こうして、「児童文学」は、「芸術としての文学」から、「暇つぶしの消費財」へと、加速度的に変貌を遂げていっています。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
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中央公論新社
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キャラクターの魅力

2018-09-12 08:24:07 | 考察
 最近の児童文学のエンターテインメント作品では、ストーリー展開で読ませるよりも、個々のシーンや文章の面白さが重要になっています。
 その面白さを支えるのが、登場人物のキャラクターの魅力です。
 人間としてのリアリティよりも、いかに際立った個性を持っているかが重要です。
 主人公のキャラクターがたっていることが必要なのは言うまでもありませんが、脇役たち、場合によっては1シーンしか登場しないような登場人物でも、そのキャラクター性は入念に計算されていなければなりません。
 たとえ、ストーリー展開に多少の無理があったり、わき道にそれてしまったりしても、それでキャラクターが生きてくるならば、そちらを優先したほうがいいでしょう。
 こうしたキャラクターを生かせるために、会話や地の文がポップで魅力的であることが重要です。
 キャラクターを自在に使い分ける、柔軟な文体がそこでは求められます。

キャラクター小説の作り方 (星海社新書)
クリエーター情報なし
講談社
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定型を崩すために

2018-09-11 07:26:33 | 考察
 児童文学の作品世界には、今までにたくさん書かれてきたいろいろな定型があります。
 以下にいくつか挙げてみます。
 優等生の兄(姉)とそれに反発する弟(妹)、あるいはその逆のパターン。
 家庭を顧みない父親と子ども思いの母親、あるいはその逆パターン。
 一人暮らしの老人とそれを呼び寄せようとする息子(娘)一家。
 管理主義の学校や教師とそれに反発する子どもたち。
 性格の悪い金持ちの子どもとけなげな貧乏の子ども、あるいはその逆パターン。
 まだまだたくさんあると思われますが、こういった定型を使って作品を書くのは、すでにある作品と比較されたり、読者に既視感を持たれたりして、不利になることが多いと思われます。
 そのためには、定型にならないようなユニークな設定にすることが一番ですが、現実的にはなかなか難しいと思います。
 定型をまぬがれる効果的な方法としては、作者が自分の作品はある定型なのだということを意識して、どこかで読者の予想を裏切るような場面を設定することでしょう。
 そうすれば、定型をアレンジしたバリエーションとして、一定の独自性を得ることができます。
 要は、自分が定型を使っていることにどれだけ自覚的になるかで、作品の個性を生みだすことができるのです。

ライトノベル・ゲームで使えるオリジナリティあふれるストーリー作りのためのシナリオ事典100―パターンから学ぶ「お約束」
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秀和システム
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作品評における思想性の欠如

2018-09-10 08:54:44 | 考察
 最近の児童文学の作品評では、作者の思想性に踏み込んで書いているものは、ほとんど皆無です。
 確かに、作者の政治的な立場や宗教などに対する批判は、作品の本質から外れてしまうかもしれません。
 しかし、その作品が、子どもたちや若い世代(子どもたちの親たちも含めて)の生存を脅かしたり、世の中の進歩を妨げたりするような場合は、その思想性を厳しく批判しなければならないのではないでしょうか。
 故なき誹謗や中傷はもちろん許されませんが、いたずらに作者サイドからの反論を恐れているのか、あたりさわりのない評論があまりにも多い現状は全く物足りません。
 批評において、作品の表面的な技法などを論じるのは枝葉末節であり、そこに語られている作者の思想性について述べなければ意味がないのではないかと思っています。

神、さもなくば残念。――2000年代アニメ思想批評
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作品社
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無国籍童話の世界観

2018-09-08 08:30:32 | 考察
 架空の舞台や時代設定で描かれる無国籍童話や無国籍ファンタジーは、現実世界を描くのと比べて作品世界に制約が少ないので、書き手はのびのびと書きやすい利点があり、初心者も含めて多くの書き手が描いています。
 しかし、実際には、作者が思っているほど、読者にその作品世界が伝わらないことが多いです。
 こういった作品を描く場合には、まず作品の世界観をしっかりと構築することが大事でしょう。
 いったん確固たる世界観が出来上がれば、その世界観をもとに複数の物語を生成することができます。
 ようは、こういった作品の書き手は、常にその世界観を磨いてさえおけば、そこから新しい物語を紡ぎだすことはそれほど難しくないということです。
 逆に言えば、一つの物語のために一つの世界観を作っていたのでは物語生成が非効率で、一定水準の作品をコンスタンスに作り出すことは困難です。
 もっと安易な方法としては、既存の作品の世界観を借りて創作することです。
 一番有名な世界観は、トールキンが「指輪物語」で創造した(彼自身もヨーロッパの神話や伝説の世界観をもとにしています)「剣と魔法の世界」でしょう。
 この世界観は、ドラクエを初めとして無数のファンタジーやゲームで使われています。
 こういった世界観をもとに物語を創作することは、いちから独自の世界観を構築するよりははるかに楽なのですが、真のクリエイターであったら自分独自の世界観を作る楽しみがなくなるのでつまらないかもしれません。

メルヘンの世界観
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水声社
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児童文学における部活動について

2018-07-19 08:49:17 | 考察
 児童文学の作品において、部活動が題材にされていることがあります。
 そこにおいて、「おや?」と思わせられることが、しばしばです。
 そうした場合には、往々にして、作者が子どもだったころの部活動のイメージのままに書いているのではないかと疑われるケースが多いです。
 現在の部活動は、少子化と学校の管理主義化の影響で、かつての部活動からは大きく変化しています。
 運動系の部活動で、特に強豪校の場合は、昔の雰囲気を残している場合もありますが、文化系、特に新聞部などは、学校側の規制によってがんじがらめになっていて、昔のような自由に意見を発表する機会は失われているケースが多いようです。
 

運動部活動の戦後と現在: なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか
クリエーター情報なし
青弓社
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