現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

「ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年」国立新美術館

2020-01-30 17:28:35 | 展覧会
 展示でも説明されていたように、ハンガリーは長年ハプスブルグ家やオスマン帝国の支配下にあり、ハンガリーとしての統一された美術と言うよりは、その時その時に影響の強かったヨーロッパ(イタリア、フランス、スペイン、オランダなど)の美術品を購入したり国内の芸術家もその影響下にあって創作していたりしていた、言わばヨーロッパ美術全体の映し鏡のような存在だったことが、年度別に区分された展示によってよくわかりました。
 その中には、グレコやティツィアーノやルノワールなどの優れた小品も含まれていて、スケールは小さいものの良質な展覧会でした。
 個人的には、児童文学の古典であるモルナールの「パール街の少年たち」は、私にとっては子どもの頃からの愛読書なので、その舞台のであるブダペストは「エーミールと探偵たち」のベルリンや「クローディアの秘密」のメトロポリタン美術館や「くまのパディントン」のパディントン駅などとならんで、いつか訪れてみたい場所のひとつですし、最近ハプスブルグ家の展覧会(その記事を参照してください)を見たばかりなので、非常に興味深い展覧会でした。
 近々、ハプスブルグ家ゆかりの地やブダペストを訪れる機会がありそうなので、楽しみにしています。


パール街の少年たち (偕成社文庫 3011)
桜井 誠,宇野 利泰
偕成社
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「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」国立新美術館

2020-01-09 18:19:58 | 展覧会
ウィーンモダン展図録 クリムト シーレ 世紀末への道 国立新美術館
ノーブランド品
ノーブランド品


 19世紀末から20世紀初頭におけるウィーンの芸術(絵画だけでなく、建築、工芸、デザイン、ファッション、家具、日用品なども)が、伝統的な様式からモダーンな様式に変わっていく様子が、年代を追いながら要領よくまとめられています。
 ウィーン・ミュージアムが改装中とのことで、これだけのまとまった展示がウィーンへ行かなくても見られるのは、非常にラッキーです。
 副題には、日本でも人気のあるクリムトやシーレが掲げられていますが、この展示会(あるいはこの時期の芸術運動全体)において、もっとも重要な人物は、建築家のオットー・ヴァーグナーでしょう。
 展示を順番にじっくりと見ていくと、彼の出現の前後で様式が伝統からモダーンに変わっていったことがよくわかります。
 彼が伝統的な建築だけでなく絵画にも、建築の手法を取り込んだことにより、ウィーンの芸術は、いわゆる職人技から、創作理論を持った芸術運動に変貌しています。
 これは、ル・コルビュジエ(その記事を参照してください)の場合とまったく同様です。
 児童文学の世界でも、かつての「現代児童文学」(定義などは他の記事を参照してください)は、良し悪しは別として創作理論がありました。
 実作と理論(評論)が両輪として存在していたわけです。
 しかし、現在の児童文学の世界では、「本になる、ならない」「売れる、売れない」だけが唯一の価値基準で、実作をリードするような創作理論は存在しません。
 つまり、今の児童文学は、芸術活動というよりは経済活動の一部として存在していると言えます。
 
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「ハプスブルグ展」国立西洋美術館

2020-01-09 18:15:37 | 展覧会
 数百年に渡って中欧(現在の国名で言えば、オーストリアを中心にハンガリーやチェコ、最盛期にはオランダやスペイン、北部イタリアや東欧の一部も)に君臨したハプスブルグ家のコレクションです。
 絵画だけでなく、宝飾品や甲冑など、展示は多岐にわたっています。
 絵画は大半が肖像画や宗教画で、ベラスケスを除くとそれほど面白いものはないのですが、展示がハプスブルグ家の栄枯盛衰に沿って行われているので、歴史的観点では面白かったです。
 前に見たウィーンモダン(その記事を参照してください)と合わせて考えてみると、第一次
世界大戦の端緒になり、その終戦時に崩壊したハプスブルグ家の近代における役割は興味深いです。
 さらに、その後の混乱の中で、ドイツではヒットラー(オーストリア出身)のナチスが台頭し、イタリアでは統一イタリアができたのをきっかけにした愛国主義(児童文学の古典であるクオーレにも影響しています)の高揚からムッソリーニが出現した、いわゆるファシズムの時代と関連付けて考えるとより面白いです。
 苦手(前にシュトットガッルトの美術館で非常に大量の宗教画を見て気分が悪くなったことが、トラウマになっています)の宗教画をたくさん見たので、口直しに常設展示の松方コレクションの印象派やコルビジュやピカソの絵を駆け足で見ました。
 好みの絵をいつでもサッと(こちらはすごくすいているので)見られるのは、コルビジェ設計の建物本体と共に、この美術館の最大の利点です。


ハプスブルグ展図録
読売新聞東京本社
読売新聞東京本社


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「コートールド美術館展」東京都美術館

2019-12-05 18:06:24 | 展覧会
 イギリスで繊維産業で莫大な富を築いた富豪のコレクションをもとに作られた美術館が、改装のために海外へ貸し出した作品の一部です。
 ルノワール、マネ、セザンヌ、ドガなどの印象派を中心に、ポスト印象派のゴーガンなどの、画集などでお馴染みの有名な作品を生で見られました。
 会期末が近いのでやや混んでいましたが、東京都美術館はスペースがゆったりしているので、観賞はしやすいです。
 展示も、各作品の創作意図を解説したり、科学的な解析結果を展示したりして、さすがはロンドン大学の研究施設の付属美術館らしい工夫がなされています。
 ただ、コレクション自体はやや総花的で、全体としては散漫な印象を受けました。
 美術界のパトロン的な立場の人の個人コレクションなので、仕方がないのですが。
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ルーヴル美術館展

2019-11-29 14:12:58 | 展覧会
 国立新美術館で開催されている肖像芸術に絞った展覧会です。
 肖像芸術に絞ったという狙いは面白いのですが、なぜルーヴルなのかが十分に表現されていない感じを受けました。
 確かに、ルーヴルならば、エジプト時代から19世紀までの広範な時代の美術品を所蔵していますし、絵画に限らずに彫刻や様々な装飾品などの多様な肖像芸術をカバーできるでしょう。
 しかし、その膨大な所蔵品の中から、展示されている110点に絞り込んだ意図がもう一つはっきりしませんでした。
 網羅性を重視したために、かえって肖像の持つ意味や芸術としての変遷をうまくとらえきれずに、全体としてあいまいな印象を受けました。
 また、展示品も概して小粒(しいて目玉といえば、ヴェロネーゼの「美しきナーニ」やアルチンボルドの「春」と「秋」や古代エジプトの棺用マスクでしょうか)で、ずっと鑑賞していたいという気を起こさせるような魅力的な作品は少なかったです。

ルーヴル美術館 (別冊太陽)
クリエーター情報なし
平凡社
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「印象派からその先へー」三菱一号館美術館

2019-11-07 17:02:17 | 展覧会
 吉野石膏という会社の一族のコレクションを、山形美術館から持ってきた美術展です。
 個人のコレクションなので、全体的には散漫な印象を受けますが、バルビゾン派から、ルノアールやモネなどの印象派を経て、カンディンスキーやピカソまでの様々な絵を、すいている場所でゆっくり見られます。
 特に、シャガールは、質量ともに一番充実しています。
 また、常設展示のこの美術館ご自慢のルドンのグランブーケは、何度見てもゴージャスです。
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「シャルル=フランソワ・ドービニー展」損保ジャパン日本興亜美術館

2019-11-07 16:39:09 | 展覧会
 「バルビゾン派から印象派への架け橋」という副題の付いた展覧会です。
 この画家の事はほとんど知らなかったのですが、副題に魅かれて見に行きました。
 彼自身は、バルビゾン派(彼が住んでいたところは、バルビゾンからは少し離れていましたが)に属するサロンでは著名な風景画家ですが、作品自体にはあまり感心しませんでした。
 芸術家というよりは職人(父親も風景画家ですし、息子も風景画家です)といった感じで、当時の新興の富裕層が好む田園地帯の風景(彼らはパリ市内に住みながらそういった場所に郷愁を抱いていました)を量産して、経済的にも成功したようです。
 しかし、彼は頑迷ないわゆる職人気質の人ではなく、印象派などの新しい技法(特に光の取扱い)にも柔軟で、自分の作品にも取り入れています。
 そういった目で見ると、年代順に並べられた彼の風景画を見ると、明らかに技術的にも向上し作品が成熟していっていることが分かります。
 また、モネ、ゴッホ、マネ、ピサロなどの次世代の画家が世に出ることにも、おおいにバックアップしたようです。
 彼の作品の最大の特長は、フランス北部のオワーズ川やセーヌ川にボート(小さなアトリエ兼寝室の小屋がついています)を浮かべて、上流や下流に旅しながら多くの水辺の作品を描いたことです。
 そして、それを「船の旅」という版画集にまとめています。
 彼の絵画は風景に徹していて物語性はほとんどないのですが、版画の方は船や川辺(宿屋や食堂など)での暮らしが克明に描かれていて、ユーモアやメルヘンもあり、児童文学の世界と非常に近いものを感じました。
 特に、彼のボートは、初期は手漕ぎの小さなもので(後に帆もかけられるやや大きなボートになっています)、時には岸辺にいる見習水夫(後に同じ風景画家になる彼の息子のようです)がロープで引っ張るシーンがあり、私には動物ファンタジーの古典であるケネス・グレアムの「楽しい川辺」(原題は「柳に吹く風」ですが、石井桃子の付けたこの邦題は作品世界の本質をとらえていて秀逸です)の世界(ヒキガエルが脱走の途中で乗った引き船は馬が引いていましたが)を彷彿とさせてくれました。
 時代(「船の旅」は1862年の作品で、「楽しい川辺」は1908年出版です)と国(「船の旅」はフランスで、「楽しい川辺」はイングランドです)の違いはありますが、当時は現代よりも時間の流れがゆっくりしていましたし、お隣同士の国なので、ほとんど同じ世界だったのでしょう、

 
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